なんの特別感もないアパートの扉の先には不釣り合いな薄暗い廊下が延びていた。
渋い緑色の床の中央にはここを通れと言わんばかりに紅い絨毯が真っ直ぐに敷かれている。
どこに明りがあるのかは分からないが、うっすらと先が見える程度のそこはただただ不気味だった。
「湖空城……?」
鈴香の呟きを聞き取った杏里が復唱するが、扉の奥に広がる空間を凝視したまま固まっている二人にその声は届いていない。
瞬き一つしない二人に杏里がもう一度、口を開けかけると、
「うそ……。」
「帰れた……。」
ようやく二人がほぼ同時に呟き、鈴香が杏里に飛びついた。
「わー! すごいよ! 湖空城だよ、杏ちゃん!」
「……?」
きゃっきゃっと一人はしゃぎ回る鈴香に杏里が視線を落とす。
「うん。鈴たちね、ここに住んでたの。」
「え?」
杏里の疑問に気付いた鈴香がさらりと口にした言葉に、黒い瞳が説明を求めるように衣都へと向く。
複雑な表情を浮かべた衣都がぎこちなく頷いて返すと、杏里は再び紅い絨毯を見据えた。
「このセカイに遊びに来たら帰れなくなっちゃって……。」
「セカイ? 何を言ってるの……?」
大量の疑問符を浮かべる杏里の身体から手を離した鈴香が廊下へと駆けだす。
「あ、ちょっと鈴香……!」
衣都が慌てて制止の声をかけると鈴香がぴたりと止まって笑顔で振りかえった。
「衣都、早く帰ろ! 杏ちゃんもおいでよ!」
嬉しそうに手招きする鈴香とは対照的に杏里の足に力が入る。
戸惑いを隠せない杏里に気付いた衣都が、少しだけ悪戯っぽい表情を前にいる少女に見せた。
「どうする? 行ってみる?」
誘いというよりも挑戦に近い衣都の言葉に杏里が一瞬目を見開くが、すぐに顔を強張らせながらも唇で弧を描きながら頷く。
「いいわよ、行ってやろうじゃないの。」
安い挑発に乗った自覚を持ちながら片方の拳に力を入れてドアノブから手を離すと、杏里は紅い道にゆっくりと足を下ろした。
不安を露わにしないように真っ直ぐと確かな足取りで進む杏里に、衣都は小さな笑みを零して自身も薄暗い空間に入り扉を閉める。
衣都は、その空間を、床の感触を、確かめるようにゆっくりと進み、大きな扉の前で並んで待つ二人の少女の真後ろで立ち止まった。
見上げるほど大きくて厚そうな木製の荘厳な両開きの扉は、その見た目に反してどこか温かさを醸し出している。
あまりの扉の大きさに見上げたまま口を閉じてしまった杏里なんておかまいなしで鈴香が扉に手を当てる。
小さな手が少しだけ力を入れると、扉の雰囲気や大きさからは予想もできないほどに簡単に開いた。
「みんなー! ただいまー!!」
扉が開くと同時に鈴香が声を張り上げて自身の帰還を告げる。
「ただいま。」
鈴香の大きくて嬉しそうな声に衣都は自分の声を混ぜ、立ち尽くす杏里の背中をそっと押して扉の中へと入った。



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