「いーやー! 鈴も一緒に行くー!!」
静かな住宅街にあるアパートの一室で少女の声が響いた。
頬を膨らませ、萌黄色の頭を左右に振り、両手両足をバタバタと動かして抗議の声を上げる子どもに、
長い空色の髪を一つに束ねた青年がため息を吐く。
「だめだよ、鈴香。この間買い物行った時に大人しくできなかったんだから。」
「今日はちゃんとするから!」
机に右頬をくっつけ、唇を尖らせる鈴香に青年が「仕方ないなあ。」と呟いた。
「!」
小さな観念のため息を聞き取った鈴香は素早く体を机から離して目を輝かせる。
「次はないからね?」
これでもか、というほどに笑みを浮かべる少女に、青年はふっと優しげな笑みを零しながらも念を押した。
「ありがとう、衣都!」
鈴香は首を勢いよく縦に振ると、椅子からぴょんっと飛び降りて床に両の足を着ける。
「さて、じゃあ早く行こうか。」
「はーい!」
嬉しそうな鈴香と共に衣都は部屋の扉を閉めた。

左手に買い物袋を持ちながら歩く青年の隣で、少女が若草色の目を細めて笑う。
「今日はいい子にしてたでしょ?」
無邪気に笑う鈴香に、衣都も笑みを返して頷いた。
「次もお買いもの連れて行ってね。」
「はいはい。」
他愛のない話をしながら二人は商店街を並んで歩く。
若葉を陽に透かしたような鮮やかな萌黄色の短い髪と空色の爽やかな長い髪が同じテンポで揺れていた。
10代前半に見える少女と20代前半に見える青年。
その姿は親子とも兄妹とも見てとれないが、二人の距離感は確かに親子のそれと同じだった。
しばらくの間、二人は仲良く並んで歩いていたが、ふと鈴香が足を止め、お喋りな口を閉じて、辺りをきょろきょろと見渡す。
「どうしたの?」
不審に思った衣都も足を止めて聞くと、鈴香は前方へと視線を向ける。
「……変な、音がする。」
自分の服の袖を軽く引っ張りながらゆっくりと前進する鈴香を、衣都は咎めることなくついていく。
鈴香は、シャッターの閉まった店と店の間の隙間の前で立ち止った。
「ここ?」
「うん。ここから、変な風の音がする。」
小さな声と視線でお互いの顔を見合って頷く。
二人で少しだけ身を乗り出して覗くと、薄暗いそこに一人の少女を囲むように三人の男が立っていた。
鈴香よりも少し年上に見える少女は、腕を組んで黒い瞳を真っ直ぐに男たちに向けている。
「いったい何の用なの。私、急いでいるのだけど。」
鈴香たちからは男の顔が見えないため、その高圧的な少女の態度にどう反応したのかは分からない。
が、多分いい気分にはならなかったのだろう。
一人の男が、少女に一歩近づいた。
「そんな生意気言っていいのかな〜? 後々、泣いて謝るのはお譲ちゃんだぜ?」
「謝る理由が全く思い浮かばないわね。とりあえず邪魔だから退いてちょうだい。」
「テメェ、言わせておけば……!」
たちに怯える様子もなく堂々と立つ少女に、苛立ちの限界がきたのか男たちの中の一人が手を伸ばす。
その瞬間、鈴香の隣で行方を見守っていた衣都が飛び出した。
伸ばしかけの太い男の腕を、白く細い指が力強く掴んでいる。
「なんだ、アンタ。」
腕を掴まれた男が凄むと、衣都はにっこりと笑って見せた。
「ただの通りすがりです。」
衣都がそう言うと、今まで静かだった別の男が「お。」と声を零す。
「お姉さんも美人じゃん。」
「ホントだ。上玉じゃね?」
その声に、凄んでいた男も同意して顔を緩ませた。
二人の会話に青年の笑みが少しだけ歪む。
「……残念ながら僕は男です。」
腕を掴む手に力を入れて衣都がそう言うと、男たちが失笑した。
「いやいやいや、そんな嘘さすがにバレるって!」
「そんなに睨んだら美人が台無しだぜ〜?」
「おねーさん、もしかして怖くなって嘘吐いちゃった?」
三人の男は、衣都の目の前で遠慮なくゲラゲラと大きな声で笑う。
笑い声が大きくなるにつれて、衣都の目から笑みが消えていくのにはもちろん気づいていなかった。
「ごめん、ちょっとこれ預かっててくれる?」
衣都は口元だけに笑みを浮かべたまま、一部始終を黙ってその場で見ていた黒髪の少女に買い物袋を渡す。
「え……ちょっと……。」
突然声をかけられた少女は言葉に詰まりながらも、大人しく袋を受け取り数歩後ろへと後ずさった。
少女の後ずさる足音を聞いた青年は、音が止むのを合図にしたかのように、掴んでいた腕を自分の方へと引き寄せる。
「……!?」
急に引っ張られた男がバランスを崩すと、その鳩尾に膝を勢いよく押し込んだ。
「っ!?」
「てめぇ! 何しやがんだ!
今まで笑っていた、残り二人となった男たちが睨みつける。
「僕を馬鹿にして笑ったこと、後悔するといい。」
青年はそう言うと、意識を失った男の腕を離す。
どさっと鈍い音と共に地面に倒れた男を見ることもなく、その場にいる残り二人の男へと視線を向けた。
「……あーあ。衣都のこと女の人みたいーって言って笑っちゃダメなのに……。」
隠れたまま様子を見ていた鈴香は次々と倒れる男たちを見ながらため息を吐く。
鈴香は、一段落着いた頃を見計らって長い髪を揺らす衣都の元へと駆け寄った。
「衣都ー! 大丈夫だった?」
「鈴香! ごめんね、お待たせ。」
穏やかな雰囲気に戻った衣都がにっこりと笑う。
そして、今まで呆然と立っていた黒髪の少女へと視線を向けた。
「どこも怪我してない?」
「え、ええ……大丈夫よ。助けてくれてありがとう。」
少々顔を引きつらせながら少女は衣都に買い物袋を返す。
「よかった。この辺り、たまにこういうことがあるみたいだから気をつけてね。」
袋を受け取り、礼を言った衣都は「それじゃあ。」と鈴香の手を取って大通りへとつま先を向けた。
「お姉ちゃん、ばいばーい。」
鈴香がにっこりと笑って手を振る。
手を振り返すこともなく立ち尽くしていた少女は、姿が見えなくなりそうな二人に突然制止の声を挙げた。
驚いた二人が同時に足を止め振り返って少女を見る。
「あ……あの……私、追われているの。だから匿ってほしいのだけど……。」
明らかに嘘としか思えない言葉だったが、少女の表情は硬い。
「お願い。」
「衣都、このお姉ちゃん困ってるみたいだよ……?」
嘘みたいな言葉とは裏腹に必死そうな表情の少女と、手を引っ張る隣の鈴香に、衣都は深いため息を吐いた。
「……分かったよ。」
衣都の一言に鈴香が歓喜の声を上げ、少女へと駆け寄る。
「鈴は鈴香っていうの! お姉ちゃんは?」
無邪気に笑い少女の手を取る鈴香に強ばった表情がふっと緩んだ。
「私は杏里よ。」
少女の名前に、長い空色の髪が僅かに動いたが、鈴香も杏里も気付かずに衣都の元へと歩く。
「僕は衣都。」
「迷惑をかけてごめんなさい。……でも、ありがとう。」
「とりあえず家においで。そこで話を聞かせてくれる?」
衣都の提案に杏里は少し考えた後に頷いた。



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