蒼のはじまりに 僕は泣く





4人のリレーのゴールを見届けて、笑って抱き合う4人の姿を見届けて「本当に美しいですよ」と言った怜ちゃんは、沸きたつ岩鳶のみんなからするりと離れて歩いて行ってしまった。不自然さを感じさせない静かさで。でも少しだけ早足で。
だから追いかける私も気をつけた。みんなに気付かれないように。感動に、水を差さないように。
怜ちゃんのする事を何ひとつ台無しにしたくなかった。

ロッカールームや休憩所がある建物の中に入ると急に暗くて眩暈がした。外はあかるくてきらきらと眩しかったから。でもちょうどいいと思ったの。眩しさの中にこれ以上いられない気持ちだったから。

「怜ちゃん!」

ひと気のないひやりとした廊下で私はようやく彼の名前を呼んだ。
ぴたりと立ち止まった背中。振り向かない、きれいな背筋の背中。

「怜ちゃん……あのね」

何を言ったらいいんだろう。どう言ったらいいの。私の気持ち、ぱんぱんに水が詰まった風船みたいだった。弾けそう。だけど弾けたら出てくる水はきっとどろどろに濁ってる。
怜ちゃんの、透明な水でできてるみたいなきれいなこころにそんなものぶつけられないって思った。
それでも追いかけずにはいられなかったんだよ。

「あのね……」

本当は口汚く非難したかった、私の少ない語彙で思いつく限りの罵詈雑言を並べて彼らを引っ叩きたかった。だって怜ちゃんはずっと、誰よりもがんばってきたのだ。追いつきたくて。一緒に泳ぎたくて。本当の仲間になりたくて。

怜ちゃんは怒ってもいいし、落ち込んでもいい。怜ちゃんにはその権利がある。でもそれをしない。凛を入れた4人のリレーを御膳立てしたのは怜ちゃんに決まってる。見てなくても分かる。怜ちゃんから言い出さないとそんなとんでもない事を実行できる行動力はあの幼馴染みーズにはないの、同じ幼馴染みの私が一番知ってる。動けずにいた彼らの中に怜ちゃんが風を入れた。きれいな風と勇気を。
…しかもこの子は、その提案を笑顔で言ったに違いないのだ。笑って、「仕方のない人たちですね」なんて言って。

「怜ちゃん…」

私が何を言っても、怜ちゃんがこころの中でひとりで決めて守っているものに触れる事はできない。怜ちゃんは慰めなんて必要としていないから。私が、勝手に怒ってる、だけで。

「……何故泣くんですか」

困った声で言われた。そこで初めて自分が泣いてるのに気付いた。
いつの間にか怜ちゃんはすぐ目の前に来てくれてて、もう背中を向けてなくて、透明なガラス越しの目を心配そうに瞬かせながらそこに立ってた。私の手を握って。

「怜ちゃん」

びっくりした。手を握る、なんて動作をこの子があまりにナチュラルにかましてくれるから。そういうスキルあるって知らなかった。

「何故こんなに手を握りしめてるんですか。爪が掌に食い込んでますよ」

私の手の指を一本一本ゆっくり伸ばしてくれながら怜ちゃんが溜め息を吐く。

「……だって」
「だってじゃないです、本当に世話の焼ける人ですね。あなたも彼らも」
「! ちょ、一緒にしないで!」

それだけは本当に本当に嫌だ!って思って必死で否定したら、怜ちゃんはぷっと吹き出して笑った。

「一緒ですよ。追いかけてきてくれてありがとうございます。何も言わずにいてくれてありがとございます。あなたも彼らと一緒で、とても眩しくて美しいです」

何を言われているのか一瞬分からなかった。
笑っていた怜ちゃんが急に慌てて「す、すみません! 泣かせるつもりではなかったんです!」って真っ白なハンカチを差し出してくれて、また涙がぼったぼった垂れてるのに気付いた。

それから、言いたかった事、分かった。

慰めでも、ましてや彼らへの非難でもなく、私が怜ちゃんに言いたい事。ずっと言いたかった事。

「怜ちゃん。うつくしいのは怜ちゃんだよ。私はずっと怜ちゃんがきれいで眩しかったよ。怜ちゃん、今日は本当に本当にありがとう」

だけどね、これからはきれいじゃないところだって見せてほしいんだ。

怜ちゃんはぽかんとして、それからじわじわと真っ赤になって、「本当にあなたは」とか「始末に悪い」とかなんとか先輩に向かって失礼極まりない事をぶつぶつと呟きながら私の顔面にハンカチを押し付けてきた。…ちょ、もう少しこう優しく拭ってくれてもいいんじゃないのかな。

「怜ちゃんごしごしするのやめて痛い痛いまじで」
「仕方ないでしょう! 鼻水まで出さないで下さい年上のくせにみっともない!」
「み、みっともない!?」

がーんっ。ショックを受ける私。
そんな私に構わずそのきれいなハンカチで人の顔をしっかり拭いてくれた怜ちゃん(鼻水までつけちゃってほんとすみませ…)は、私の前髪を直してくれて、それから私の目を真っ直ぐに見て。
泣きそうな顔で、笑った。

「ありがとうございます」

ちょっと。
待って。

そんな顔で笑うなら。抱きしめてちゃんと泣かせたい。…ふいに湧き起こった衝動に自分でびっくりした。

「怜ちゃ…」
「あーっ! 怜ちゃんいたいたーっ! 探したよもう!」

怜ちゃんに伸ばしかけた私の指は、突然飛び込んできた渚の明るい声に止められて。彼に届く事はなかった。

「渚くん」
「ハルちゃんもマコちゃんもみんな怜ちゃんの事探してるよ、凛ちゃんも! はやく行こう怜ちゃん!」
「え……探してる、んですか?」
「当たり前でしょ!」

渚にぐいぐい引っ張られていく怜ちゃんはいつも通りで、でもすごくうれしそうで、もう全然泣きそうなんかじゃない。それでも。

「先輩も…一緒に行きましょう!」

笑いながら差し出された手を握り返しながら、私は決めてた。
いつかこの子をちゃんと泣かせよう。彼が望んでなくてもそうしよう。
それは女の身勝手だけど。
そう決めた。


Title by 002


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