その声の温度





「ご馳走様、美味しかったよ。花音ちゃんは本当に姉さんに似て料理上手だね」

フォークとナイフを置いて叔父さんが満足そうに笑った。

…ええと、ありがとうって言っていいのかなあ。でもなんかそれ、違う気がする。
私はなんと答えたらいいか分からなくて曖昧に笑って見せた。

しいんと静まり返った広いダイニングで、叔父さんと二人きりの晩ごはん。
あったかい春の夜のはずなのになぜかひんやりと寒い。

「片付けますね」

食器をキッチンに運ぶために立ち上がった。
…ほんとは、私はまだ食事、終わってなかったんだけど。
無言のままにこにこと私の食べる様子を正面から見続ける叔父さんの視線に、ちょっと…ごはんを飲み込むのが難しくなって、その。
あーあ。今日も残しちゃったなあって、ちょっとへこむ。
食べ物は大事に。感謝して残さずに──オジイちゃんちでそう、しっかり教わっていたのにな。

ぴかぴかの、琺瑯製の真っ白いシンクに食器を重ねていく。
水道の蛇口は華奢なアンティークゴールドの真鍮製。この家のキッチンはすごくお洒落で、外国の映画に出てくるみたいな作りをしている。
キッチンに限らずこの家は全部そんなかんじ。ちょっと外国風で、ええと…輸入住宅のモデルルームみたい、なんて思う。あちこちお洒落で、きれいで広くて、でも設備は最新。アンティーク風に作ってあるけどこのキッチンにもディスポーザーや食器洗い機がばっちり付いている。だからちょっと水で流すだけで食器の片付けは終わってしまって……うう、やることがなくなっちゃった…。

叔父さんに食後のコーヒーを淹れて、「花音ちゃんも一緒に飲もう。学校の話を聞かせてほしいんだ」って言われたけど、「宿題があるからごめんなさい」ってお断りしてしまった。

…だって。

階段を上がって、私用にってもらった部屋に入ってドアを後ろ手で閉めて、そしたら私は全身で溜め息をついてずるずると座りこんでしまった。

「…つ、つかれる……」

やっぱり苦手だ、って思っちゃう。ママの弟なのに。どうして?
それからおもーい自己嫌悪の波が来る。一度も会った事がない、存在すらついこの間まで知らなかった姪の私を快く引き取ってくれて、何不自由ない暮らしをさせてくれて、私立の中学校に通わせてくれて、優しくしてくれてる、そんな人に対してなんて恩知らずなこと思ってるの私はって。

「…でも、だって…」

わからないけど。
苦手なんだもの。怖いって思っちゃうんだもん。なにかが。

さっきだって、「学校の話を聞かせて」って言うけど、実際話し始めたら結局話題はママの事になるの。ママが昔家出同然で家を出て行ってからのこと。どんなふうに暮らしていたのか、その暮らしぶりについて、ママがしあわせだったかどうかについて、叔父さんは知りたくて知りたくて仕方がないみたい。
叔父さんはママのことが大好きだったんだなあって、一緒に暮らし始めてすぐに分かった。
私のことを褒める時は大抵「姉さんに似て」って言う。…それも、一日に何回も、言う。ちょっと引いちゃうくらいに。もっと引いちゃうことには、時々私のことを「姉さん」って呼び間違える。これはさすがにぞわっとする。

…うんと若い時に、多分叔父さんが高校生とかそのくらいで、大好きなお姉さんに家出されて寂しかったのは可哀想だなあって思うけど。ママはまったく自分勝手で仕方ないなあって思うけど。
思う、けど。

「うううううーん……」

叔父さんの奥さんの葉子さんがこのところずうっと帰って来ないのもすごく気になるし。
葉子さんはお仕事が忙しくて泊まりが多い。
すごくきれいで、かちっとしてて、いつもどこか緊張した外の空気を纏ってる人。突然家に入り込む形になった私にもとても優しくしてくれる。けど、叔父さんが私のことを「姉さんみたい」って褒める度に少しだけ表情が凍るのが分かっちゃって…私はすごく居たたまれない気分になる。
私が気づいてるのに叔父さんは全然それに気づいてないから、余計に。
叔父さん叔父さん! 大事な奥さんの前でそれはちょっとデリカシーに欠けるよ!

…だめだなあ私。なんでこんなことで、こんなに疲れてるんだろ。
もっとしっかりして、ちゃんと、いろんなことをがんばって、中学生活を楽しまなくちゃって思うのに。
友達をたくさんつくって、素敵な経験をいっぱいして、人間として成長して。
素敵な人になってこーちゃんに会いに行きたいって思っているのに。

こんなんじゃ…こーちゃんは遠いなあ。

こーちゃんは、千葉でたくさん頑張ってるのに。
絶対毎日忙しくしてる。六角中のテニス部に入って、練習を毎日頑張って。勉強だってしてる。友達もいっぱいいて、毎日笑ったり悩んだりして。
背、伸びたかな。バネちゃんに送ってもらった写真の学ラン姿はめちゃくちゃ似合ってかっこよかった。あんなんじゃ中学校でも絶対モテモテだよね。女の子がいっぱい周りにいて……。

「…あ。だめ。余計へこんできた」

へにゃりと伸ばした指の先に、ふわんとあったかいものが触れる。私はそれを引き寄せて胸にぎゅうっと抱きしめた。
虎の、コジくん。こーちゃんが夏祭りの射的でとってくれたぬいぐるみ。あの夏を思い出せば、どんなことだってがんばれるって思った。

うん。がんばれる。
一生懸命、自分に言い聞かせるみたいに心の中で繰り返していたら、机の上で携帯電話がぴかっと光った気がした。あ、と思う間に着信を告げる音が流れだす。
着信音設定なんてしてないけど、もう相手が分かってた。電話が鳴るより先に分かった。
飛び上がるみたいにして携帯を手に取って通話ボタンを押す。液晶に表示された名前は予想通りだったけれど、やっぱり、名前の活字を見ただけでなんか泣きそうになるから私ってほんとだめだって思う。

すきすぎて、だめ。

『──花音?』

聞こえてきた誰より大好きな優しい声に、へこんでいた気持ちも、萎縮していた心もふわっとほどけて肩の力が抜けていくのが分かった。

名前を呼ばれるだけで。たったそれだけのことで。

元気になれる。
…人を好きになるってすごいことだなあって思った。

「こーちゃん。こんばんは!」

私の声はちゃんと曇りなく届いたと思う。もうすっかり、怖い気持ちなんてなくなっていたから。


→ 空と海の青


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