失敗したなあ…。
私はとても反省しています。それと、がっかりして溜め息が出てる。
あんなに楽しくて仕方なかった練習試合中にあっさり熱中症で倒れて、そのまま部室で寝ちゃって(正確には強制的に寝かされて…)、気がついたら青学の人達はもう帰った後だった事。
部室の中、残ってくれてたのはこーちゃんだけで、他の人は帰ったのか海に行っちゃったのか。窓の外がオレンジ色で、もう夕方だった。
「何で起こしてくれなかったの!」
びっくりして抗議したら、こーちゃんがにっこり笑って答えた。
「何で起こさなきゃいけないの」
「…………」
台詞こそ疑問形だけど、語尾に「?」付いてなかった、絶対。
「…ちゃんとさよならとか、言いたかったし…」
「誰に?」
「…………」
こーちゃんはにっこり笑ってて、物凄く綺麗だった。それで、彼の内心が物凄い事になってるの分かった。
だから、失敗したなあって。なんかいろいろ。
いきなり『私が周ちゃんの子供を堕ろした疑惑』なんて聞かされたこーちゃんの気持ちとか……冷や汗が出るレベルで申し訳ない。
青学での出来事って、ほとんどこーちゃんに話してなくて。というか私もあの時は叔父さんの家の方にいっぱいいっぱいで、学校で何があってもあんまり気にならなかったっていうか…気にする余裕がなかったっていうか、勿論辛くなかった訳じゃないけどあんまり感じることが出来なくて…今でも記憶、ぼんやりしてる。
自分が上手に立ち回れなかった後悔は、凄くある。もっと私がちゃんとしていたら、周ちゃんを酷い噂に巻き込んだりしないで済んだと思うから。千春ちゃん達とももっとちゃんと話したかった。クラスの子達とも。私がちゃんとしてたら嫌がらせとか、きっと止められた。ちゃんと怒って、説明して、話していたら。友達になれたかもしれなかった。──あの時、私の心が負けてしまわなければ。あんなに弱くなかったら、きっと…
「花音」
「……あ」
ぐるぐるの、出口の見えない思考の暗闇から救ってくれるのはいつもこーちゃんの声。
「立てる? 帰ろっか」
手を差し出されて。
俯いていた顔を上げたら、こーちゃんがほっとしたように笑った。いつものこーちゃんの優しい顔。うれしい、けど、もう内心が見えない。
「……訊かないの?」
「花音が話したければ聞きたいよ」
「…………」
「ね。話したくなければいいんだ、無理に言わなくても」
「…………」
そうやって笑顔で、自分の気持ち押し込めて、辛くないわけないのに。
私を守る為にこーちゃんだけ大人になって、こーちゃんだけが痛い思いをして、私が安全なところでぬくぬく守られているのは…嫌だなあ…。
だけど。
「一緒に帰ろう、花音」
差し出される手と、笑顔。
それは絶対に抗えない幸福だった。だから私はその手を取ってしまう。溜め息をつきつつも。
物凄い夕焼け。オレンジ色の世界の中をこーちゃんと手を繋いで、海沿いの道を選んで遠回りしながら家に帰った
繋がれた手がもやい綱みたいだなあって思ったからそう言った。
「もやい綱…? 俺が花音の?」
きょとんと首を傾げるこーちゃんの髪に夕陽がきらきら反射して凄く綺麗。
「うん。正確にはこーちゃんの手が。それで、こーちゃんは海」
もやい綱。船を繋ぎ止めるもの。広すぎる海で迷子にならないように。
「こーちゃんは私の海だって前に言ったでしょ。海で、波止場だなって。帰る場所、みたいな」
綱が切れたらもう帰れない。だけどこの綱は絶対に切れないから、私は大好きな海で自由にいられる。そんなかんじ。
「確かに前にも聞いたけどね」
こーちゃんは私から微妙に目を逸らして、オレンジ色になった海の方を見ながら言いにくそうに言った。
「それ、凄く照れる」
その照れた顔が私は物凄―く好き。可愛いから。にっこにっこして見てたら赤い顔のこーちゃんに「花音」ってちょっと怖い声で呼ばれたけど、やっぱり可愛いからちっとも怖くない。私がにこにこ顔のままでいるとこーちゃんは溜め息をついて「仕方ないな」って苦笑した。その顔も凄く優しくて好きだなあって思う。そうやってすぐに、折れてくれちゃうひと。
「──俺、本当は今日、心配してたんだ」
「え?」
「青学との練習試合。向こうの学校の人に会って、花音、大丈夫かって」
「え」
…心配してくれてたの、知ってた。こーちゃんはもうずーっと私の事を心配してる。いつでも。
でもこの練習試合についてはそんな素振り見せなかったし、こーちゃんも私と同じでずっと楽しみなだけの様子だったから、今初めて聞かされてびっくりした。
「でも杞憂だった」
きゆう、なんて難しい言葉を使ってこーちゃんは笑う。
「花音は凄く強いよ。俺が一番良く知ってたのにな」
「……」
「不二も菊丸も花音の大事な友達なのに、嫉妬したりしてごめん」
ごめん、の言葉と一緒にこーちゃんが勢いよく頭を下げた。夕陽できらきらしてる髪の毛がさらさらって動いた。あ、つむじ可愛い。…じゃなくて! びっくりした!
「…………」
どうしよう。何を言ったらいいのかな。
(頭、上げてほしい)
(嫉妬って可愛い、うれしい)
(こんなに潔く頭を下げてごめんって言えるこーちゃんって男前。かっこいい!)
いろんな感情がぐるぐる回って、まだ熱の名残りでぼんやりしてる私の頭はパンク寸前で、気がついたら。
『チロリ〜ン♪』
「…え?」
「…あ」
気がついたら、私、ジャージのポケットから携帯を取り出してこーちゃんの頭頂部を写メっていた。
きらきらの天使の輪っかが浮かんでる綺麗な髪の毛を。
「…………花音? 何してるの?」
「…………えー……あー……」
いきなり写真を撮られて呆然とするこーちゃん。私はあはは、と曖昧に笑って目を泳がせた。
「……えーと……こーちゃんのつむじ、可愛かったからつい」
「つむじ!?」
こーちゃんは呆然としながらも頭頂部を手で押さえた。
「え。今、そんな話だったっけ…?」
「……ご、ごめんなさい」
「…………」
「だってほら、こーちゃんはいつもいつも私のつむじ見てるでしょ、身長差的に。でも私には滅多にこーちゃんのつむじは見えないんだからレアだなって…」
「…………」
「凄く綺麗だったから! つい撮っちゃったの! ごめんね!」
「…………花音」
こーちゃんは宇宙人でも見ているかのような目で私をまじまじと見つめていたけれど、やがて、はあーっと大きく溜め息をついた。
「……本当に、あんまり逞しくなられると俺、困るよ。どうしたらいいか分からなくて」
「ご、ごめん」
「まあいいけどね。花音が一筋縄じゃいかない子だって分かってるし」
呆れかえったのかなんなのか、こーちゃんは今度はくすくす笑い出してる。凄く楽しそうに。
…一筋縄じゃいかないってそれ、凄く変な子って意味かな…。
「つむじでも裸でもなんでも、花音が望むならいつでも見せてあげるのに」
「──はだっ!?」
「そんなに引かなくても。裸どころか一緒に風呂入った事もあるのに」
「……は、そう言えばそうでした…」
でも写メは禁止だよ。こーちゃんは可笑しそうに笑って私の頭をぐしゃぐしゃって撫でた。いつもみたいに優しくじゃなく、ぐしゃぐしゃって。
「わ!」
慌てて猫っ毛を抑える私を見て声を上げて笑うこーちゃん。
これ、絶対つむじ写メの復讐だ。こーちゃん大人げない!
……だけど。それもうれしい。だってこのひと本当はまだ子供だし。私と同じ、たった12歳で、数か月前までランドセル背負ってた子供だし。
オレンジの夕陽をいっぱいに浴びて、顔少しくしゃってさせて笑ってるこーちゃんの笑顔は物凄くかっこよくて綺麗だけど、やっぱり「可愛い」って言葉が一番似合った。
──いいや。
こーちゃんがどんどん大人になってしまうなら、私が無理矢理引っ張ってこよう。みんなと同じ、年相応の子供の居場所に。