こわいこと





叔父さんがなるべく私に家にいて家事をしてほしがってる事、分かってる。
大好きなお姉さんだったママの面影を私に求めてる事、分かってる。
私は居候の身で恩義もあって、あんまり我儘言える立場じゃないの、それも分かってる。

でも私はまだ中学生で。保護者の保護を受けるのは本当は当然の権利で。
中学生らしくのびのび自由に成長していいんだって。ううん、そうしなきゃいけないんだって。それもずっと分かってた。
叔父さんの御機嫌を損ねないように彼の望む『姉そっくりの姪』の役割を引き受ける事。なんとなく流されてそうなっていたけれど、このままじゃ駄目だって本当はずっと気付いてた。
私は私。ママじゃない。
叔父さんの望み通りの私にならなくても、いいの。なったら駄目なの。
本当の意味で恩義を返そうと思うなら、たった一人の身内に誠実でいようと思うなら、ママの代わりじゃない本当の私を見てもらう事の方がきっと大切。

……本当の私を、好きになってもらえなかったとしても。

それでも私はちゃんと自分でいたい。
そうじゃなきゃ、こーちゃんに胸を張れないから。



「テニス部の、マネージャーをやっちゃ駄目ですか?」

朝食の席で、思い切って言ってみた。

「……マネージャー?」

叔父さんは案の定眉を顰めた。それだけで私の心は萎縮する。
ごめんなさい、なんでもないんです──撤回してしまえば叔父さんは満足そうに頷いて、この場は平和に収まるだろう。
でも本当にそれでいいの? 自分の胸に訊いて、私は今とてもとてもテニス部のマネージャーがやりたいんだって確認する。その気持ち、消したら駄目。
だから撤回しないで、私はちゃんと叔父さんの目を見て頷いた。

「千葉にいた頃ちょっとだけやってたんです。自分でやるのは得意じゃないけど、テニスってスポーツが好きで。サポートするのも好きで。中学に入ったらテニス部のマネージャーになりたいって思ってたんです」
「…でも…マネージャーって、帰りが遅くなったりするだろう?」
「ここは大通りに近いし、そんなに危ない道もないから大丈夫です」
「いや、やっぱり危ないよ。僕には君を預かってる義務があるからね。姉さんに代わって」
「……」

うううーん……。
簡単にいい返事がもらえるとは思ってなかったけど、うーん…。
今時部活もさせてもらえない中学生って。叔父さんちょっと過保護っていうかなんていうか。

援軍は思わぬところから現われた。
叔父さんの奥さんの、葉子さん。昨夜いつ帰って来たのか分からないけれど、今朝は久し振りに葉子さんも朝食の席にいた。すっきり綺麗な色のスーツを着た葉子さんは、細い指でコーヒーカップを持ち上げて静かに飲みながら私たちの話を聞いていたけれど、ふいにカップをソーサーに置くと口を開いた。

「あら、いいじゃない。マネージャー。私は素敵だと思うわ」
「…葉子」

叔父さんが苦い顔をする。葉子さんは涼しい顔だ。

「君は心配じゃないのか? この子が毎晩遅くなったりして。最近は物騒なのに」
「中学生じゃそれくらい普通よ。それに私だって毎晩遅いわよ」
「そういう問題じゃ…。マネージャーって事は、男と接する機会が増えるじゃないか。危険じゃないか、そんなの」
「──えええっ!?」

私はびっくりして思わず声を上げた。男と接する、って。そんなふうに思われてたなんて。
私の声に叔父さんが口を噤み、葉子さんはふふっと笑って私を見た。

「ほらね、花音ちゃん。所詮この人の考えてる事なんてその程度の事なのよ。気にする事なんてないわ。マネージャー、私はいいと思うわ。中学生を楽しみなさい。その方が健全だわ」
「けんぜん……」

私は呆然とその単語を繰り返した。
健全。健全。健全じゃない事って……なに?

「駄目だ」

叔父さんが絞り出すような声で言った。その声音の深さにぞっとした。

「駄目だ、男なんてつくったら。また姉さんみたいに……男と逃げてしまうじゃないか。姉さんみたいに……」

びっくりして息もできずに固まっている私の前で、葉子さんは何も聞こえなかったかのように食事を再開する。
私のつくったトーストとプレーンオムレツとベイクドトマトの朝食──オジイちゃんの家でよく食べていた玄米ご飯とお味噌汁、魚の干物の朝食は叔父さんの好みじゃないから──。

「美味しいわ。本当に花音ちゃんは料理が上手ね」
「…………」

言葉なんて、返せなかった。





夫婦って何だろう。何なんだろう。
逃げるように家を出て学校に向かいながら私は自問する。

ママはずっと独身だったから、私は夫婦のかたちというものをよく知らない。
知ってるのは千葉で出会ったみんなの両親くらい。こーちゃんのお父さんとお母さん、バネちゃんのお父さんとお母さん、剣ちゃんの、樹っちゃんの、ダビちゃんの……。

「……っ」

思い出したら涙が出そうになった。さっきずっと堪えていた分の涙も一緒に溢れそうに。
……どのお母さんも、お父さんも優しかった。ケンカばかりしてるお家もあったけど、ちゃんと愛しあってるのが分かってた。
こーちゃんのお父さんが、こーちゃんのお母さんに「ただいま」って言う声が好きだった。お母さんが「おかえりなさい」って笑う笑顔も大好きだった。あんなふうになりたいなあって言ってこーちゃんを思い切り照れさせた事もある。

……あんな、私の叔父さんと葉子さんみたいな夫婦は、初めて。あんなのは…。
怖い。
爪先から指先から、ぞくぞくと体中に侵食していく恐怖。
怖いよ。あんなの知りたくない。逃げたい。あのあったかい場所に帰りたい。もう帰りたいよ。

滲みだした涙を私はごしごしと手で拭った。
泣いちゃ駄目。
こーちゃんに会うまで泣かないって約束したから。


→ それでも、続く日常


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