いっしょにごはん | ナノ


いつも君を見てる


みんなが言うほど、俺は親バカじゃない。自分で解っている。
俺は、この年頃の娘を持つ父親としてはおそらく珍しい位、冷静に客観的に彼女を見ていると思う。
客観的に見て、親の欲目でなく誰から見ても彼女があまりに頭が良く可愛らしく性格も良くとにかく可愛い可愛い!と認識しているだけだ。事実。
だから世間一般に言う『親バカ』とは少し違う、と思っている。

子どもは、「小さなひと」だ。さくらを見ているとそう思う。
複雑な胸の内を巧く言葉で表現する術を持たないだけで、大人以上に物事を理解し、感じ、考えている。やわらかい心は毎日たくさん傷つく。
子どもは親の所有物じゃない。
無意識にでも、親が子供を支配することがあってはならない。
さくらはいつだって、れっきとしたひとつの人格を持った、俺とは別の人生を歩む人間としてそこにいる。

俺が、彼女の妨げとなることがないといいと願う。
俺といるせいで、彼女が何かを諦めなくてはいけなかったり、可能性をつぶすことがないようにと願う。
いつも心から。
それだけが怖い。





「パパ、今日学校で、またママのこと訊かれちゃった。どうしてみんな、そんなにひとのおうちのことをくわしく知りたがるのかなぁ。ひまなのかしら」

アジの塩焼きを箸で上手にほぐしながら、さくらがやれやれといった口調でさりげなく話しだして。

俺は苦笑し。不二はぷっと吹き出し。

バネは学校の話と聞いて真面目な目で見るし。
ダビデはきょとんと首を傾げて。
首藤が労わりのまなざしを向け。
亮は、きらーんと目を光らせた。
…厨房の方で、樹っちゃんが緊張した気配もする。

つまりは、いつもの面子が全員集合の図、だ。
あ、剣太郎を除く。都心の会社に通っている彼がこの時間に地元に戻って来れることは滅多にない。

夜。
閉店間際の樹食堂は、他に客もおらず貸し切りの状態だった。

自分の店を閉めた後、俺達はよくここに夕食を食べに来る。
今では樹っちゃんが二代目としておじさんと一緒に厨房に立っていて、ここのごはんはもう、美味しいなんてもんじゃない。奇跡の味だと俺は思っている。
味にうるさい不二も樹っちゃんの麻婆豆腐には目がない。
樹っちゃんの料理は派手さはないけれど手が込んでいて、丁寧で、一生懸命つくられたやさしい味がする。俺には出せないものだ。
普段の夕食は店で出す軽食の残り物をアレンジしたものとか、手のかからないものをさっとつくって閉店後の店で済ませしまう事が殆どだけれど、ちゃんとした家庭の味というものをさくらに知っておいてもらいたくて、寝る時間が遅くなるのも承知の上で俺は彼女をここに連れてくる。

今日はカフェの閉店がずれこんで、ここに来るのも遅くなってしまった。
そうしたら、いつもの奴らが揃ってビール片手に樹っちゃんの手料理をたいらげているところに出くわした、という訳だ。よくあることではある。



「へえ。それはまた。どういう経緯でそんな話題に?」

インタビュアーの口調で亮がさくらに話の続きを促す。
小説家である亮は、常に多方面にアンテナを張り巡らせていて、面白そうな話には敏感だ。
なんだか胸が痛い話になりそうだなぁ、と俺は苦笑を深めた。

「ずこうのじかんにね、『母の日』の『お母さんの絵』をかくことになって」

…うん、はやくも胸が痛くなってきた。
不二がちらりとこっちを見る。面白がっている目だ、あれは。

「ママの写真は見たことがあるから、ママの絵、かこうと思えばかけるんだけど。母の日にプレゼントするものだっていうし、それはちがうかなあって思ってかんがえてて。そしたらひとみちゃんが『さくらちゃんはどうするの?お父さんをかくの?』って訊いてきて、それで他の子も、それってどういうこと?ってながれに」

…子どもの世界も、シビアだな。
ひとみちゃん、そこは突っ込まないでほしかったよ。でも小学1年生にそれも無理か…。
俺は幼稚園でさくらと一緒だったひとみちゃんを思い出す。そしてもれなく、噂好きでおせっかい大好きのひとみちゃんのお母さんも一緒に思い出す。俺も彼女には随分いろいろ訊かれて戸惑ったっけ…。

「母の日のお母さんの絵なんて、まだやってるんだ。とっくに20世紀の遺物かと思ってたよ」

亮が言い、ダビデと首藤が頷いた。

「家庭環境がいろいろな家が増えてきて、一時期はなくす傾向にあったんだがな、最近また復活してんだよ」

自然、現役教師のバネが答える形になる。

「家庭環境も多様になりすぎて、今時『触れるのが可哀想』もないだろうってな。…けどそういうのやる時には、担任は生徒のバックグラウンドに配慮してやるもんなんだが。さくらの先生は何もフォローなかったんか?」

「ううん。お母さんの絵にかぎらないで、おうちのひとならだれでもいいって言ってたよ。私以外にもお母さんいない子いるし。べつに珍しくないもん」

さらりと言うさくらは、本当に気にした様子はない。ただ少し面倒くさいとは思っている顔だ。

「…で? 何訊かれたんだ?」

本人以上に顔をしかめながら首藤が訊く。つらいなら突っ込むなよ。

「うん。死んだんじゃないなら、なんでさくらちゃんちはお母さんがいないのって」

…………。
死んだわけじゃないなら、か。
…ほんと、子どもの世界もシビアだな。

思わず黙り込む俺達をよそに、亮が「成程ね。で、さくらはそれには何て答えたの?」と更に掘り下げる。いきいきしてるなぁ…。

「いつもどおりだよー。パパとママはかちかんのそういでりこんにいたって、しょじじょうによりわたしはパパにひきとられたからママとはくらしてないの、って言った」

すらすらと答えるさくら。その台詞を言うのに完全に慣れている。

「「「「「……………」」」」」

一同の生温かい視線が俺に集中して、俺は意味もなく「あはは」と笑うとホウレン草のごま和えを箸でつついた。

うん、ごめんねさくら。その通りだよ。
『若気の至りで出来ちゃった結婚』のくだりまで入っていなくて本当に良かった。
さくらには嘘をつかずに何でも真実のみを話す、をモットーにその辺りの事情も赤裸々に教えていたのだけど、幼稚園で先生に訊かれて全てをそのまま話してしまったときにはほんとうに参った。…よそのお母さん方の目が痛かったなぁ。

「パパ、おちこんじゃだめだよ。そんなのよくあることなんだから気にすることないよ」

…何故俺が励まされてるのかな。

「…うん。ありがとう、さくら」

笑って頭を撫でると、さくらは本当に花が咲いたようにぱあああっと明るい笑顔になった。周りの空気まで一気に明るくする心からの笑顔。

いつもそうだ。
さくらは俺が笑うだけで、簡単に安心する。
心からの信頼を寄せた笑顔を返してくれる。

…それは嬉しいと同時に、恐ろしいことでもある。
親は簡単に子どもの心を変えてしまえるのだ。親が子供に及ぼす影響の大きさに怯える。俺が揺れれば、彼女も巻き込むことになる。もし俺が…。

ぽすん。と。

あたたかい手が俺の肩をやさしく叩いて、ひやりとするような思考を消し去った。

「さくらはいい子なのね」

「…樹っちゃん」

いつの間にか厨房の電気を落として、樹っちゃんが俺の後ろに立っていた。
はっとして仰ぎ見た俺を、いつもの笑顔で「だいじょうぶですよサエ」って黙らせる。
…中学時代ダブルスを組んでいたとき、どんなピンチでも後衛の樹っちゃんのこの笑顔を見ると落ち着いた。
樹っちゃんには敵わない。

「えへへー」

樹っちゃんに褒められたさくらが頬を緩める。やわらかそうなほっぺた、引っ張ったらどこまでも伸びそうだ。
ついでダビデが「うん。いいこいいこ」とその頭をぐりぐりと撫で、さくらが「やだあ」と笑い声を上げるとその場は一気に明るさを増した。
また何気ない会話をしながら、それぞれ止めていた手を動かして食事に戻る。

俺もほっとして食事を再開した。樹っちゃんのごはんは今日も最高だ。



「…そういえば、さくらは結局、誰の絵を描いたんだ? サエさん?」

食事も終わる頃、俺には理解できない何かの話題をさくらと弾ませていたダビデがふいに尋ねた。あ、そう言えばそこは聞いてなかったな…。

「んー、そうしようかとも思ったんだけどね、パパには父の日があるでしょ。こんかいのは母の日のやつだからー、ふじくんをかいたの!」

にっこりと笑いながらさくらがすがすがしく言い切って、俺達は「えっ…」とフリーズするしかなかった。

「ちょうどいいかなーと思って。ふじくん、クラスの子のママたちよりずっときれいだし!」

「「「「「…………」」」」」

「母の日にプレゼントするから、たのしみにしててね!」

「…う、うん。ありがとうさくらちゃん。楽しみにしてるよ」

微妙な空気が流れる中、なんとか衝撃から立ち直った不二が笑って答える。さすがだよ不二。

「そうかあ…。不二の絵が、他の「おかあさんのえ」と一緒に授業参観まで教室に展示される訳か…感動的だな…」

肩を震わせるバネ。それ感動で震えてるんじゃないだろ。
って、え? 授業参観まで展示?

「それはぜひとも見に行かないとね!」

きらりと目を光らせて言い切った亮に、ダビデと首藤が深く頷く。え…来る気?
本気か、授業参観はそういうイベントじゃないんだぞと口に出しかけた言葉は、さくらの

「ほんと!? みんなで来てくれるの? うれしい!」

満面の笑みと共に放たれた台詞の前で、あっさりと宙に消える。

…うん、いいんだ。君が喜んでくれるなら。

ぽんぽん、と俺の肩でまた樹っちゃんのあたたかい手が弾んだ。うん、これは「ドンマイ」の意味だ。ありがとう樹っちゃん…。





いつもより遅くまで騒ぎ過ぎて、結局さくらがベッドに入ったのは11時を過ぎた頃だった。
必要な睡眠時間を考えると9時には就寝させたいところなのだが、なかなかできない日の方が多い。ちょっとへこむ。

「パパだいすき。おやすみなさい」

いつものように俺の手をきゅっと握って微笑むと、やっぱり疲れていたんだろう、さくらはすぐに寝息を立てはじめた。
子ども特有の湿ったあたたかい体温を感じながら、顔にかかる細い髪をそっと撫でる。

安心しきった寝顔は、まるでここが世界で一番安全な場所とでも思っているかのようだ。

…本当は、俺は全然しっかりできていない。
ここは世界一安全な場所なんかじゃない。
父親どころか大人の男として独立できているかすらあやしい。自信なんてない。
俺には、母親が娘に与えてあげられるものを彼女に与えることはできない。
実は経済的にもぎりぎりで、彼女が望むことをなんだってさせてあげたくても、それは叶わない。それだけで、俺は彼女の可能性をつぶしている恐怖に囚われる。

もしも父親が俺じゃなければ、彼女はもっとしあわせだったんじゃないか。

その暗い思いはいつだって俺の心の片隅にあって、ふとした拍子に牙をむく。
誰も救ってはくれない。これは俺が自分だけで、死ぬまで抱えていかなければいけないものだから。

すこやかに息をするさくらの、なめらかな頬、しずかに上下する小さな胸。

彼女の寝顔を見ながら俺はいつも願う。祈る。

どうか彼女が、明日も明後日も笑っていられますように。
そのこころが傷つけられて曇ることがありませんように。
しあわせで、いられますように。

祈る。神様なんて信じないけれど、子どもを守る何かの存在は信じている。
でなければ今、さくらがこんなにまっさらな寝顔を俺のそばで晒していられるはずがないから。何かに守られていなければ、こんな奇跡はありえないから。

どうか明日も明後日も、笑顔を見せて。
俺の笑顔で君が笑ってくれるなら、いくらでも笑うから。
君が俺を必要としなくなる日まで、傍にいる。

きっとその日はそう遠くはないから。






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