いっしょにごはん | ナノ


ムーンライト・セレナーデ 2



「……俺の奥さんでいてくれた人がね、さくらの食事にはめちゃくちゃ気を遣ってて。凄かったんだよ、無農薬の野菜を取り寄せて、化学調味料なんて全然使わないでさ。豆腐まで手作りしたり。さくら、赤ちゃんの頃は小食で成長も遅かったから、凄くいろいろ考えてくれてたんだよな…」

さくらちゃんとダビちゃんが上階に上がってしまうと、店の中はしんとする。
僕がジャムを煮込む小鍋のふつふつと平和な音と、佐伯が食器を洗う音。それらは佐伯の独り言みたいな台詞を邪魔してはくれず、聞かなかったふりは出来なかった。

「…だから? 手抜きのオムライスに引け目を感じてるの?」
「いやー…引け目って言うか…うーん…」

佐伯は煮え切らない。

「でもさくらにはちゃんとしたもの食べさせたいとは思うかな」

笑いながらそんな事を言うから、僕は溜め息をついた。

「樹くんのところにしょっちゅう行くのもそういう理由だよね」
「うん、樹っちゃんの料理はすごいちゃんとしてるから。まあ俺が食べたいって理由ももちろんあるんだけどね」

笑ってるし。
佐伯が考える「ちゃんとしてる料理」の定義は分からなくもないけれど、それなら君の毎日はなんなんだ?と思う。
あのふわふわしていた男が、苦手だった料理を毎日の仕事にして、さくらちゃんの為に野菜と肉を刻んでオムライスをつくって、ケチャップで名前を書いて喜ばせている。朝ご飯のリクエストをする程にさくらちゃんはそれが大好きで。
彼女の上にたくさんの「大好き」を、毎日毎日降り注いでいる佐伯を、「ちゃんとしていない」と言う奴がいたら僕はきっと怒る。…その前にさくらちゃんが怒るだろうけれど。小さな顔を真っ赤にして、佐伯そっくりの真っ直ぐな目で相手を見据えて怒るのだろう。
……困るのは、佐伯を一番「ちゃんとしていない」と思っているのが佐伯本人だという事で。
冗談みたいだけど本人は大真面目なので、これにはイライラさせられる。黒羽くんも首藤くんも怒るし、樹くんと葵くんは困るし、木更津くんは面白がる。ダビちゃんは…どうだろう、彼は年々あのオジイに似てきていると思う。底知れない。

「…奥さん、元気?」

自覚のない男に何を言っても無駄なので、僕は訊いても仕方のない事を訊いた。久し振りにその人の話題が出た事でもあるし。

「『元』奥さんね」

佐伯は笑いながら律儀に訂正する。

「珍しいね、不二がそんな事訊くの。うん、大丈夫。元気そうだよ」
「連絡取ってるんだ」
「たまにね」

息をつくように小さく笑う佐伯は優しい顔をしている。
さくらちゃんや、六角の仲間達に向ける切実さのある笑顔じゃない。
それは彼がお客さんに振り撒く類の笑みで。…毒にも薬にもならない、ただやたらとかっこいい、厄介なだけの笑顔。

「…………」

本当に本当に、この男は性質が悪い。

「……君さあ、償いの為に生きてるの?」

意地悪な質問が口から飛び出たけれど、佐伯はそれにきょとんとした顔をしてからくしゃりと笑った。

「そんな訳ないだろ。不二は変な事言うなあ、相変わらずだけど」

僕に向けられたその笑顔が、六角の仲間達に向けられるものと同じだったから、僕は心底呆れると同時に彼の元奥さんに心から同情した。すみません、僕の幼馴染みがこんな男で。

「だよね。君はどうせ何も考えてないよね。それでこそ佐伯だよ」
「えっ不二何か怒ってる? さっきは考え過ぎって言ってたのに」
「呆れてるんだよ。佐伯、やっぱりオムライスはさくらちゃん仕様でいこう。来週からのランチで出そう」
「え!? せっかく半熟卵のやつマスターしたのに!」
「お客さんの好きな言葉をマスターがケチャップで書くサービス付きでいこう」
「えええ!? やだよ恥ずかしい! それ別の店みたいじゃん!」
「佐伯に今更恥ずかしい事なんかないだろ」
「不二ほんとに俺の扱いが雑過ぎない…?」

ぶつぶつ言う佐伯。ぶつぶつ言いながらも顔面は最強のイケメンである。さくらちゃん言うところの『きらきら』。この光無駄なんだよね…ていうか邪魔だよね…僕は遠い目をする。
多分、この光がなければ。佐伯はもっと生きやすい人生を歩んできただろう。
でもこれがあるから佐伯は佐伯で、黒羽くんや葵くんやダビちゃんは佐伯が大好きで、さくらちゃんの『世界一かっこいい素敵なパパ』の称号を得られているんだろう。
りんごジャムがいい塩梅にとろりとしてきた。明日の朝、さっそくオムライスのデザートに出せそうだ。
まだぶつぶつ言いながらも、僕の使った食器や器具までしっかり洗って磨き上げているお人好しの佐伯を更に沈めるべく、僕は口を開いた。君の周りは誰も彼も君に甘いから、僕くらいは釘を刺してあげなくちゃね。
──そういう役割の人間がいないと、君は自分で自分を追い詰めるんだろう。ほんと、面倒くさい。

「佐伯。さくらちゃんの宿題、僕も手伝おうかな。佐伯の知られざるイケエピソードなら僕も結構ネタがあるし」

がっちゃん。佐伯が分かりやすく手元を狂わせた。

「不二、それ本当にやめて。本当に勘弁しろよな。ダビデのならともかく不二のはほんとにシャレにならないから」
「そうだよね。君、後輩には優しいもんね。なんだかんだ言いつつかっこいい姿しか見せてないもんね」
「いやそんな事ないけど…そうでもないけど不二!」
「……えっと、サエさん」

遠慮がちな声が入り込んできた。佐伯ははたと動きを止めて階段に続くドアを振り返る。ちなみに僕はさっきから気付いていたけどね。

「ダビデ」
「サエさん悪い、話し中に」
「いや全然。別に大した話してなかったし。全然気にしなくていいから。それよりどうかしたか?」

どうしたって後輩に甘い佐伯は、急にしゃんと先輩モードになる。

「や、さくらが」
「さくらが?」
「えっと、今日、さくらの部屋の窓から月がすごいでかく見えて」
「うん?」

佐伯と一緒に僕も首を捻る。月?

「月のうさぎも見えるってさくらが」
「……うさぎ?」
「…ああ……」

佐伯はこてんと首をかしげ、僕はなんとなく展開が読めて頷いた。
さくらちゃんは佐伯譲りの異常な視力を持っている。月の影もくっきり見えるんだろう。
いや、月の影なんかじゃなくて。本当に餅つきをする兎の姿が見えるのかもしれない、さくらちゃんなら。

「綺麗だからサエさんと不二さんにも見て欲しいって。皆でお月見しよう、ってさくらが」
「……」

僕と佐伯は顔を見合わせる。はーっと佐伯が溜め息をついた。

「…仕方ないなあ、さくらは。もう寝る時間なのに」
「綺麗なもの、サエさんと一緒に見たいんだと思う」
「……少しだけだからな。まったく、ダビデまで一緒になって」

後輩と愛娘にとことん甘い佐伯はあっさり陥落してしまう。ちょろ過ぎる。呆れる僕に向かって、ダビちゃんがこっそりピースサインを見せた。

「せっかくのお誘いだし、お月見しようか。団子はないけどちょうどジャムが出来たし。アイス…」
「この時間のアイスはさくらが腹壊すから駄目」
「……ヨーグルトにかけよっか」

間髪入れずに飛んできた佐伯パパの突っ込みに、僕は笑いを噛み殺しながら訂正した。それならまあ、と佐伯がしぶしぶ頷くのがまた可笑しい。
月が綺麗だから、一緒に見たい。
そんな可愛い我儘、聞いてあげない訳にはいかないよね。むしろ御指名を受けて光栄。

「……確かうさぎ柄の小皿が」

前にさくらと陶器市で買ったやつ、この辺の棚にしまったと思うんだけど、と食器棚をごそごそやり始める佐伯に、僕とダビちゃんは耐えきれず吹き出した。ひと呼吸置いて佐伯本人も笑いだす。

いにしえの時代に贅を尽くし趣向を凝らして名月を愛でた貴族達も、きっと今夜の僕らを羨むだろう。
ささやか過ぎる幸せを、何倍にも輝かせてくれるちいさなお姫様。彼女とその周りを取り巻く優しいひとたちがいつでも笑っているように。僕はほんの少しだけ、似合わないお節介をしてしまうのだろう。きっと明日も。







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