オーバー・ザ・レインボウ 3
「────さくら!!」
ガラリ、といきおいよく戸が開いて、それに負けないくらい必死な顔をしたひとが飛び込んできたのはそのときでした。わたしと西森くんはびっくりして飛び上がりました。
「……パパ…?」
「さくら!!」
とつぜんあらわれたのはパパで。なんでパパがここに?と目を丸くする間もなく、図書室の入口からすみっこの席まで全力しっそうしてきたパパにだきしめられました。えっと…?
西森くんが横で「は?パパ…?…アニキじゃなくて?」ってぼうぜんとつぶやいてます。あっ、わかる、その気持ち! パパ若くてイケメンだから!
「さくら、よかった! 遅くなってごめんな!」
「え……え…?」
「本当にごめん!」
「あの……え…? パパ、どうやって学校に来たの…?」
「それはねさくらちゃん、僕の車を運転してきたんだよ、佐伯が。僕は助手席で死ぬかと思ったね。こんなスリル、滅多に味わえないよ」
「ふじくん!」
パパに続いて、ふじくんとダビデくんとバネちゃんがぞろぞろ入って来たから、わたしはまたまたびっくりしました。なんかもう本当に、何がどうなってるのかわからない!
「悪かった!」
「ふぇ!?」
バネちゃんにもいきおいよく頭を下げられてあやまられて。
「車の誘導が手間取ってな、保護者同士の接触事故が起っちまって…対処に追われてるうちに遅くなっちまった、悪かった! こっちに連絡よこすべきだったんだが、教師間の伝達がうまくいってなくて。言い訳になるがさくらと西森に話が行ってないって今知ったとこだったんだ。まさか誰もついてないとは思わなくて……本当にすまん!」
「え…」
そんなの。バネちゃんだけのせいじゃないし。学校の先生みんなのことだし…。っていうか事故って、大丈夫だったのかな。誰もケガとかしなかったのかな。バネちゃんもダビデくんもそれにかかりきりで大変だったんだろうな…。そんな、あやまることじゃないのに。
「ぜんぜん平気だよ。だいじょうぶ。それより、みんなおつかれさまでした」
わたしはそう笑ったのに、パパはますますぎゅっとわたしをだきしめました。
「もういいよ、さくら。無理しないで。……本当にごめん。やっぱりすぐに迎えに来るべきだった、俺が」
「サエさん、悪いのは俺だ。さくらごめん、俺が責任持ってさくらを連れて帰るって言ったのに」
ダビデくんもまじめな顔であやまってくれて、わたし、どうしようって思いました。
どうしよう。本当に、むりなんかしてないのに。わたしは本当に平気なのに。大人の人の事情、わかってるつもり。おにもつでいたくない。りかいできる子でいたいんです。
こまって目をさまよわせたら、ふじくんと目が合いました。この場にいる大人の中で一人だけれいせいに見えるふじくん。目で「たすけて」って伝えたらちょっとだけびっくりした顔をして、それからやれやれってかんじに笑ってくれて。
……よかった。通じた。もうだいじょうぶ。
「ほら佐伯、いい加減にしようね。君ちょっと取り乱し過ぎ。さくらちゃんの方が困ってるじゃない。ダビちゃんも大丈夫だよ。君たちが思ってるよりさくらちゃんはしっかりしてるんだから」
不二くんのひとこえでみんな少しれいせいさを取りもどしてくれたようです。パパもわたしをだきしめるのをやめてくれて……それでも手だけはしっかりつながれちゃいました。
「ダビデのせいじゃないよ。もちろんバネが悪いんでもない。仕方ないよな、非常時だ」
パパがやっと笑ってくれて、それでその場の空気がふわっとやわらかく変わりました。
パパの笑顔ってすごいの。わたしはパパが笑ってくれるだけでしあわせになれるんです。それはわたしだけじゃなくて、ここにいるみんなの表情からきびしさが抜けてふっとやわらかくなりました。
すごくほっとしました。よかったあ。
みんなが、つらそうにしているのがいちばんいやです。
「……ところで台風ってもう行っちゃったの?」
あらためて訊いたら、みんな、苦笑みたいな顔になりました。
「なんか急にな。進路変えて、海の方に行ったらしい」
「海上で温帯低気圧になったって。前評判の割に意外と根性のない台風だったよね」
バネちゃんとふじくんが教えてくれました。こんじょうって…。
「こうなるって分かってたら、一番ひどい時間に保護者呼んだりしなかったんだけどな。校内に待機でピーク過ぎるの待つべきだった」
バネちゃんが苦い顔をします、けど。
「けどそんなの仕方ねーじゃん。台風が急に進路変更するとか、誰にも分かんなかったんだしさあ」
あっけらかんと投げ込まれた声に、みんながそっちを向きました。
発言したのは西森くん。とつぜん飛び込んできた大人たちのドタバタをよそに、西森くんはけろりと笑って言いました。
「学校なんだからさ、ある程度マニュアルなのは仕方ねーよな。気にし過ぎなんだって、バネは。こんなのよくあることじゃん」
大人たちはぽかんと西森くんを見つめて……いっせいにふきだしました。
「こら、『黒羽先生』だろ、西森」
「しっかりした生徒だね、黒羽くん」
「おー、まあ、一応うちの児童会長だからな」
西森くんを軽く小突きつつも、ふじくんにほめられると胸をはるバネちゃん。パパがくすくす笑って言いました。
「バネよりしっかりしてるんじゃないの?」
「おいこらサエ」
「あー、バネ抜けてっからな! 俺の方がしっかりしてるぜ!」
「おいこら西森」
バネちゃんと西森くんの「先生と生徒」のやりとりにパパは笑って、それから少しかがんで西森くんと視線を合わせました。西森くんはびっくりした顔で、ぱちぱちまばたきをしてパパを見ました。
「ええと…西森くん? 初めまして、さくらの父で黒羽先生の友人の佐伯です」
「お、おう。…じゃない、ハイ」
「さくらと一緒にいてくれてありがとう」
「え…」
ぽかんと口を開けてパパを見つめる西森くんに、パパはやわらかく笑ったまま続けました。
「雨もやんで、もう一人でも帰れたのに、さくらと一緒にいてくれたんだよね。どうもありがとう」
あ。…そうか。
わたしも、すごく今さらそのことがわかって、うわあって思ってパパの横にならんで西森くんに頭を下げました。
「わたしも! ありがと西森くん!」
「は!?」
「西森くんいてくれたからさびしくなかったよ、ありがとうございました!」
「はあ!? …ってさくらお前、ヘーキで本読んでたじゃん、ずっと。おれがいたことにも気づいてなかったじゃん、さっきまで」
「えへへー」
笑ったら、バネちゃんとダビデくんからあきれたような視線をもらいました。えへへ…。
「それでもさくらを一人で残してくれて行かないでくれて、ありがとう」
変わらずにやさしく笑いながらパパが言って、西森くんはびっくりした顔でパパを見つめました。
「気づいた時に一人だったら、きっと不安な思いをしたよ。君がいてくれて本当に助かった。ありがとう。バネの教え子は頼もしいな。君みたいな児童会長がいる学校は楽しいだろうね」
「は…」
ぽかんとしていた西森くんの顔が少しずつ赤くなっていって、真っ赤かになって、口をパクパクさせたところで「こら佐伯」ってふじくんがパパを押しのけました。
「君はそうやって無駄にフェロモンを垂れ流さない! 彼、困ってるよ」
「フェロモンって……相変わらず不二は面白い事言うなー」
のほほんと笑うパパにため息を一つついて、不二くんは西森くんに笑いかけました。
「ごめんね、変な保護者で。でも僕からもお礼を言うよ、ありがとう。これからもさくらちゃんをよろしくね」
まだ口をパクパクさせてる西森くんに、バネちゃんが苦笑しました。
「ほら帰るぞ。西森、お前の事は俺が送るから。お母さんと連絡ついたから。職場の方に送ってく」
「げっ」
西森くんはやっと口パクパクから立ち直って、すごくいやそうな顔をしました。なんで?
「やだよ職場とか。おれ、家でいい。てか一人で帰れるし」
「馬鹿、駄目だ。まだ道路冠水してるとこもあるし危ない。それにお母さんも今日はいつ帰れるか分からないって。お前迎えに来て職場に戻るって言うから、俺が連れてくって言ったんだ」
「ゲー! やだよ、あんなガキだらけでうるせーとこ。お守りさせられんの分かってるし」
「…ガキだらけでうるさい?」
わたしが首をかしげると、バネちゃんが笑いながら、「西森のお母さんの職場、託児所だから」って教えてくれました。たくじしょ。ほいくえんみたいなところだ!
「わあ! すてき!」
「すてきじゃねーよ!」
笑顔になったわたしに、西森くんがすかさず突っ込みました。ええ〜、たくじしょ、たのしそうなのになあ。西森くん、ぜったい小さい子のめんどうみるの上手だと思う。うん、ぜったい。
「…ああ、でも、だったら、お母さん来れないのも仕方ないよね」
「そうだね、小さい子達を守っているんだから。大変な仕事だよね。…西森くんは、ちゃんとお母さんをサポートしてるんだね。かっこいいね」
わたしとパパにしみじみ言われて、西森くんがうっと言葉につまりました。バネちゃんを見上げて、「この親子、ヘン」「気にすんな、知ってる」って会話してます。なにその会話、さくらナットクできないんですけど。
「バネさん、俺も行く」
今までだまってなりゆきを見ていたダビデくんが急に言い出して、みんなちょっとびっくりしてダビデくんを見ました。
「漁港の先の託児所だったら知ってる。あそこの遊具、オジイと一緒に作ったの俺だから。時々補修に行くから分かってる。あそこも建物古いし、雨漏りとか気になるから、行ってみる」
わあ。さすがダビデくん。地元に顔が広い!
「サエさんとこはもう大丈夫だと思うから…」
「うん、充分だよ。朝から来てくれて本当に助かった。ありがとなダビデ」
「今度お礼するね。ダビちゃんの好きなガトーショコラで。佐伯が」
「うぃ。イチゴチョコパフェもつけて」
「はいはい、スーパーデラックスなやつな」
ダビデくんに笑ったパパが、西森くんにもにこにこして言いました。
「君もよかったら、今度おいで。坂の上の『SAE CAFE』、分かる?」
西森くん、口の中で「あー、あのダサい名前の」って呟きました。さくら聞こえました。でもヒテイできません。パパのネーミングセンス、わたしもどうかと思ってるから…。
「さくらがお世話になってるお礼にご馳走するよ。よかったらお母さんも是非ご一緒に」
「ゲッ」
「げ?」
うん?と首をかしげるパパに、西森くんはぶんぶん首をふって「何でもないっす!今度行きます!」って答えてます。考えてること、ちょっとわかるかも…。お母さんとパパを、会わせたくないんじゃないかなあ…なんとなく、だけど。
「よっしゃ、じゃあ行くか」
バネちゃんが言って、みんなでぞろぞろと移動を始めました。途中で職員室に寄って、まりこ先生や他の先生に声をかけて(まりこ先生、パパにキラキラ笑顔であいさつされてちょっと赤くなってました…)。
外に出たら、なんだかすごかったです。
お日さまが沈んだばかりでまだうっすらあかるい空に、ぴっかり光る金色のいちばん星。校庭は大きな水たまりで、まるでみずうみ。
「虹、なくなっちゃったね」
わたしが言うと、西森くんは大人っぽいしぐさで肩をすくめてニシシと笑いました。しぐさは大人っぽいのに笑い方はコドモ。
「残念だったか? おれと虹の向こうに行けなくて」
そんなこと言っちゃって。西森くんが本当に行きたいのは、お母さんと、なのにね。
虹の向こう?ってパパたちがきょとんと顔を見合わせています。ふじくんだけはくすりと笑ってわたしたちを見ていました。
「うん。でも、いつかぜったい、行くからいい。わたしがパパを連れてくの」
「えっ、何の話?」
パパが目をぱちぱちさせて首をかしげました。大人の人のくせに、そんなしぐさするとかわいいのはんそくですよー、パパ。
「やっぱりパパかよ」
西森くんがなぜだかちょっとざんねんそうに言って、ふじくんがくすくす笑いながらパパの肩をたたきました。
「ライバル登場かも、佐伯」
「え? なに? ライバル?」
「ダビちゃんもうかうかしてられないねー」
「……不二さん」
「ん? 何がどーした?」
たのしそうに笑う不二くん、きょとんとするパパ、なぜか苦い顔のダビデくん、やっぱり分かってないかんじのバネちゃん。いつものみんな、です。
不二くんがよくわかんないタイミングでひとりたのしそうに笑ってるのはいつものことなので、わたしはなんだか安心しました。今日はいろんなことがあったけれど、やっといつもどおりだなって。
安心したらおなかがすいてきちゃいました。
「そうだ、パパ! ふわふわシフォンケーキいちごソースかけ焼いてくれてるってほんと?」
「え? ええーと、ああ、うん。あるよ」
なぜか視線をおよがせるパパ。ふじくんがますます笑いました。
「それどころじゃないんだよ、さくらちゃん」
「へ?」
「シフォンケーキの他にもね、ジンジャークッキー、チュロス、かぼちゃプリン、ヨーグルトババロア……最後にはドライフルーツのケーキまで仕込む始末。当分おやつには困らないよ」
ぜーんぶ、わたしのだいすきなもの。わたしはぽかんとしました。それ全部、パパがつくったの? 今日いちにちだけで?
「不二、余計なこと言わなくていいから」
「いくらじっとしていられないって言ってもね、他にすることあるだろうに。昔は料理全然駄目だったのに、佐伯も変わったよねー」
「ふ〜じ〜…」
たのしそうにバクロしてくれるふじくんに、パパはやっぱりかないません。わたしはおかしくなっちゃって、それからどうしようもなくパパだいすきって思って、パパに飛びつきました。
「わっ! さくら! 危ないだろ!」
口ではそう言いながら、ちゃんと抱き上げてくれるパパがだいすき。
「…帰ろうか」
「うん!」
パパの肩ごしに、西森くんとダビデくんとバネちゃんに手をふって。
おうちにかえろう。
おうちにかえれる、うれしさ。
──ねえ西森くん、本当はもう、ここが虹の向こうなのかもしれないね。
そう思えちゃうくらいの、ぜいたくさ。
でも、ほんとうはきっとある。ここじゃない虹の向こうの国が、どこかに。
みんな、それぞれにあるの。自分で探さなきゃ行けない場所。いつかはそこに行かなくちゃいけない。この、あったかく守られている場所から旅立って、とおくに。
「…パパ、『おーばーざれいんぼう』って歌、知ってる?」
「オズの魔法使いの? 綺麗な曲だよね」
「歌って」
「えっ」
車をとめてあるところに向かうとちゅう。おねがいしたら、パパはとたんにだまりこんでしまいました。こまってます。
「おねがいー」
おもしろくなって、ちいさいころみたいにあまえて言ってみました。ふじくんがとなりでくすくす笑っています。パパは「…面白がってるだろ、さくらも不二も」ってこまった声を出して、でも。
ちゃんと、さいごにはおねがいをきいてくれるの。いつでも。
「── Somewhere, over the rainbow…」
少しかすれた、やさしい声で歌われるうた。
それはパパの言ったとおりに、とてもきれいな曲でした。
←