いっしょにごはん | ナノ


シーグラス・ウインドウ



海からの風がとても強くて、青い空を雲がどんどん流れてく。
波が高い。
台風が近づいているってテレビで言ってました。

『SAE CAFE』は今日、「りんじきゅうぎょう」です。

こういう事はたまにあります。
もともと不定休の、気まぐれなところのあるお店で。たとえばわたしの幼稚園の発表会の日とか、運動会の日とか、それからめったにないけれどわたしが熱を出しちゃったときとか。パパはお店をお休みにします。…そう、ほとんどがわたしのため。
「俺がそうしたいから。さくらのそばにいられるようにわざわざ自営業を選んだんだから」ってパパは笑ってくれるけど、やっぱりちょっぴりごめんなさいって思ってしまうから…わたしはじこかんり、すごくがんばるの。めったに風邪をひいたりしないんです。えっへん。発表会や運動会の日にちをずらすことはできないけれど。

だけど今日はわたしのためじゃないお休み。
強い台風にそなえて、お店のほきょう工事をするための一日、なのです。
『SAE CAFE』はもともとパパのおともだちの手作りのお店。「しろうとしごと」だからいろんなところ、あちこちしょっちゅう壊れます。
お店の2階のおうち部分なんて少しの雨でも雨もりします。だから雨の日は紅茶の空きカンを床にならべるの。ぽたんぽたんって音がとってもかわいくて音楽みたいだから。
だけど今回みたいな大きな台風のときは、かわいい雨もりじゃすみません。『SAE CAFE』がばらばらになって飛んで行ってしまったりしたらたいへんです。だから、ほきょう工事。

「気休めだけどね。はは、今度は何割無事かなあ」

…パパ、笑ってる場合じゃないと思います。

「まあ、なんとかなるんじゃない? ぼろく見えても君と同じで意外と図太いし、この店」

…ふじくん、それはほめているのかな。



「さくら、危ないよ。海に近づき過ぎないで」

「はぁい」

ごおっと吹いてきた風はたしかにびっくりするほど重たくて、わたしは飛ばされちゃいそうになってあわててパパと手をつなぎました。
お店がお休みで「しこみ」をしなくていいから、今朝のパパはよゆうがあります。わたしと海岸を散歩してくれるくらい。
お店がある丘の道をぐるっと降りていくとそこはすぐに海です。海水浴場に近いけどここは砂浜じゃなくてどちらかといえば岩場。たくさんの石がごろごろしててちょっと歩きにくいです。

わたし、今日はすごくうれしい。

大きな台風が来るっていうのは海辺の町にとってはたいへんなことで、とてもけいかいしなくちゃいけなくて、のんきに浮かれてる場合じゃないってわかってはいるけれど。
お店がお休みで(しかもそれがわたしのせいじゃなくて!)いつも忙しいパパがこうしてゆっくり朝のお散歩につきあってくれるなんて。
パパと一緒に歩けるのも、海岸を歩けるのも、わたしはどっちも大好きだからすごくうれしいんです。…空気を読んであんまりはしゃがないようにしてるけど、たぶんパパにもふじくんにもばれてます。ふたりともおかしそうな笑顔で私を見てたもの。
でもいいんです。よその人の前ではパパが悪く言われないようにかんぺきなよい子でいたいけど、ふたりの前でだったら少し悪い子のさくらでも大丈夫なの。そのまんまで、わたしをすきって言ってくれるから。無理していい子になろうとしなくていいんだよって。
だから、うきうきした気分でパパと岩場を歩いています。

お店から見る海もとてもきれいで大好きだけど、こうしてすぐ近くで見る海はきれいなだけじゃなくておもしろいです。うなるみたいな波の音とか、岩にぶつかってくだける波しぶきの色や形が毎回ちがって見ていてあきないところ、岩場の奥までざあっと入って来る海水が、波の大きさによってたどりつく地点がちがうところとか。いその潮だまりの小魚や、カニさんややどかりさんや。ちょっとだけグロテスクな虫さんや。波が運んでくるたくさんのまるい石や木や、死んだお魚。岩にべっとりはりついた海そうのかたまり。
それからこのにおい。べっとりとしめった、少しなまぐさいような潮のにおい。
「生物の死体の匂いだよ」ってパパが言う、このにおいがわたしはきらいじゃないです。けっこうすきかも。
死のにおい。それは、生きてるもののにおい。そんなふうに思ったり、します。
生きものが死んでくさって、虫がたかって、かわいて、そしてひからびていつか粉々になってまた海へかえる。それは全部、生きてたから。いのちのないものはくさらない。

「あ、シーグラス、発見!」

石の間にきらっと光るものを見つけて、わたしはすばやく拾いあげました。
きれいなグリーンのガラスのかけら。波で角がけずられてつるつるになってるの。

「さくらは目が早いなあ」

「うん! パパゆずりのしりょくだから!」

笑うパパをガラスのかけらごしに見たら、目がみどり色。それがとっても似合っちゃってるから、パパってほんとうにかっこよすぎます。絵本の中の王子さまみたい。
…でも、王子さまはビニールぶくろなんて持ち歩きませんね。パパは右手にカサカサ言うビニールぶくろを3つも持って歩いています。それぞれもえるゴミ、カン、ビン用。朝に海を散歩するときはいつもこうしてゴミ拾いをしながら歩くんです。パパが言うには「いっせきにちょうだから」、だって。
わたしも左手にビニールぶくろを持っています。ゴミ用と、たからもの用。
たからもの用のふくろに入れるのは、きれいな貝がら、きれいな小石、白い流木、それからシーグラス。
海で洗われてみがかれた、ガラスのかけら。
わたしたちはいつも利き手を空けておきます。手をつなぐため。わたしがうんとちいさな頃からのしゅうかんです。

「あ、もう一個発見!」

今度は青いの。うっすら光を通すあい色がとてもきれい。

「さくらは宝探しの名人だね」

「うん!」

「本当なら、ガラスが海にあるって喜ばしい事じゃないんだけどね」

苦笑するパパ。わたしもうんってうなずきました。
海の宝石みたいなシーグラスは、もともとは浜に投げ捨てられたビン。ゴミです。海を汚すもの。ほとんどはお酒のビンで、こうして海を散歩してるとよく見つけます。中には割れてるものも多くて、「手や足を切らないように」ってわたしにはさわらせないでパパがすばやく拾って片付けてしまいます。本当は見せるのもやだって、そんなふうに思ってる顔をして。

「でも、そんな危ないゴミを、こんなにきれいなモノにしちゃう。海ってすごい」

拾ったばかりの青いシーグラスをおひさまにかざして見たら、「そうだね」ってパパが笑いました。苦笑いじゃなくてちゃんとまぶしそうな笑顔で。パパがそんなふうに笑ってくれると、わたしはとても元気になります。

ざざあーんって、大きな波。
岩の間をすりぬけてわたしたちの足元までやってきました。これから海が荒れるまえぶれ。
強い風に髪をおさえながら、「でも」とわたしはもう一度つぶやきました。

「でも…少しこわい。ギザギザのガラスをまんまるにしちゃう海の力が。すごいけど、こわい」

「そうだね」

パパは笑顔をくもらせることなく、すんなりうなずいてくれました。
この町で育ったパパにとって、海がすごくてこわいなんてあたりまえのことだから。

「風が強くなってきた。さくらおいで、そろそろ戻ろう」

パパが左手を差し出してくれて、わたしは右手をつなぐかわりに全身でぎゅうっと抱きつきました。

「こら、危ないだろ」

ちゃんと受け止めてくれながらそんなふうに言うところ、パパだなあ…って思っちゃう。

「あ、ちょっと待ってさくら」

ごめんね、ってわたしに断ってからパパがかがんでゴミを拾いあげました。たばこの吸いがら。それをパパはわざわざビニールぶくろを持ちかえて、利き手じゃない方の右手で拾ってふくろに入れます。
どうしてか、理由、知ってる。
たばこをさわった手でわたしにさわらないため、です。左手はわたしとつなぐ方の手だから。

「はいOK。ごめんねさくら」

たばこを入れたゴミぶくろをまた右手に戻してから、左手をわたしに差し出してくれるパパ。
…パパのこういうところ、ほんっ……とに、あきれちゃうくらい、だいすき。
それから、こういうことをさらっと自然にやっちゃうパパは一体何人の女の人を泣かせてきたのかなとか、無自覚でこういうことするのってほんとに反則なんだけどなとか、そういうことも、少し思います。だってわたしも女の子なので。
ほんとに、パパとかふじくんとか、こんなハイスペック男性があたりまえみたいにそばにいてくれて、わたしがしょうらい男の人を見る目がいじょ〜〜〜うにきびしくなってしまって一生カレシができなかったらパパのせいだからね!なんてりふじんなむかつきもおぼえたりして。

…それでもやっぱり、わたしにむかって差し出される手は世界でいちばん大好きな手、で。

「さあお手をどうぞ、お姫さま?」

「そんなせりふ言って! じょうだんみたいに笑ってるけどそれシャレにならないからパパ! そういうことかんたんにやったらだめ!」

「ええ〜? 困ったな…」

ぜんぜんこまってない顔で笑ってるし…。

「じゃあ、さくらにしかやらないよ。それなら大丈夫?」

「そっ…それも、どうなのかなあ……」

うーん、と悩んでいたら、いつの間にかわたしの右手、パパの左手にするって包まれてて。
顔を上げたら、いたずらに成功したみたいな笑顔のパパと目が合いました。…ほんと、ずるい。

…本当は。
パパだって、たばこを吸ってた時期があるの。不二くんに聞きました。わたしの知らないパパの時間。
ママのおなかの中にわたしができたことがわかったその日にたばこをやめたというパパ。

知らないことがいっぱいで、いろんな顔があって、奥が深くて、底が見えなくて。それはとがったガラスをきれいな宝石に変えてしまう海みたいだなって、思ったりします。
パパは海みたいなひと。
すごくて、こわくて、でも。

『だいすき』

荒れてきた海に背中を向けて歩き出して、朝ごはんは何にしようかなんてのんびり話しながら、つないだ右手にそうっと力をこめて心で伝えてみました。

「アボガドが熟れてたからそろそろ食べないと。納豆と混ぜてごはんにかけるのとサラダとどっちがいい?」

そんなこと言いながらちゃんと左手をぎゅってして、わたしが伝えた分の何倍もの『だいすき』を返してくれるパパは、えいえんのなぞ。とけることのない。本当に海みたい。

「納豆アボガドごはんで!」






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