ベビーパール・ティアラ 4
ふわふわ。ゆらゆら。雲の上にいるみたい。
あったかくて、頭がぽやぽやして、なんだかうふふふふって、いみもなく笑っちゃう、かんじ。
ぴんくいろの雲の上で、わたしはいつの間にか、あのおねえさんと手をつないで立っていました。
あんなにこわかったおねえさん。なぜか今はこわくなくて、かわいそう、って思えました。
だって泣いてたから。
──ごめんね。
おねえさんは泣きながらわたしにあやまっていました。ぽろぽろ、おちるなみだ。きれいなお化粧が流れて、お顔がどろどろになってます。でもどうしてかな、ばっちりメイクした顔よりも、ずっとずっとかわいくみえるよ。
これが、おねえさんの、ほんとうですか。
──ごめんね、さくらちゃん。
その声は、いつもの自信たっぷりの声じゃなかった。親切そうな声でもなかった。でも、ちゃんと胸に届く声でした。
──あんなこと言いたくなった。あなたを傷つけたくなかった。
──嘘。ごめんなさい。言いたかったの。ずっと。あなたを傷つけてやりたかったのよ。
──ごめんなさい。ごめんなさい。さくらちゃん、ごめんなさい。
こころにとどく、ことば。
わたしのこころの、まだ痛い、ぱっくり口をあけたままの傷口に、おくすりみたいにやさしく届きました。
じんわりしみたけど、もうこわくなかった。
それはきっと、うそじゃないからです。ほんとうのきもちだから。
わたしもごめんなさいって思いました。
わたしが、せかいでいちばん、パパの特別でいられるのなんて、わたしががんばった結果じゃないから。生まれたときから決まってた。だってパパのむすめだから。それって、ちょっとずるいって思われても仕方ないことです。
パパのそばに、あたりまえみたいに一緒にいられて、その笑顔とやさしさをもらって。
しあわせになれないわけがない。そういう人生を、最初からやくそくされているんだから。
ちょっとずるいよねって、自分でも思っちゃう。
だからだいじょうぶ、がんばれる。
こういうことが、これから何度もあっても、うけとめる。
パパのむすめでいても、だれでもが、なっとくできるくらいのすてきなひとになります。わたしのちからで。
おねえさん、わたしがんばるよ。
おねえさんもがんばってね。しつれんのひとつやふたつで、まけたらだめです!
パパをすきになるなんて、おねえさん、いいしゅみしてます。次はもっといい男の人をつかまえてください!
わたしとおねえさんは、ぴんくいろの雲の上で手をつないで、くるくるおどりました。
とてもたのしかったです。
これが、都合のいいゆめだってことくらい知っているけど、でも、しあわせなゆめ。
おんなじゆめを、おねえさんも見ていてくれたらいいなって思いました。
…目が覚めたら辺りがぴんくいろだったから、ゆめのつづきかと思いました。
でもちがいました。ゆうやけで、空がいちめんのきれいなピンクにそまってるだけでした。
「起きたな、この不良娘」
ぼうっとしていたら、頭をやさしくなでられました。指のかんしょくを、髪に感じただけで泣きそうに安心しました。パパの手。
「…ぱぱ」
「お説教は後でたっぷりするよ。ブランデー入りの紅茶で酔っ払うなんて、我が娘ながら呆れる」
そんなふうに言いながらも、パパはすごくやさしく笑っていました。たのしそうに。
「さすがサエさんの子だよね。さくら、サエさん子どもの頃、バネさんと一緒に正月のお屠蘇こっそり飲んで酔っ払った事あるよ」
「へっ?」
「こらダビデ! つまんない事ばらすなよ」
すごく近い所からダビデくんの声がしてびっくりして、よく見たら、わたし、ダビデくんにおんぶされているんでした。ふわふわ、あったかい雲みたいなかんじはダビデくんでした。
辺りを見回して、亮くんのお家からうちに帰るとちゅうだってわかりました。
「…むかえに、きてくれたの…?」
思わず口に出したら、パパはきょとんとして、それからとろけそうにやわらかく笑って「うん」と言いました。
「俺がそうしたかったから、したんだよ」
「……ありがとう」
「どういたしまして、お姫様」
おひめさま、って。本当にパパはそんなせりふを素で言っても似合っちゃうからおかしいです。
そして、『親なんだから、あたりまえ』って言われなかったのが、うれしい。
「ダビデくんも、ありがとう」
「うぃ」
「おんぶ、重くない?」
「全然。俺、サエさんだって軽くおんぶできるよ」
「え…」
「ははっ。それは勘弁してほしいかな」
ダビデくんの背中からだと、パパのことを見下ろすかたちになります。上から見るパパって…あいかわらずきらきらしててかっこいいけど、ちょっとだけ、わたしの知ってるパパとはちがう人みたいに見えました。なんていうか、ちょっと、かわいい…?
ダビデくんとかバネちゃんとか、パパより背が高い人から見たら、パパはこんなふうに見えるのかな。わたしも大きくなったらパパの背を越せるかな。それはさすがにムリかなあ。
「さくら」
いつもよりかわいく見えるパパが、笑いながらわたしを呼びました。パパに呼ばれると、わたしは自分の名前をもっと好きになる、これってふしぎです。
「がんばってる君が好きだよ。俺は君を誇りに思うよ。…でもね、もう少しだけ、ちいさい子どもでいてくれるとうれしいな。俺のわがままなんだけど」
……パパは、ずるい。
そんなふうに言われて、断れる子はいないと思います。
ほんとに、ほんとに…ずるくて、無神経で、こどもごころもおんなごころもなんにもわかってない、だめな男の人のパパ。
でも、その笑顔ひとつで、ことばひとつで、かんたんにわたしのこころを軽くしてしまえる。そんな魔法を使える世界でたったひとりだけのひと。
大好き。大好きな、私のお父さん。
私はダビデくんの大きな背中に顔をこすりつけました。ごめんね、ぬらしちゃう。
パパにもダビデくんにもあまえてる。
でも、そうしてくれるとうれしいって、パパが言ったんだもの。パパのせいなんだもの。
「さくら。今度、俺にも紅茶淹れて。亮くんが褒めてた。さくらの淹れた紅茶は美味いって」
ダビデくんの声には、ぎゅううっとだきつくことで答えました。
いれてあげる、何杯でも。大事に大事に、ていねいにいれてあげる。あっためたミルクと、ざりざりしたお砂糖をそえて、ダビデくんの好みにあまぁくして。ありがとうのきもちが伝わるように。
「あ、でもブランデーは無しだよ! あとさくらの分はお湯で割って薄めにね。それから、俺のいないところで熱湯を扱うのは禁止!」
あわてたみたいにパパが言って、わたしはダビデくんの背中で、泣きながら笑っちゃいました。
ぴんくいろの空のはじっこに、ほそいきんいろのおつきさま。
もうすぐ夜。
はやくおうちにかえりましょう。
きっとふじくんが、あったかくわらって「おかえり」って言ってくれます。
そうしたらダビデくんをつかまえて、みんなでいっしょにごはんにするの。
今夜は、わがままを言って、パパといっしょに寝てもらおう。そうしたらきっと、こわいゆめなんか見ないから。赤ちゃんみたいにあまえて、へたっぴな子守唄とかリクエストしてパパをこまらせてしまおうかな。
…よのなかの、こわいことも、つらいこともぜんぶ、ひとのこころがつくりだすの。
あのおねえさんの言葉も、いちばんさいしょは、きれいな、「すき」ってきもちだったの。
すこしだけ分かったけれど、まだ、ぜんぶは知らなくてもいいって思いました。
もうすこしだけ。ちいさなこどものままで。
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