グリーン・ライラック 3
「アーン?」とか言うやたらかっこいい変な人(他に言いようがなくて…ごめんなさい)の登場に、パパとリョーマくんの目は点になっています。大丈夫、目が点でも二人ともかっこいよ!
反対に、わたしの目はきらきらしてると思います。だってだって。
──この人今、自分のこと『俺様』って言った! 絶対言いました! ちゃんと聞いた!
本やテレビに出てくる悪役のせりふ、初めて生で聞いちゃった。
『俺様』といったら大好きなハリーポッターシリーズに出てくる例のあの人が真っ先に浮かぶわたしです。わくわくしちゃっても仕方ないと思うの。
「…やあ、久しぶりだね、跡部」
「…何してんすか、アンタ」
パパとリョーマくんの呆れたみたいな声が重なって、わたしは俺様さんから二人に視線を移しました。あ、二人とももう目が点じゃないです。よかった。
というか。
「…また、お知り合い?」
首を傾げて聞いたわたしに、パパが少し困った笑い方で頷きました。
「まあ座れば、跡部」
パパが、カウンターの席を指さして俺様さん…じゃない、あとべさんに言います。その言い方が、なんだか乱暴なかんじでパパらしくないと思えて、わたしはちょっとびっくりしました。
「邪魔するぜ」
あとべさんはコツコツと靴を鳴らしながら長い脚で大股に歩いてきて、そんなに大きくないお店の中だからあっという間にわたしたちのいるカウンター席について、他にも空いてる椅子があるのになぜかわたしの隣の椅子に腰を下ろしました。
わたし、リョーマくんとあとべさんの間にはさまれたかたちです。
座る姿もやたらと様になっているあとべさんは、映画か何かから出てきたみたいに、ちょっと存在自体が違和感ありありです。ほんと変な人。
あとべさんは高そうなスーツに包まれた脚を優雅に組んで、「いい店じゃねえの、佐伯」と言いました。…ほめられてるのに、ほめられてるかんじがしないのはなんででしょ。
「それはどうも」
パパの返事はそっけなくて、わたしはやっぱりびっくりしました。パパ何か怒ってる?
「越前、てめえ日本に帰って来たならスポンサーのところに顔くらい出しやがれ」
あとべさんってきれいな顔に似合わず口が悪いです。落ち着いた声できれいに笑いながら言うからなんかしっくりきちゃうんだけど、せりふだけ抜き出したら本当に悪役のチンピラさんみたい。
リョーマくんが棒読みで「スミマセン」と言って「ほんと何しにきたんすかアンタは」と続けたのを、あとべさんはフッと笑って答えないで、わたしの方をちらっと見ました。
「…この子が、あの時の」
「そう」
あとべさんとパパの会話は意味がわかりません。ただパパがあんまり話したくなさそうにしているのは分かって、パパにしてはものすごく珍しい態度だから、わたしはなんだかドキドキして落ち着かない気分でした。
「大きくなったな」
「小学生だからね」
「ハッ、俺たちも年をとる訳だな」
「同感だけど、跡部」
パパはにこりともしないで、あとべさんにコーヒーを差し出しました。いつものようにすごくいい香りの、パパのコーヒー。ブラックで、お砂糖もミルクも出さないで、あとべさんの好みを分かってるみたい。
「──本当に何しに来たの」
カウンターの内側でスツールに腰を下ろしながら、パパがあとべさんを真っ直ぐに見て低い声で質問しました。わたしもびっくりしたし、リョーマくんもちょっと驚いた顔してます。それくらい、あとべさんに対するパパの様子はつめたくて。すごく、パパらしくない。
あとべさんは全く気にした様子もなくコーヒーを一口飲むと、「ハッ」て笑い方をしました。
「佐伯、お前を引き抜きに来たんだよ。……って言ったら?」
「跡部」
あとべさんのせりふに被せるみたいな早いタイミングで、パパが厳しい声を出しました。
「その話はもうとっくに終わってる。昔の話だ」
「俺の中では終わってないぜ。あの時も言った筈だ。俺は諦めないと」
「…俺もはっきり言った筈だよね。君の仕事に加わる気はないって」
「──え!?」
二人の話に、声を割り込ませてしまったのはわたしです。パパがはっとした目でわたしを見て、わたしは思わず声を出しちゃった口を両手で押さえました。
「な、なんでもない。お話のじゃましてごめんなさい」
口を押さえたまま謝ったら、パパはいつもの優しい笑顔になって、「謝ることないよ」とカウンター越しにわたしの頭をなでてくれました。
「なんでもないんだ。昔の話だから。びっくりさせてごめんね、さくら」
「…うん……」
パパの笑顔とてのひらの温度で少し安心したけれど、まだドキドキは続いてて、わたしはこっそり胸を押さえました。今のお話って…。
そうしたら、すぐ隣であとべさんがチッと舌打ちをして、わたしはびくんとして飛び上がりました。でもすぐにあとべさんの手が伸びてきて、パパよりずっと乱暴なやり方で頭をぐりぐりとなでられて…というかかき混ぜられて、思わず「んにゃっ」と変な声を出してしまいました。
ブッとふき出したあとべさんは、笑うとちょっと子どもっぽくて、そんなに変な人じゃなくなりました。
「『にゃっ』て…オマエは猫かよ」
「猫じゃないですさくらです! ていうかあとべさんのせいでしょーっ!」
「お、威勢がいいな、チビ猫」
「だから猫じゃないですっ!」
「知ってるぜ。さくらだろ? いい名前だな」
「……っ! あ、ありがとう、ございます…」
「へえ。チビ猫のくせにしっかりしてるな。よく躾けてるじゃねえの、佐伯」
「っ! だからあっ! チビ猫じゃないですーっ!」
「わかってるぜ。さくら」
にやり、と笑うあとべさん。この人って…この人って…。
「あとべさんって、いじわる!」
むうっとして言ってやったら、パパとリョーマくんが同時にプッとふき出しました。
あとべさんは一瞬だけきょとんとしたけど、すぐにまたにやりと笑って、「まあな。確かに俺は意地悪だ」とコーヒーを口に運びました。…あれ?
「あの…あとべさん」
気がついたことがありました。
あとべさんに視線で続きを促されて、ちょっと言いにくかったけど思い切って聞いてみます。
「あの…もう『俺様』って言わないの?」
パパとリョーマくんがまた笑い出して、あとべさんは「アーン?」と眉をひそめました。
「何を言ってやがるんだ? 俺様が俺様だなんて言う訳ねえだろ?」
「きゃーっ! また言った!」
「アーン?」
「ヴォルデモート卿だあっ! 俺様!」
ナマ『俺様』、また聞けちゃった! あとべさんって似合いすぎる! すごい、さすが変な人。
「アーン? うぉるで…?」
きれいな眉を寄せて難しい顔をするあとべさんに、パパが笑いながら「児童文学に出てくるラスボスの名前だよ」と説明してあげてます。
あとべさんはフン、と鼻で笑ってわたしを見ました。
「成程な。それで、そのナントカ卿とやらは、さぞかしいい男なんだろうな、さくら?」
「…………えっ……」
当然だろ、と微笑むあとべさん。わたしは、映画で見た『俺様』の姿を思い出しながら、あはは、と笑ってごまかしました。
…パパとリョーマくんが、必死で笑いを押さえているのが目の端っこに映りました。
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