台所から聞こえてくる騒がしい声を聞きながら、急に静かになってしまった部屋で、ふたりはなんとなく見つめあい、それから同時に噴き出した。

「…みんなおもしろい子だね。こーちゃんのお友達」
「うん。ごめんね、あいつらうるさくて」
「ううん、ぜんぜん! ほんとうに退屈してたからうれしかった。…ひとりで寝てるとね、こわいこととか考えちゃったり、するから…」
「…こわいこと?」

うん、と花音は俯いてちいさく笑う。
それは先刻まで皆といたときには見せなかった弱々しい笑みで、佐伯はどきりとした。

「ママがよくならなかったらどうしよう、とか…」
「……」
「さっきみんなには、ママは元気って言ったけど。元気なのは本当だけど。でも、普通の病院じゃ治せないからこんな遠くまで来なきゃいけなかったんだよね。だからほんとうは、ずっと、すこし怖いの」
「…うん」

何か、気の利いた台詞で彼女を元気づけたいと思ったが、何も言えずに佐伯はただ頷いた。
自分が花音の立場だったら、やはり同じように怖いだろうと思う。
話によれば彼女と母親はたった二人きりの家族で、古い知り合いのオジイを頼ってくるところをみると近しい親戚もいないようだった。

「…だからねっ」

俯いていた顔を上げ、今度は明るい表情を浮かべて、花音が佐伯に微笑みかける。

「賑やかなのはうれしいんだ。私、学校も女子校で、男の子の友達ってぜんぜんいなかったから、こんなに男の子と喋ったの初めてかも。今日は一気に友達が増えちゃった。みんないい子たちで、これから楽しくなりそうで、すごくうれしい。こーちゃんありがとう」

「…だから大袈裟だって。俺は何もしてないよ」

花音を励ます気の利いた台詞の一つも言えずに、逆に励まされてしまったようで佐伯は苦笑した。
──彼女が、あまりに真っ直ぐで。こちらの調子は簡単に狂わされる。

「それより具合は大丈夫? たくさん話して気持ち悪くなってない?」
「大丈夫だよ。こーちゃんは優しいね」
「…っ。やさしくないよ、別に。…日に当たり過ぎたって言ってたけど、熱射病? もしかして昨日あれからまた海を見てたりした?」
「わ、どうしてわかるの!?」
「……やっぱりそうなんだ」

花音が素直に驚いた声を出し、佐伯は反対に溜め息をついた。

「涼しい高原で暮らしてた子が、夏の暑いときに長時間砂浜にいたりしちゃ駄目だろ。熱射病にもなるよ」
「…だって、海、きれいなんだもん」
「それはわかるけど…。それに昨日も言ったように、この時期ひとりで海に行くのは危ないんだよ。観光客の中にはタチの悪いのもたくさんいるんだから。変なのに声かけられたりしなかった?」
「…ええと、されたかな…」
「やっぱりされてるじゃん! 駄目だよ、もう花音はひとりで海に行くの禁止」
「え。えええーっ!?」

禁止なんて、自分にそんな権限はないことは十分承知しながらも、言わずにはいられなかった。
佐伯は、抗議の声を上げる花音の、わずかに赤みがさした頬をそっと撫でる。

「…こーちゃん?」
「ほら、まだほっぺた熱い。熱下がってないね」
「これはこーちゃんが急に触るからでしょ! じゃなくて、海、行くの禁止されたら困る」

佐伯の言葉に従わなくてはいけない理由などないはずなのに、花音は本気で困った顔をした。熱のせいもあるのか、少し目が潤んで泣きそうになっている。

「海に行けないと困る?」
「困るよ。…昨日初めて見たときから、もう、海が大好きで。見てると怖いこととか忘れるから…昨日も、病院の帰りに、海に行ったの。行けなくなったらすごく困る」
「…うん。そうか」

──女の子に、泣きそうな顔をさせている。

佐伯に自覚はあった。
けれど、初めて会ったときから彼女は危なっかしくて。
絶対にひとりにはさせたくなかった。
そんなふうに思うのは初めてのことで、戸惑ってもいた。

「ひとりじゃなければ、いいよ」
「? オジイちゃんと一緒に行くとか?」
「…あと、俺とか」

佐伯の言葉に花音は、え、と呟いたきりまじまじと佐伯を見つめて、何も言わなかった。
驚かせたかもしれない、と佐伯は苦笑する。

「俺も海が好きだから。昨日みたいに、朝はだいたい海に行くし。夏休みだから、朝でも、昼でも、行きたければ夜でも、花音が呼んでくれれば喜んで付き合うよ」
「…え。でも、私、一日に何度も海を見たくなったりするかもしれないし…。すごく突然、そう思ったりするかも。そのたびにこーちゃん呼ぶとか、悪いよ」
「悪くないよ。俺も海が好きだからって言ったろ? 実際しょっちゅう海辺をブラブラしてるし。家もここから近いしさ。俺も、無理なときは断るから気にし過ぎないで。その時は悪いけどオジイに頼んでね」
「…え。ええー…。なんで、そこまでしてくれるの?」
「…なんでかな。俺がそうしたいから、かな」

自分でもよくわからずに、佐伯は首を傾げる。
花音はそんな佐伯を戸惑ったように見ていたが、やがて、ふにゃりと泣きそうな顔で笑った。

「…こーちゃんって、実は結構わがままなひと?」
「…そうかもしれない。俺も今気付いたけど」
「なにそれ。変なの」

笑う花音の目の端に本当に涙が滲んできたのが見えて、佐伯は手を伸ばして指でそれを拭った。

「ごめん、俺、困らせてるね。…花音、顔あつい。また熱上がってるんじゃない?」

寝てた方がいいよ、と布団を叩くと、花音は「うん」と素直に従ってぱたんと横になった。
ふうっと息を吐き出して目を閉じた顔は、先刻よりも赤く火照っている。

佐伯は無防備に目を閉じてしまった彼女に代わり、薄い夏用の布団をその首元まで引き上げ、白いシーツに広がった髪を撫でた。

「…ごめん。変なこと言って」
「……」
「俺、台所手伝ってくるね。できたら教えるから、食べられそうだったら一緒に食べよう」
「……いかないで」
「え?」

思わず訊き返と、花音はぱっちり目を開けて佐伯を見上げていた。
布団から白い腕が伸びて、立ち上がりかけた佐伯のTシャツの裾をしっかりとつかんでいる。

「花音?」
「…約束する。海に行きたくなったらあなたを呼ぶ」
「…え」
「きっと、毎日、何回も呼ぶよ。こーちゃん、絶対すごく迷惑って思うようになるよ。…でも、こーちゃんがそうしろって言ったんだからね。自分の言葉に責任持ってね」

じっとりと睨むように見据えられて、佐伯は慌てて頷いた。

「う、うん。わかった。責任持つ。だからひとりで海には行かないでね、危ないから」
「……うん」

花音は、佐伯の返事を確認すると、ほどけるように笑って、そのまま目を閉じた。

すぐに、すぅ、と静かな寝息が聞こえてくる。



「……」

佐伯はその場に取り残されて、今のは何だったんだろうと反芻していた。

厳しいことを言って女の子を泣かせたり、強引な条件を突き付けて困らせたり。
…その上、彼女がそれを飲んでくれたことに、とてつもない安堵感を抱いたり。

自分らしくない。絶対に、自分らしくない。



「…どうした、俺」


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