番外編 夜の隙間、こどもじかん (前)






真夜中に目が覚めた。

佐伯は闇の中でぼんやりと目を開けたまま、しばらくそのままの姿勢でいた。枕元のデジタル時計の時刻は午前1時44分。真夜中だ。こんな時間に目が覚める事は滅多にない。
眠いのに眠れない。不思議にざわめく気持ち。
これはなんだろう、と自分の心をしげしげと眺めてみて、ああ、と気がつく。

今日は花音が泊まりに来ているから。

だから、夜の気配がいつもと違うんだ。



夏祭り以降、佐伯の姉と花音は意気投合してすっかり仲良くなり、花音は佐伯の家を度々訪れるようになっていた。それは勿論構わない。花音が家に遊びに来てくれるのは嬉しい。
だがしかし、と佐伯は溜め息を吐く。
だがしかし残念ながら、花音が佐伯家を訪れるのは佐伯に会う為というより、佐伯の姉や母と過ごす為──といった方が正しい。
家のドアを開くなり、佐伯の「ただいま」を無視する勢いで「花音ちゃあん!会いたかった!」と飛びつく姉。花音の方も頬を緩ませて「お姉ちゃん!」と飛びつくので、毎度玄関先でドラマティックな抱擁が繰り広げられる事となる──佐伯を蚊帳の外にして。
そこへ「ほらほらいい加減にしなさい、花音ちゃん困ってるじゃないの」と最もな台詞を投げ込んでくれるのはさすがの佐伯の母である。が、彼女はその台詞の後に「さあ花音ちゃんあがって、美味しいケーキがあるの」と必ず続ける。
「ケーキ!?」目を輝かせる花音を佐伯の姉がまた「もう可愛いー!」と抱きしめ、女三人は連れ立ってダイニングへ行ってしまう。
……ぽつんと玄関に残される佐伯。
花音は「こーちゃんも行こうよ」と言うし母も「虎次郎もいらっしゃい」と言ってくれるが、女三人揃った時のテンションの高さと、ぽんぽんあちこちへ脱線しまくる会話の内容に、佐伯はとても着いていける気がしない。「や、いいよ。俺は」と作り笑顔で誤魔化して自室へ避難するのが常だった。

花音は確かに俺の『彼女』の筈なのに、おかしいな。
空しく首を捻りつつ、それでも、と佐伯は苦笑する。
千葉に来たばかりで同性の友達がいない花音。母親は入院中で甘えられる大人の女性もいない彼女が、気を許したようにほっとして佐伯の姉や母とはしゃぐ姿を見るのは実は嫌いじゃない、好きだった。花音が楽しくいられるのなら結局佐伯はそれでいいのだった。
彼女に関してすっかり甘くなっている自分。彼女の笑顔が見られるのならなんでもできると思える自分。彼女と『つきあう』ようになって発見した一番意外なものは、そんなふうに愚かになれる自分だったかもしれない。

今日も、佐伯家に泊まりに来た花音は当然のように姉と母に独占され、佐伯の部屋には一歩も足を踏み入れていない。キッチンできゃっきゃと盛り上がりながら騒々しく料理をする女三人に、帰宅した佐伯の父も「賑やかだな」と目を細め、一人リビングでテニス雑誌を読む息子と目を合わせると肩を竦めて苦笑した。同じ笑みを返しつつも、花音が自分の家族に受け入れられているこの状況は佐伯にとってやはりうれしいものだった。

花音が佐伯家に泊まるときは、自然と佐伯の姉の部屋に泊まる流れになる。
年相応の『清い付き合い』を心掛けている佐伯に勿論異は無いのだが、ちらりと思う。小学生同士だし、『友達』としか紹介していない花音がまさか息子の彼女だとは佐伯の両親も思っていないだろう。子供同士、佐伯の部屋に泊まっても別に構わないんじゃないだろうか。

「花音、今日は俺の部屋に来る?」

軽い口調で口にした佐伯の一言はしかし、和やかな家族の団欒をぴしりと凍りつかせた。
え、なにこの空気。戸惑う佐伯の前で、花音はぽかんとし、母は赤くなり青くなり、父は食後のお茶に噎せて咳き込んだ。はあーっと姉が盛大な溜め息をつき、「ばっかじゃないの!」と呆れた声を出した。

「なに言ってんの虎次郎。そんな事許せる訳ないでしょ、花音ちゃん妊娠しちゃったらどーすんのよ、責任とれんの!? コドモのくせに」
「──はぁ!?」
「──おおおおおおおおねえちゃん!?」

ぎょっとする佐伯と真っ赤になって慌てる花音。父はますます噎せ、母がその背中を擦りながら、「やあねえ、そこまではっきり言わなくても…」と顔を赤らめる。

「だってお母さん、この子はっきり言わなきゃ分かんないわよ、まだガキなんだから。ちゃんと教えてあげないと」
「まあ…でも…そうねぇ、花音ちゃんはお預かりしてる大事なお嬢さんだし、まさか万一の事があったらねえ…だからその…ねえあなた?」
「ゲホッ!? ゲホゲホゲホゲホ」
「どーせあと数年もしたら収まるとこ収まっちゃうの目に見えてるんだし、それから好きなだけイチャイチャしたらいいのよ」
「お、お姉ちゃん…? おさまるところって…いいいいいいいちゃいちゃって…」

真っ赤になる花音の肩を引き寄せて、「決まってるじゃない」ときっぱりと断言する姉。

「花音ちゃん、虎次郎と結婚してくれるんでしょ?」
「おおおおおおおおおおねえちゃあああああああんん!?」
「ていうか結婚できなかったら虎次郎コロス。花音ちゃん以外の妹とか御免だからね」
「おおおおおね、おね、おねえちゃ……」
「あらあら、そんなにはっきり言っちゃ可哀想よ、花音ちゃん照れちゃうじゃない。うふ、でも楽しみよねえ、花音ちゃんはやくお嫁さんに来てくれないかしら」
「おおおおおおかあさんっ!?」
「ねえあなた、娘が増えてうれしいわよねえ?」
「ゲホッ、ゲホゲホゲホゲホ…」

真剣にまくしたてる姉、照れながらうっとりと笑う母、咳き込み続けてもはや青くなっている父、その間で真っ赤になって口をぱくぱくさせている花音を呆然と見詰めながら、佐伯はなんだ、と思った。

──なんだ。もうみんなわかってたんだ。

自分と花音が『友達』なんかじゃないって事が。その上で彼女を受け入れてくれていたんだ。家族として。

「だからねっ、虎次郎!」

姉が細い人差し指をびしりと佐伯の鼻先に突きつける。

「花音ちゃんがちゃんとお嫁さんとしてウチに来てくれるまで、間違っても間違いがあっちゃいけなの! 分かる!? だからこの家にいる間は私が花音ちゃんを全力で守るから! アンタの部屋になんか行かせる訳ないでしょ、虎の檻にウサギ投げ込むみたいなもんじゃない」
「おおおおおおねえちゃんっ!」

佐伯に突きつけられた姉の右腕に涙目になった花音がひしと縋る。困った顔で、姉弟喧嘩の勃発を止めようと必死な様子に、佐伯は思わず状況も忘れてぷっと吹き出した。

「こ、こーちゃん…?」

おろおろと佐伯とその姉を見比べる花音に、佐伯は「大丈夫だよ」と笑って見せる。

「姉さんは強敵だなあ。…虎の檻にウサギか…ははっ」
「何笑ってんのよ虎次郎。余裕じゃない」
「や、余裕なんてないけど。…でも姉さん、『間違っても間違いがあっちゃ』って日本語としておかしくないかな」
「うるさい生意気。この場合おかしくないのよ」
「うん。そっか」

佐伯はくすくす笑いながら、確かに自分はまだコドモだった、と思い知る。
こんなふうに。家族に守ってもらいながら、大人になる。

「じゃあ仕方ない、花音は姉さんにお願いするよ」

当然よ、と頷く姉に縋りついたままの花音に目を移す。花音は涙目のまま半ば呆然と姉弟の遣り取りを見上げていた。

「花音、ごめんね。もうちょっと姉さんのとこで我慢してね。俺が大人になるまで」

手を伸ばして目尻を拭ってやると、花音はこれ以上は無いほど真っ赤になりつつも蚊の鳴くような微かな声で「……うん」と頷いた。ここが家族の目の前じゃなければ抱きしめたいと切実に思う。
そんな幼い二人を、姉は「我慢って何よ」と憮然とし、母は嬉しそうにうっとりと頬を染め、父は未だにゲホゲホと噎せながら──何はともあれ、温かく見守っていた。



昼間、そんなやり取りがあった事をぼんやりと思い出して佐伯は一人でおかしくなった。
黒羽や樹ら、六角予備軍の仲間の中では大人びている方で、皆のまとめ役として頼りにされる事も多い自分だが、この家ではまだまだ子供扱いだ。
その事にほっと安心もするし、はやく大人になりたいと逸るような気持ちにもなる。きっとどっちも本心だ。

彼女に恋をしてしまった事だけが、自分の年齢とアンバランスで。不安定で。
それは彼女も同じ筈で。

想いの強さに時々自分で驚いて怖くなるけれど、逃げずにいたいと思う。
今はアンバランスでも。想いに引き摺られてバランスを崩す事のないように、周りで支えてくれる人たちの力を借りながら、いつか一人で立てる安定した心の持ち主になりたい。大切な女の子と、ちゃんと幸せになる為に。大人になるというのはきっとそういう事だ。



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