楽園の終わり





無宗教の、静かで簡素な葬儀だった。

真っ白い布に包まれた花音の母親の遺骨は、今はオジイの家の奥の間に、たくさんの鉢植えの植物に囲まれてちょこんと置かれている。その様子は妙に可愛らしかった。



花音は変わらずフリースクールに通い、オジイの家の家事をし、毎日のように押しかけてくる仲間たちと過ごす、賑やかで穏やかな日常を送っていた。
佐伯たちはもうすぐ卒業を迎える。4月には、いつものメンバーの6年生組は揃って同じ六角中学校に入学する。

……予期せぬ急展開は、2月の終わりに訪れた。





「…あれ?」

葵は、オジイの家の前に何台もの車が停まっているのを見て首を傾げた。
両手に抱えた風呂敷包みの中身は、山のような手作りのおはぎだ。今日はオジイの家で鍋パーティーをすると言ったら母親がもたせてくれた。「オジイと花音ちゃんによろしくね」と。

…花音ちゃんは、前と変わらず元気で優しいけれど。
僕たちが力になってあげないといけない、と葵は思う。
サエさんだけじゃない、自分だって彼女を支えてあげたい。いつか、彼女が夜の海に自分を迎えに来てくれた時のように。

オジイの家に客人が来るのは珍しい事ではなかったけれど、無造作に停められた何台ものぴかぴかの車に、葵の胸にちりりと不安がよぎった。理由は分からないが、なんだか嫌な予感がする。
見れば、車のほとんどが県外のナンバープレートを付けていた。

「──剣太郎、こっち」

小さく潜められた声で名前を呼ばれ、葵はぱっとそちらを向いた。家の裏側の勝手口の方から、佐伯が顔を出して葵を手招きしている。

「サエさん! …どうかしたの?」

葵は佐伯に駆け寄りながら尋ねた。佐伯は「うん…ちょっとね」と曖昧に笑い、葵を勝手口から中に入れる。
入ってすぐの台所は、葵にとっても馴染み深い場所だ。この場所で、皆でわいわい料理をして食べるのはとても楽しい事だった。昔風の作りで、ひどく古びているけれど、広くて清潔な土間のあるオジイの家の台所。
その台所の真ん中に置かれたテーブルに、いつもの面子──黒羽、樹、首藤、木更津兄弟、天根が揃って席に着いているのを見て、葵は仰天した。
確かにこのテーブルは10人用の大きなものだが、普段は専ら作業用として使っていて、ここで皆が食事をしたりする事はなかったからだ。お茶も食事も、居間でちゃぶ台を囲んでするのがオジイの家での常だった。

「な、何してるの? みんなでこんなところに集まって」

驚いて立ち竦んだ葵に、年上の友人たちは「よう」「おう」とそれぞれいつも通りの挨拶をする。樹が、「お茶淹れるのね」と立ち上がった。

「あ、手伝うよ樹っちゃん」
「ありがとうなのね、サエ」
「剣太郎、そわそわしてないでソワれ……ブッ」
「ダ〜ビデ〜、苦しいぞ〜?」
「ほんとになんなのもう…」

葵は首を傾げながらも、天根に促されてジャケットを脱ぎながら椅子を引いた。台所は、やかんがかかった石油ストーブのお陰でとても温かい。

「……あれ? 花音ちゃんは?」

ふと、テーブルにつく面子に彼女の姿がない事に気付いて葵が何気なく訊くと、その場の空気が瞬時に重苦しいものになった。

「えっ!? な、なに?」
「──花音なら、あっちで大事な話し合い中。オジイも一緒」
「そう。僕らは蚊帳の外」

亮がしかめっ面で居間の方を顎で指し、隣で淳が苦笑する。葵はぱちぱちと目を瞬かせた。

「え? あ…もしかして、外にたくさん停まってた車って」
「そ。花音の客。親戚連中らしい」
「つっても花音もオジイも初めて会う相手らしいけど」

今度は黒羽と首藤が答えてくれた。天根は、何か言いかけようとして、いい駄洒落が思い浮かばなかったのか、もしくは殊勝にも空気を読んでやめたのか(恐らくは前者だが)、結局何も言わずにテーブルの上の菓子鉢から煎餅を取ってばりばりと噛んだ。

「親戚って……花音ちゃん、親戚いたんだ」

葵が呆然と呟くと、「そりゃいるだろ」と黒羽が苦笑してその坊主頭をぐりぐりと乱暴に撫でる。

「っつっても、今日までその存在も知らなかったみてーだけどな」
「剣太郎、どうぞ」

葵の前に、温かいココアが差し出される。立ち上る甘い香りがその場をふわりと和ませた。
葵はココアを出してくれた樹に「ありがとう樹っちゃん」とお礼を言うと、流しでココアを温める為に使った小鍋を洗っている佐伯に目を向けた。

「サエさん」

佐伯は振り向かないまま「んー?」と返事をする。

「サエさんは、知ってた? 花音ちゃんの親戚の事」
「……」

仲間の中で事情を知っているとすれば佐伯しかいない。
佐伯はきゅ、と蛇口を捻って水道を止めると、「知らなかったな」とさらりと答える。

「これ多分、皆に話しても差し支えないと思うから話す。花音も気にしない…というより、そうしてほしいと思うだろうから」

流しに掛けられた手拭いで手を拭いて、皆を振り返った佐伯は、いつも通りのやわらかな表情をしていた。

「花音のお母さんってね、十代で家出して、実家とはそれきりなんだって。花音のお父さんに当たる人とは不倫で、花音が生まれる前に相手が亡くなって、それきり相手方の親族とも一切の繋がりを絶ってたらしい。だから花音とお母さんは本当に二人だけで今まで生きてきたんだよね」

淡々と言われたその内容に、葵はぽかんと口を開けた。

「…サエお前、さらっと凄い事言うよな」

黒羽が苦笑し、「まあ、そんなとこだとは思ってたけどね」と亮と淳もクスクスと笑った。

「でもいいのか? そんな…プライベートな」
「本人が、隠す気全くないから。まあ敢えて言い触らす必要もないんだろうけど、こういう状況になったら皆も知っておいた方が花音も気が楽だろうから」

佐伯はあくまで淡々と、何でもない事のように言う。

「こういう状況って…」

まだ驚いたままで葵が反芻すると、「剣太郎」と樹がその肩を優しく叩いた。

「樹っちゃん…」
「今ね、来てるんですよ。その、花音が会ったこともない、存在も知らなかった御親戚の方々が。何だか必死な形相で、大挙して押し寄せて」

樹の口調には珍しく毒がある。葵がびっくりして見上げると、珍しく怒ったような表情の樹と目が合った。

「樹っちゃんはね。ちょっと…嫌なところ見ちゃったから」

佐伯が苦笑して樹の肩をとんとんと叩く。

「嫌なところって?」
「あの人たち、お金の話ばっかりしてるのね。花音のことも、花音のお母さんのこともどうでもいいみたいに。花音に残されたお金の事で目の色変えて、いい大人が何人も、みっともなく」
「え…っ」

樹の話す内容に葵が目を見開き、黒羽と首藤も眉をしかめて頷いた。双子はお互い視線を交わし合い、天根は無表情で下を向いて煎餅をぽりぽりと齧り続けている。

「樹っちゃんはお茶出しに行って、偶然話を少し聞いちゃったんだよね」

佐伯は湯呑みを持ち上げてお茶を一口飲み、ふうと溜め息を吐くように笑った。

「…サエさん……随分冷静だね」

天根がぼそりと呟き、佐伯が「えっ、俺?」と目を丸くする。

「サエは腹立たないの? 今、向こうで花音は相当辛い思いしてると思うけど」

亮が居間の方を示しながら話を振る。佐伯は「うーん」と複雑な笑い方をした。

「…正直、ムカついてる。でもそれは、自分にかな」
「えっ? どういう事?」
「俺がまだ子ども過ぎて、こういう場面で花音の力になってあげられない事が一番悔しいよ。…でも、そうだなあ……多分だけどね、そんなに心配しなくていいと思う。あの子は、つよいから」

ふわりと笑った佐伯はとても優しい顔をしていて、葵は、ああ、サエさんはまた大人になった、と感じた。
佐伯も、花音も、黒羽たちも。年上の友人たちは、どんどん成長していく。たくさんの痛みを経験して、複雑な笑い方をするようになる。そしてとても、人に、優しくなる。幼い精神が成長していく瞬間を、葵はずっと間近で見てきた。
自分も追い付きたいと思う。けれど、自分だけが子どもっぽいままでいる事の焦りよりも、子どもの自分にしかできない役目を果たしたいと最近の葵は思うようになってきた。
大丈夫。佐伯も皆も、絶対自分を置いて行ったりはしない。いつでも振り向いて待っていてくれている。
ならば自分は、大人になりかけている彼らが出来ないやり方で、彼らの力になる存在でありたい。

「ねえサエさん、花音ちゃん、まだ向こうから戻って来れないのかなあ」
「え?」
「お金の話なら花音ちゃんがいなくてもいいんじゃない? ちょっと助けに行ってさ、花音ちゃんも一緒に海に行こうよ!」

葵の突然の提案に、佐伯は目を丸くして葵を見つめた。佐伯のこんな顔は滅多に見られない。葵は少し嬉しくなった。
緊張していたその場の空気が、ほわりと和む。
黒羽が「ばぁか、何言ってんだ剣太郎」と突っ込みを入れ、樹もいつもの穏やかな表情に戻って、仕方がないと言うように笑っていた。亮と淳もクスクス笑い出す。

──これでいい。僕のポジションはここだ。
空気なんて読めなくていい。皆を笑顔にしたい。

剣太郎が、「ねえサエさん!」ともう一度佐伯の袖口を引っ張った時、明るい声がそれに応えた。



「行きたい! 海。ねえ、みんな行こうよ」

台所の入口で、花音がにこにこと笑ってこちらを見つめていた。


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