小さな冒険





「剣太郎ーっ!」
「おーい! 剣―っ!」

年下の幼馴染みを呼ぶ少年たちの声が、冷たい風に流されていく。
枯れて乾いた草の間を捜しながら、花音は不安な気持ちがどんどん大きくなっていくのを感じて唇を噛んだ。



朝、兄と喧嘩をして飛び出したきり、夕方を過ぎても葵が家に帰っていない。
少年たちがその知らせを聞いてからもう随分と時間が経っていた。

今日は日曜日で、いつもの面々でテニスをして過ごしていた。
葵が来ないのは珍しいことだったけれど、普段から約束をして集まる訳ではない。彼の不在を特に不審に思う者はいなかった。
一方葵の家族の方も、昼食にも帰らない末息子を心配することもなかった。少年たちがオジイの家で昼食、時には夕食まで食べてくるのはよくあることだったからだ。それでも夕方の門限を過ぎ、日没が近づく時間になり、さすがに心配した葵の母親がオジイの家に電話をかけてきて事態がようやく発覚した。
オジイは中学のテニス部の試合に同行していて、今夜は遅くまで帰って来ない。電話を受けた花音は動揺のあまり鍋をひっくり返した。
素早く電話を代わってくれた佐伯が落ち着いた調子で状況を確認し「大丈夫、すぐ見つかりますから」と葵の母親を安心させている間、樹と首藤がさっさと花音の散らかした鍋の中身を片づけ、黒羽と天根がまず海を確認に行き、双子は冷静に葵の行きそうな場所を箇条書きにしていた。
花音はあっけにとられて彼らのチームプレーを眺めていた。



海にはいなかったので、いつものテニスコート、アスレチック場、小学校、中学校と探して、今、山の方を探しているところだった。
夏には虫取りをしたり木の上に秘密基地を作ったりしてよく遊んだが、寒くなってからは滅多に来ることのなかった場所だ。冬枯れの野原は人影もなくひどく茫洋としていた。

「剣ちゃん…」

名前を呟くだけで、太陽のように明るい無邪気な笑顔を思い出して涙が滲みそうになる。

「花音」

数歩前にいた佐伯がさっと振り返る。自分が抱えている不安を見透かして気遣うような声の温度に、花音ははっとして俯きがちだった顔を上げた。

「大丈夫。絶対すぐに見つかるよね」

取り繕うように笑って見せた顔は明らかに不自然だったのだろう、佐伯は心配そうな表情を崩さないままで花音の傍まで歩いてきた。
花音の手を握って、「冷たい」と言う佐伯の手もすっかり冷え切っている。それでも彼は花音を安心させるようにやわらかく笑ってみせた。

「もちろん。剣太郎は大丈夫だよ」

冬の日は短く、ほとんど沈んだ夕陽の残滓が、枯れた草むらを赤く照らしている。

「こういうこと、今までだってよくあったんだ。かくれんぼの最中に寝ちゃったりさ。今に呑気な顔でひょっこり出てくるから、そんなに心配しないでいいよ」
「うん…」
「花音、一度オジイの家に戻ってて」
「え…」

それは嫌だ、自分も皆と一緒に探したい。喉まで出かかった言葉は、真剣な佐伯の表情を見た時に言えなくなった。それでも顔には現れていたのだろう、佐伯が「ごめん」と苦笑する。

「邪魔にしてる訳じゃないよ。わかるよね」
「…うん」
「剣太郎、家に帰りづらくてオジイの家に来るかもしれないだろ」
「あ…そっか」
「うん。その時は無理に帰そうとしなくていいから、俺の携帯に電話して」

つくづくよくできた小学6年生だ。花音は半ば感心し、半ば呆れて佐伯を見返した。今にも泣き出しそうに動揺している自分が情けないと思った。

「わかった、家でごはん作り直して待ってる」

さっきひっくり返しちゃったし、と笑うと、佐伯もほっとしたような笑顔を見せた。

「そうして。こっちからも逐一連絡は入れるようにするから」
「うん」
「俺、焼肉が食べたいなあ」
「ええー?」

ひっくり返したおでんからは程遠いメニューだ。他のおかずとの取り合わせを考えて眉を顰める花音に、佐伯は「剣太郎も好きだから」と笑った。

「…こーちゃんのそういうとこ、ずるいと思う」
「え? 何で?」
「……何でもない。じゃあまた後でね」

冷凍肉のストック分で足りるかと若干不安になりながら、花音は小さく手を振った。

「花音、暗くなるから気をつけて。本当は送りたいけど」
「そんな場合じゃないでしょ」
「うん。ごめん」

そこへ、かさり、と乾いた草を踏む音と共に一人の少年が近付いてきた。

「サエ」
「淳」
「あっちゃん」

佐伯と花音に同時に名前を呼ばれて、淳は小さく笑った。

「あのさ、俺が花音送ってくよ。途中までだけど」
「え?」
「思いだしたんだけど、オジイの家の側の、坂を上がったとこの駄菓子屋。あそこもまだ見てなかったなって」

淳の言う駄菓子屋は、少年たちも、勿論葵もお馴染みの場所だ。佐伯と花音は「あ」と声を上げて顔を見合わせた。

「もう閉まってる時間だけどさ、剣太郎、あそこのおばあちゃんと仲いいから。もしかしたら上がりこんでるかもしれないし一応確認してくる。見つけたら花音の携帯から連絡入れるよ」

淳の台詞に、佐伯はあからさまにほっとした顔を見せた。

「分かった。じゃあ頼むよ」
「了解」
「こーちゃんたちも気をつけて」
「大丈夫。俺たちは慣れてるから」

佐伯はさらりと手を振って、草むらの更に奥へと向かう黒羽たちの方へ走り出した。
あっという間に夕闇に呑まれていく背中を見送って、花音はこっそり溜め息をつく。淳が横で小さく首を傾げた。


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