めいわくなひとたち





午後10時、樹家の電話が鳴った。

「──もしもし」

たまたま、電話に近い場所にいた樹が受話器を取り上げた。
早寝の樹はもう寝ようとしていたところだった。こんな時間に電話がかかってくるなんて、何か緊急の用事だろうかと考え少し身構える。けれど。

『──樹っちゃん!? 良かった、まだ起きてた!』

電話の向こうから聞こえてきた友人の声に、樹はほっと肩の力を抜いた。

「サエ。もう寝るところだったのね。何なのね?」
『遅くにごめん! でも助けてほしくて。樹っちゃんしか相談できる人がいないんだ』
「はぁ」

佐伯の声は真剣だった。樹はまた面倒くさそうだなあと溜め息をついた。途端に眠気が襲ってくる。

「手短にお願いしたいのね」
『うん、じゃあ、要点だけ言うけど』
「はい」
『今俺の部屋の俺のベッドで花音が脚出してお腹出して寝てるんだけどこれ何の試練だと思う!?』
「…………はい?」
『しかも今うち誰もいないんだけど、俺試されてるの!? 誰に試されてるの!?』
「……ちょ、ちょと、サエ。落ち着くのね」

何がどうなってそういう状況になったのか説明しなさい、と諭すと、佐伯は平素の彼らしくない切羽詰まった口調ながら何とか経緯を話し出した。

今夜、佐伯の家に花音が泊まりに来ていたのだという。それ自体は珍しいことでもなんでもない。花音は佐伯の姉と仲が良く、二人はしょっちゅうお泊り会を催しているからだ。
そしてたまたま今夜、佐伯の父は出張で不在、母は実家に泊まりの用があり不在、佐伯家には佐伯と姉の二人しかいなかった。それも彼の家では珍しいことではなかった。多忙の両親と遊び盛りの大学生の姉を持つ佐伯は、小学生ながら一人で夜を過ごすことも多々あるくらいだ。
しかし。
今夜、泊まりに来た花音を交えて3人での夕食を終え、それぞれの部屋に引っ込んでしばらくした後。自室のベッドに転がって本を読んでいた佐伯の元に、突然姉がやってきた。
姉は携帯電話を片手に「虎次郎ごめん、急に出かけなきゃいけなくなっちゃった」と言い、佐伯は「またコンパ?」と返した。「まあそんなとこ」と答えた姉は、続けて「花音ちゃん半分寝ちゃってるんだけど、私の部屋に一人じゃ可哀想だから、こっち連れてくるね」とのたまった。

「……はいぃ?」

樹は思わず聞き返した。「そうなんだよ…」と電話の向こうで佐伯が深い溜め息を漏らす。
佐伯の姉のことは樹も勿論知っている。明るく華やかな、社交的な女性だ。しかし昔から、弟のことをからかっては遊んでいるふしがあった。

佐伯が呆然としている隙に、姉はさっさと花音を引きずってきた。
半分寝ているという姉の言葉通りに、花音はほとんど目を瞑ったままふらふらと姉に手を引かれてやって来て、「はい花音ちゃん、今日はここで寝て!」という姉に「はぁい、おやすみなさい」とふわふわした口調で答えるなり佐伯のベッドにぽすんと倒れた。
そこでようやく我に返って「ちょっと花音!」と声を出した佐伯に花音は「あ、こーちゃん。おやすみなさい」とへらりと笑い、そのまますやすやと平和な寝息を立てだした。
姉は「虎次郎。据え膳食わぬは男の恥、って知ってる?」とにんまりと笑い、言葉をなくす佐伯をその場に放置してさっさと出かけてしまった。…のだそうな。

「…………」
『ねえ樹っちゃん、俺どうしたらいい? っていうかどうするべき? なんか花音、ぴらぴらした部屋着であの…すごいんだけど。脚とかお腹とか見えてるんだけどやばいんだけど。しかも寝相悪いんだけど! あのさあこれってどうにかしちゃっていいのかなもう』
「サエ」

相当に動揺して自制を失いかけている友人に、樹は慌ててストップをかけた。

『…樹っちゃぁん』

声が情けない。樹は溜め息をついた。

「サエ、あのね」
『うん』
「それは夢です」
『うん。……って、ええっ!? 夢ぇ!?』

思い切り跳ねあがった佐伯の声に、樹は「とにかく聞くのね!」と厳しく言った。

「そんな、お前に都合のよすぎる漫画みたいな展開があると思いますか? 夢なのね。お前の恥ずかしいみっともない深層心理が見せた低俗な夢です」
『…そうかなあ。でもさ、夢に匂いとか感触とかって』
「黙るのね。夢と言ったら夢です!」
『…う、うん。そっか、夢かこれ…』
「そうそう、夢です。だからサエも今すぐ寝た方がいいのね」
『…今とても寝る気になれないんだけど。ていうか夢の中でまた寝るの?』
「だったら勉強でもしてなさい! とにかくそれは夢です。だからどうにかもこうにかもしたら駄目なのね!」
『…………』
「サエ?」

沈黙に呼びかけると、電話の向こうで佐伯がふっと笑ったのが分かった。

『ありがとね、樹っちゃん』
「……」

樹はなんとなくむっとして押し黙る。佐伯は『なんとか努力してみる。遅くにごめんね、また明日』と爽やかにまとめるとさっさと電話を切ってしまった。
ツー、ツー、と音を立てる受話器をそっと戻しながら樹は溜め息をついた。

「…ほんと、世話の焼ける奴らなのね」

そして、ふわあ、と大きなあくびをする。もう寝よう。





──我慢することを覚える必要がある。

佐伯はシャープペンを置いて算数のノートを閉じた。
机の脇からランドセルを持ち上げて、ノートと筆箱をしまう。これでもうやることは終わってしまった。
6年間使い続けたランドセルはかなりくたびれて所々が擦り切れている。普段何も考えずに背負っているそれを佐伯は忌々しく睨んだ。このオプションがある限り、自分はどう頑張っても子どものままだ。身体的にも精神的にも、そして倫理的な面においても。

はあ、と深い溜め息をつき、それから佐伯はゆっくりと振り返る。もしかしたら、勉強を始めた1時間前よりも事態は好転しているかもしれないという一縷の希望を抱きながら。
そして振り返った瞬間に後悔した。
事態は何も好転してなどいなかった。むしろ悪化していた。

見慣れた自分の部屋。自分のベッド。その上で手足を投げ出しぐっすりと寝ている花音。
時刻は午後11時。佐伯家には現在、自分と花音の二人だけしかいなかった。

「ほんと、勘弁してよ…」

うろたえたあまりに樹に電話して助けを求めたのは1時間前。樹の、いつも通りのあたたかい落ち着いた声で少し冷静さを取り戻し、彼のアドバイスに従って勉強をしてみた。敢えて苦手な算数の応用問題に挑戦した。いつにない程すこぶるはかどった。授業でやっているずっと先まで予習は済んでしまい、もうやることもない。

「樹っちゃあーん、次はどうすればいいのかなー…」

情けなく呟いてみるけれど、答える声は当然なく。この時間では樹に電話することももうできない。
姉はまだ帰らない。というか朝まで帰らないだろう、このパターンは。
自分もそろそろ寝たい。でも。

佐伯は途方に暮れて、自分のベッドの上の花音を見つめた。

花音は柔らかそうなタオル地の、うすい水色のパーカーとショートパンツを着ていた。先日佐伯の姉とお揃いで買ってきた部屋着だ。ちなみに姉の方はピンクで…そんなことはどうでもいい、今重要なのは、お気楽そのものの平和な寝顔ですぴょすぴょ寝息を立てている花音の、パーカーが盛大に捲れて白い腹が丸出しになっている件と、ショートパンツから伸びたこれまた白い脚がいかにも無造作にばーんと投げ出されている件だ。

「…寝相悪いなあ」

エアコンが効いてあたたかな部屋の中とはいえ、真冬だ。
とりあえず布団をかけてあげようにも、佐伯の布団も毛布もぐしゃぐしゃに丸まって花音の脚の下にあった。それを取るにはまず彼女の脚をどけなくてはいけない。

よし、と佐伯は無駄に気合を込めた。

「花音ちょっとごめんね」

寝ている彼女に声をかけながら、裸足の脚をそっと持ち上げる。あまりにも軽いのと、柔らか過ぎる感触にぎょっとした。
花音の脚を触るのは厳密にいえば初めてではない。夏の間は動物の仔のように海でじゃれ合ったりもしたし、彼女の脚の怪我を処置したりもした。
でも今は。夜で、自分のベッドの上で。なんだこれはどういうことだ?

なんでこんなに白いんだ、と思う。そしてなんでこの部屋着は冬用のくせにこんなに短いズボンなのか。いくら室内用だからといって冬にふとももを晒すことの意味は!?

思わず持ち上げた花音の脚をまじまじと眺めてしまう。夏は日に焼けて、さんざん蚊に刺されてあちこち真っ赤な跡が残っていたが、今ではその名残もない。ただただつるんとまっしろで…。

「…じゃなくて!」

佐伯ははっと我に返った。何やってんだ俺は。
慌てて彼女の脚を少しだけ横に動かしてシーツに戻し、くしゃくしゃにされていた布団を広げようと手を伸ばした。その時。

──ごろん。ばたん。

「……へ?」

一瞬何が起きたか分からずに、佐伯は瞬きをした。
あれ、なんで俺横になってんの? なんで重いの? なんで目の前が水色?

「…………え。え!?」

見事に押し倒されたかたちの佐伯の上で(文字通り体の上、で)、寝相の悪過ぎる少女が「んー」だか「みゅー」だかよくわからない声を発しながら煩そうに目を開けた。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -