仕方のない人





「やっぱり来ちゃったんだ。仕方ないなあ」

そう言いながらも佐伯は妙に機嫌が良かった。三日前とは全く違う反応に、花音は首を傾げる。

「こーちゃん…?」
「ん?」
「あの…見られるの、嫌だったんじゃないの?」

恐る恐る尋ねてみると、佐伯は「ははっ」と笑った。

「うん、ちょっと。恥ずかしかったから。でもさ、花音が俺を気にしてくれてるって思ったら嬉しくなった」
「…っ」
「もし反対の立場でも、俺だって絶対見に行くよなーって思うしさ」
「……そうかな」
「そうだよ。ところで花音…」

佐伯は少し言葉を切り、花音をまじまじと見つめた。
胸の中に抱えた憂鬱な気持ちを見抜かれそうで、落ち着かなくパンフレットを握りしめる花音とは裏腹に、佐伯はへにゃりと甘い笑顔になった。

「今日、すごく可愛い」
「……かわ……っ!」

自分の学校で、周りに知り合いが大勢いるであろうこんな場所で、恥ずかしげもなく何を言い出すのか! 花音は動揺のあまり口をパクパクさせて、握りしめたパンフレットを今度は無意識にねじり上げた。体育館はひんやりと寒いのに、顔が熱い。

おそらく佐伯が言っているのは自分の服装の事だとは思う。今日は観劇という事で、一応、持っている服の中でもよそいき用のワンピースとカーディガンを着ていたので。…だけど本心では、佐伯と同じ学校の女の子たちより可愛く見られたいという気持ちがなかったと言ったら嘘になる。特に、白雪姫役の女の子には…。
そこまで考えて、花音は泣きたくなった。
好きな人といるのに、なぜこんな汚い気持ちでいなければいけないんだろう。

「あはは、こんなにしちゃって。しょうがないなあ」

力の抜けた花音の手から佐伯がパンフレットを救い出して、爽やかに笑いながら皺を伸ばした。
そして、「はい、どうぞ」と笑顔で花音に差し出してくる。

「…ありがとう」

花音はおずおずと手を伸ばして受け取ろうとした。
佐伯は「どういたしまして」と笑ったまま、花音が伸ばした手をパンフレットごとぎゅっと握りこんだ。
くしゃり。哀れにも再びしわくちゃになるパンフレット。

「え。こ、こーちゃん…?」

驚いて手を引こうとする花音に構わず、佐伯はその手を強く握ったまま、「花音」とふいに真剣な声を出した。花音の肩がぎくりと跳ねる。

「な、なにっ?」
「花音、今日もね、可愛い顔に可愛い目と鼻と口がついてるけど、」
「っ! だぁからなんでそういうことをさらっと言うのかなこーちゃんはっ」
「だって本当の事だから。でもさ」

優しく瞼を触られて、花音は反射的に目を瞑った。佐伯の指のつめたさを心地よく感じるくらいには顔は熱いままで。

「…やっぱり、ちょっと腫れてる」

低く呟かれて、はっとして目を開ける。佐伯が心配そうな顔で覗き込んでいた。

「もしかして泣いたりした?」
「! してないしてない! ちょっと寝不足なだけ!」
「…本当に?」

疑り深く見つめてくる佐伯に、花音は必死で何度も頷いて見せた。
…朝、冷たい水でしっかり冷やしたというのに、こんなところまで目敏いとは。油断がならない。

「…ふうん。じゃあ一応納得しておくけど。…俺のいないところで泣くのはやめてね」
「っ! だからこーちゃんはなんでそんなに恥ずかしいのかなぁ…っ」
「ははっ、照れた顔も可愛いけどね、さすがにここでは抱きしめられないから困るなあ」
「あのねえっ!」

佐伯は相変わらずの平常運転だ。花音は、落ち込んでいた自分がばかばかしくなった気がして溜め息をついた。こうして、ふたりでいるときは不安になる事なんてないのに。

「…焼きもち焼いたりして、ばかみたい…」

溜め息と共に漏らすと、佐伯は驚きもせずに「あ、やっぱり誤解してたんだ」と呟いた。

「やっぱりって…」
「花音、俺の相手役に嫉妬してくれたんだよね?」
「…あのねえこーちゃん。はっきり言われちゃうと凄く恥ずかしいんだけど、でも、そうだよ」
「…そっか。…嬉しいな、ありがとう」

はにかむような笑顔を見せられて、花音は少しだけ引いた。

「え、なんでそこで喜ぶのかな。こーちゃんちょっと変だよ」
「変じゃないよ。俺だって花音が他の男と芝居でもキスするとか、絶対に嫌だ」
「あ…そう…」
「あのさ花音。俺、自分が見られるの恥ずかしいって事ばっかり気にしてて、花音の気持ちまで考えが及ばなかった。昨日樹っちゃんに言われて初めて気付いたんだ。ごめんね」

茶色の頭がぺこりと下げられる。花音は慌てて首を振った。

「っそんなの! 気付かない方が普通だと思うよ。全然、謝ってくれることなんかないよ」
「あるよ。俺はちゃんと花音の彼氏でいたいから、君の気持ちに気付けないのは駄目だと思う」
「……ど、どれだけ理想を高く持ってるの…」

そんなハイスペックな彼氏は大人だってそうそういないだろうと花音は思う。しかし佐伯は大真面目だった。

「いや、まだまだ全然足りないよ」
「…そ、そうなんだ……」
「昨日花音に振られてから俺、樹っちゃんに電話で泣きついてさー」
「ふ、ふってないよ!?」
「…海に行くの、断ったじゃん。俺は振られたと思ったね」
「ふってないってば! ふらないよ!」

思わず、今いる場所の事も忘れて手を握り返して力説すると、佐伯はぷっと噴き出すようにして笑った。

「ありがとう。安心したよ。…それでね、とにかく昨日の夜傷心の俺は樹っちゃんに電話してね、情けない胸の内をグダグダグダグダ吐きだして、心底嫌そうな声の樹っちゃんに『鬱陶しいのね』って罵ってもらってさ、少し落ち着いたんだ」
「…………へ、へえー…」
「それで樹っちゃんに言われて、初めて花音が誤解してるかもって事に気付いて。俺、駄目だよな」
「こーちゃん、さっきも言ってたけど、誤解って」
「うん。あのね、はっきり説明しなかった俺が悪いんだけど、うちのクラスの劇って…」

白雪姫でしょ、知ってるよ。王子様のキスで目覚める話。
ずしりと重くなった心で花音が言おうとしたとき、「サエキィー」と間延びした男子の声が割り込んできて、花音は口を噤んだ。佐伯も台詞半ばのまま振り返る。

「そろそろ準備だってさ」

衣装が入っているらしい段ボール箱を抱えてきた少年が、佐伯にそれを押しつけながら言う。佐伯はえっと眉を寄せた。

「もう? まだ時間あるじゃん」
「俺知らねーよ。とにかく呼んで来いって担任が言うからさあ」
「…わかった」

佐伯はしぶしぶといった調子で段ボール箱を受け取り、立ち上がった。花音に申し訳なさそうな目を向ける。

「花音、悪いけど」
「大丈夫。劇がんばってね!」

にっこりと笑って見せた花音に、佐伯はまだ何か言いたそうな表情をした。しかし、「早くしろって」と少年にせかされて、「…じゃあ、また後で」と花音の頭をくしゃりと撫でて背を向けて──ふと気付いたように振り返った。

「な、なに?」
「ここ、寒いから」

佐伯は自分が来ていたジャケットを脱いで、花音の膝にふわりとかけた。目を丸くする花音に「持ってて」と一言残して、足早に去って行く。

「……」

──今のままで十分過ぎるほど、ハイスペックな彼氏だと思うんですけど。
花音は呆然としたままその背中を見送った。

ステージでは、開会の挨拶が始まろうとしているところだった。


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