10月1日





「サエキィー」

妙に間延びした声で呼ばれて、佐伯は振り返った。
教室の後ろのドアの所で、同級生が手招きをしている。開いたドアの先の廊下に、数人の友達に付き添われて赤い顔をしている女の子の姿が見えて、佐伯の心はずしりと落ち込んだ。

「よ、モテるねー色男」
「朝から何人目だよ」

からかってくる友人たちを「バーカ、そんなんじゃないよ」と軽くあしらって立ち上がる。休み時間の教室は、ざわざわとした喧騒に満ちていた。

「何?」

佐伯が自分を呼んだ同級生のところに行くと、彼はにやにやした。

「お前に話があるんだって」

そう言って指し示されたのは、やはり廊下で待機する女子の一団だった。真ん中の小柄な女の子が、顔を真っ赤にしてやけに真剣な目で佐伯を見つめている。彼女は確か、隣のクラスの子だ。去年委員会で一緒になったことがある。
佐伯はますます重くなる気分を誤魔化すように笑顔を作って彼女に向き合った。

「話って?」
「あ…あの、佐伯くん、今日誕生日だよね」
「うん」
「あの……お、おめでとう!」
「ありがとう」
「……っ」

にこりと笑ってお礼を言うと、彼女は真っ赤な顔で口をぱくぱくさせた。泣きそうだ、と思うと佐伯の気分はさらに深く沈んだ。罪悪感で胸がちりちりと痛む。

「ほらっ、がんばって」「渡したいものがあるんでしょ」彼女を囲んだ女の子たちが励ましのエールを送り、勇気づけるように彼女の肩を叩く。
無責任だなあと佐伯は思う。彼女を想ってのことなのだろうが、だったらもっとひと気のない場所に自分を呼び出してくれたらよかったのに。
休み時間、廊下にも教室にも生徒はたくさんいて、あからさまにじろじろ見られることはないものの、ちらちらと気にされているのは間違いない。次の休み時間までに風の速さで噂になるのは確実だ。佐伯はこっそりと溜め息をついた。

「それであの…これっ!」

佐伯の内心を知ってか知らずか、友人たちの励ましを受けた女の子は、紙袋を佐伯に向かって差し出した。精一杯の勇気を振り絞った様子に佐伯の胸はまたちくりと痛む。
これから、彼女を傷つける事を言わなくてはいけないから。

「何?」
「あの、お菓子作ってきたの。もしよかったら、お誕生日プレゼントに貰ってくれないかな?」
「ありがとう。でも、ごめんね」
「えっ?」

目を丸くした彼女の顔からすうと赤みが引いて、表情が悲しそうに崩れていくのを、佐伯はただ見守った。

「受け取れないんだ」
「……っ」

唇をかみしめて俯いてしまった彼女の代わりに、取り巻きの女子たちから「えーっ!」という声が一斉に上がった。

「なんでよ!?」
「受け取ってあげるくらいいいじゃん!」
「この子すごく頑張って作ったんだよ」

甲高い声で集中攻撃を受けて、佐伯は正直泣きたかった。しかし表には全く出さず、穏やかな表情で彼女一人だけに向けて話す。

「俺、つきあってる女の子がいるんだ」

「ええっ!」と周りの女子たちから驚愕の声が上がった。「何それ」「聞いてない」「誰!?」

「だから、他の女の子からプレゼントは貰えない。…本当にごめん」
「……」

彼女は俯いたまま佐伯の言葉を聞いて、こくりと頷いた。すうと息を吸い込んでから上げられた顔は笑顔で、佐伯は心底ほっとする。

「わかった。ありがと佐伯くん。気にしないで」
「…ごめんね」
「もう謝らないでよっ。お誕生日おめでとう!」
「ありがとう」

今度は作り笑顔ではなく、本心から笑えた。彼女も笑顔で頷く。

「それにしても、佐伯くんにカノジョができたなんて知らなかった。凄いニュース。大騒ぎになっちゃうね」
「そんな、大袈裟だよ」
「大袈裟じゃないよ。ね、どんな子? 同じ学校?」
「いや…」
「学校違うんだ。見たかったなあ。可愛い子?」
「……うん。すごく、可愛いよ」

そう答えた佐伯の表情に、彼女も、それまで外野でぎゃあぎゃあ喚いていた取り巻き女子たちも、廊下を歩いていた無関係の女子生徒たちまでもが、一斉に目を瞠って顔を赤くした。

「さ、佐伯くん……その顔反則だよ」
「え? 何が?」

とろけるように甘い笑顔から、きょとんと幼い表情に戻って佐伯が訊き返す。彼女はハアと溜め息をついて、先ほど佐伯に差し出して断られた紙袋をぶらぶらさせた。

「これ、友達からのプレゼントとしてでも受け取れない?」
「…うん。ごめん」
「いいよ。自分で食べる。佐伯くん損したね、すっごく美味しくできてたのに」
「ははっ。そうだね」

明るく笑う彼女に救われて、佐伯も笑った。彼女は「じゃあね」と踵を返すと、ぱたぱたと走って行く。取り巻きの女子たちが慌ててそれを追って行った。

「……」

佐伯はひとり溜め息をついて教室に戻る。
「おつかれー」と出迎える友人たちに、笑顔を作る余裕もなく「バカ」と小さく答えて自分の席にへたり込んだ。はっきり言って、本当にかなり疲れるし、へこむ。

「でもすげえよな。マジで朝から何人目の呼び出し? 6人目だっけ?」
「…………7人目」

佐伯がぼそぼそと答えると、友人たちは一斉に苦笑した。

「で、いちいちああやって断ってんの? 佐伯も律儀だねー」
「去年までは受け取ってたじゃん、プレゼントの山だったよな」
「当然今年も受け取ってもらえると思うよな、女子は」
「もはやイベントだよな。毎年恒例の」
「靴箱とか机に入ってたやつあったじゃん。あれはどうしたんだよ」
「あ、それ送り主探して返してたぜ、一時間目が始まる前に」
「マジで!? 全部!?」
「マジマジ。俺、手伝わされたもん。返すのは全部佐伯本人がやったけど」
「すげー! 佐伯すげー!」

…他人事だと思って面白がりやがって。
佐伯はうんざりとした顔で友人たちを見返した。

「てかさ、誕プレくらい別に受け取ってもよくね? カノジョ嫉妬深いん?」
「…そんなことは、ないけど」

嫉妬深くはない、気がする。
むしろ、佐伯が両手いっぱいのプレゼントを持ち帰っても、「すごいねえ、こーちゃん人気者なんだね。よかったね!」とか満面の笑顔で言ってくれそうだ。

「…………」

ばっちり花音の笑顔が音声付で脳内再生されて、佐伯はがくりと項垂れた。空しい。

「じゃあいいじゃん、受け取っても。断るたびにそんなに落ち込むくらいだったらさ」
「……」

軽い口調で何気なく言った友人に、佐伯はぱちぱちと瞬きをした。

「…俺、落ち込んでた?」
「おー落ち込んでた落ち込んでた。2人目だっけか、相手が泣いちゃったときなんかさ、自分が泣きそうな顔してたぜ、お前」
「…そっか」
「何笑ってんだよ」
「いや、俺も修行が足りないなと思ってさ」
「はあ?」
「確かに、断るのって結構きついんだ。俺、今まで貰えるものは貰ってたし」
「さらりとムカつくこと言うよなお前」
「ははっ、そうかな。…でもさ、今は一番大事な子がいるから。その子に対して少しでも不誠実なことは、本人が気にしなかったとしても俺が嫌なんだ」
「うえー。小6のセリフかよ!」
「え、年とか関係なくないか?」
「関係あるだろ! このたらし!」

やれやれと肩を竦める友人たちに囲まれて、佐伯は「たらしは酷いなあ」と笑った。

花音を、大切にしたいと思う。誠実な自分でありたいと思う。
花音の為でなく自分の為に。
それにはこんなことくらいでいちいち落ち込んでいる訳にはいかない。

よし、と佐伯が気を取り直したところに。

「サーエーキー。またお客さんだぞ〜」
「…………」

新たな声が飛び込んできて、佐伯はまたがくりと項垂れた。
友人たちが一斉に噴き出して、励ますようにその頭を叩いた。





「……それで、結局全部断って来たのね?」

帰り道、佐伯から話を聞いた樹が呆れたように鼻息を吐き出した。
佐伯は重々しく頷くと、ランドセルを背負い直す。今日はとても疲れた。

「今日、クラスで女の子たちが騒いでいたのはそのことだったんですね」
「…そんな、騒ぐようなことじゃないのに」
「サエはもう少し自分の立場を理解した方がいいのね」
「立場って…」
「女の子は思いつめると怖いのね。花音が迷惑を被ることのないようにしっかり気をつけるのね」
「…怖い事言わないでよ、樹っちゃあん」

佐伯はへにゃりと眉を下げて情けない顔をした。こいつに恋する女の子たちに、この顔を見せてやりたいと樹は思う。

「でもまあ、今日はよく頑張ったのね。お疲れ様でした、サエ」
「樹っちゃああああああぁん!」

佐伯は樹にぎゅうっと抱きついた。樹が慣れた様子でその頭を撫でる。

「はいはい。それと、お誕生日おめでとう、なのね」
「ありがとう樹っちゃん。俺、なんで誕生日にこんなに疲れてるのかな…」
「誕生日だからでしょう」
「……樹っちゃん、ちょっとは慰めて」

まるきり駄目な男になっている友人を前に、樹はやれやれと鼻息を吐いた。それからふと道の先に目をやって、その黒目がちな瞳を丸くする。

「…サエ」
「何?」
「お前を慰めるのは俺の役目じゃないのね。バトンタッチします」
「え?」

ほら、と視線で促されて佐伯も振り返り、道の先にぽつんと佇む少女の姿を認めてその目を大きく見開いた。

「花音? なんで…」
「お前を待ってたに決まってるでしょう。さっさと行くのね!」

どん、とランドセルを押されて佐伯は少しよろめいた。たたらを踏みながら振り返り「樹っちゃん、ありがとう」と笑う。ほんの今さっきまでの情けなさをを全く感じさせない笑顔に、樹は苦笑しながら「また明日なのね」とひらひら手を振った。


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