さよなら夏休み





「さて! じゃあここは一旦お開きにして、ごはんだよー」

花音の宣言に、しんみりしていた皆は表情をやわらかくほどいて、わっと盛り上がる。

「やったー! 僕もうお腹ペコペコ!」
「ごはんを一合半食べる。……ブッ」
「ダビデッ!」

ばたばたと走って行く葵、天根、黒羽の背中に、花音が「ちゃんと手を洗うんだよー」と声をかける。律儀にも「はーい!」「うぃ」「おう!」と声が返って来て、花音は思わず笑った。

「みんなほんとに仲いいね。いいなあ」
「何言ってるの。花音だってもうその一員じゃん。今更他人事にしようとしても無駄だよ」

出しっぱなしのドリルやプリントを片づけながら佐伯が笑う。

「そうかな?」
「そうだよ」
「だったらうれしい。…それはそうと、こーちゃん、今日はお疲れさまでした」

隣に座ったまま真っ直ぐ労わるように佐伯を見て花音が言うと、佐伯はぱちぱちと瞬きをして、真面目な顔で花音を見返した。

「…うわ。なんか今感動した」

ぷっと噴き出す花音を、佐伯が腕の中に閉じ込める。花音はくすくすと笑いながら、腕を回して佐伯の背中をぽんぽんと叩いた。

「疲れたの? こーちゃん」
「…うん。実は結構疲れた。人に教えるって難しいよね」

花音の肩に顔を伏せたまま、と佐伯がボソボソとこぼす。葵たちの前では決して漏らさない本音の台詞を、花音は笑って受け止めた。

「そうだよねえ。でも、すごいよね。学校の違う後輩の宿題を見てあげるなんて。そういうところ大好き」
「……あんまり可愛いこと言うとキスするよ」
「あははっ」
「…本気なんだけど」

拗ねた口調で言って花音の肩から顔を上げた佐伯が、笑い続ける彼女のちいさな顎を捉えるより早く、花音が佐伯の日に焼けた頬にくちびるを押し当てて、一瞬で離れた。

「…………」

佐伯は茫然として頬を押さえる。

「頑張ったこーちゃんにご褒美です。なんちゃって」

微かに赤くなった顔を誤魔化すようにぺろりと舌を出す花音に、佐伯の頭の中で何かがぷつんと切れた。おそらくは理性とか自重とかそういう名前の糸が。

夏祭りの夜に思いを伝え合ってから、まだ2週間も経っていない。その間にふたりの仲がどう変わったかというと、特に何も変わってはいなかった。他のメンバーも一緒にいつものように遊び、テニスをする。夕方にはほとんど毎日、ふたりで海に行く。ただ海を見て歩いたり話したりするだけの時間はとても大切だけれど、いたって健全なことには変わりはない。当然と言えば当然だ。なにしろ自分たちはまだ小学生なのだから。

「……こーちゃん?」

黙り込んだままの佐伯の顔を、花音が首を傾げて覗き込んだ。
その肩を捕まえて、ぎょっとして身を引こうとする彼女を抱きすくめて至近距離で「もっと」と囁くと、花音は真っ赤になって抵抗をやめて、ぎゅっと目を瞑った。
…それはつまり、肯定の合図で。
佐伯も一気に顔が熱くなるのを感じながら、目を閉じて、ゆっくりとくちびるを合わせた。

やわらかく触れた部分で、あたたかな熱を分け合って。
自分の中で目覚め始めている青い欲情よりも、愛しい気持ちや、大切に思う気持ちや、ただ一緒にいたいという純粋な想いだけ伝わればいいと思う。まだ子どものままでいい。

静かにくちびるを離して目を開くと、花音は真っ赤な顔で崩れそうにほにゃりと笑った。多分、自分も同じような表情を晒していると佐伯は思った。

「…2回目、だね」

えへへ、と照れくさそうに花音が笑って、佐伯も思わず噴き出した。

「そうだね。2回目だね」

そのまま顔を見合わせて笑い合う。


「サエさーん! 花音ちゃーん! 早く食べようよーっ!」

居間の方から葵の良く通る声が届いて、次いで黒羽の「バカ剣太郎、もう少しほっとけ!」という声が聞こえてきた。今度こそ、佐伯と花音は声を出して笑ってしまう。

「…バネちゃんひどいなあ、ほっとけだって」
「いや、あれは俺に対する優しさだから」

「変なの」とますます笑い転げる花音を支えながら佐伯は立ち上がる。途端に空腹感を感じた。

「今日のごはんは何かな」

樹と花音の料理はいつもとても美味しい。わくわくして訊いた佐伯に、花音はぱっと笑顔を見せた。

「そうそう! 今度は本当のご褒美ね! 樹っちゃんがこーちゃんのごはん大盛りにしてくれるって言ってたよ。ごはんっていうか、パスタなんだけど、今日は」
「そうなんだ。ご褒美はもう充分もらったけど。パスタ好きだから嬉しいな」
「あとね、さとちゃんがカツオのたたき持って来てくれたの。だから今日はご馳走」

佐伯の発言のご褒美云々の部分を華麗にスルーして、花音はにこにこと佐伯の手を引く。

「パスタにカツオのたたき? 凄い組み合わせだな」
「でしょ? なんか、オジイちゃん家らしいよね」
「ははっ。そうだね」



笑い合いながら向かった居間では、既に夕食の準備が整っていた。

「サエさん遅いよー! 僕もうお腹ぺこぺこ!」

文句を言う葵に、佐伯は軽く拳骨を食らわせる。

「お前が散らかしっぱなしだったプリントやら筆箱の中身やらを片づけてやってたの!」
「いたっ! …ご、ごめんねサエさん」
「剣太郎、気にしなくていいぞー。絶対それだけじゃねえから」
「バネは何を言っているのかな?」
「サエ、とっとと座って。いつまでも食事が始められないのね」
「…ご、ごめん樹っちゃん」

オジイを囲んで全員が席について、「いただきます」と行儀よく声を揃える。

オジイの畑で採れたばかりのトマトとナスを使ったパスタ。チキンとジャガ芋と玉葱のハーブ焼き。夏野菜たっぷりのスープ。やはり採れたての野菜を使ったサラダ。そしてカツオのたたきと、焼きナス、ナスときゅうりの浅漬け、採れたて茹でたての山盛りの枝豆。

「おいしーっ!」
「うめーっ!」

食べ盛りの少年たちから感嘆の声が上がる。確かに組み合わせは少々妙だけれど、ここではそれはよくあることだった。それぞれが家からの差し入れを持ち込むことが多いからだ。

「ねえねえみんなっ、明日は何して遊ぶ!?」

宿題から解放された葵が嬉々として皆を見渡し、苦笑させた。残された2日間の夏休みをどう過ごすか、確かにそれは重大な問題ではある。
「やっぱりテニスかな」「だよね!」「でも釣りも捨てがたい…」わいわいと語り合う彼らを、花音はパスタをフォークに絡ませながらにこにこと見守った。彼らと一緒なら、花音はどこで何をしても楽しい。
ふと、テーブルの反対で同じように、穏やかに微笑んで皆の話に耳を傾ける佐伯と目が合った。佐伯は口の中のものをごくんと飲みこんで、花音ににこりと綺麗に笑いかける。

「美味しいよ、すごく」
「…あ、ありがとう…」

なんだか無性に、さっきキスをした後よりも恥ずかしくなって、花音はパスタを口に詰め込み、「リスみたいだな」と黒羽に笑われた。





その日、夜の海で、3回目のキスをした。



夏の終わり。


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