おもいできらきら





玄関の方から、カラリと引き戸を開ける音がした。花音がぱっと顔を輝かせて飛んで行く。

「おかえりなさいオジイちゃん!」
「…ただいまぁ〜…」

六角中テニス部の練習を見守って帰宅したオジイは、玄関に大量に脱ぎ捨てられた汚い靴たちを見てにこにこと目を細めた。

「おかえりなさいオジイ、お邪魔してるのね」

花音に続いて台所からぴょこりと顔を出した樹にも、オジイはほっほと笑って頷いた。

「いい匂いがするねぇ〜…」

花音と樹は顔を見合わせて笑う。

「オジイも帰って来たことだし、そろそろご飯にしますか、花音」
「そうだね。私、宿題組の様子見てくるね!」
「はいはい」

駆け足で奥の座敷に向かう花音。
背後から「じゃあ俺居間の方用意するから」「よろしくなのね。大きいほうのテーブル広げといて下さい」「オッケー」という首藤と樹のやり取りが聞こえてきて、思わずくすりと笑う。
普段から家業や家事を手伝っている彼らは、オジイの家でもごく自然に家事を取り仕切る。普段家の手伝いをする方でない他の面々も、彼らに倣って手を動かすうち自然と生活能力を身につけていく。花音にはそれがとても素敵なことに思えた。



「剣ちゃんダビちゃん、進んでる?」

開け放した襖から顔を覗かせて様子を窺うと、半死半生の表情でちゃぶ台に縋りついていた葵がぱっと顔を上げた。

「花音ちゃん〜!」
「…剣ちゃん大丈夫?」
「僕頑張ったよー! 今やっと終わった! 褒めて褒めて!」
「ほんと? よかったね、よくがんばりましたっ」

笑顔の花音に坊主頭を撫でられて、葵はくすぐったそうに身をよじる。
それを見た佐伯もふうと息をつきながら肩の力を抜いて、お兄さんの顔で笑った。

「うん。一時はどうなるかと思ったけど、よく頑張ったね、剣太郎」
「ありがとう! サエさんのお陰だよ!」

葵は佐伯の手を取って勢いよくぶんぶんと上下に振る。佐伯が苦笑しながら「来年こそは一人でできるようになれよ」と言うが、達成感と解放感で興奮状態の葵には届いたかどうか怪しい。

「ダビちゃんは?」

花音が目を向けると、天根は大きな体を縮めて、そっと目を逸らした。

「…終わってないの?」
「…………あと、これだけ」

天根が指し示すプリントの束を見て、花音は「なあんだ」と呟いた。

「あとたったこれだけ? こんなのすぐ終わっちゃうよ。もっとすごくたくさん残ってるのかと思った。偉いじゃないダビちゃん」

花音の言葉に、天根はぱっと顔を輝かせた。

「…! 花音、俺、偉い?」
「偉いよー。あんなにたくさん残ってたのに、もうあとこれだけだもんね。よく頑張ったねえダビちゃん」
「…! あ、ありがとう…!」
「偉いわけねーだろ。あとこれだけったってかなりあるぞ。ほんとに終わんのか、ダビデ」

感動にうちふるえる天根に、黒羽の容赦ない突っ込みが飛ぶ。「うっ」とたじろぐ天根。

「大丈夫だよー。今日一日でこんなに出来たんだもん。ダビちゃんが本気を出せばこのくらい、すぐ終わっちゃうよ。今夜中には終わっちゃうかもね。そしたら明日と明後日はフリーだよ。夏休みの最後、いっぱい一緒に遊ぼうね!」

花音の「今夜中に」の言葉に天根はぎょっとして、黒羽は「いやそれは無茶だろ」と突っ込んだが…にっこりと笑顔で断言されて、二人ともぐっと黙った。佐伯がぷっと噴き出す。

「ははっ。ダビデ、信用されてるなあ。男なら期待に応えないとな!」
「きたい…」

天根は茫然とその単語を繰り返し、それからきりりと表情を引き締めた。

「俺、やる。がんばる。今夜中に終わらせて明日と明後日はみんなと遊ぶ」
「うん! 頑張ってダビちゃん!」
「うぃ!」

がっしりと握手を交わす花音と天根。
佐伯はくすくすと笑い、葵はぽかんとして「花音ちゃんってすごい…」と呟き、黒羽は、「なるほど…これが褒めて伸ばすテクか…」としみじみ頷いた。

「…ん?」

笑っていた佐伯が目の端に何かを発見して、表情を厳しく引き締めた。

「剣太郎。これ、まだ終わってないんじゃないか?」
「えっ!?」

葵がぎょっとして佐伯を振り返り、その手に掲げられた、ホチキスで綴じられた数枚の藁半紙を見て「…ああ、なんだぁ」と肩の力を抜いた。

「大丈夫だよーサエさん。それ、夏休みの計画表だもん。僕それだけはちゃんと書いてたの!」
「夏休みの計画表…ああ、そうか」

佐伯も表紙を確認して、ほっと力を抜く。それからふいに悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「剣太郎、中、見てもいい?」
「ええっ!?」

葵は一瞬「げっ」という顔をしたが、すぐに「まあサエさんたちならいっか」と頷いた。

「笑わないでよね」
「当たり前だろ。笑ったりしないよ」

胸を張る佐伯は既に素晴らしくいい笑顔だ。どれどれ、と花音がその隣ににじり寄る。

「剣ちゃん、私も見ていい?」
「いいけど笑わないでね」
「…笑うようなものなの?」

首を傾げる花音の隣に、黒羽と天根も体をくっつけるようにして寄ってきた。
佐伯がぱらりと藁半紙をめくる。

『夏休みの目標 4年1組 葵剣太郎
  ・早ね早おき!
  ・ラジオたいそうでかいきんしょうをとる!
  ・そとであそぶ!
  ・テニスでつよくなる!
  ・きょ年よりも長くおよげるようになる!』

汚いけれど力強い字で書かれていて、赤のペンで花丸がつけられていた。その横にやはり赤のペンで、担任のものであろう流麗な字で『勉強もがんばりましょうね』と記されていて、4人は一斉に噴き出した。

「ちょ! 笑わないでねって言ったじゃん!」

口を尖らせる葵を「ごめんごめん、剣太郎らしいなと思ってさ」と爽やかに笑いながらいなして、佐伯が藁半紙をさらにめくった。
今度のページは『夏休みの計画表』と題されたカレンダーになっていた。一日ごとに予定を書き込む欄、天気、その日あった事を書き込む欄がついている。いわば日記の簡易版だ。

「へえ。ちゃんと毎日書いてるじゃん」

佐伯が感心した声を出す。
予定の欄はほとんどが空白のままだが、天気も、その日の出来事も、毎日きっちりと書き込まれていた。

「おーほんとだ。偉いなあ剣太郎」
「ほんと、すごいね!」

黒羽と花音にも続けて褒められて、葵は照れくさそうにえへへと笑った。
天根は「天気…俺の、空白だ…」と呟き、苦笑した佐伯に「後で電話で教えてやるから、今夜中に写せよ」と助け船を出してもらってうんうんと頷く。

「どれどれ……あっ、私の名前がある」

計画表を覗き込んで花音が嬉しそうな声を出した。
顔が近づいて、花音の髪の毛がふわりと佐伯の頬に触れた。佐伯は少しだけ顔を赤くして瞬きをする。誰にも気付かれてないよな、と思った瞬間黒羽と目が合って、にやりと意味深に笑われた。

「『7月23日。花音ちゃんと友達になった!』だって! わあーうれしい!」

佐伯と黒羽の表情には気付かないまま、花音が無邪気に声を弾ませた。

「『7月28日。みんなでテニス!サエさんに2敗。くやしー!』だって」

天根が続けて読みあげ、佐伯が「え?」と葵を振り返る。葵は恥ずかしそうに口を開いた。

「だって、このときすごい悔しかったんだよ! あとちょっとだったのに!」
「ははっ。まだまだ剣太郎に抜かれるわけにはいかないな」

葵の頭をぐりぐりと撫でる佐伯は、年下の友達が可愛くて仕方がないという顔だ。
そのまま、皆でなんとなく葵の『今日の出来事』を追って行った。

テニス。オジイの畑で収穫。ナス、きゅうり、ピーマン、オクラ、ズッキーニ。田んぼの草むしり。海。素潜り、遠泳、ビーチバレー、砂の城つくり。雨の日、オジイの家でオセロ大会。魚釣り。釣れた魚でみんなで料理。アスレチックで競争。みんなで自転車で隣町へ。虫取り。カブトムシとクワガタと。雑木林の奥で秘密基地作り。夏祭り。お盆の迎え火と送り火。みんなでやった花火。

毎日毎日、葵の力強い字で踊るように書き込まれていく出来事たち。藁半紙の紙面から、「楽しい!」という思いが溢れてくるようだった。

カレンダーは今日を含めてあと3日分しか残っていない。最終日、8月31日の部分には珍しく予定欄に書き込みがある。『いっちゃんのたんじょうび!』

「…………」

楽しかった出来事をひとつひとつ辿りながら、なんとなく無言になってしまって、全員で顔を見合わせて苦く笑い合った。

「…終わっちゃうね」

葵がぽつんと呟く。
肩を落とす葵と天根の頭を乱暴に撫でながら、黒羽が笑った。

「学校始まったって、毎日放課後に遊ぶのは一緒だろ!」
「そうだけどさー…。来年の夏休みは、バネさんもサエさんももう中学生じゃん。六角テニス部に入ったら練習練習で、僕たちと遊んでくれる時間なんてないんだよね。そう思うとさ…」
「こーら、剣太郎」

佐伯が笑って、しょんぼりと俯く剣太郎の顔を覗き込む。

「そんなこと言って、どうせお前、勝手に中学の部活に入り込んでくる気だろー」
「ええっ!? 入り込んでいいの!?」
「さあね。でも顧問はオジイだし、部長はあの自由な人だし、コートの外くらいにはいてもいいんじゃないの」
「今だって俺ら、時々入り込んで構ってもらってるしなー」
「えっ、バネさんたちそんなことしてたの!? ずるい!」
「ははっ。だから、焦らなくてもいいんだよ。ちゃんと待ってるから、追いかけておいで。剣太郎、ダビデ」
「そうそう。どうせ俺たち、ジジイになっても老人会で一緒にテニスする羽目になるんだぜ。腐れ縁だからな!」

先輩の顔で優しく笑う佐伯と黒羽に、葵と天根が神妙な顔でこくりと頷いた。

花音はにこにことそれを見守っていた。
幼馴染みっていいなあ、と彼らの絆を心から羨ましく思う。自分も皆と一緒にここでおばあちゃんになって、老人会でマネージャーをやりたいな。思ってしまってから、少し胸が痛くなった。


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