男の子の気持ち





花音が見知らぬ男に肩を抱かれているのを見たとき、湧き上がった凶暴な衝動に自分で驚いた。
紛れもない純粋な怒りは、嫉妬、と呼ばれるものだ。間違いなく。
そうか俺嫉妬してるのか、と佐伯は心のどこかで感動すらした。
ひとを好きになる気持ちは、こんなふうに自分の感情を乱すのか。少し怖い気もした。気をつけないと飲みこまれそうだ。

とにかく、ナンパ男に言い寄られているらしい花音の元へ足を急がせると、佐伯の予想外にしっかりと受け答えをする花音の声が聞こえてきた。「ごめんなさい、一緒に来ている人がいるので」
てっきり困り切っているだろうと思ったのに、失礼にならない程度に強い冷静な口調できちんと断っていたので驚いた。
…見た目通りの世間知らずの女の子なのに、芯は思いがけないほど真っ直ぐで。夏の初めに彼女に会ってから、佐伯は驚かされることばかりだと思う。

しつこく言い寄る男に、花音は少しむっとした顔で「友達じゃないです」と言い放っている。
おとなしそうに見えて短気で喧嘩っ早いところもあるんだよなあ、と佐伯は苦笑した。トラブルにならないうちに救い出そうと、後ろから花音の肩をナンパ男から奪い返しながら、敢えて軽い口調をつくって「彼氏です」と口出しをしてみた。
が。その台詞は、花音の台詞とばっちりしっかり重なって。花音の肩に掌を置いたまま、佐伯は目を丸くして固まった。
今、花音の声で「彼氏」とか聞こえた気がするけど幻聴? これまた幻聴?
──けれど今回、佐伯の脳内に天使の双子は現れず。
へらへらと笑いながらナンパ男が去って行った後で、佐伯はようやく我に返った。

「……」

花音に、今の言葉の意味を確かめたくて、それから、何か変なことされなかったかとかそういうことも問い詰めたくて、隣に立つ彼女の顔を見下ろして名前を呼ぼうとして…花音が石像のように固まっていることを知り、佐伯はやれやれと溜め息をついた。その途端に花音がびくりと全身を震わせるので、おかしくて噴き出すと同時に、少しだけ傷ついたのは内緒だ。

「そんなに怯えないでよ」

冗談ぽく笑ったけれど、本音だった。

彼女が好きだ。
彼女も自分に好意を向けてくれていると、今は思っている。
舞い上がっているけれど、思い上がってはいないと思う。気付くのに時間がかかってしまったけれど、気付いてみれば花音の態度はあまりにも素直すぎた。今まで気付かなかったのか不思議なくらいだけれど、あまりに自然過ぎて彼女も自分も、その気持ちに名前をつけることを考えつかなかったのだろうと今は思う。
初めて自覚する気持ちは、まだ未熟な子どもの心には持て余し気味で。花音が怖がる気持ちも分かる。自分の感情をコントロールできない状態は、佐伯だって正直怖い。
それに立場的に見て、女の子の方が、男を怖がるのも仕方ないと思う。好きだという気持ちと同時に、相手のことをどうにかしたいと思う気持ちは、どうしたって伝わってしまうものなのだろう。

それでも怖がらないでほしかった。
大切にしたいから。

「こーちゃん怖くないもん。今、私、安心してるんだよ」

花音がびくつきながらも真っ直ぐに目を見て言った台詞に、佐伯は優しい笑みを作るのを忘れた。

「…なんで?」
「な、なんでって…」

戸惑わせているのは分かったけれど、質問を重ねてしまう。「俺にならいいの?」「俺に触られるのは平気?」花音の顔が可哀想なほど真っ赤になっていくのを見て、悪いなあ、意地悪なことしてるなあと思いつつも、どうしても明確な答えを花音の口から聞かせてほしかった。

「…安心してくれたの?」

言ってしまって、途端に佐伯は後悔した。
見開いて自分を映す花音の瞳に、みるみるうちに涙が盛り上がって零れ落ちたからだ。…泣かせてしまった。

「花音、ごめ…」
「私は!」

慌てた佐伯の謝罪の言葉は途中で遮られた。
花音はぽろぽろと涙を零しながら、真っ赤な顔で佐伯を睨みつけ、はっきりした口調で続ける。

「私は! 安心したよ、こーちゃんに触られて。どきどきするし、顔が赤くなるし、恥ずかしいし、全然平気じゃないけどっ! 変な態度とっちゃって悪いなあと思うけどっ! でも、安心するよ。こーちゃんの手が好きで、手を繋ぐのも、だきしめてもらうのも好きだよ! 嬉しいし、安心するからっ。…さっきは、知らない人にいきなり触られて、すごい、すごい気持ち悪かった、やだった!それでわかったの、こーちゃんは特別なんだって。こーちゃんになら触られたいの、こーちゃんだけなの、だって私はこーちゃんがっ」

ずぼっ。

…佐伯は、思わず、自分に向かって泣きながら一生懸命に言葉を綴る花音の大きく開いた口に、持っていたあんず飴を突っ込んでしまった。

「……っ!?」
「ごめん花音俺が悪かったほんとごめん! 俺が意地悪でした! だからごめんちょっと黙って!」

目を白黒させてじたばたと暴れる花音を抱きこんで、心の底から真剣に謝る。
…忘れていた。花音は、良くも悪くもストレート過ぎて、駆け引きなどできない子だと言う事を。

色気のかけらもないやり方で花音の頭を抱きながら、佐伯は、さっきの花音よりも今の自分の方がよっぽど茹でダコになっていると思った。

「ごめんね…」
「……」

花音は佐伯の腕の中で数秒黙り込み、静かにこくりと頷いた。
それから、腕を突っ張って佐伯から離れ、口に突っ込まれたあんず飴をすぽんと取り出す。

「はあ苦しかった! こーちゃん急に何するの!」

お化粧が崩れちゃう、自分じゃ直せないのに!とぶちぶち文句を言いながらハンカチを取り出して目元と口元を拭う花音。佐伯は苦笑しつつもう一度「ごめん」と謝った。

「…別に。やっぱり安心するってわかっただけだから、いいけど。…あんず飴、美味しいね」
「…うん、そっか」

佐伯は軽く花音の肩を叩いて促して、人の流れにならうように歩き出した。
花音は、次々と移り変わる出店の列に圧倒された様子で、黙々とあんず飴を口に運ぶ。

「りんご飴なら食べた事あるんだけど、あんず飴って初めて。りんご飴より食べやすくていいね」
「ははっ、そうだね。りんご飴を全部食べるのは難しいよね」
「ママがハロウィンに作るの、キャンディーアップル。一応串を刺すんだけど、食べにくいから、食べるときはお皿に載せてフォークで割って食べるの。なんか情緒がないよねぇ」
「あはは。この祭りでもりんご飴のお店、毎年出るけど。手がべとべとになっちゃうんだよな。ダビデは毎年完食してるけど。俺やバネが食べきれなかった分まで」
「あはは! ダビちゃんらしいね!」

まだ少し赤い目を細めて花音が笑い、「こーちゃんも食べる?」と半分ほどになったあんず飴を佐伯の顔の前に差し出してきた。
佐伯は一瞬考えて、笑いながら首を振る。

「俺はいいよ」
「そう?」
「うん。代わりにこっちをもらうから」
「へ?」

ぱちくり。何も疑わない目で自分を見て瞬きをする花音の、くちびるの端。
歩みは止めないままで少しだけ体を捻って腰を屈めて、佐伯はぺろりとそこを舐めた。

「……」

途端に固まって立ち止まってしまいそうになった花音を、「ほら、急に止まったら危ないよ」と笑いながら手を引いて歩かせる。人の波に押されて、花音は慌ててついてきた。

「…こーちゃん」

真っ赤な顔でじっとりと睨みつけられて、佐伯は「ごめんね」とまた笑った。今日何度目のごめんなのだろう、と自分でも少し呆れる。

「飴ついてたから。甘かった」
「…あのね、こーちゃん」

何か言いたげな花音に、今度は心の中だけでごめんと謝る。

本当は、今すぐにでも伝えたい言葉があった。
花音に先に言われたくなくて、むりやり飴を突っ込んで台詞を遮ったりした。
佐伯の本心にまだ確信が持てないらしい彼女を、本当に天然だなあと愛しく思うし、佐伯の言動にいちいち振り回される様を見て可哀想だなとも思う。

けれど。
はやく自分の気持ちを伝えて彼女を安心させてあげたいと思うのと同時に、彼女が困る様子をもう少しだけ見ていたい、なんて。
自分の為にもっと泣かせたくなる、なんて。

「言ったら絶対引くよなあ…」
「? こーちゃん何か言った?」
「ううん、なんでもないよ」


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