ダイヤモンドインザラフ





──仕事でミスをした。

それはもう、本当に最悪の、やってはいけないポカで。
上司にもお客様にも散々迷惑をかけて、当然もの凄く叱られて。

アパートに帰って布団に丸まってめそめそ泣いていたら、ぴんぽん、とチャイムが鳴った。

「やぁ」

爽やかな笑顔で立っていたのは虎次郎さん。私の恋人。
彼は「やっぱり泣いてた」と笑うと、手に持っていた缶ビールの6本パックを持ち上げた。

「飲まない?」



私は、お酒に弱い方じゃない。
でも今日のビールはやたら回りが早い。泣きながら飲んでいるせいだろうか。

「かかりちょうのー、ばかやろおーっ!」

「あはははは! 係長の馬鹿野郎―!」

泣きながら叫んだ私に、虎次郎さんが笑いながら同調してくれるから。
私は調子に乗って続けた。

「あんなキツい言い方しなくてもいいじゃんかあーっ! ちくしょー! ドS!」

「あははは。言っちゃえ言っちゃえ」

「あんな…怒られちゃって。どうしようもう幻滅された…失望させちゃった…」

「いや、それはないと思うな」

「係長なんて係長なんて…ちょっとかっこよくて何でもできて超有能で優しくてさ! あんな人には頑張っても出来ない人間のことなんてわかんないんだよ!」

「…うーん。あははは」

「…っ」

「ほらほらもう泣かない。一緒に叫ぼう。係長の馬鹿野郎―!」

「ばかやろおーっ!」

「いいぞ、もっと言ってやれ」

「係長のばかやろーっ! ドSーっ! 八方美人―っ! 女子社員とか取引先の女性にまで無駄にもてやがってー、係長なんか係長なんかっ、イン○○○○って言いふらしてやるーっ!」

「ちょっ…女の子がそんな台詞言っちゃ駄目だよ!」

「…っ、うぅ…っ」

「はい、よしよし。よく頑張ったね」

虎次郎さんが優しく頭を撫でてくれる。でも、そんな資格ないって私が一番良くわかってる…。

「頑張ってなんかないよ…全然、頑張れてないよ、私。係長は全然悪くないんだよ。怒られて当然なの。会社にもお客様にも凄い迷惑かけちゃって…。係長は、私の尻拭いでいっぱいあちこちに頭下げて…見放されてもおかしくないのに、きちんと筋道立てて叱ってくれたんだよ…」

「うん。大丈夫。桜はちゃんと頑張れてるよ」

「駄目だよ…。こんなひどいミスしちゃって、明日からどんな顔して会社行ったらいいのかわかんない」

「あはは、桜は大袈裟だなぁ。 …俺もね、今日会社でちょっとしたことがあってさ。叫ばせてもらっていいかな」

「えっ」

「俺の馬鹿野郎―っ! ちょっとミスした新人を、あんなに反省してるのにネチネチネチネチ嫌味言わなくてもいいだろ!」

「えっ、ちょ、虎次郎さ…」

「彼女のミスに事前に気付けなかった俺、無能すぎる! 彼女は新人なんだから俺の責任だ。あんなに頑張ってる彼女につらい思いをさせて、自信をなくさせた。上司失格」

「……」

「好きな子なのに、あんなキツい言い方で叱るしかなくて。事後処理で慌ててるみっともない姿とか見せちゃって。係長ならもっとうまく立ち回れよ俺!」

「……」

「おかげで彼女は大袈裟に落ち込んでる。俺のせいだ」



「──大袈裟じゃないよっ! 大変なことだって、言ってたじゃないですか、『佐伯係長』っ!」

「──それをちゃんと受け止めてくれてるなら大丈夫なんだよ、『小森さん』」


思わず会社での呼び名で呼んでしまった私に、恋人でもあり上司でもあるひとは優しく笑った。



「…いつも頑張ってるの知ってるよ。誰にも言われなくても、自分から仕事を見つけて常に動いてるよね。皆が使いやすいようにファイリング工夫したり、消耗品の補充してくれてること、皆、口には出さないけどちゃんと見てるんだよ」

「っ、だってっ、それくらいしかまだ役に立てないから…っ」

「ううん、立派な仕事だよ。営業はそっちまで手が回らないから凄く助かってる。城田さんも褒めてたよ。仕事がスムーズになったって」

城田さんは私の教育係で、ちょっと…かなり厳しいアシスタントの女性だ。

「うそ、城田さんいつも私を見てイライラしてるもん、褒めてくれたことなんて」

「あの人は新人には厳しいの。でも桜のことは珍しく評価してるよ。ドジだけど明るくて、社内の雰囲気が良くなったって」

「…ドジだけどはよけい…」

「あははっ。それとね、電話、出るの怖いだろうに、1コールも待たせずに取るよね。あれは偉いよ。電話は全部小森さんに取られちゃうってお客さんに褒められてさあ、俺、鼻が高かったよ」

「…でも、結局訊かれたことにすぐお応えできなくて…折り返しにして待たせたり、逆にお客様に教えてもらう事ばかりで、かえって迷惑かけてるし…」

「新人なんてね、毎年入ってくるの。客の方が慣れてるの。使えるようになる子かどうか、あっちの方がよく分かるんだよ。分かっててわざと鍛えようと試練を与えてくれるんだから、新人はありがたく受けとけばいいの。失敗しても許されるのは今だけなんだから」

「しれん…」

「そう。すぐ営業に回した方がずっと早い案件を、なんでわざわざ桜に頼んでくると思ってるの? 客だって仕事なんだよ。はやく桜を一人前にして、いずれ自分たちの利益に繋げることを見越してるの。見込みあるんだよ、桜は」

「うそぉ…。だって、今日だってあんな…。S社の坂口さん凄く怒ってた。今回の仕事は坂口さんにも凄く大事なチャンスだったのに。ずっと一緒に準備してきたのに…あんな大ポカして」

「うん、まあ、あれはなかなかね。やってくれたけどね…」

虎次郎さんが苦笑する。
私はますます、めそめそ落ち込んだ。
今だけはいいよね。上司じゃなく恋人に泣きごとを聞いてもらっても。
会社では、絶対に甘えたりしないから。

「そうだよ…。坂口さんやっと最近私のこと少しは認めてくれたかもって思えてたのに、全部駄目にしちゃった。せっかく信頼してくれたのに、失望させちゃった」

「だからそんなことないんだって」

「……」

「あのね、こんなの仕事やってりゃ何回だってあるよ。それにね…これは部下にじゃなく彼女に漏らす愚痴だと思って流してね…人を叱るのだって結構堪えるんだよ」

「え」

「さっき叫んだの、本音だよ。本心じゃ桜のこと抱き締めたかった。べたべたに甘やかして、大丈夫だからって言ってあげたかったよ。でも…仕事だからさあ」

「うん。うん、それは分かってるよ。係長のお仕事だよ。虎次郎さんは凄くちゃんとしてたよ!」

「ありがと。でもやっぱりへこむよ。これも給料のうちって思っててもね。…坂口さんだって同じだよ。桜、あの人の意地悪な要望にもがんがん立ち向かっていくじゃん。泣きそうになりながらでも。あの人そういうのが好きなんだよ。今回の件で、有望な新人ひとり潰しちゃうんじゃないかって凄く心配してたよ」

「ええぇ…」

「だから言っといたから。うちの小森はこんなんじゃへこたれませんから、今後もびしばし鍛えてやって下さいって」

「え、えええぇ〜!?」

当然でしょ、と笑う虎次郎さん。係長。ええと、今どっち…?

「今日一緒にエンドユーザーさんに頭下げに行ってさ、帰りにいろいろ語り合っちゃったよ。今度飲みに行こうって。桜のこと絶対連れてこいよって念押されちゃったから、覚悟してね。──あの人、飲んだら絶対人格変わるタイプだよ。桜のこと自分の姪っ子かなんかみたいに可愛がりまくるだろうなー。今だって可愛がってるつもりなんだから、あれで」

「……」

…もう。

頭の中でビールが回ってる。ふわふわする。
泣けてきて、笑える。

「…かかりちょうぅ〜、ばかやろうとか言ってごめんなさいぃ〜…」

「あはは。そんなのいくらでも言っていいんだよ。上司の宿命だから」

「かかりちょうぅ〜。明日からまた私がんばります…今日はほんとにすみませんでした…」

「うん。頑張ってね、期待してるから」

それとね。
声の色を変えて、虎次郎さんが私を抱き寄せた。耳に息がかかる。くらくらする。

「もう係長じゃないから。家ではその呼び方禁止」

「……虎次郎さん」

「うん」

笑みを含んだ声。なんでこのひと、こんなに私を甘やかすのかな。
ますます笑えて、泣けてくる。目から溢れてるのが涙なのかビールなのかもうわかんない。

「虎次郎さん、大人って大変ですね…」

「あはは。そうだねぇ。でも大人じゃなきゃビール飲めないし」

こんなこともできないし? って、キスと一緒に押し倒されて、笑う。

そっか。大人だから甘やかされることもあるんだ。

ありがとう。あしたもがんばります。…あと、今夜もがんばります、から。だから。

せめて電気は消して下さいとお願いしたら、私の首筋で虎次郎さんが笑って、「このままでいいのに」とかなんとか壮絶バカなことをごにょごにょ言ったうえに、それはそれはいやらしい台詞を続けて囁いた。無駄にかっこいい低音で。ちょ、腰に来るんですけどむかつくな!


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