あまくてにがい





最近あたしはちょっとおかしい。

幼馴染のサエを好きだと自覚したのと、サエもあたしを好きだと言ってくれたのが、同時くらい。あたしたちは、彼氏と彼女と呼ばれる仲になった。だからあたしには、片思いの期間というものがほとんどない。
彼氏と彼女という状態を、あたしは実はよくわかっていなかった、かもしれない。
それこそ幼稚園の頃からの付き合いで、ずっと仲良くしてたから。
小6まで一緒にお風呂に入ってた。
休日毎のデートも、昔から一緒に遊んでいたから、当たり前みたいなかんじで。
手を繋いで歩くのも、うれしいとき抱き合ったりするのも、子供の頃からで。
おまけにサエはあたしをなでなでとかおでこにチューとか昔から普通にやる子供で、あたしはすっかりそれに慣れていて、だから。

「桜」

初めて聞く、低く掠れた声で名前を呼ばれて、唇にキス、されたとき。
ほんとうにびっくりして、目を閉じることすらできなかった。

男の人みたいな(いや男の人ですけども…)声も、唇に触れるやわらかい熱も。ゆっくり離れてから、ものすごい間近で見た、サエがあたしを見る視線の強さも。
男の人だった。全部、はじめて知るサエだった。

サエに何かされて顔が熱くなるのとか、心臓が苦しくなるのとか、そんなの、有り得ない筈のあたしだったのに。そんな自分知らなかったのに。
その時から、あたしはちょっとおかしい。

時々、抑えられない感情の波が高まって、なんか、変になる。こんなこと今までなかった。

例えば、サエは昔から、それこそ幼稚園の頃からモテまくりだった。
サエはかっこよくてやさしくて、すごくいい子だから。そんなの当たり前で。
バレンタインや誕生日にひとりじゃ持ち切れない量のプレゼントを一緒に持って帰ってあげるのも、告白で呼び出されてお断りして泣いてしまった相手を慰めて逆に落ち込んでるサエを励ますのも、あたしはずっと当たり前にしてきたことだった。
だけど最近は、女の子にもてるサエを見るのがちょっとつらいな、と感じる。
サエに近づく女の子に嫉妬してる。自分でわかる。

ねぇ離れてよ。近づかないで。サエはあたしのなんだから。

信じられない、意地悪な醜いどろどろの気持ち。こんなものが自分の中から生まれることにびっくりしてる。
サエが女の子にもてるのなんて当たり前なのに、サエはきっと死ぬまで一生もて続けるのに、いちいち嫉妬したり苦しくなったりしてたら、自分がもたない。
わかってるのに、止められない感情の波。
知らなかった自分。

知らないことを、知っていく。
それが、おつきあいをする、ということ?
だったらちょっと怖い。知りたくないことも、あるかもしれない。



野球部の先輩に告白をされたのはそんな、ぐるぐるしているときで。
変になってたあたしは、ぐるぐるの頭の片隅で、「いい機会なのかもしれない」とか思ってしまった。
サエから離れる、いい機会なのかも、って。
彼氏がいるのは知ってるけど、その彼氏があの佐伯なのも知ってるけど、ずっと好きだったんだ、考えてくれないか、と先輩は言った。
『あの佐伯』だって。あたしはちょっと笑ってしまった。そして、「考えます」と言った。
先輩はびっくりした顔であたしを見て、「考えてもらえるとは思わなかった」と言った。
よくわからないけどお礼を言った先輩がいなくなった後、しばらくぼんやりして、それから。

それから。

それから…。

やっぱ、だめじゃん。と思った。

サエと離れるなんてできない。サエ以外の人とおつきあいをするなんて考えられない。
あんなキスを。他の人となんて出来るわけない。
嫉妬にまみれて、汚い感情に溺れても。知らなかった自分の嫌な部分をたくさん知ることになって怖くても。
サエが好きだ。

先輩に謝らなきゃ、すぐに追いかけて言わなきゃ、と思って走り出した、ら。
 
そこにサエが立っていた。
校舎の陰になっているところに。

え。何、もしかしなくても全部聞かれてた?

「サエ」

何を言ったらいいのか、何から言ったらいいのか、わからなくてあたしはただ立ち竦む。
サエも、どんな顔をしたらいいのか決めかねてるみたいな、変な顔をしていた。

「ごめん。盗み聞きするつもり、なかったんだけど」

桜と先輩がこっちに行くの見えて、気になったから。こんな校舎裏とかで、何かあったら心配だし。
サエは地面の方を向いてぼそぼそと言い訳のように呟いて、それから数秒押し黙り、ぎゅっと唇を引き結ぶと勢いよく顔をあげて、真っ直ぐな強い目であたしを見た。

「俺、嫉妬した」

「え……」

嫉妬。
嫉妬?
誰が誰に? あたしが、じゃなくて? サエが?

「キスするよ」

「は?」

そのまま、呆然としてるあたしを強い力で引き寄せて、サエは本当にキスをした。
 
噛みつくみたいな勢いで。
はじめてのときとは違う、深いキス。
映画の中で大人の人がしてるみたいな。

そうか、サエはもうあたしの知ってる男の子じゃないんだ。男の人になっちゃったんだと思った。そして、強引な熱い舌を嬉しく思ってしまっているあたしももう、女の子じゃなくて女、なんだ。

あたしたち、ふたりとも変わっちゃったんだ。

「……っ、んっ…」

分け合う息の中から、何かが生まれそうで。
また、知らない感覚が目を覚ましそうで、怖くて。
でも怖いだけじゃなくて。

変になる。

たまらない気持ちで、サエにしがみついた。溺れそうで、助けてほしくて。
しっかり抱き返してくれる腕、こんなに頼もしかったんだ。
…小さい頃は、あたしの方がつよかったのに。


「……やさしくできなくて、ごめん」

知らない間にあたしの目尻に浮かんでた涙を指で拭ってくれながら、サエがキスの続きみたいな半分息をつくような掠れた声で、つらそうに言うから。
あやまらないで、と言った。

「謝るの、あたしの方。サエ、ごめんなさい」

なんでか溢れてくる涙をごしごし擦りながら、サエに謝る。

「こわかったの。サエのこと好きになりすぎて、自分が変わっていくのが怖かった。サエのこと好きな他の女の子たちに嫉妬する自分がすごく嫌だった。こんなの、サエが好きになってくれたあたしじゃない。サエが知ったらきっと嫌われるってこわかった」

「……桜」

サエは目を見開いて、驚いた顔であたしを見て、それから信じられないくらいやさしい顔で笑った。

「ばかだなぁ、桜は」

「ばかだよ。今わかった。嫌われてもサエが好き。だから、今、先輩に謝ってくる」

駆け出そうとしたら、また強い力で、サエの腕の中に閉じ込められた。
顔をぎゅっとサエの胸に押しつけられて、嬉しいけど、ちょっと苦しい。涙とか鼻水とか、サエの制服に付いちゃいそうで悪いなと思った。

「今は駄目。そんな顔で、行かせる訳ないだろ」

そんな顔って。
そりゃひどい顔してますけども。

「でも、あたし、すごい失礼なことしたし。すぐ謝らないと」

「それ、明日にして。それに桜が失礼なことしたのは、先輩にだけじゃないから。俺にもだから。俺、今、怒る権利あると思うんだけど。…間違ってないよな?」

それは、サエがさっき言ってた。嫉妬した、っていうこと。

「…間違ってない。あたしうれしかった」

「…嬉しかったの?」

「うん。サエが嫉妬したって言ってくれてうれしかった。あたしだけじゃなかったんだね」

「当たり前だよ。俺がいつもどれだけ嫉妬してるかわかってるの? 俺の内面なんてね、桜が見たら思いっきり引いて逃げ出すくらい嫉妬だらけだよ。逃がしたくないから見せないだけで」

不機嫌に語るサエが珍しくて、嬉しくて笑ってしまう。

「あたしはサエの全部を見せてほしいよ」

言ったら、肩を掴まれて、真剣に目を覗きこまれた。

「本気で?」

「うん、本気で」

「桜、きっと怖がるよ」

「…どんだけすごいこと考えてるの」

「そりゃもう、あんなこととかこんなこととか…。だから桜は見ない方がいいよ。桜に逃げられたら俺は泣く」

「泣くの?」

「泣くよ。さっきだって泣きそうだったよ! 俺、振られたかと思った!」

「あれは……ごめんね」

でも、あたしの知らないサエをもっと見たいのは本当だよ。

知らないことを知るのがあんなに怖くて、頭が変になってぐるぐるしちゃってバカなことをしてしまったばかりなのに、もうそんなこと思ってて。自分でも呆れる。

でも、何を知っても、サエと一緒だから、知りたい。
そんなふうに思えるのはサエだけだってわかったから。

「サエを全部、見せて」

背伸びをして、唇を触れさせて、伝える。
あたしをこんなふうにしたのはサエだから、今更そんな驚いた顔したって、かわいい女の子だったあたしに戻ってなんかあげない。

「…逃げるなよ?」

降ってくるキスで。また知らないサエを知っていく。

「あたし怖がりだから、逃げたくなるかもしれない。でも逃がさないで。束縛、していいから。サエだけは」

「っ……」

息もできないキスも、その先も。
どろどろの醜い感情も、絡めとられて溺れそうな心の闇も。
怖い、けれど。

苦しいほどに抱き締めてくれるこのひとと、一緒に大人になっていこう。



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