人魚






夜、お母さんとケンカした。
頭に血が上った私はお泊りセットをリュックに詰め込んで家を飛び出した。家出です。思春期、反抗期、第二次成長期──なんとでもいったらいいです、中学三年生は理性より感情で動くイキモノなの。
そうやって勇ましく(?)家を出たはいいものの、結局行くところなんてなくて近くの海に来てしまった。
ざばーん。静かに波が打ち寄せる海。
星がきれい。でもめっちゃ寒い。
月明かりにぼうっと白く照らされた砂浜には誰もいない。いたら怖いけど。
……と、思ったら、いた。出会ってしまった。すごく変な人と。



「……小森さん? 何してるの?」

波打ち際に立っていたその人は、私を見つけるなりとても驚いた顔で言った。
驚いたのはこっちだって同じだ。

「私は家出。佐伯くんこそ何してるの?」
「家出!?」

同じクラスの佐伯くんは、私の質問をまるっと無視して大きな目を呆れたように見開いた。「こいつ正気か?」と顔に書いてある。悪かったな。

「家出って……なんで」
「お母さんとケンカしたから」
「はあ?」
「ムカついたから出てきちゃったの」
「出てきちゃったのって……」

佐伯くんは、今度こそ「バカかこいつは」という顔をした。私も、改めて口に出すとなんとも情けなくて恥ずかしいなーと思った。でも本当の事だから仕方ない。ごまかすのもなんだかなーだし。同い年の佐伯くんの前で、今更かっこつけなくてもいいかって思うし。

「小森さん、これから行くところあるの? 親戚の家とか、泊まる場所決めて出てきたの?」
「反抗期の家出がそんなに計画的な訳ないじゃん」

私が首を振ると、佐伯くんは「危ないよ!」と真面目な声を出した。

「女の子が夜の海なんかであてもなくフラフラしてたら、悪者に襲われたあげく海に沈められちゃうよ!」
「ちょ…怖い事言わないでよ!」

思わずぞっとして両腕で体を抱いた。彼の言う事はもっともだけど、佐伯くんの口からは聞きたくなかった。そういう怖い事さらっと言ってほしくなかった。そこはオブラートに包んでほしかった。

「だから危ないって言ってるんだよ」

佐伯くんは大真面目だ。真面目にわたしを心配してくれてるみたい。
佐伯くんって…優しいんだなあ。学校でも友達が多くて人気者なの、分かる。お母さんとケンカして心がやさぐれている今のわたしには、その優しさが沁みた。
それはそうと。

「でも佐伯くんこそ何してるの? 佐伯くんだって危ないよ」
「俺はいいんだよ、男だし」
「男の子だって危ないよ。特に佐伯くんなんて美人なんだから、ある意味わたしなんかよりずっと危ないと思うけどな」
「……」

佐伯くんはぐっと詰まるかんじに黙って、数秒の沈黙の後に言いにくそうに口を開いた。

「……わたしなんかとか、言ったら駄目だよ」
「へっ?」
「小森さんかわいいし。本当、危ないから」
「……」

照れもせずにリアルに「かわいい」なんて台詞を言う男子、初めて見た。さすがは千葉のロミオと称される男。これはモテるのも分かる。こいつまさかこの後「家まで送って行くよ」とか言いだすんじゃあるまいな。

「帰ろう、小森さん。家まで送るよ。ついでにその重そうなリュック貸して」
「…………」

わたしはほとんど呆れた。すげー、これが六角の王子のキラメキか。同じクラスとはいえ必要以上に話した事もなかったから、今まで彼の男前度がここまでとは知らなかった。
でも。

「どうしたの?」

動かないわたしに首を傾げる佐伯くん。さらりと茶色の髪が揺れる。月明かりに照らされて、やっぱり佐伯くんは美人過ぎた。夜の海で何をしてたのか知らないけど、このまま彼を一人にしておく方が、わたしが一人でいるより危ない気がする。

「お母さんとケンカしたから帰りにくいの? 俺、一緒に謝ってあげようか?」

何言ってんだこいつは。

「…佐伯くんも帰るなら、帰る」
「えっ」
「佐伯くん、わたしを送ってくれた後またここに戻って来るつもりでしょ? それはなんかいやなの。だから、佐伯くんも家に帰るって言うならわたしも帰ってもいいよ」
「それは…」
「佐伯くんが帰らないならわたしもここにいる」

ドカンとリュックを下ろして砂浜に座り込む。佐伯くんはポカンと口を開けていたけれど、困ったな、と零すとくすくす笑い出した。

「…小森さんがこんな問題児だとは知らなかったな」
「わたしだって。佐伯くんが夜の海をうろつく不良だなんて知らなかったよ」
「不良って」

何がツボに入ったのか、佐伯くんはしばらく笑っていた。明るい笑い声は、夜をきらきら明るくするみたいな気がした。さすがイケメン。

「大体、佐伯くんこそなんでこんなところにいるの? 大方佐伯くんも反抗期の家出なんじゃないの?」
「あはは、違うよ。俺は…………、海を見てたんだ」
「こんな夜に?」
「うん」

佐伯くんは笑いを引っ込めて真っ直ぐにわたしを見た。月か星か、遠くの街灯か…分からないけど光が佐伯くんの目に反射してキラキラ光っている。なぜかぞくりとした。

「実はね、俺……」

何を言われるのだろう。わたしは思わず息を飲み込んでいた。

「俺、人魚王子なんだ」
「………………」
「俺は海の底の人魚の国からやって来た人魚の王子なんだ。なんの為に陸地にやって来たかって? いやだなあテニスする為に決まってるだろう? 海の中じゃテニスはできないからね。童話の人魚姫のようにね、海の魔女に薬を貰って魚の尾を二本の脚に変えたんだ。ああ、じゃあこの良く回る口は何なんだって? ハハ、そうだね人魚姫は脚と引き換えに声を失ったんだったね。うん、俺も大切なものを交換に差し出したよ。何かはまあ置いといて。それでね、小森さんも知っての通り俺は人間としての生を満喫している訳だけど──こんな月明かりの夜なんかにはね、少しだけ海が恋しくなったりするんだ。やっぱり故郷だからね。それでこうして海を眺めていたってワケ。陸の生活は楽しくて楽しくて堪らないけれど、ほんのたまにホームシックになったりもするからね…海を見ると慰められるんだ。そして元気が出てきて、また明日もこの脚で走ってテニスする事が楽しみになるんだ。故郷って、帰るべき家があるっていいよね、小森さん。……ねえ、家に帰る気になってきたかな?」
「なるかボケ」
「あ、やっぱり?」

佐伯くんはけらけらと笑った。

「うーん、駄目かあ」
「むしろ何故それでイケると思った?」
「ハハハ」

ハハハじゃない。爽やかに笑う佐伯くんに、わたしは突っ込みをする気も起きずにふらふらと立ち上がった。

「アラッ? どうしたの?」
「…………帰る。帰って、寝る。佐伯くんの話聞いてたらすごい眠くなった」
「はは、ひどいなあ。でも帰る気になってくれたなら結果オーライかな」

笑いながらも佐伯くんは、わたしが砂に投げ出したリュックを拾って自分の肩に掛けた。どうやら本当に送ってくれるつもりらしい。悪いし断るべきかなあとも思ったけれど、何を言っても佐伯くんは付いて来るんだろうなあ。下手に断ってもまた変な話を長々と聞かされて言いくるめられそうだな…と諦めて、わたしは佐伯くんに頭を下げた。

「じゃ、送って下さい。ごめんね、ありがとう」
「お、素直だね」
「うん」

それに、正直夜道は怖いし。だから本当はありがたかったのだ。

「小森さんの家ってこっちだよね」
「何で知ってるの」
「人魚王子だからね」
「はあ…」

何故か迷いなくどんどん歩く佐伯くんの背中を追いながら、どっと疲れが押し寄せて来るのを感じた。眠い。本当に眠い…。

「…佐伯くん、王子様なら白馬で送って…」
「うーん、俺は人魚の王子だからそれは無理だなあ。バネがいたらウニの馬車を出してくれるんだけど」
「へ? 黒羽くん? 馬車? ……ウニ?」
「うん。バネはウニの王子だからね」
「……ウニの……王子…?」
「あの髪を見れば分かるだろう? あれこそウニの王族の証さ」

分かるだろう?ってそんな、自信満々に言われても。

「小森さん」

名前を呼ばれて、見たら佐伯くんがわたしに背中を向けてしゃがんでいた。

「え、何? どうしたの?」
「乗って」
「え?」
「眠いんだろう? おぶるから、背中に乗って」
「…………」
「あ、それともお姫様抱っこの方がいい? それなら得意だよ、王子だから」
「いいですおんぶで」

黙っていたら有無を言わさずお姫様抱っこされそうな気配を察して、わたしは佐伯くんの背中に乗った。悪いなあと思ったけど、何しろ佐伯くんからは謎の威圧感が出ていて、どうにもこうにも逆らいづらいのだ。
佐伯くんは何でもないような様子でわたしをおぶってすっと立ち上がった。

「小森さんって見た目より重いね」
「……そこ普通、軽いねって言う場面じゃない? 王子としては」
「ハハ、冗談だよ」

佐伯くんは笑って続けた。

「寝ていいよ。ちゃんと送り届けてあげるから。大丈夫、海の底の国に連れて行ったりはしないよ」
「……あはは」

月と星がきれいな夜だった。とても静かな。
わたしをおぶった佐伯くんの影が、地面に蒼く伸びている。佐伯くんのリズミカルな足音だけがする。

「小森さん、なんでお母さんとケンカしたの?」
「うん…」

目蓋が重い。佐伯くんが眠くなるような変な話ばっかりするからだ。わたしは目を閉じてぼんやりと答えた。

「進路の、事で」
「進路」
「高校受験の事、とか」
「ああ……三年だもんね、俺達」

佐伯くんが溜め息と一緒に笑ったのが、背中越しに伝わって来た。佐伯くんの背中は見た目よりずっと大きくて力強かった。

「どうしたの、佐伯くん」
「え?」
「今溜め息ついた」
「……うん。あのね、小森さん。これはさっきの冗談の続きだから聞かなくてもいいよ。…俺はね、中学を出たら海へ帰るんだ。人間でいられるのは期限付きの休暇なんだ。俺が声の代わりに魔女に渡すのは、陸で過ごした時間の記憶、なんだよ。だからもうすぐ…忘れてしまう。テニスの事も。大好きな皆の事も」
「……」
「だから羨ましいな。進路の事で親とケンカできる君が」
「……」

わたし、呆れてた筈だった。佐伯くんの突拍子もない作り話に。
だからこれは眠気のせいだ。眠くて堪らないせい。佐伯くんが六角からいなくなってしまう事を想像しただけで目から水が出て来て、佐伯くんの肩を濡らしてしまったのは。

「……聞かなくていいって言ったのに」

佐伯くんが苦笑する気配がする。
わたしは泣きながら、眠くて目が開けられない。困ったな、明日目が腫れてひどい事になっちゃう。くそう佐伯くんめ…変な話ばっかりしやがって。

「小森さん…。ひとつだけ、俺が帰らなくてもいい方法があってね。あり得ない事だから、考えた事もなかったんだけど」

なんだよ、早く言ってよ。
あり得ないかどうかなんて、分かんないじゃん。

「……人魚の王子の正体を知っても、本当に愛してくれる人間の女の子がいたら。その子が王子の為に泣いてくれたら。王子は本当の人間になれるんだって」

なーんだ。
だったらハッピーエンドだね。よかったよかった。

「っ、はは…本当に参ったな、これは」

うん。とにかく眠い。ねむうい…





翌朝。
ぴっかぴかの朝に、妙にすっきりした気持ちで目覚めたわたしは、一番に鏡を覗いてみた。目蓋は腫れてなかったし、泣いた後もなかった。
うーん。昨夜のアレは、夢だったのかもしれない、と思う。

だけどわたしの家出セットを詰め込んだリュックは砂に汚れたままベッドの横にあったし、何よりお母さんが「今日佐伯くんに会ったらちゃんと謝りなさいよ! 全くアンタって子は…」とプリプリ怒りながらも物凄い勢いでわたしの好きな朝食を作ってくれていたので、夢じゃなかったんだ、と分かった。

学校に行ったら、いつも通り爽やかな笑顔の佐伯くんに会った。

「やあ、おはよう、小森さん」
「おはよう…」

挨拶を返しながら、思わず佐伯くんの脚をじーっと観察してしまう。うん、ちゃんと、人間の脚だ。ついでに言うならばすらりと長くてかっこいい脚だ。

「あはは、俺の脚がどうかした?」
「なんだよ、小森。サエの脚に何かあんのか?」

佐伯くんの肩に腕を乗せるようにして話しかけてきたのは黒羽くんだ。今日も元気。そして、今日も安定の無造作ヘアーがピンピンと跳ねて…

「ああ、なるほど、ウニだわ」

うん、と頷くと、黒羽くんはぎょっとした顔をした。

「は!? な、何故それを…」

何故かうろたえる黒羽くん。佐伯くんがその横で思い切り吹き出して笑って、わたしも一緒に笑ってしまった。


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