八月の銀河鉄道





「…………さて」

サエのおうち、サエの部屋。
クローゼットから引っ張り出したちゃぶ台に両手を付いて、サエが全員の顔を見回した。
バネ、樹っちゃん、亮、聡、そして私。みんな正座で俯いて、サエの視線から微妙に顔を逸らしている。
サエが大きな溜め息をつき、重々しく口を開いた。

「由々しき事態だ」
「ゆゆしき?」

首を傾げるバネに「非常にまずい事態だってことだよ」と私はこっそり耳打ちする。
サエがゴホン、と咳払い。私とバネはびくんと肩を揺らしてまた小さくなった。

「なんと。夏休みの宿題が、誰ひとりとして終わっていない!」
「「「「「…………」」」」」

うなだれる私たち。
そう…夏休み中テニスだ海だ祭りだ花火だテニスだ海だテニステニステニス…って遊びまくっていた私たちは、気がつけば夏休みの宿題と言うものをほとんど終わらせていなかったのだ。
おかしいな。夏休み前の計画では、7月中に余裕で終わっている筈だったのに。…去年も同じ事思った気がする。私全然進歩してない。

ちなみに、今日は8月30日です。なんということでしょう。

もうどう頑張ったってひとりで終わらせるなんて無理。
泣きそうになって、恥も忘れてサエの元に(何故なら一番宿題をちゃんとやっていそうだったから)駆け込んだところ、同じように駆け込んでいた他のみんなと合流して。サエの部屋で今からみんなで宿題に取り組むところです!
諦めて投げ出さない、それが六角っ子のよいところ。
……ギリギリまで放っておいて胸を張ることじゃないけれど。
剣太郎とダビデは学年が違うから一緒に宿題はできない。電話で確認したら、彼らもそれぞれクラスメートと缶詰めになって泣きそうな声を出していた。どこも同じだって安心した。
……や、安心してる場合じゃないよね。

「お前らなあ」

腕を組んだサエが厳しい声を出す。

「剣太郎とダビデはともかく、俺達は受験生だろ。いくらなんでも気が緩み過ぎだろ!」
「……ごもっとも」
「……なのね」
「返す言葉もありません…」
「いつも頼ってごめんねサエ…」

亮、樹っちゃん、聡、私が反省して深く頭を下げる。そんな中、ふと何かに気付いたようにバネが顔を上げてサエを見た。

「サエ、お前はもう終わったのか?」
「ふふ、バネ、俺を誰だと思ってるんだい? お前らと同じお気楽遊びまくりのテニス部の副部長だよ? 終わってる訳、ないじゃん」
「「「「「終わってないんじゃん!!!!!」」」」」

私たちは一斉にツッコミを入れた。



いつまでもコントを繰り広げて貴重な時間を無駄にする訳にはいかない。
私たちはそれぞれ今の自分の宿題の進み具合を申告し、サエがそれをまとめてさっさと役割分担を決めた。例えば数学の得意なバネは数学の先生役。理科が得意な樹っちゃんは理科の先生役。
それぞれ担当分野の先生役になって、先生役が問題を読みあげ、早押しクイズみたいに分かった人が答えを言う形式で一緒に問題集やプリントをやっちゃう。
写しっこするわけじゃないけど、全員が理解するスピードに合わせていたら終わらないからここはスピード重視で、どんどんどんどん進める。結果、苦手な人は答えを写すみたいなかたちにはなっちゃう。
……すごーく、反則技なのは分かっています。ごめんなさい。
でも、「後で実力が身についてなくて痛い目見るのは自分だから。教訓を体で思い知ることになって学習するからいいんだ」ってサエは言う。
まるっきり答えを写す訳じゃなくて一応は全部の問題を考える訳だし、ね(言い訳だけど…)。
その集中力を何故今まで使わなかった、と休み中の自分を怒りたくなるくらいに私たちはぐっと集中して宿題に取り組んだ。



……ほとんど休憩も取らずに、夢中になって。
途中からなんだかハイになって楽しくなっちゃってたのもあるけど。気がついたら、朝から何も食べないまま夕方になっていた。窓から差し込む西日の強さでそれを知り、私たちは呆然と顔を見合わせた。

「…………ええと」
「……ど、どこまで進んだんだっけか」
「ええと…数学と理社と英語が今終わったところだから……問題集とプリントはこれで全部片付いたのね」
「まじか!?」
「俺らスゲくね!?」
「今、すっごい異次元にいた気がする。こんなに勉強したの生まれて初めてかも」

およそ受験生とは思えない(しかも、微妙に去年とデジャヴな)感想を漏らして、私たちはぱったりとその場に倒れた。
……ちょっと、一度にがんばりすぎたかも。本当、宿題は計画的にやらなくちゃだな…。

「あと何が残ってるっけ?」

サエの部屋の、気持ちいい肌触りのラグに頬をくっつけながら私が言うと、「あとは…読書感想文」という聡の声が聞こえてきた。
途端にみんなが呻く。

「読書感想文!」
「よりによって一番面倒くさいやつが!」

そうだよね、しかも読書感想文はみんなで教えあいっこすることもできない。
そもそも今から本を読む時間なんてないし……。

「ほらほら桜、起きて」

サエが笑う声がする。
サエだってみんなと同じに疲れてる筈なのに、みんなみたいに絶望的な声じゃなかった。
目を閉じてその声を聞くと、少しだけ、疲れが抜けてく気がした。

「…サエの声、好きだなあ……」
「声だけ?」
「えっ」

ぱちんと目を開けると、サエがにこにこして私のすぐ目の前にいて、他のみんなはちょっとぽかんとして私たちを見ていた。
うわあ。

「……もしかして私、今声に出してた?」
「何を?」
「何をって……」
「俺の声が好きだって?」
「わああああああああん!」

やっぱり声に出てたんだ、はずかしい!
じたばたする私にサエはくすくす笑いながら「ありがとう」と言って、それからコピーした紙を数枚差し出してきた。

「……なに? これ」
「読書感想文の本だよ」
「本? これが?」
「そう」

自信たっぷりに頷くサエ。
見ればコピーされているのは宮沢賢治の短編だった。有名な、きれいな、きらきらしたお話。
誰もが小さい頃に絵本とか、低学年の頃に教科書とか、何かの機会で読んだ事があるだろう、お話。
私ももちろん内容は知ってる。大好きな話だから。
サエはそれを他のみんなにも配って言った。

「自由図書の選択は自由だから。これなら短いしみんなも知ってるけど、まるきり子供向けって訳じゃない。大人だって読む話だ。改めて読み返して、数枚の感想文を捻り出すことぐらい何とかなるんじゃないかな。子供の頃読んだ印象とはまた違う感想が出てきたりして面白いし、書きやすいと思うよ」
「…………」

私はびっくりしてしまった。感心して。
確かにそれなら今からでもできそう、って思った。しかも、楽しそう!
そう思ったのは私だけじゃなかったみたいで、バネや樹っちゃんたちも顔を見合わせて感心している。

「感想文なら、全員が同じ本を読んだって別に構わない訳だし。感想はそれぞれみんな違うんだから」

確かに。それはそうだ。

「……サエ、って」

私はほうっと溜め息を吐いた。「何?」と首を傾げるサエ。

「サエって、学校の先生になったらいいんじゃないの? すごいもん!」
「……すごい、って」

サエは何故だか苦笑しながら首を振る。

「駄目だよ。こんなの裏ワザだろ? さっきまでの勉強法だってかなりの力技だしさ、先生がこんなこと教えたら駄目だろ」
「えええー、そうかなあ」
「そうだよ」

桜はまったく仕方ないなあ、なんて頭を撫でられる。…気持ちいいけど、まるきりの子供扱いだ。

「じゃあ今日はこれで解散で。みんなお疲れさま。疲れてるだろうけど、今夜中に意地でもこれは終わらせてね」

サエの声に樹ちゃんを除く私たちはみんなで大きく頷いた。
だって、その為に今日がんばったの。どうしてもどうしても今日中に終わらせる必要があったの。
今ここにいない剣太郎とダビデも、同じ理由で必死にがんばってるはず。

「え?」って首を傾げる樹っちゃんに私たちは吹き出した。やっぱり忘れてる。
いつだって自分のことは後回しな、私たちの大事なともだち。

「明日、誕生日だろ、樹っちゃん」
「そうそう。みんなでパーティーやるから」
「浜でバーベキューして、あっ、私ケーキつくるよ!」
「本当は桜のより樹っちゃんのケーキの方が美味しいけどね。樹っちゃんの為のケーキだから仕方ねいね、クスクス」

私たちの言葉に、樹っちゃんは目を真ん丸にしてぽかーんとして、それからじわじわと赤くなって
盛大な鼻息をシュポーッと吐き出して「……ありがとうなのね」と答えた。







「じゃあ桜。感想文がんばって」

私の家まで送ってくれて、サエがまた私の頭を撫でた。…最近また背が伸びたからって、子供扱いしすぎだと思うの。

「後で読ませてね。桜があの話を読んで何を感じるのか、知りたい」
「……それは、いいけど。サエ」

私は今日ずっと気になっていたことを訊いてみることにした。

「本当はサエ、宿題全部終わってたんでしょう」
「え」
「あ、図星だ」
「や…」
「目が泳いでるもん。やっぱり図星だ」
「あー…、桜には敵わないな」

降参、ってサエが笑う。
私は胸が締め付けられるみたいな気がした。
…ええと、少女漫画でよくあるでしょ、「キュンとする」って。こういうかんじなのかな。だとしたらあれはそんなにいいものじゃないんだな。だってこんなに苦しい。

「サエ。……ほんと、ありがと」

それだけ。なんとか言葉を振りしぼった。今ここで泣いちゃうのは避けたかった。

「うん」

サエがとろりとあまい笑い方をして(どういう笑い方?って思うけどほんと、他に形容しようがないあまいかんじなんです。私って語彙力ないな…)また頭を撫でてくれた。
するっと優しく髪を漉く指。
…私ってバカだなって思った。
全然、子供扱いなんかじゃなかったんだね。子供にするような撫で方じゃない。私、気付くの遅い。鈍くてごめんなさい。

「明日、晴れるといいねえ」

一足先に大人になっちゃった幼馴染みは、わざとらしく空を見上げて笑った。
大丈夫。わたしが大人になるの、ちゃんと待ってるよって、髪を撫でる手が教えてくれている。

今夜も明日もきっと晴れるよ。
銀河鉄道の夜みたいなきれいな星空がきっと見える。そんな気がした。


Illustration by 紺色狐さん
ありがとうございました!!


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