おかえり





太陽の光が夜を洗い流していくみたいな、まぶしい朝。
一睡もできなかった目にはちょっときつい光のなか、求めていた人影たちが姿を現した。
誰ひとり怪我をした様子もなく満足げな笑みを浮かべての帰還に、宿舎で待っていた私たちは一斉に安堵の溜め息を漏らし、それから歓声を上げた。



「あーかやっ」

最初の喧騒が過ぎほっと一息ついたところで、私は後輩の名前を呼んだ。

「ゲッ、桜先輩!」

赤也は明らかに「まずい。やばい。逃げなくては」という顔をする。…分かりやすい奴だ。

「叱られる自覚はある訳だ」
「え、いやあ……アハハ」
「ったく。ちょっと頭下げなさい」

精一杯背伸びをして、黒い癖っ毛をわっしゃわっしゃとかき混ぜてやる。赤也は「わーっ、桜先輩!勘弁して下さいよお!」と情けない声を上げながらも背の低い私の手が届くように頭を下げたままでいてくれた。
頭をかき混ぜながらさり気なく全身をチェックする。疲れてるし、ちいさな傷がいっぱい。全部手当てしなくちゃ。あとご飯も食べさせなくちゃ。でも大きな怪我はないみたい。一昨日の夜やられた怪我も後遺症を残してはいないようだ。
──死ぬほどほっとした。この子は無茶するから。

「病院を勝手に抜け出した件については後で幸村からたっぷりお仕置きしてもらうから」
「うっ……、わ、わかってますって」
「……心配したんだからね」
「…………っ、すんません」

ぐちゃぐちゃになった頭をぎゅうっと抱きしめる。
赤也は前かがみになった姿勢のままで我慢してくれてた。

「さて、罰は何かなあ」
「あー…後で素振り八千回って、副部長が」
「ほお」

相変わらずうちの部はスパルタだ。私は「副部長」の単語にぴくりと反応した。

「…それで?あいつは何回やるつもりなのかなあ」
「……一万回、って」
「ほおほお。成程」

まあ妥当な数だ。「桜先輩」と赤也が私の腕の中から言う。

「俺を抱きしめてくれるのはうれしーんすけど、なんで一番に副部長のところにいってあげないんすか?めちゃくちゃ気になってるくせに」
「えー?誰が誰を気にしてるってえ〜?」
「いだだだだだだだ!痛いっすよ桜先輩!力込めないで下さいよー!」
「生意気言うからだよ」

一番に後輩のところに行くのなんて、あいつと同じ理由しかない。
私たちが先輩だからだよ。



「真田」

宿舎のシャワールームの前で突然呼び止めたのに真田は驚きもしなかった。
シャワーを浴びたばっかりで水気が垂れている髪、上半身裸に短パン姿。私はやれやれと溜め息をつきながら持ってきたタオルを放り投げた。

「ちゃんと拭いて。床が汚れる」
「……風邪をひくからとか言えんのかお前は」
「そんなタマじゃないでしょ」

真田が風邪なんかひいた日には雹が降るわ。

「素振り一万回だって?」
「……ああ」
「全く、相変わらずね」
「……何が言いたいのだお前は」

私が投げたタオルでがしがしと頭を拭きながら真田が私を胡乱な目で見下ろした。大抵の子なら臆してしまうその目つきを何とかしたほうがいいと思うけど、何ともならないんだこの男は。

「赤也に聞きました。いろいろと。大活躍だったみたいだねー」
「……赤也が何を言ったか知らんが俺は別に」
「知ってる。赤也のお守りは口実でしょ。自分がじっとしてられなかっただけでしょ」
「……」
「まったくガキなんだから」
「……」
「鉄の格子をぶち破ったって? 無茶苦茶だよね」
「……」
「腕、後でマッサージするからね。痛くても泣かないでよね。自業自得だし」
「だ、誰が泣くか」
「チームプレイ、板についてきたよね」
「……」
「いい事だと思うよ」

にこりと笑って見せる。真田はぐっと言葉に詰まったような顔をして、もう殆ど乾いてる髪を乱暴に拭き続けた。

「でももうちょっとコミュ力を磨いた方がいいね。赤也、途中まで自分が頼りにされてないと思ってたって」
「そんな事は」
「うん。副部長の真意に気付けず喚いちゃってみっともなかったって反省してた。でもさ、それってあの子が反省するところじゃないよね。あんたの言葉が足りなかっただけでしょ」
「……苦手、なのだ。どうしても俺は」
「知ってるけど。…もうちょっと、器用になれるといいね」
「……」
「お疲れさま」
「……」

黙りこんでしまった真田からタオルを受け取ろうと手を伸ばすと、その手をぐっと掴まれた。

「真田?」
「……心配掛けてすまなかった」
「……もう慣れたよ」
「すまない」

私の手を離さないままで。真田はじっとその手を見つめて、それから顔を上げて真っ直ぐに私を見た。正面から。

「俺は、正直言葉が巧くない。だからどう言ったらいいのか分からんが」
「……」
「今朝宿舎に帰って来てお前の顔を見た時に、初めて今回行って良かったと思った」
「……何それ。人の気も知らないで」
「心配をかけたのはわかっている。すまない。せめて一言言って行くべきだったとも思っている。だが」

一区切り一区切り、一生懸命言葉を選ぶようにして離す真田。不器用なこいつが今物凄い努力をしているって分かったから、私はじっと言葉の続きを待った。

「…テニスは、スポーツだ」
「は? え、うん…まあ、そうね」
「テニスは楽しい」
「……」

たのしい?
真田の口からそんな言葉が出るなんて。衝撃のあまり凄い間抜け面になっているであろう私を無視して真田は続ける。

「楽しくあるべきだ」
「……うん。まあ、うん」
「お前や皆が楽しみにしていた大会があんな形で汚される事に俺は我慢がならなかった。赤也が傷つけられた事も、赤也だけではない、他校の人間が襲われた事も」
「真田…」
「今日は、大会だ」
「うん、そうだね…」
「もう邪魔は入らない。お前も安心して楽しめ。お前の好きな、本物のテニスを見せてやる」
「……」

ああ、どうしようこれ。
抱きつきたい。でも抱きついたら絶対こいつビックリして固まるよな。でもいいか別に。固まられても。
2秒くらいの間にそんな事を考えて、目の前の長身にぎゅうっと飛びついたら、予想に反して固まらなかった。ちゃんとやわらかく抱き締め返してくれた。びっくりした。
真田のくせに。私をびっくりさせるなんて反則。

「……そんな頑張っちゃって。その上徹夜で。大会で無様な姿を晒さないでよね」

じわじわ出てきた涙を誤魔化すように憎まれ口を叩いたら、ふっと笑われた。

「誰に物を言っている」
「大会終わったら素振り一万回だよ。忘れてないよね?」
「当然だ」
「1ポイント取られる毎に素振り百回追加ね」
「厳しいマネージャーだな」
「当然でしょ?」
「頼りになる」

ぐっと涙を飲み込んで、マネージャーの顔を作って真田から離れた。改めて見上げた顔はやっぱり相変わらずの仏頂面だったけれど。

「じゃあ明日、真田が筋肉痛じゃなかったらデートしよ」
「デ…っ!?誰が筋肉痛になどなるか!俺はそんなにたるんどらん!」
「じゃあデートね。よかった」
「だから何故デ…っ」
「せっかくのイギリスだもん。行きたいところいっぱいあるんだよねー」
「ちょっと待て、待たんか、桜っ!」

滅多に聞けない副部長の慌てた声を背中に聞きながら、私はさっさとシャワールームを後にした。

今日は大会。
楽しまなきゃ!


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