世界がひっくりかえるような





2月14日。
六角男子テニス部の部室は甘い匂いに満ちていた。

「やっぱり樹っちゃんの手作りチョコは最高だよなー」

今年の樹っちゃんのチョコレートはガトーショコラ。口の中でほろりと崩れる甘みと微かな苦み。ふわりと広がる幸せの香り。
部員みんなに絶賛されて少し照れくさそうに笑う樹っちゃんはめっちゃくちゃキュート。思わずほにゃりと緩んだ笑顔がみんなにも伝染して、部室はほわほわと甘い幸せな空間と化していた。

「…で、甘い物の後は」

ちらり、とバネが私を見る。はいはいわかってますよ。
私はガトーショコラの最後の一欠片を飲み込むと、「それ」とおもむろにスーパーのビニール袋を差し出した。
差し出したというより、獣の群れに投げ込んだという方が正しい。
色気もクソもないビニール袋は「うおー」「いえー」「待ってました!」という獣の雄叫びに迎えられ、あっという間に中身が部室中に行き渡る。

「おー、うまい棒キムチ味! さすが桜わかってるね!」
「げっ。なっとう味? どこで見つけてきたんだよ!」

笑いと共に分配される駄菓子。バレンタインの贈り物としてはあまりにも色気に欠ける。でも。

「おー。うめー!」
「またチョコ食べたくなってきた!」
「甘いのとしょっぱいのの無限ループ…止まらん」

樹っちゃんの手作りチョコレートと、マネージャーの私の駄菓子詰め合わせ。
これが六角中男子テニス部におけるバレンタインデーの恒例行事なのです。男子中学生の食欲って恐ろしい。

一応女子のはしくれとして、私だってかわいいチョコレートを差し入れして普段思いっきり無視されている女子力というものの存在をアピールしてみたい気持ちも、なくはない。
でもみんなの喜びっぷり食べっぷりを見てるとまあいいかと思う。六角らしくて楽しくていいかって。
それに私がどんなに頑張ったって、樹っちゃんの絶品チョコに叶うチョコレートを作れるはずがないし。お口直しの駄菓子で喜んでもらえるならそれがいちばん。

「さてさて」

樹っちゃんのガトーショコラも堪能し終わったし、みんなが騒いでる間にコートの片づけやっちゃおうっと。
立ちあがって部室を出ようとしたら、ドアのところで通せんぼされた。誰よ邪魔だなと思いながら見上げると、サエ。

「どこ行くの?」
「コートの片づけ、やっちゃおうと思って」
「俺も行く。手伝うよ」
「えっ。いいよ」

だってみんなまだ盛り上がってるのに。コートの片づけなんて別に今どうしても急ぎでやらなきゃいけないものでもないし、サエが抜けたらみんな寂しいじゃない。
そう思って断ったら、サエはちょっと複雑な顔をした。

「あのさ」
「なに」
「うん…。今年も桜からのチョコレートはないのかなって」
「は?」

えええー。ビニール袋(大)×3の駄菓子の山を受け取っておいてまだ足りないのか。男子の食欲ってほんと恐ろしいな…。

「そうじゃなくて」
「うん?」
「駄菓子もうれしいよ。ありがとう。でもそうじゃなくて、俺、桜からのチョコを毎年待ってたんだけど」
「……」

私はぽかんとしてサエを見上げた。サエもちょっと困ったみたいな笑い顔で首を傾げて私を見下ろしてた。数秒、見つめ合いながらサエの言葉の意味を考えた。

ちょっとだけ息を吸い込んで、「あのね」と口を開く。
サエも少し緊張した顔になって「うん」と私の台詞の続きを待つ構えを見せた。

「あの………………………………………うまい棒、チョコ味もある、よ…………」

かくり。とサエの肩がコントみたいによろめいた。
私はその隙をぬって「じゃあコートの片づけしちゃうから」と素早くドアを開けて部室を抜け出した。

外に出ると、一気に冷たい2月の空気が私の体を包んだ。
そのまんま冷やして。このほっぺたの熱いのも、全部なかったことにしちゃってほしい。

不意打ちであんなこと言うなんて、ほんとずるい男。

コートに走りながら、今年はサエが女の子からのチョコを全部断ってたのを思い出した。「好きな子がいるから」って。それは六角中を揺るがす衝撃だった。こっそり泣いてた女の子がいっぱいいたの知ってた。……私も、その一人だったのに。

追いかけてくる足音。
私がどんなに走ったって逃げられる訳ない。それは分かってるけど、うー、せめて、もうちょっとだけこのほっぺたが冷えるまでは待って。


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