たまにはあなたに身を預けて
「…かなり熱いな。風邪か…?」
「風邪だと思います…」
―――12月に入り、めっきり寒くなってきた今日この頃。
先程まで千鶴は台所で朝食の準備をしていたのだが、ひょんなことから斎藤に熱があることがばれ、部屋に連行されたのである。
人の感情や心情に聡い斎藤だからだろう。千鶴の動きがいつもより鈍いことにすぐに気づき、行動に移した。
千鶴の部屋に来るとき、初めは横抱きという体制に反論していた千鶴も今は大人しい。
顔が先程より赤い。熱が上がってしまったようだ。…斎藤はそれを見て眉をひそめる。
…どうやら、この娘は人に心配をかけるのは得意らしい。
いつも、どうしてこんなに無理をしてしまうのか…、と斎藤は、内心大きなため息をついた。
そして、千鶴を壁に寄りかからせ、斎藤は手際よく布団を引く。
千鶴は人の動く気配を敏感に感じ取ったのだろう。うっすらと目を開くと、『すいません、斉藤さん』と一言呟いた。
「申し訳ないと思うのならば、早く治せ。…早く元気になってくれれば、それでいい」
「斉藤さん…。ありがとうございます」
それだけ言うと、千鶴は瞼を閉じてまた眠りにつく。肩で息をしているのを見ると先程より確実に熱が上がっているのがわかった。
丁度布団を敷き終わり、千鶴を寝かせるために斎藤は千鶴に手を伸ばす。
軽い体は何の抵抗もなしにふわりと持ち上がった。自分の肩口あたりで苦しそうな息遣いが聴こえる。
―――まず、副長に報告しなければならないな。…いや、最初に水などを持ってきたほうがいいか?
斎藤は山崎と違い、病人の看病にはそれほど慣れていない。見よう見まねでやっているだけ。
しばし考えてから、病人優先だろうと判断し、斎藤は台所へと趣いた。
廊下を通ると、そこは今まで以上に静かだった。朝だからだろうか、隊士の気配もない。
まるで時間が止まっているようにも感じたが、あとから聞こえてきた鳥のさえずりに時間は止まっていないと覚醒する。
台所につき、水差しに手を伸ばそうとして―――斎藤はふと何か思い立ったように動きを止めた。
そして、伸ばしかけた手を引っ込めると、台所の片隅に置いてある棚の方へ歩みを進める。
カラカラ、と音を立てながら引き戸を横に開けると、そこにあった目的のモノを見て斎藤は微かに微笑んだ。
―――このくらいならいいだろう、と思ったんだ。
◇◇
「千鶴」
「…さいと…さ…」
「無理して起き上がろうとしなくていい。…飲めるか?」
はい、と返事をして千鶴が起き上がろうとするが、どうやら力が入らないようだった。
斎藤は何も言わずに千鶴の布団と背中の間に手を差し入れ、そのまま自分の胸で支えるように抱き起こした。
斎藤の横にある盆の上の湯呑に入っているものが水ではないと悟り、千鶴が微かに眉をひそめるのを斎藤は何も言わずに見ていた。
飴湯だ、と告げ、その湯呑を斎藤は手に取った。千鶴が『自分で飲めます』と告げるが、斎藤はそれをバッサリ断る。
『今のお前はいつも以上に危なっかしい』というのが理由らしい。
千鶴の口元に湯呑を近づけ、唇に触れたところで湯呑を少しずつ傾ける。とろりとしたそれは、口の中で甘く広がった。
「…これ、おいしい、です」
「………そうか。なら良かった」
―――珍しいものを見てしまった、と千鶴は思った。
おそらく斎藤自身は気づいていないが、彼は今微笑んでいる。今までこんな表情は見たことが無かった。
だからだろうか、それがとても印象強く瞼の裏に焼きついてしまう…。
「少し寝ていろ。俺は副長に報告してくる」
「…はい。ありがとうございます…」
ふ、っと横に感じていた気配が消えると共に、斎藤が立ち上がった時に起こった小さな小さな風が千鶴の頬をかすめた。
千鶴は寂しげに斎藤の後ろ姿を見送ると、それを断ち切らんとばかりに布団を深くかぶった。
―――どうやら私は熱を出すと、無性に斉藤さんに甘えたくなるらしい。
そして、私の意識はいつの間にか闇に呑まれていたのだった。
「―――…る、ちづる」
「……………さいとうさん…?」
「一回起きろ。…朝餉だ」
熱でぼうっとする私の体をゆっくり起こしてくれた斉藤さんの顔が近い。
普段は一定の距離を保って接しているからだろうか。それとも熱にうかされているからなのか。
―――とても、安心して身を預けられることが嬉しく思えた。
「ありがとうございます…」
「まだ…熱が高いな」
「すみません…」
「いや、あんたが謝ることではない。…それに、あんたには最近無理をさせすぎていたと皆反省していた。今回はいい機会だ、しっかり休養をとれ」
「はい…。……ありがとうございます、さいとうさん」
「じゃあ、ひとまずこの粥を食べろ。…まずは食べて体力を戻さねば話にならん」
熱のせいか、体にそれほど力が入らない。それを察してくれたのだろうか、斎藤が粥を匙で食べさせてくれた。
少々恥ずかしかったが、今の状況では文句も言えるわけがなく、千鶴はされるがままになっていた。
ふと、斎藤がなにか思ったようにまじまじと千鶴を見つめる。それに気づいて千鶴も斎藤と目線を合わせた。
「…どうかしましたか、さいとうさん…?」
「…いや、…ただ、この粥は俺が作ったからいいんだが、総司が作った料理は酷くてな。あれは食べ物というよりある意味凶器だ。皆の胃袋保護のためにも早く復帰して欲しいと思ったのだが…もう少しかかりそうだな」
「…ごめんなさい」
「いや、謝る必要はない。…ただ、これは俺の個人的感情なのだが…なんとなくあんたがいない生活だとなにか物足りなくてな。正直、つまらん」
少し不満げに眉をひそめた斎藤を見て、千鶴は珍しいな、などという場違いなことを考えてしまう。
確かに、ここ最近は斎藤について回ることが多かった。周りから見たら親鳥を追いかける雛のようで。
いつの間にか、それに慣れてしまっていたのだろう。この物足りなさはきっと―――。
「まあ、いつもあんたは無理をして俺やほかの幹部に頼るなんてことをしないのだから、たまにはこうして甘えてもらうのも嬉しいのだが」
(俺としては、いつものように元気な千鶴についてきてほしい)
――それでも。
(たまにはこうして甘えてくれた方が、嬉しい)
―――いつか、元気な時も甘えてくれれば。
それが、ささやかなる斎藤の願い。
*