十二夜
―辿り着いた先には、間違いなく同胞の気配がした




 ――亥の刻。
 ふと空を見上げれば、池田屋に着いた頃より随分と月の位置も傾いている。


「…流石に、これはちょっと遅すぎるな」


 永倉がそう言えば、沖田もそれに続いて口を開いた。


「近藤さんどうします? これでみすみす逃しちゃったら…無様ですよ?」
「……………」


 それまでずっと沈黙を守り続けていた近藤は、不意に立ち上がると千鶴の肩を叩いた。


「雪村君、少し池田屋から離れていてくれるか」
「………」


 はい、と頷けばよかったのかもしれない。
 けれど、この時の千鶴にはその選択肢は無かった。


「ここは危険だ。…浪士が下りてくるかもしれん」
「…助太刀が必要であれば呼んでください。そこらの浪士に負けるほど、私は弱くはないですから」
「ああ。そんなことにならないようにしたいものだがな」


 にこやかに笑って、近藤は踵を返した。
 そして、池田屋に踏み入る―――。


「会津中将お預かり浪士隊、新選組。――詮議のため、宿内を改める!」


 高らかな宣言に、小さな悲鳴が続いた。







 そして、怒号が響き渡る。
 断末魔が聞こえ、怒号が聞こえ、…最後に聞こえた声に千鶴は動いた。


「畜生、手が足りねぇ…!誰か来いよ、おい!誰かいねえのか!」

(……………)


 自然と千鶴の足が前に進む。
 口元は愉快そうに弧を描いていた。


「…せいぜい楽しませてくださいよ…!」


 あの時の羅刹じゃ物足りない。
 あんな赤子のようにすぐにやられる敵など、斬ったって楽しくない。
 やはり―――強い人間と戦うことこそが楽しいのだから…!


 ―――鳴り響く金属音。
 千鶴は強く床を蹴った。
 そして、そのまま目の前の浪士の間合いに入り込み、刀を横に薙ぐ。
 
 鮮血が顔に飛び散った。

 しかし、千鶴はそれをものともしない様子でもうひとりの浪士に斬りかかる。


「……随分と弱いですね。ホントにこの人たち男ですか?」


 全然物足りないと言わんばかりの不機嫌な表情。
 つまらなそうに切り捨てた死体を跨ぐ。


「…!君が来たのか…!」
「近藤さん!」
「……………。……すまんが、総司を見てやってくれるか。二階に居るのは総司と浪士がひとりだけだ。…総司に限って負けはせんだろうが、手傷を負うかもしれん。敵も相当の手練だ」
「…はい…!」


 そして、近藤はすぐに身を翻し戦場の只中へと戻っていく。
 千鶴は踵を返し、階段を一気に駆け上がった。


「沖田さんは、二階…!」


 


 ―――辿り着いたその先に居た人物に千鶴は目を見張る。
 

 月光に照らされて輝く金色の髪に、赤い瞳。
 どこか見覚えのあるその姿。

 入ってきた千鶴にも気付かず、沖田とその浪士は打ち合っていた。
 鋭い金属音が鼓膜を震わせる。
 闇の中を白刃が煌き、次の瞬間には鍔迫り合いになって、離れて。


「…貴様の腕もこの程度か」


 ああ、やはり。
 この喋り方には覚えがある。
 途端、腸が煮えくり返るかのような強い感情に苛まれた。


「さて、そろそろ帰らせてもらおう。要らぬ邪魔立てをするのであれば容赦せんぞ」


 そう、その浪士は目を細めながら言い放った。


「悪いけど帰せないんだ。僕たちの敵には死んでもらわなくちゃ」


 沖田は柔らかく微笑み、何の前触れもない動きで床を蹴る。
 再び、切り結ぶ音。


「…」

 
 千鶴は下に落ちていた茶碗を拾い上げた。
 あの浪士にはこちらに気づいてもらわなければならない。
 それに、気をそらしさえすればあとは沖田が何とかしてくれるはずだ。
 …そう、信じることにした。


 ―――ガシャンッ


 浪士は軽く刀を振るって飛来する茶碗を叩き落とした。
 ――そして、目線が交わる。


「…お前は…っ」
「よそ見は厳禁なんじゃないの? 敵を相手にしてる最中なのに、ほかの方に気を取られたら死ぬよ?」


 浪士が狼狽えたその一瞬に生まれた隙を突いて、沖田が刀を振るう。
 彼の一撃を、その浪士はなんとか受け止めた。
 しかし、大きく体制を崩して不愉快そうに顔をしかめる。


「―――いい子だね、千鶴ちゃん。後でいっぱい褒めてあげる」


 ……………。
 正直、その褒め方を想像するだけで背筋が薄ら寒いのは気のせいだろうか。
 でも、少しでも役に立てたことが素直に嬉しい。


「…こしゃくな…!どういうつもりだ雪村千鶴ッ!!」
「…やはり貴方だったんですね。風間千景…!!」


 トン、と軽く床を蹴る。
 それだけの動作でもかなりの速さで相手の間合いに踏み込むことができるのは千鶴の特性だ。


「なぜお前のような高貴な立場の者が、人間などに味方する…!?」
「別に、味方してるわけじゃないですよ。相手があなただから私はこちらに着いただけのことです」


 睨みつけてそう言えば、浪士は千鶴から間合いを取り直した。
 そして、今まで以上の勢いで沖田に斬りかかる。
 今までのように自分の刀でその一撃を受け止める。

 …しかし、上段からの攻撃はあまりにも重かった。

 微かに沖田の体勢が崩れると、その隙を見逃さず浪士は動いた。
 

「が…っ!?」


 腕力と同じく凄まじい脚力で彼は沖田を蹴りつける。
 その衝撃に沖田は床を転がり、胸元を抑えながら赤い血を吐いた。


「沖田さん…っ!」


 思わず、千鶴は沖田に駆け寄った。
 彼は千鶴に言葉を返す余裕もないようで、辛そうに咳き込むばかり。
 …もう、戦い続けられるような状態じゃない…!


「…雪村千鶴、お前も邪魔立てする気か? 俺の相手をするというのなら受けて立つが」
「ええ、私もお相手しますよ。…私を、幼い頃会った雪村千鶴だとは思わないことです」


 音を立てずに、千鶴は床を蹴る。
 一瞬にして消えた千鶴の姿に、風間と呼ばれた彼は驚愕の表情を浮かべた。
 気配を感じ、刀を振る。金属の打ち合う音が響いた。


「さすがは純血の鬼ですね。反射でここまでできるとは思いませんでしたよ」


 にやり、と笑えば。
 彼は千鶴がこんなにも立ち回れるとは思っていなかったのだろう。
 目を軽く見開き、品定めするかの目線を千鶴に向ける。


「私は速さだけは負けないし負けたくないです。…例え相手が……純血の鬼だろうとッッ!!」


 刀を横に薙ぐ。
 凄まじい速度で打ち込まれたそれを、風間はスレスレのところで受け止めていた。


「確かに速いが…力では俺には勝てぬッ!」


 ザッ、と風間の刀が横に払われ、千鶴は数歩間合いを取り直す。
 しかし、すぐに風間は距離を詰めて千鶴に刃を向けた。

 途端、千鶴の後ろにいた沖田が立ち上がり千鶴を庇うかのように刀を振るう。
 確かに、千鶴の攻撃はとても速い。
 きっと斎藤の居合並み…否、それ以上は速い。
 しかし、力では沖田と風間に到底敵わない…!

 それをわかっているから、わざと沖田は風間の攻撃を受けた。


「沖田さんッ!!? どうして…!」


 骨が折れてるかもしれない。
 もしかしたら、内蔵だって傷ついてるかもしれない。
 戦えるどころか、そもそも立ち上がれる状態じゃない…!

 
「…あんたの相手は僕だよね? この子には手を出さないでくれるかな」
「沖田さんっ!!」


 そんな千鶴と沖田を見て、風間はせせら笑った。


「愚かな。その負傷で何を言う。今の貴様なぞ、盾の役にも立つまい」



 瞬間、沖田の瞳に今まで以上の殺気が込められる。



「――黙れよ、うるさいな!僕は役立たずなんかじゃないっ……!」


 沖田は怒りもあらわに声を荒げる。
 それを千鶴は止めようと声を張り上げ、叫んだ。


「大きな声を出しちゃ駄目です…!血を吐いたばかりなんですよっ!!」
「………」
「風間の相手は私が…っ」

「…僕はそんなに頼りない?」

「…え?」


 沖田はそれだけ言うと、視線を風間に戻す。
 風間はさして興味もないような眼差しでしばらく千鶴たちを観察していた。
 そして、唐突に刀を納める。


「…どうして」
「会合が終わると共に俺の務めも終わっている」


 千鶴の問いかけに、風間はつまらなさそうな口調で返答した。
 そして、壊れかけた窓に近づいていく。


「…風間」
「……何だ」
「忠告します。…私に近づくことだけはしないほうが身のためですよ」
「…………それは次期当主としての意見か?」
「はい。…私を敵に回したときに敵に回るのは私だけじゃない。…北の全ての鬼を敵に回すことになる」

「…ふん、滅ぼされた雪村の生き残りが何を言う」
「北の鬼には西や京の鬼にはない力を持つ特殊な鬼が多いですから、十分お気を付けを」


 にっこり笑って千鶴が言えば、風間は眉をひそめる。
 そしてそのまま、身軽な仕草で窓から外に飛び出した。






*(20130311:公開)


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