八夜
―この人の言葉には罠がある











 ―――懐かしい夢を見た。
 周りが全て赤に染まり、それが空までもを覆い尽くしたとき途絶えた悲鳴。
 父様と母様が私と_を抱え、廊下を右に曲がろうとしたときに敵に追いつかれかけて。
 そして、父様と母様は私と_を逃がすために廊下に立ちふさがって。

 私と_はそこから全力で出口まで駆けて、走って、走って、走り抜けて。
 いつの間にか森に迷い込んでいた。
 夜明けが近い。白んできた空に炎の赤がよく映えている。

 その時だった。
 自分の隣に、自分のただひとりの片割れがいないことに気がついたのは。
 

「…かおる…? …っ、かおる……っ! かおる、かおる、どこ…!?」


 もう嫌だった。
 すべてが嫌だった。
 父や母だけでなく、自分から片割れを奪うなんて。
 どうして、どうして私だけ。そう思って。
 
 まだ、村の鬼たちは抵抗している。今行けば私も父や母のところに逝けるんじゃないか。
 そんなことを思っても、足が動かない。どうして、どうして動いてくれないの。
 ああやめて、殺さないで。言葉が喉まで出かかって、でもカラカラの喉から声は出てくれない。ただ、掠れた吐息だけが唇からこぼれていくだけ。
 奪わないで、私から全部を奪わないで。返して、返して、みんな返して…!
 どうして奪うの。どうして殺すの。どうして。









 どうして、私から何もかも奪ってしまうの。










「―――っっ」


 ぱっちりと目が覚めた。
 全身が汗でびっしょりになっている。気持ちが悪くて、千鶴はすぐに寝巻きから着替えた。
 そして、井戸へ向かって顔を洗う。
 氷のように冷たい水が、千鶴の思考を現実へと引き戻した。
 そして、ここが現実だということに安堵感を覚える。…ああやはり先程の光景は夢なのだと、大きく一回ため息をついた。

 ――この屯所に軟禁されてからいつの間にか2週間が経っていた。
 だんだん慣れて、少しずつ気が抜けてきてしまっているのだろうか。…あれを見たのは随分と久しぶりだった。
 改めて気を引き締めなければならないと心の内で思い、もう一度冷たい水で顔を洗う。

 ―バシャ、バシャ、バシャ

 もう大丈夫と何回自分に言い聞かせても、先ほどの夢の気持ちの悪さは取れてくれない。
 何回も気を入れ直そうと顔を洗うけれど、一向に気持ちがさっぱりする気配はなくて。
 仕方なしに最後に一回もう一度洗おうと水をすくったとき、

 ―ドンッ
 
 
「きゃあっ!?」


 後ろから唐突に押された。

 
「こんな朝っぱらから熱心に顔洗ってるけどどうしたの? ねずみに顔の上走られた?」
「お、沖田さん…! あ、おはようございます」
「うん、おはよう。…で、朝っぱらからどうしたのかな?」
「ちょっと夢見が悪くって…。…嫌なことを思い出してしまったので、気分転換みたいなところでしょうか」
「ふーん。…で、どんな夢? 話してみたら意外に次から見なくなったりするかもしれないし、言ってごらん?」


 途端、千鶴の表情がこわばった。
 それを見た瞬間、沖田の表情も固まる。
 

「…あ、…えと。…沖田さんに聞いてもらう程のことではないので、本当に気にしないでください…」
「………そう」


 …沖田は走り去っていった千鶴の背中を見つめながら自分も水を掬う。


「冷たっ」


 バシャリと掬った水で一度だけ顔を洗う。
 そして、袖口で顔を拭った。
 …一回掬っただけなのに、指先が痛みを帯びている。


(…夢見が悪かったとしても、あんなに顔を洗う必要はないと思うけど)


 それほど嫌な夢だったのだろうか。
 …なら、なおさら人に話したほうが楽になれるはずだ。
 しかし、千鶴が話さないと決めたのならば絶対に誰にも話さない、というのはこの2週間で嫌というほど理解した。

 どこか、千鶴は幹部に対して一線引いている。
 それは肉親に近い蒼に対してもそうだった。
 今日みたいにやんわりと断って、あまり相手に不信感を与えない程度に引いて、そしてはぐらかす。
 それが、どこか隠し事をしているようにも見えなくもないが、あの娘が嘘をつかない事はもうわかっている。
 だからこそ、これ以上は追求できないだろうことも。

 …それも、理解はしていた。


「…もう、あの子に対しての『監視』はただの建前なのにね」


 たったの2週間で彼女は全ての幹部からの信頼を勝ち得た。
 それは彼女の性格もあるだろうが、大きかったのは蒼の存在だったように思う。
 いつの間にか、誰もが彼女に心を許すようにまでなっていた。
 平助などは道場での朝稽古に付き合ってもらうまでになっている。

 自分もいつの間にか彼女を気にかけるようになっていて、そんな自分に少し驚いたりもしたけれど。


(…でも、千鶴ちゃんはまだこちらに気を許してはいない)


 いつでも、彼女は自分の領域に入り込まれるのを嫌う。
 徹底して自分の中に踏み込まれないように言葉を選んで。
 ――こちらとしては、そろそろ打ち解けてもらいたいと思うのだが。


(どうやったら懐いてもらえるかな)


 今度蒼にでも聞いてみよう、と心の中で密かに決意した沖田なのだった。








「ご馳走様でした」
「ごちそーさんっ」


 朝餉を食べ終わり、部屋のあちこちから『ご馳走様』という単語が飛び交う。
 その中で、ただひとり。…千鶴だけが元気なさげに永倉に朝食を譲る姿が見えて、全員が目を丸くした。


「あれっ、千鶴食欲ねぇの?」
「あ、うん…。…ちょっと夢見が悪くて、食欲なくって…」


 その言葉に沖田だけが少し目を見開いた。
 …一体どんな夢を見たのだろうかという好奇心が疼く。


「…ねぇ千鶴ちゃん、朝あんなに沢山顔洗ってたのにまだ気分が晴れないの?」
「あ、……はい」
「あんな冷たい水で何回も顔洗って、それなのに朝餉を残しちゃうくらいに嫌な夢なんだ」
「……………はい」
「…ね、どんな夢なの?」


 にこにこと笑顔で問われてしまえば千鶴に断れるわけがなかった。
 …しかし、…千鶴は押し黙ってなにか考え込む素振りを見せるだけ。
 口を開こうとはしなかった。
 
 そして、目の前の膳に目をやって、


「あ、私、膳を片付けてきますねっ! この話はもう終わりに…」
「逃げるつもり?」
「……………っ」
「膳なら新八さんが持って行ってくれるって。…ね、新八さん?」
「あ、ああ! 膳の心配はいいぜ、千鶴ちゃん」


 千鶴が逃げそびれた子犬のように眉を八の字にして、俯く。
 流石にずっと千鶴にこの状態のままで居させるわけにも行かないため、誰も口を挟まない。


「…どうしたの? そんなにやましい夢だった?」
「…やましくはないです。…ただ、思い出したくないだけ…」



「そこまで言えば、兄様なら分かりますよね?」



 ふい、と千鶴は目線を廊下にやった。
 朝餉の時にはいなかったもうひとりの幹部―蒼がひょっこり顔を出す。


「……ああ」
「………それじゃあ、私は失礼しますっ」


 そそくさと千鶴は部屋を出て行ってしまった。
 そして、残された幹部たちとすれ違いざまに戻ってきた永倉の目線が蒼に集中した。
 しかし、蒼はその視線に動じない。


「…千鶴が話したい、と言わない限り。…話してもいい、と言わない限り、俺も何も言いません。…これは、あいつの過去に関わる話ですから」


 蒼はただその一言を残し、踵を返して去っていった。







「―――千鶴ちゃんの過去、ねえ」
「総司、あんまり追求しすぎるな。…あの二人がここまで話そうとしないんだ、なにかあるだろ」
「その何か、が気になるんですけど。…まあいいです」


 少し不服そうにそう言って沖田は広間を出る。
 その後ろ姿をため息をつく土方と幹部隊士達が見送るのだった―――。














(20130310:公開)

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