五夜
―彼の前の彼女はどこか和らいで見えて


















「―――千鶴ちゃんが、居ない」


 朝、千鶴の部屋を訪れた沖田が低い声でそう呟いた。
 後ろで待機していた斎藤が深い溜息をつくのが聞こえる。


「…逃げたか「逃げてませんっ!!」
「…千鶴ちゃん? 僕らの許可なくどこ行って―――」
「あーすいません。俺のせいです」


 さらに後ろから聞こえた抗議の声に、沖田と斎藤が振り返る。
 そこにいたのは声の主である千鶴と、今日の夕方頃帰ってくるはずの―蒼だった。
 予想外の人物の登場に目を丸くしながらも、どうして二人が一緒にいるのかが気になって沖田が口を開こうとしたとき。


「………」
「千鶴、そんなじとーっとした目で見るな。…いろいろ悲しい」
「………」
「はいはい。…分かってるって、俺のせいだって。認めるからその目やめて」
「やっぱり認めてなかったんじゃないですか。私の感は当たるって知ってました?」
「知ってますごめんなさい」


「…何この会話。…一君、何か知ってる?」
「………知るわけないだろう」


 すっかり二人に取り残された沖田と斎藤が溜息をついた瞬間、二人がハッとして振り返る。
 

「あー…すいません。どうしてもこいつには喧嘩で勝てない気がして…」
「聞いてないよそんなこと」
「………………」
「千鶴、今お前が思ったこと言ってやろうか。『うわ何この人、全然空気読んでないよKYだようわぁー…』」
「分かってるじゃないですか」


「……蒼」
「すいません」
「雪村と、一体どう言う関係だ?」
「…かなり複雑ですけど…説明しますか?」
「うん。詳しくね」


 しばらく蒼の説明に耳を傾ける沖田と斎藤。
 

「つまり要約するとこういうことです。昔千鶴を助けて、それで一緒に暮らすようになって、綱道さんに引き取られた」
「最初からそう言え。長く説明されても脳内での整理がつかん」
「すいません」
「…副長のところへは行ったのか」
「行ってませんごめんなさい」
「はぁ…そうだとは思っていたが。…雪村はこちらで見ている。お前は副長のところへ行って来い」


 そう斎藤が蒼に告げた途端、千鶴の瞳に不安の影がちらついた。
 それは蒼しか気づかなかったが、それでも蒼と離れるのは千鶴にとって少し怖いことなのだ。
 …いつ殺し合いになってもおかしくない相手と3人きり―――まだ一人なら逃げることもできるが、流石に沖田レベルがもうひとりともなると、逃げることはできない。
 それに刀を取り上げられている今、この2人に勝つ術を千鶴は持たなかった。

 だから、ここで唯一気を許せる相手と離れることがどれほど千鶴を不安にさせたのか。それは計り知れないもの。
 ただ唯一蒼だけがそれに気づき、そして自然と言葉を紡ぐ。


「…流石に昨日から殺す殺す言ってる奴らと3人きりは千鶴も嫌だろうし、一緒に連れて行きますよ」
「何、千鶴ちゃん。話したの?」
「いえ…「俺が聞いたのは何故こっちに来たかってことと、千鶴が昨日捕まったってことだけですよ。そこまで聞けばなんとなく予想はできる」


 わざと千鶴の言葉を遮って、蒼がそのまま話を続けた。
 そして、千鶴を無意識に庇おうとしているのだろうか、蒼は一歩千鶴の前に足を踏み出していた。


「コイツは俺が見ときますので、総司と斎藤は先に広間に行っててください」
「…信用できないな。僕も一緒に行く」
「……………千鶴、俺の右隣から離れるな」
「はい」
「そこ即答するところなの?」


 そして、蒼は千鶴の手を引き誘導する後ろを沖田が付いていく形になりながら、3人は土方の部屋へ向かった。




「…土方さーん…起きてますかー。…お久しぶりですー」
「何で棒読みなんですか…?」
「そこは気にせずだ、千鶴」


「…蒼?」


 中から聞こえてきたのは確かに土方さんの声だった。
 蒼、と呼ぶときには少し上ずっていたが。


「…おい蒼、どうしてそいつまで連れてきた」
「流石に殺す殺す言ってる奴らと3人きりは可哀想ですから」
「で、お前とそいつの関係は?」
「家族みたいなもんですかね?」


 どこか蒼の言葉に棘が含まれているのは気のせいではないだろう。
 …おそらく、怒っている。言わずもがな、千鶴の扱いについてなのだろうが…。
 しかし、蒼はそれを口には出さなかった。


「報告はこの書類に全部書いてあります。…で、あと一つお願いがあります」
「…何だ」
「千鶴の世話役は俺に任せてくれませんか? …俺の方が一番信用ありますし」
「何げにひどいこと言うね、蒼」


 だってそうじゃないかと蒼の目が物語る。
 しかし、土方は蒼の考えに首を振った。途端、蒼の眉間に皺が寄る。
 ―――どうしてだ、と。…そう、目が訴える。


「流石にお前一人には任せられねぇ。…仕事だってあるんだ、ずっとは無理だろう」
「…ほかの奴にもやらせるんですか?」
「………まぁな」
「………土方さ「兄さん、私、大丈夫ですよ?」嘘つけ。さっきだって怯えてた癖に何言ってんだ」
「…でも、我慢できますし…」


「ほらほら、妹ちゃんもそう言ってるんだから。…それに、ずっとほかの奴が見てるってわけじゃないんだし?」


 後ろから助け舟を出してくれた沖田の方を振り返る。
 ―――この人は、やはり、どこまでもどこまでも気まぐれな人物だ。
 さっきまで千鶴のことなどどうでもいいという態度だったのに、いきなりのこの変化。 
 …どうしてかと言われれば――。


 翡翠の瞳が、面白そうに細められる。

 反射的に千鶴が一歩後ずさる。

 沖田の口が声を出さずにまたあとで、と千鶴に告げる。
 反射的に悲鳴を上げそうになって、少し焦った。


「それに…ほかの人にも慣れてもらわないと困るしね。…面白そうだし、今度相手してよ」
「…沖田さんとは最初に相手したような気がするんですが」
「まあいいじゃない。っていうかあれは君が止めちゃったから試合の一つにもなってないと思うけどな」
「……………分かりました」

「千鶴、お前一体どんな出会い方をしたんだ?」
「えーっと、確か血に狂った羅刹を千鶴ちゃんが全部斬り殺しちゃって。…そのあと面白そうだから攻撃したらこの子の攻撃、だんだん早くなってきてさ」
「…前に俺が言ったからか? 千鶴」
「…えっと…その……………はい」
「なんて言ったの蒼。危うくこの子が逆刃にしてなかったら僕死んでたよ? 多分だけど」
「知らないですよ。…まあ心当たりはありますけど」

「ふーん。蒼のことだからあれだね、何か助言的なのを言ったんでしょ」


 びくりと千鶴の方が揺れた。
 それを見て沖田がクスクスと笑う。


「…ふーん。…千鶴ちゃん、君って結構単純なんだね」
「言わないでください」


 いつの間にか、沖田は千鶴の隣に座る場所を移動していた。
 そして、面白いものを見るかのような目線を千鶴に向ける。


「ね、千鶴ちゃん」
「なんでしょう」
「―――ちょっと朝餉が終わったら、僕の相手してよ」
「あ、わかりまし―――…って、まさか沖田さんのですか?」
「当たり前じゃない。それ以外に誰がいるっていうのさ」


「勝てる気が全然しないのは私だけですか」
「……千鶴、嫌ならやらなくてもいい」
「何横槍出してんの蒼。…やるよね絶対やってくれるよね千鶴ちゃん?」
「そういうところ、何で早口になるんだか…。…はぁ、土方さんいいですか?」
「…まぁ、コイツの実力は気になってたところだし…いいだろう。……でも確か、この間は総司一人で押されてたな…」
「押されてましたけど偶然ですよ「押されてたのには変わりねぇだろ」


「蒼も少し信用ならねぇし「え、酷くないですか土方さん」雪村、お前はこれから広間で飯食っとけ」
「え、土方さん俺無視?」

 
 ―――蒼が帰ってきたことで、この場所の雰囲気が柔らかくなった気がする、と千鶴は思う。
 蒼が無意識のうちに庇ってくれているからであろうその平穏を、壊したくないと。…そう切実に願う他なかった。










































「―――ほら、千鶴ちゃん行くよ」


「…総司、何人の妹の手を握ってるんですか」

 























(20130211:公開 20130302:改稿)





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