14.07.06 鏡(詞紀×秋房)
────小さな鏡。
掌に収まる丸を描いた形のそれは裏面には美しい細工が施されている。銀で出来ているのか、鮮やかな光沢を放っていた。
……彼がこれを自分で選べるとは思えないのだけど。
私はその鏡をまじまじと見詰めながらそう思い、色々と考えてみた。
古嗣様への遣いの為に、秋房は先日一人で京へと旅立った。護衛を付けるべきだと再三言ったのだが、必要はない、と突っぱねられた。
確かに秋房程の腕前であれば、道中の賊や京での追い剥ぎくらい瞬く間に倒すことは出来ると思う。けれど、それでも心配は付き纏う。
それは、妻として当然の気持ちだと思う。
難度もそう説得したが、季封の人手を減らすのは躊躇われるし、本当に大丈夫だと、秋房は一人で京へと向かった。
彼が帰ってくる幾日もの間、私の胸には不安が募り、満足に眠れない日々が続いた。しかし、秋房は無事に季封の地へと、笑顔で帰り戻った。
その笑顔を見れたことが嬉しくて、人前だというのに抱き着く私に秋房は困惑しながらも、土産だと言ってこの鏡を手渡してくれたのだ。
秋房の帰還。綺麗な鏡。その心遣い。
全てが嬉しくて、直ぐには気付かなかった。
──秋房が、こんな女子の好みそうなものを選べるものだろうか。
秋房のことはよく知っている。
手土産を買う、というところまでは思い付くだろう。しかし、こんなふうに、こんな鏡を選べるだろうか。
秋房といえば、騙されやすい。
以前共に京を訪れたときは行商に騙されて、変な石を買わされそうになっていた。しかも、私の為に。
そう、秋房はそういう人だ。
私の為に何かを買ってくるならば、そういった変なものを騙されて買ってきてしまうのではないだろうか。しかし、この鏡はきちんとしたものだ。
騙されて買わされたようなものではない。
「京に女でもいるのか」
不意に、背後から声がした。
「空疎様っ」
私はそれに驚き、思わず鏡を落としそうになったが、どうにか持ち直した。
「あやつがそのようなものを選べるとは、我も思えぬ」
……何故、私が思い耽っていた内容がわかるのだろうか。いや、誰でもそう思うということか。
「秋房に限ってそのようなことはありません」
私は語尾を強くして否定をした。勿論、心から。
「は。どうだかな」
空疎様は鼻で笑うかのようにして言った。そう言われると、一抹の不安が胸を過る。
もしかしたら、全てが終わり、妻となった私に愛想が尽きたり、理想と違っていたのかもしれない。だから、京にて、素敵な女子を見付けたのかもしれない。
途端に不安になるが、頭を振り、その考えをも振り払う。秋房に限って、それだけはない。そう信じたいのだ。
「空疎っ。姫様の寝所で何をしているんだっ」
もやもやとしたものが膨らんだとき、秋房の怒声が春香殿に響いた。
「……己の妻をまだ姫と呼ぶか」
空疎様は秋房の私の呼び方に辟易したような表情を見せる。私としてはとうに慣れたし、もう突っ込むつもりもないのだが、周りからしたら不自然なのだろう。
「そんなことはどうでもいい。早く出ていけっ」
秋房は空疎様を追い払うように手を扇いだ。それに空疎様は煩わしそうに眉をしかめ、秋房を睨む。けれどそれも長くは続かず、早々と春香殿を後にしていった。
「……秋房? あのね、私に何か不満とかあるのかしら?」
心の中で悩んでいるくらいなら、いっそ聞いてしまった方がいい。
「姫様っ? 何故です? 姫様に不満などあるはずがありません」
秋房はやけに凛々しい表情で、それが当たり前のことかのように言い放った。何故かそれだけで、不安は一気に吹き飛ぶ。
その表情だけで、彼が如何に自分を愛してくれているのかがわかるから。
「そのね、この鏡なんだけれど……」
「お気に召されませんでしたかっ? 俺は贈り物を選ぶのがどうにも苦手で、色んなものと迷ったのですが、どうにも決め切れず、嫌々古嗣に助言を貰ったのですが……」
秋房は凛々しい表情を呆気なく崩し、おろおろとした。
そして、合点がいく。
古嗣様に助言を貰ったのであれば、秋房でもこれくらいのものを選らぶことは出来るのかもしれない、と。
「そんなことないわ。とても気に入ったの。けれど私は、秋房が選んでくれたものなら何でも嬉しいわ」
私が鏡を抱き締めながら言うと、秋房は安堵の表情を浮かべた────。
「古嗣様には何と助言を頂いたの?」
「姫様に似合うものを選べばよいと。それで、姫様はお美しいので、それを映せる鏡にしました」
そう、てらいなく言う秋房に、私の方が照れてしまったのは言うまでもない。