14.05.04 星空(詞紀×秋房)








────全ての災いと柵、そして闘いを乗り越えた季封村に新たな季節が訪れた。長い冬を越え、生命の息吹く春を通り過ぎ、新緑と空の青さが眩しい夏を向かえた。

昼の風は日陰であるならば、心地好い涼しさを与え、夜になれば熱を孕む。陽射しは遮るもののない場所であれば肌に刺すような刺激を与え、物陰であれば遠くの目映さを感じさせる。



そんな新しい季節の中で新たな物語が紡がれていく。


──「姫様っ、姫様。ご覧下さい」

秋房が御簾を持ち上げた向こうを指差して言うと、詞紀が僅かに唇を尖らせたのがわかった。美しい朱をした唇を、まるで子供のようにする詞紀の表情はいつものものと違い、至極可愛らしいのだが、今、秋房の脳内を占めるのは賛辞の言葉ではなかった。

もしかしたら、眠りにつこうとしていたのだろうか。

詞紀の機嫌を損ねたのかもしれない。秋房はそう思いながら、ちらりと詞紀の様子を窺った。

「……何でございましょうか、秋房様」

秋房と視線を交わらせた詞紀は唇を尖らせながらそう言った。

──ああ、またやってしまった。

幾ら共に死線を乗り越え、夫婦になったとはいえ、それまでの主従関係が途端に消えてなくなるわけではない。勿論、今秋房の立場は玉依姫の護衛などではなく、玉依姫の夫だ。

だけれどそれは立場の話であり、だからといって、秋房の気持ちがそれに伴って急に変わるわけではない。幼い頃からずっと玉依姫である詞紀に仕えてきたし、命を懸けても護ると己に誓ってきた。それは夫となった今もそれは揺るぎない誓いとして胸の奥に残っている。

とはいえ、いつまでも自身の妻となった詞紀に対して「姫様」と呼び、敬語を使う秋房を、詞紀は面白くなく思っているようだった。以前、そのことについては話した。性急に変える必要はない、と話は纏まったと秋房なりに記憶していたのだが、どうやら詞紀の中では違ったようで、時折こうした態度を見せる。

「何の御用でございましょうか、秋房様」

そういったとき、詞紀は必ず「秋房様」と呼び、まるで自分のような言葉遣いをする。ずっと仕えてきた姫にそのような言葉遣いをされると、恐縮と恐怖を感じる。

──完全に機嫌を損ねられている。

秋房はそう思いながら、小さく咳払いをした。何度呼んでも、緊張するなというのが無理な名前。微かに震える唇でのその名を紡ぐ。

「し……詞紀」

一度口にするだけで、全身に緊張が走る。

──せめて、様を付けさせて欲しいが、それだと「姫様」と呼ぶのも何も変わらない。

「ですから、何の御用ですか?」

今更呼び直したところで、詞紀の機嫌が簡単に直るわけもなく、詞紀は渋々、といった様子で秋房の元へと寄ってきた。いつもは着飾っている姿も、今は簡素な寝間着のみ。

詞紀の寝間着姿を見たことがないわけではない。幼い頃から幾度となくある。けれど、こんなに近くで、寄り添うようにして見るようになったのは夫となるまでなかった。

詞紀は機嫌を損ねているわりには、秋房の背に身を預けてきた。背中越しに伝わる温もりに安心感と落ち着きのなさを覚える。相反する感覚は胸の有地で燻る。

詞紀がこんなふうに身を寄せ、安堵した表情を見せるのも自分が夫となってからだった。それまではいつも美しい中に、苦痛に満ちたものを滲ませていた。

玉依姫でいなくてはならない。そういったものが伝わってきていた。けれど、今の詞紀は違う。一人の女性として、こうした表情を見せてくれる。

そう考えると、自然と言葉は出てきた。

「見てくれ。星空が凄く綺麗だ」

上擦っていない秋房の声に、詞紀は驚いた様子でそっと身体を離した。そして、秋房が指を向ける、満天の夜空へと視線を向けた。

「まあ、本当に綺麗」

詞紀はそう言って、表情を綻ばせた。

いつの間にか隣に並ぶ横顔は、幼子のようにも見え、秋房の胸には愛しさが広がった。溢れ出るばかりの気持ち。

「こんなふうに、夜空を並んで見ることが出来るとは思わなかった」

秋房が言うと、詞紀はふふ、と笑った。綺麗な笑みは夜空へと溢れる。

「私はずっと憧れていたわ。貴方とこんなふうに、夜空を眺めたいと。あの、幼い頃から」

彼女の手を引いて逃げたあの頃。何もわかっていなかった、わかろうともしていなかったのかもしれない。それでも、彼女の隣にいたいと、彼女に穏やかな気持ちでいてもらいたいという想いだけは何一つ変わらない。

──常世神。嘗ての神も玉依姫の隣でそう思ったのだろうか。

玉依姫の隣で、こんなふうに穏やかな気持ちで、夜空を見上げたいと思っていたのか。嘗ての玉依姫も。

それらの生まれ変わりとも取れる自分達。長い年月を経て、その想いは叶ったということだろうか。

そう考えると、秋房の瞳からは一筋の涙が溢れた。

「秋房、どうしたの? 私の態度が悲しくなったの?」

それに慌てたような詞紀がその涙をそっと拭ってくれた。温かな温もり。嘗て得ることの出来なかった、己から失ってしまったその温もりに、また涙が溢れる。

「いいのよ、貴方が話したいように話してくれれば。たまに拗ねてしまうことはあるけれど、それは貴方の反応を楽しんでいるだけだから」

詞紀の本音に思わず笑いが溢れた。本当に機嫌を損ねていたわけではないと知り、安心もする。

これからずっと一緒に、共に隣にいられるというのに、込み上げる焦燥感は一体何なのか。離れ過ぎた時間を取り戻したいと願っているのか。僅かな離れた時間をもどかしく、哀しく思うのか。

手を伸ばした先に愛する者がいてくれることが、堪らなく嬉しくて、愛しくて、秋房は詞紀を抱き締めた。弱い力で、けれど、掌には力を込めて。

「もし、俺達が再度生まれ変わることがあるのならば、また、こうしていられるのだろうか」

思わず洩れた言葉だった。

「ええ、必ずこうしていられるわ。だって、秋房はいつでも私を愛してくれるでしょう?」

悪戯っぽく言い、抱き締め返してくれる温もりにまた、涙が溢れる。やっと、やっと、抱き締めることが出来た。そんな想いが身体中に広がる。

何百年後、もしかしたら、千年後かもしれない。それでも自分達はまたこうして出会い、互いに愛しく思うのだろか。それとも、違う誰かを想う彼女でも、愛しく思うのか。

願わくは、またこうして、優しく抱き締め合う関係になりたい────。



「姫様、冷えると風邪をひきます」
「……こんなときに風情がないわ」

詞紀はそう言って微笑み、秋房の頬を優しく撫でた。











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