神威殿の心情は、いえ、人の心というものは、機械の私には土台理解できません、となまえは言う。なにやら憤りを覚えた神威は気まぐれに提案した。

ちょっとした実験なのだと神威は明るく微笑む。なまえは少し間を置きさも思案中といった表情をありありと見せてから、ええと頷いた。彼女は指の腹を口内に含むと躊躇なく噛みそれを引き抜き神威の眼前に掲げる。指からは真っ赤な鮮血が滴っていた。神威は大きく首を縦に上げ下げし

「怒ってる?」
「怒りを含め感情なるものは持ち合わせておりません」
「その血もどきは何でできてるの?」
「本物の人間の血とほぼ同じ成分でできていると思っていただいて構いません」
「痛みはあるの?」
「ありません」
「その血を見てどう思う?」
「何も思いません。そもそも思案の概念が理解できません。更に言うと私は理解ができません」

元来寡黙ななまえが珍しく長談義するものだから神威ははたと目を上げた。神威は、花顔である。だがなまえより幾分親しみやすい美しさだった。

「よっぽど理解できないことがあったら、どうなるの?」

彼女は微苦笑するも能わず

「私は壊れてしまいます」

それを聞いて神威は満足げに綺麗な赤だねと呟いてなまえを見やった。引っ付いた笑顔に悪意は見られない。神威は大方子供らしくなかった。なまえは自らより頭一つ分大きい神威を見上げる。

「初めてお会いした時からあなたはご成長なさいました」
「そりゃそうさ。それに比べて君は変わらない」
「あなたの言葉をお借りすれば、そりゃそうです」



なまえは、きちんと学習するよう設計されているが、あまりに残酷を好む神威を時折たしなめた。そういう場面は大抵なまえも人なり夜兎なり殺害した直後であり夜兎のそれすら比較にならぬ抜けるほど白い表皮に赤が点在していたりした。神威に関しては特にそういった干渉なんかがどうして気に入らないらしく、保護者気取りだのなんだの、今より言葉のつたなかった頃はより素直にまくし立てていた。

「倫理的に考えて、あなたはおかしいです」
「へえ。お前って倫理的に考えられる機能も搭載してたんだ」

こう切り返すとなまえは必ず黙る、神威は春雨の誰よりなまえの扱いに長ける。それに何故だかなまえを機械として受け流すのができていない節が多々あった。

「なまえ、俺は時々分からなくなるよ。お前は機械なのにね」

だから神威は不意に訊いてしまうのだ。すれば自身の最も嫌う保護者気取りを垣間見ることになろうと覚悟の上である。ええ、となまえは彼の心情など知ってか知らずか至ってたおやかな声色で呟き、神威の額に手を置いた。それから自らの服の袖や指を駆使して返り血を拭ってやる。特筆すべきは彼女にしてみればそれは力を抜き切り嫌に慎重に行っている、ということだ。実のところ機械の体を持つなまえは神威以上に力の加減を想定し自活していた。
目太むほど冷たく白い女の手を模したその無機物はやがて神威の眼孔を覆った。しかし思いのほか心持ちが良かったので神威は安心して目を瞑った。



何年か前の、彼自身が春雨に入ったばかりの頃、なんとなく自らに与えられた部屋から抜け出してみたらだだっ広い船内で迷子になり人目につかない、まるでドクダミでも生えていそうな廊下にうずくまっていた。ふと目線を感じ頭を上げると、なまえがいた。
ぼく、どうしてこんなところにいるのですか
あの春雨に女がいたのか、と神威は極めて純粋に驚いた。しかも信じられないほど優麗な面差しであった、が、不思議なことに冷たい印象ばかりが強調された。
迷い込んでしまったのですね
女は口角をきゅっと持ち上げ神威に手を差し伸べた。彼が名を尋ねても、お前の言う名は持ち合わせていないと言う。彼は安直であるままにかわいそうだと呟いた。ではお前の名を教えてくれと応える。俺の名前は、と言いかけた。

「神威殿」

重い瞼をもたげると暗闇がある。なまえの手が成す暗闇である。それは神威が唯一知る安全な暗闇と似ている。
神威は悄然とした様子でずるずると壁伝いにしゃがみ込んだ。

「……君は……どうしてそんなに強いのに、夜兎じゃないだろう。少なくとも人間だったら」
「よりあなたの世話を焼けます」

下方から彼女を睨み上げると、ちょうど首筋の辺りになにやら刻印が施されてある。初見である。真正面から彼女を目す平生では見えぬ位置であった。神威が手を伸ばすと彼女は素早くその隣に腰を下ろし首を傾け思うまま刻印をなぞらせた。なまえはおもむろに目を瞑る。
目を凝らすとそれは数字の羅列であった。

「私は地球で言うところの二十年前に製造されました」

それを聞いた神威はわずかに眉根を寄せ

「俺達、まさか同い年?」
「ええ。神威殿はようやく私の身長を抜かしました」

今回ばかりは、困ったように微笑した。


110314

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -