海底を深く潜る魚に目がないように低音を出すためにチューバが巨大であるように私も然るべき姿に変わっていった数年間だった。涙が流れないように雪が舞う日本の、冷たい空を仰いだ。

中学の頃、音楽の授業をサボったことがある。



「そう隠れても無駄だよ」

これはまずい。見つかった。何故見つかった?ちゃんと隠れて……それよりこの男、風紀委員の雲雀だ。しかしコイツだってサボっているのは同じなんじゃ。停学か退学か……まさか命……

「そういう風にコソコソしてると目に付く。堂々としてる方がまだマシだ」
「ご、ごめん。いやすみません」

ジーッと蝉が猛烈に鳴いてぶっ飛んだ暑さをぶり返した。昼下がりはこの時期でなくとも一日の中で最も暑く、しかし何を血迷ったか私はぼんやり屋上を訪れていた。エスケープに屋上という選択は聞こえが良かったのだ。屋上の隠れた湿っぽい空間に、いきなり出てきた雲雀のせいでよりいっそうの影が落ちる。その嫌に伸びた前髪がはらはらと流れた。ふと蝉の絶叫の勢いに完全に負けを喫す弱々しい歌声が断片的に聞こえた。十中八九クラスメートのそれだろう。訝しげな表情をそのままに雲雀が踵を返したのとほとんど同じくして私は音楽室のある校舎を見やった。

「僕が君なら音楽はサボらないね」

視線を戻す。雲雀はもう数歩歩を進めており太陽光線を浴びていた。男子としては色白な方だろうから焼けてしまうのはもったいない。

「……え?」
「音楽は唯一楽しいっていう漢字が入っている教科だから」

中学生だった私はそれですっかり閉口してしまった。



日本の、それも並盛の雪を見るのは久々だった。雲雀は私を置いてずんずん帰路を急ぐ。その背中を半ば諦めがちに追った。

あれから何年も経って、私は何やかんやで雲雀の近くにて年月を送った。縁は異なもの味なものである。当年とってもう二十四。
雲雀の日本人らしい真っ直ぐで真っ黒な細い髪は私の彼に関する最も古い記憶、つまり中学の頃の彼の髪より短くなっていた。そのお陰でただでさえ鋭い目つきがより強調されている。
今でも時々夏の屋上で雲雀が放ったあの言葉を思い出す。僕が君なら音楽はサボらないね。一体どうしてあんなことを言ったのだろう。僕が君ならとはどういう意味だろう。何故私に言ったのだろう。

「君は相も変わらず馬鹿だな」

雲雀は振り返りもせず言い捨てた。いっそ清々しく語尾にハートを付けて馬鹿なのーとは言えない。言えやしない……というのもここ何年間に学んだ要項だ。つまり馬鹿なのとは心外である。これは特筆すべきことだ。だから私はわざわざ歩みを止めた。

「頭は弱いままかもしれないけど私は変わったと思いますね」

やっとこさこちらを見、静止した。雪の舞う田舎町の狭い道路に佇む大人二人。奇妙だ。

「どこが」

突き放すような言い方で雲雀は薄ら笑った。
そうだなあ。

「雲雀に出会ってから、いろいろだよ」

それでもなかなか素直に答えたつもりだったが何がいけなかったのか雲雀は大きく溜め息を吐いた。反射的に間合いをとる。彼はつり目をよりつり目らしくさせて鈍感な女と呟いた。だってあなたを思って泣いたりするとはとても言えないじゃないか。弱い小動物は嫌いなのだろう。しかし彼は会話が終了しても一向に歩き出さず、急いで彼の横へ駆け寄った。



私は日陰から這い出て思い切って雲雀の隣に並んでみた。陽向は想像以上に暑く汗が吹き出した。その暑さに浮かされ口を吐いた言葉は本当に間が抜けていた。

「お、音楽好きなの?」

雲雀も呆れたように私を見てからふと顔をもたげた。「別に。ただ僕の前でそんな陰気臭い顔は止めろってこと」

暑い、ぶっきらぼうにそう言って、雲雀は遥かな並盛の空を仰いだ。


110209
参 鰺缶「江ノ島エスカー」

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