世界は全てお芝居だ | ナノ


  上


「発声すっぞー並べー」
「はい!」
 演劇部員全員――と言ってもたったの五人だが――で横一列に並ぶ。顔を上げると、薄い雲に覆われ淡い光を放っている太陽があった。真(まこと)は目を細めて太陽を見上げる。暑くもなく、寒くもなく、湿度もちょうどいい。最高の天気だ。
「じゃあロングからー」
 パン、と部長が手を叩く音で、真は息を深く吸い込んだ。

――開幕まで、あと五時間。

* * *

桜舞う四月某日。一条真(いちじょうまこと)はここ、小見山高校に入学した。
実家からは遠く離れているが、偏差値が県内一ということに加え寮もあるということから、両親にもあまり反対はされずに推薦入試でスルリと合格した。
同じ中学校から小見山高校に入学したのは真ただ一人。一からの高校生活が始まった。しかし、クラスには真と同じように遠いところから来て寮に入っている人が何人かいたためすぐに打ち解けることができ、それを機にクラスのほとんどの子と仲良くなることができた。
「マコちゃんは部活どうする?」
 クラスで一番仲の良い友達が話しかけてきた。ちなみにマコちゃん≠ニいうのは真のあだ名だ。
 小見山高校は文武両道を掲げている学校で、生徒は全員何かしらの部活に入らなければならない決まりがあった。何かの運動部は確か全国大会まで行くほどの実力を持っていたような気がする。
「マコちゃんって中学の頃は何やってたんだっけ?」
「何もやってないよ。帰宅部」
「ええ〜そうなんだ。てっきり運動でもやってるのかと思ったよ」
 確かに、運動神経は人より優れている自信があった。小学生の頃からずっと、スポーツテストは学年十位以内に入っていたからだ。でも運動部には入れなかった。なぜなら……
 真は当時のことを思い出したが、首を振った。
「高校から何か運動始めようかなぁ」
「運動神経良さそうだもんねえマコちゃん。あ、じゃあ早速放課後一緒に部活見学しに行こうよ!」
「うん、いいよ」
「どこから見学行こうか?」
 友達が生徒手帳の部活一覧のページを開いた。と、そこで真はあることを思い出した。確か今朝、昇降口でいろんな部活の人がビラ配りをしていて、たくさんビラをもらったのだ。いや、押し付けられたというほうが正しいか。
 真は机の中からそれらを取り出した。
「あー、今日昇降口で配ってたよね〜。私、怖くて何も受け取らず走って来ちゃった」
「情報収集しなきゃだめじゃーん」
「はーい。見して見して」
 運動部はかなりオーソドックスな部活ばかりだ。野球、サッカー、陸上、バスケ、バレー、卓球、バドミントン、テニス、水泳、チア、剣道、弓道、柔道……ビラを見てみると、マネージャーを募集しているところも多い。文化部は、吹奏楽、合唱、茶道、書道、美術、英語、写真、家庭、演劇、放送、天文学、囲碁将棋……。
「私ちっちゃい頃からダンスやってたからチアいいなって思ってるんだけど、マコちゃんどう? 一緒にやらない?」
「チアかぁ……」
 そう言いながらビラをパラパラと捲っていると、カラフルに色が塗られたビラで真の手が止まった。
『演劇部新入生歓迎公演のお知らせ』
 日時は今日から四日間、放課後十六時半から二十分ほどの上演。場所は一階多目的教室。上演終了後に演劇部の説明会もあるらしい。二十分くらいなら、四日間のうちどこかで観に行ってみようかな、と真はその下に書いてあった劇のあらすじを読んでいく。
 そして最後に書かれた文字に、真は目を見開いた。
『自分を変えたい人は ぜひ演劇部へ』


 その日、真は帰りのホームルームが終わった後、すぐに一階多目的教室のドアの前に来ていた。一緒に来ようとしていた友達はやはりチアを見に行きたかったようで、結局一人で来たのだ。
 さて、どうしようか。真はドアの前で固まった。今の時間は十五時四十分。上演が始まる時間の約一時間前だ。さらに言うとホームルームが終わってすぐの時間。そんな時間に入っていいのだろうか。人はいるのだろうか。いや、寧ろこの教室は開いているのだろうか……。
 まあとりあえず開けてみればわかるか、とドアに手をかけた時だった。
「一年生?」
「!」
 後ろから声がして、反射的に振り向く。すると、もさもさした髪の毛の男が、人差し指でくるくると鍵を回しながら真を見ていた。いや、髪に隠れて目は見えないので真に顔を向けている≠ニ言ったほうが正しいか。
「新入生だよな? もしかして演劇部見に来たのか?」
「あ、はい!」
 ふーん、と男は振り回していた鍵をキャッチして、真を退けて教室の鍵穴に挿し込んだ。
「まだ開演までかなり時間あるけど、他のとこ見て来なくていいのか?」
 ふん、と力を込めた様子で鍵を回す所を見ると、少々立て付けが悪いようだ。
「大丈夫です」
「そっか。なら中で座って待ってて」
「ありがとうございます!」
 中に入ると、椅子が均等に並べられていた。体育館のステージのような高さのある場所はなく、椅子の向きでだいたい黒板の前のスペースが舞台になるのがわかった。
「お好きなお席にお座りください」
「は、はい!」
 前の方が見やすいから、と、真は一番前の真ん中の席に座った。
「いい席取るねー」
 ニヤリ、と男の唇が弧を描く。乾いた笑いをした真は確信した。
 この人、ちょっと苦手かもしれない。
「あ、俺演劇部部長の二年、松永清哉(まつながせいや)です。よろしく」
「あ、えっと、一年の一条真です。よろしくお願いします!」
 部長だったのか、と真は少しげんなりした。もし演劇部に入部したとしたら、最低一年はこの人が部活の指揮をとる。苦手なタイプと毎日顔を突き合わせるのはちょっと、精神的に疲れてしまうかもしれないな。
 そう思っていると、松永がドスンと真の隣の席に腰かけた。
「まだ他の部員も来ないだろうし、何か聞きたいことあったら今のうちだけど」
「あ、え、ええと……」
 マイペースな人だ。そんな急に言われても困る。でも何か質問しないとずっと沈黙になる可能性が高いから何か質問しなければ。沈黙は苦手だ。真は必死に頭を働かせ、質問を絞り出した。
「ぶ、部員は今何人いらっしゃるんですか?」
「二年生が三人。以上」
 三人!?
 質問していいよと言われた割にぶっきらぼうに答えられたが、そんなことはどうでもよくなるくらい衝撃的な事実に、真はあんぐりと口を開けた。
「え、っと……三年生は?」
「一人いたけど、うちの場合二年の二月末で引退するんだ」
 何でかというと、と松永は言いながら立ち上がり、黒板に四から十二、そして一から三の数字を書いた。
「運動部の場合、だいたい六月から七月の大きな大会に三年生が出て、その時期に三年生が引退するだろ。でも演劇の大会は毎年十月なんだ」
 十、の下に地区大会≠ニ松永は書く。
「まあ、十月の地区大会で入賞したら、十一月に都道府県大会、その次は十二月に地方大会ってなるんだけど。実は全国大会が翌年八月っていうよくわかんねえ日程になってるんだよ」
「八月!?」
 地区大会から一ヶ月ごとになってるからてっきり全国大会は一月かと、と真は吃驚した。
「だから三年生中心に大会用の劇を作って、万が一全国大会まで駒を進めた場合、三年生は全国大会に出られなくなり、空いた穴を在校生で埋めなければならなくなる。そうすると、入賞した作品とは違うキャストで全国大会、なんてこともありえるんだ」
 そんな訳で、と松永は真に向き直った。
「万が一全国大会まで駒を進めた時にそんなことが起きないように、うちの演劇部は三年生は既に引退済みってことだ。ま、そうでなくともうちの高校は三年生の七月以降の部活参加は原則禁止されてるけどな」
 なるほど、と真は頷いた。中心となって劇を作った人たちが全国大会に出られないとは、なんという悲劇だ。
「ま、そんなこと言ってもうちは毎年地区大会止まりだけどな。だからだいたい十月で大会の演目をやるのは終わりで、毎年二月末に引退公演して、そこで引退だ」
 二、の下に引退公演≠ニ書いた松永は、それをじっと見つめた。そうか、この人も二年生だから、演劇部に居られるのはあと一年もないのか、と真は思った。
「俺も、あと十ヶ月すれば……引退だ」
「……」
 黒板の字を眺める松永の後ろ姿は、とても寂しそうで。かける言葉が見つからず、沈黙が流れる。沈黙が苦手な真は、思わず言ってしまった。
「今年は、三年の八月まで、です!」
 ぽかんと口を開けて松永が真を見た。そして一瞬の後、口元がニヒルに笑った。一歩、一歩と松永は真に近づく。
「高校演劇で上にいくのって、すっげえ難しいことなんだぞ。わかったような口利いてんじゃねえよひよっ子が」
 松永の髪の隙間から、ギラリと輝く瞳が見えた。ゾクリ、と全身が騒めく。それでも真は、一歩も引き下がらなかった。
「それでも、諦めるのは早いと思います」
何事でも、やるからには上を目指す。真は今までもそうやって生きてきた。ビラの最後にあったあの言葉に惹かれてここに来たのに、これではまるで見当違いではないか。最初から諦めている部活に、自分を変えることはできない。詐欺だ。
真はまっすぐ、松永の目を見る。
少しの間睨み合っていると、松永はクッと笑った。
「お前いい目してるなぁ。演劇部入らねえか?」
「はい?」

* * *

 思えば、あの日私が一人であの時間にあそこに行かなかったら、私は演劇部に入部してなかったかもしれないんだな、と真は思った。
 発声が終わり、形式上一応顧問の元に集合するべく、荷物を持って移動しているところだった。いつもより静かな私を変に思ったのか、部長がニヤニヤと笑いながら真の隣に来た。
「何だ、緊張してるのか」
「いえ、ちょっと入部を決めた時のこと思い出しちゃって」
「……ああ、あの頃か」
 部長はつまらなさそうに空を見上げた。
「あの頃から、部長は口悪かったですよね」
「いや、お前に比べればまだマシだろ」
「え、部長の口の悪さと私の口の悪さ比べないでください比較になりません」
「お前のほうが数万倍悪いけどな」
「ハハハ寝言は寝て言ってください」
 部長の平手が私の後頭部に飛んできた。

* * *

 ぽかん、と松永を見ていると、真の後ろでガラガラとドアが開く音がして、真は思わず振り向いた。
「お疲、れ……」
 演劇部の先輩だろうか、ポニーテールでつり目の女の人がドアの所に立っていた。しかし教室には入って来ようとはせず、そこに固まっていた。
「おお、ミサミサ良いところに」
「動かないで! それ以上動いたら……ちょん切るわよ」
 何を!? 真と松永の心の声が重なった瞬間だった。
「あとミサミサ≠ヘやめてって言ってるでしょ! そろそろキレるわよ!?」
「お前常にキレてるだろ」
「キレてないわよ!」
 いや、キレてる。また松永と真の心の声が重なる。
 ミサミサと呼ばれた人が訝しげに真を見て、ゆっくりと近づく。そして、真を舐めまわすように見た。
「……美人ね」
「え、いやそんな」
「こんなのが好みなの?」
「は?」
「え?」
 ミサミサ(仮)さんの言葉に、松永と真は首を傾げた。
 つまり――何だ、どういうことだ。
「え、二人は付き合ってるんでしょ?」
「何でそうなる」
「だって、あんなに近くで見つめ合って……」
「誤解です」
「見つめ合ってたんじゃねえよ睨み合ってたんだよ」
 ミサミサ(仮)さんの誤解に、松永と真は即答した。それでもミサミサ(仮)さんはまだ納得してないようだった。
「こいつ、一年生。演劇部の見学に来てくれたんだと」
「え? あ、ああ! そうなの! いらっしゃい!」
 どうぞどうぞ、と先ほどまで座っていた椅子を差し出される。何だか……急に猫なで声になったような、と真は思いつつも大人しく椅子に座った。
「私、二年副部長の岡本美沙(おかもとみさ)。あなたは?」
 なるほど。美沙だからミサミサか。
「あ、一年の一条真です」
「真ちゃんか。よろしくね」
「出たー猫かぶり」
 プスー、と松永が笑うと、美沙は松永に回し蹴りをお見舞いした。
「いてぇなおい」
「演劇部は毎年存続の危機なんだから見学に来てくださった方々には演劇部に入ってくださるように丁寧に優しく接するほかないでしょう!?」
「見学時に偽りの姿見せてどうすんだよ。後から退部するぞ」
「真ちゃん、クラスは? 出身中学校は? 部活は何やってたの?」
「いや、聞けよ」
 ビシッと美沙の後頭部に松永の空手チョップが炸裂した。美沙は大げさに痛い痛いと喚く。
「悪いな。気にしないでいいから」
「は、はぁ……」
 これは後から真が知ることなのだが、早とちりと猫かぶりは美沙の悪い癖だ。特に猫かぶりは初対面の人や先生などには無意識にしてしまうことらしく、『第一印象と全然違うね』というのが彼女の禁句事項だという。
 と、その時。
「お疲れー」
 また、ガラガラとドアを開けて入って来たのはショートボブの、清楚そうな女の人。女の人は私を見るなりにこりと微笑んだ。
「新入生? いらっしゃい。上演開始時間までもう少し待っててね」
 ああ、何かやっとまともな人が来たな……と真は感動した。
 その人が荷物を奥の机のほうに置いていると、美沙がその人に寄って行った。
「この子は二年で会計の中野春香(なかのはるか)! 主に音響とか照明とかの裏方を担当してるの」
「何、それ必要?」
 春香は眉を顰めて美沙を見る。
「まだ演劇部に入部するって決めた子じゃないんでしょ?」
「いや? 入るよな?」
「え?」
 松永がニヤリと真のほうを見て言った。
「いや、まだ決めてないです」
「でも結局は入るだろ?」
「わかりません」
「いいや、入るな。断言する。お前は演劇部に入る」
「そんなこと言ったら入部するの憚(はばか)られるでしょ馬鹿なの」
 そう言い捨てた春香は、宣伝行ってきます、と教室を出て行ってしまった。また、沈黙が流れる。やれやれ、と松永は頭をガシガシと掻いて教室の時計を見た。
「……上演まであと四十分ってところか。そろそろ準備すっか」
「おっけー。あなたはここに座っててね」
「え、あの、……大丈夫なんですか?」
「ん? ああ、ハルのこと? 通常運転だから大丈夫よ」
 そう言われて、真はしぶしぶ椅子に座り直した。まあ、いつも一緒に活動している人がそう言うのだから、そうなのだろう。
 舞台のセットとか用意するのかな、と真は目で二人を追いかけた。しかし二人はどこへ行くでもなく、教室内をウロウロ。たまにお腹に手を当ててはフッフッと息を吐いている。
「発声は昼やったからなあ。早口だけ言っとくか」
「じゃあ私から」
 そう言うと美沙は一際大きく息を吸い込んだ。
「あいうえおいうえおあうえおあいえおあいうおあいうえ!」
「あいうえおいうえおあうえおあいえおあいうおあいうえ!」
 ……呪文か何かかな? と真は本気でそう思った。その後も美沙が先に呪文を言って、次に松永が繰り返す。
「ばびぶべぼびぶべぼばぶべぼばびべぼばびぶぼばびぶべ!」
「ばびぶべぼびぶべぼばぶべぼばびべぼばびぶぼばびぶべ!」
かなり大きな声で、教室内をウロウロしながらそれは数分続いた。
 ふぅ、と二人が息をついたところで、終わったことがわかった。美沙は真に向かって説明をする。
「今のは演劇部が毎日やっている発声練習の一部。びっくりした?」
「発声、練習……すごいですね。どうやって覚えたんですか?」
「あはは! 最初はそうだよね。でも規則は簡単」
 美沙は黒板に『あいうえお』と書いた。
「最初は普通にあいうえお。次にい≠ゥら、いうえおあ。次にう≠ゥら、うえおあい。次はえ≠ゥら、えおあいう、次にお≠ゥら、おあいうえ。これを繋げて早口にしてるだけなの」
 なるほど。今はそれを五十音分やっていたということか、と真は納得した。しかし、頭では納得していても、言うのは難しそうだ。そんな顔をしていると、美沙は笑った。
「私も最初は言えなかったわよ。言えるようになるまで三週間くらいかかったわ」
「高校から演劇を始めたんですか?」
「ええ。うちはほとんどが演劇初心者よ」
 私も一年後にはこういうふうになっているのかな、と真は美沙を見た。
「ここのあたりは中学校に演劇部があるところは少ないからね。高校から始める人がほとんど。でも演劇部に入ることで、こうやって滑舌がよくなったり、しっかり発声できるようになったり。いいこといっぱいよ」
「へえ……」
 美沙はそういう理由で演劇部に入ったのか、と真は思った。
 と、その時。
「俺っ、演劇部に入るっす!」
 廊下から男の声が聞こえてきた。美沙と真は顔を見合わせ、いつの間にか開いていたドアから廊下を覗いた。すると、春香と松永が一人の派手な男と話していた。
「言質とっ、じゃねえや。そうかそうか入ってくれるか! 歓迎するぜ新星スター!」
「うす! これからよろしくお願いするっす!」
 わはは、と笑い合う男と松永。美沙は春香に聞いた。
「どういうこと? 本当に入ってくれるの?」
「うん。なんかセイがあの男の子にお前スターになれるよ≠チて言ったらああなった」
「軽すぎかよ」
 美沙と春香の話を聞いていると、男がこっちに走って来た。
「演劇部の先輩っすか! 俺、竹内明良(たけうちあきら)って言います! キラって呼んでくださいっす!」
 ビシッとポーズを決める竹内明良。
 襟足の長いワックスまみれの髪と言い、その言動といい……何かまた個性的な人だなあ、と真は若干引いた。
「あ、そっちの端っこのだけまだ演劇部員じゃないぞ」
 松永は真を指さした。真にとってできれば関わりたくないタイプの人だったのだが、松永に指さされたために竹内と目が合ってしまった。げ、と思わず口にして目を逸らす。
「え、……っと、じゃあ、あの、一年生?」
「そうよー一番に見学に来てくれたの」
 真の代わりに美沙が得意げに答えた。真は竹内からの視線を感じながら、さらに目を逸らした。お願いだ、話しかけないでくれ、と心の底から念じた。
「……竹内くん?」
 何も言わない竹内を不審に思ったのか、美沙が竹内の名前を呼んだ。でも竹内は何も言わない。不思議に思った真がそっと顔を向けると、そこには。
「……え」
 顔を真っ赤にした竹内がいた。
 ビクリと肩を揺らして真は後ずさった。えっと、これは、まさか。真は幼少の頃からそういうことが多かったので、勘が良く今回もピンときてしまった。
 すると同じように美沙もピンときたようで。
「え、なになに、一目惚れ?」
「だっ、ち、ちが、違うっすよ!」
「一目惚れだな」
「だあああ! 違うっす! 断じて!」
 美沙と松永が竹内を小突く。竹内は否定するが真っ赤な顔で全く説得力がない。その様子を真は他人事のように見ていた。
「いや〜熱いね〜」
「青春だねえ」
「だっだから違うって言ってるじゃないっすかー!」
 いつ終わるんだろう、これ。

* * *

「楽屋開いたぞ。全員移動」
はい、と部員全員で部長の声に応じた。座っていた客席から、自分が持つ荷物を持って先輩たちの後に続こうと腰を上げた。
「いよいよだな」
 隣にいた唯一の同級生が爛々と輝いた目で言った。その表情に吹き出しながらも、私は言い返す。
「全然実感湧かないけどね」
 高校演劇コンクール地区大会、二日目。一度入賞を逃したら終わりの闘い。入賞し続ければ、終わりのない闘い。もしかしたら、この劇をやるのは最後になるかもしれない。先輩たちと同じ舞台に立つのは、最後になるかもしれない。そういうことを考えると、正直めちゃくちゃ緊張する。
でも、緊張してばかりじゃ勿体ない。最後になるかもしれないからこそ、
「本番は楽しんでやるだけだよ」
私のその言葉に、竹内は笑って呟いた。
「やっぱ好きだなぁ」
「ん? 何か言った?」
「何も? ほら、楽屋行くぞ」
「ちょ、待ってよ」

――開幕まで、あと三時間。

* * *

「結局入部するんじゃねえか」
「しょ、消去法です」
 あれから一週間。真は結局演劇部の部室にいた。
 演劇部に入った理由は、消去法などではなかった。
あの後にあった新歓公演の観客はたったの二人。二人だけだったが、劇は最高に面白かった。演目はシェイクスピアのロミオとジュリエットのパロディ劇。
 ロミオとジュリエットが恋に落ちるのではなく、犬猿の仲から駆け落ちするストーリー。二人は原作と違って、自分の家に嫌気がさした二人がその点だけ意気投合して家から逃げ出し、二人で暮らしていく、という内容だった。
『珍しく意気投合したなぁ、ジュリエット?』
 髪をオールバックに固めた松永がロミオ。
『きっと意気投合はこれが一生に一度。最初で最後よ、ロミオ』
 髪を下ろした美沙がジュリエット。
 二人とも妖艶で、眼力が凄まじかった。
それを見て以来、真は演劇部以外見学に行ってなかった。舞台に立つ先輩が忘れられず……まあ要するに惚れたのだ。
 演劇部に入部した一年生は真ともう一人。
「こ、これからよろしくな! えっと、ま、真……」
「……」
言うまでもない。自称小見山高校のニュースター竹内明良だ。この前真と初めて会った時に真の一目惚れしたのは、このニュースター。その証拠に、さっきから顔を赤くして真の隣に座り、ずっともじもじしている。真はそんな彼を引き攣った表情で見て、さりげなく距離を取った。
「これで全員だな。じゃあ今日はちょっとオーディションしようぜ」
「え?」
 ちょっと休憩しようぜ≠フような軽いノリで松永は言った。先輩たちはやれやれというふうに、準備運動を始める。
「いやいやいや待ってください! オーディションって何ですか聞いてません!」
 真のその言葉に、松永は大げさに驚いた。
「いや何でそんな驚くんですか」
「お前には説明しただろ?」
 松永は溜息をついた。
「今日これからやるのは十月の大会でやるキャストのオーディションだ。このオーディションでは大会でやる劇の主演と他キャストを決める」
 ああ、確かに大会が十月にあるっていうのは聞いたなあ、と真はまた他人事のように聞いていた。竹内もへぇ、と一言漏らして他人事のように頷いた。
「なんだその顔。お前たちもやるんだぞ」
「はい?」
「え?」

* * *

「――あ、そうそう。上演終わったらすぐ計時係入ってるから。お前らよろしくな」
 楽屋で荷物を解いていると、部長は私と竹内に向かって言った。
「ちょっと部長。そういうことは早く言ってって言ってるじゃないですか」
「悪い、言うの忘れてた!」
 てへぺろ〜と今になっては死語のそれをしでかした部長を殴る権利は、私にもあると思う。

* * *

顧問の先生が滅多に顔を出さない小見山高校演劇部。ポジティブに言って『生徒主体の部活』といったところか。
 そんな訳で顧問不在の中、今日のオーディションも行われていた。
「あの……部長今何て?」
 全員の演技が終わった後、部長の松永は真に言った。しかし突然のことに真は頭がついていかない。他の部員も同じくぽかんとその様子を見ていた。
 松永はその様子を気にすることなく、天然パーマでぼさぼさの髪をかき回しながらもう一度言った。
「お前が主演やれ」
「……。えっと、何の?」
「はあ? さっきも言っただろ。大会でやる演目だよ」
 一瞬の間の後、やっと松永の言葉の意味を理解した真は絶叫した。
「いやいやいや何考えてるんですか! 私一年生ですよ!? 今日演劇部入ったばっかですよ!?」
「お前声出るし美人だし絶対大丈夫だって」
「美人は否定しませんが何が大丈夫なんですか!?」
 がくがくと松永の肩を掴んで揺らす真。その後ろで、一つの影がゆらりと立ち上がった。
「ふざけんじゃないわよ……何で一年が主演なのよ! 馬鹿じゃないの!?」
 ポニーテールを揺らしながら顔を真っ赤にして叫んだのは美沙だった。真は吃驚して松永を離す。
「私たち二年生にとっては最後の大会なのよ!? なのにこんな、演劇経験もない一年生を主演にするなんて……」
 ぐっと美沙は拳を握り、唇を噛み締めた。
 そうだ。演劇の大会は毎年十月にあるため、三年生は参加できないのだ。小見山高校が進学校でなければ三年生も参加できるのだが、原則として小見山高校では七月以降の三年生の部活参加は認められていない。見学した時に松永が教えてくれたことを真は思い出した。
「あんたが主演やるなら私も諦めがつくけど、一年生に主演やらせるのだけは、絶対に認めない」
 まっすぐ松永を見て美沙は言い切った。真は、美沙の言い分をよく理解していた。当然だ。入って来たばかりの超初心者に主演の座を奪われるなど、先輩として許せないに決まっている。
その様子を見て、松永は美沙に向き直った。
「最後だからだよ」
「は?」
「最後だから、こいつを主演にする。上手い奴が皆を引っ張っていくのが、最優秀賞に繋がると……去年の大会のキャスト決めの時、お前は言ったはずだ」
 ぐっと美沙は唇を噛んだ。いや、待って。ミサ先輩頑張って。と真は心の中で必死に応援したが、美沙はそのまま黙り込んでしまった。
「他に、異論のある者」
「はい!」
 真は勢いよく右手を挙げた。
「はい、一条真くん」
「この中で一番うまいのは部長とミサ先輩だと思います!」
「うーん。俺が一番うまいのは否定しないけどー俺脚本と演出やりたいんだよねー。あとさっきも言ったけどミサミサよりお前のがうまい。はい他に!」
「ぶん殴るわよ」
 般若のような顔になっている美沙を、春香が必死に宥める。真はうまく言いくるめられ、何も言えない。仕方ないのだ。入って来たばかりの初心者には、自分と他人の演技力の差などわかるはずもない。
「そんなこと言うんだったら、何か脚本は書いてきたんでしょうね?」
「もちろんだ」
 そう言って松永が得意げに机の上に置いたのは『ラブゲーム』というタイトルの脚本。その文字を見て美沙は盛大に顔を歪ませた。
「げ、恋愛モノ?」
「八割ギャグの一割ラブかな」
「残りの一割は?」
「青春」
 美沙はパラパラと捲って中を見た。紙の量的に、既に完成はしているらしい。
「まあ中身は、シェイクスピアの『お気に召すまま』を現代パロった感じのやつ。主人公の女が真で、そのお相手はキラな」
「え、俺!?」
「他に誰がやるんだよ。……で、その他全部がミサな」
「冗談は前髪だけにして」
 バシッと脚本で松永の頭をはたく美沙。登場人物一覧を見ただけでも、主人公の女と男以外の登場人物は三人いる。
「もっと入部するかと思って多めに書いちゃったんだよ。でも同じシーンには出てこないから、三人くらいいけるだろ?」
「……」
 お前なら大丈夫! と親指を立て、さっさと松永は皆に向き直った。
「まあ、初心者のためにいろいろ工夫しようと何個か対策は練ってあるから大丈夫だぞ」
 松永は自信満々に言い放った。何を根拠にあんなに自信満々なのだ、と真は不安しかなかった。
「まずは大会の前に、八月末の二日間二回に渡る文化祭公演だ。一日目は生徒全員が強制的に俺らの劇を観てくれるぞ」
「強制的って……」
「じゃあさっそく、読み合わせだ!」
 部長は少々強引なところがあるようだ、と真は悟った。

* * *

「でも本当、なんとかなって良かったよね」
「そうね。一時はどうなるかと思ったけど。結構良い出来だと思うわ」
 ハル先輩はミサ先輩の髪をいじりながら、ミサ先輩はメイクをしながら、それぞれ溜息をついていた。私はというと、一人でメイクもろくにできないので、ハル先輩とミサ先輩待ちだ。
 私もあの時のことを思い出した。
「まさかあの時、脚本替えることになるとは思ってもみませんでしたね……」
「ほんとよ。文化祭後から大会の練習を新たに始めるなんて、小見山高校演劇部の歴史に残る大失態だわ」
「まあまあ。仕方ないじゃないの。火のついた演劇馬鹿は誰も止められないよ」
「おい誰が演劇馬鹿だ」

* * *

 大喝采とは言えない拍手と共に、体育館のステージ幕が閉じた。
「お疲れ。ミスなかったじゃねえか」
「当たり前じゃないですか」
 可愛くねえ奴、と松永は真の頭をガシガシと撫でた。頭を撫でられた真は心無しか嬉しそうだ。
 二回に渡る文化祭公演が無事終わった。一回目は昨日の校内公開。そして二回目は今日の一般公開。
強制的に観てくれた生徒も、一般のお客さんも、楽しんで観てくれただろうか。特に一回目の校内公開はほとんどの生徒が睡眠の時間にしていると聞いていた真は、生徒の反応ばかり気になっていた。しかし実際舞台に立ってみると、観客を気にする余裕もなかった。真、一生の不覚である。
「髪ぐちゃぐちゃじゃないですかもう」
「もう終わったんだからいいだろう」
「これから楽屋の教室戻るまでに何人すれ違うと思って……」
「真」
 ぐちゃぐちゃにされた髪を直しつつ体育館前を歩いていると、真の後ろから聞き覚えのある声がして、真は動きを止めた。
「……マコの知り合い?」
 既に振り向いていた美沙が驚いた表情で真を見た。でも、真は振り向くことができなかった。足がすくんで、動かない。
「真。真でしょう?」
「真」
 松永に名前を呼ばれ、ようやくゆっくりと真は振り向いた。
 切れ長の目、漆黒の艶やかな黒髪。憎いほど自分にそっくりな顔。
「お、母様……」
「お母様?」
 まっすぐ真の目を見つめる真の母。真は震える手をぎゅっと握った。何で、ここに母が。両親はいつも忙しいはず。学校の行事にはいつも代理の人が来ていたはずだ。なのに、どうして、よりによって……
松永は、真の震える拳に気付いて眉をひそめた。
「お、久しぶり、です。お母様」
「あなた、演劇部になんて入っていたの。知らなかったわ」
「……申し訳、ございません。あの……」
「何でこんな弱小演劇部に入ったの」
 ピシ、とその場の空気が固まったのが分かった。真は返す言葉が見つからず、絶句する。
「ここ、運動部が強いんでしょう? ならマネージャーにでもなって全国大会にでも行って、成績に残すことが一番いいに決まってるわ。いい大学に行くためには高校のうちに良い成績を残しておきなさいって、高校受験の時にも言ったわよね」
 何か、何か言わなければ。でも、何を。
 いつもそうだった。母の言葉は説得力があって、何も言い返せなかった。
――昔から何もかも、母の言いなりだった。
「今すぐ演劇部なんて辞めなさい」
 嫌だ、辞めたくない! 絶対、辞めるもんか。
 真は心の中で叫ぶが声にはならず、ヒュッと息が詰まり口がパクパクと動くだけだった。
「転部が受験に不利になるんだったら、お母さんから先生に言っといてあげるから」
「あの」
 松永が突然、真と母の間に入った。真の母は、大袈裟に顔を歪める。
「あら、どなたかしら」
「申し遅れました。私、小見山高校演劇部部長を務めさせていただいております、松永清哉と申します」
「あらあら。どうもご丁寧に。真の母です。……で、何の用かしら?」
 怒っていたり苛ついていたりする時の母の声に、真は心配そうに松永の背中を見つめた。
「真さんは、うちの部にはなくてはならない存在です。真さんがいれば、今年は内申書に残るような成績を残せると思います」
「でも必ずそうなる訳ではないのでしょう? だったら毎年全国大会に行ってる――」
「絶対勝つという試合も大会もありません」
 松永は落ち着いていた。前髪も上げてないから迫力はないが、きっとそうしていたら真の母は後ずさりするほどの迫力があっただろう。
「演劇部は、必ず私が全国へ連れて行きます。それくらいの覚悟を持って、日々の練習を行っています」
「……そう」
 真の母は、松永の後ろで心配そうに松永を見る真を一瞥した。そして溜息をつく。
「でも、あれじゃあ全国へ行くなんて無理ね」
「な……ッ」
 美沙が顔を真っ赤にして真の母を睨んだ。
「何の根拠も無しに言っている訳じゃないのよ。ちゃんと最初から最後まで観て、そう言っているの」
「具体的に、どこが、ですか」
 松永が拳を震わせて、必死に耐えているのが真にはわかった。
「まず脚本が全然面白くないわね。ただ笑わせに来ているだけでこちらには何も伝わってこない。それから役者もだめね。演技がものすごく下手。照明や音響も雑ね。……あら、総じて全部だめ、ってことになっちゃうかしら? ごめんなさいね」
 グッと松永が強く拳を握って俯いた。
「部長……」
「ありがとうございます」
「え」
 松永は拳を解いて真の母に頭を下げた。
「貴重なご意見を、ありがとうございます。十月にある大会の参考にさせていただきます。……では、私共は片付けがあるので、これで失礼いたします」
 行くぞ、と松永は言って歩き出した。松永がいなくなったことによってまた母と目が合った真は、すぐに目を逸らして松永を追おうとした。
「真」
「……」
 母の声に、真は足を止めた。でも目は合わせない。それが真の意志だった。
「大会で成績残さなきゃ、辞めさせるからね」
「!」
真は拳を握って母に一礼して、松永の後を追った。



「……真。お前実はお嬢様なのか?」
「……」
 楽屋として使っていた教室で、尋問タイムが始まった。
 できれば、この人たちには知られたくなかった。ずっと隠すつもりだった。真はぎゅっと手を握った。
「真」
 松永の低い声に、真はビクリと肩を揺らした。
 怒っているのだろうか。……当然だ。今回の劇は、初心者の真や竹内に配慮して、役者が自然な状態で演技できるように、かなり本人に設定を似せて作ったのだ。自分のことを偽って舞台に立った真の罪は重い。
「……マコ。話したくなかったら、話さなくていいよ」
 春香が、震える真の背中をさする。
『大会で成績残さなきゃ、辞めさせるからね』
 しかし、脳裏に先ほどの母の言葉が甦った。
 大会で成績を残すには、良い劇を作らなければいけない。良い演技をしなければならない。演劇を始めたばかりの真にとって、自分を偽って舞台に立つことは難しいと、松永も練習を始める際に言っていた。
「……話します」
 この人たちなら、きっと私を受け入れてくれる。そう信じて、真は口を開いた。
「私は……一条財閥の、一人娘です」



小さい頃から、生活に不自由はなかった。一日三回温かい食事が出され、広いお風呂に毎日入ることができ、肌触りの良い服を着ることもでき、広いふかふかのベッドでよく眠ることもできた。
それは、真の生まれた家が、一条だったからだ。
 一条の関連企業は六つ。それほど大きくない財閥だったが、関連企業が地元に集中しているため、地元ではちょっとした有名人だった。
――だから、
『一条さんとは仲良くしておきなさい』
『逆玉の輿に乗るのよ』
『欲しいって言えばきっと何でも買ってくれるわ』
 物心ついたころから、周りの大人……特に同級生の親の、そういった声を聞いていた。
 嫌になった。だからある日、思わず言ってしまったのだ。
「マコちゃん、あそぼー!」
 こいつも、
「ええーマコちゃんは、じゅんなとあそぶんだよぉ」
 こいつも、
「マコちゃんあっちであそぼうよ!」
 あいつも、全部。全部全部全部!
「――嘘つき」



「その日を境に、私はいじめられるようになりました」
「いじめ……? 金持ちの娘だから仲良くしなきゃって……」
 美沙の言葉に、真は首を振って笑った。
「きっと最初から嫌われてたんです。一条の名に恥じないような振舞いをしてたから。子どもらしからぬ気丈な振舞いを、してたから……」
「……」
「両親は厳しい人でした。中学の頃、怪我をするから、なんて理由で、大好きだったテニス部に入ることも許してくれませんでした。きっと、そのテニス部が毎年全国大会にでも行っているところだったら、許してくれたんでしょうけど。でも、中学の頃部活に入っていたら、それこそ陰湿ないじめをさらに受けていたかもしれません」
 松永は真の話を、腕を組んで聞いていた。
 春香が、もう話さなくていいよ、と真に言うが、真は首を振って話を続けた。
「いじめは、大人の見えない場所で、行われていました」
「真、もういい」
「肉体的ないじめは全くなくて。精神的に」
「真!」
 松永の声が教室内に響いた。真はハッと顔を上げた。真の目の前に松永が立ちふさがる。
「違和感の正体が、やっとわかったよ」
「違和感?」
 ギラリと、前髪の隙間から松永の瞳が真の瞳を射抜き、真は怖気づいた。
「お前、日常的に演じてる≠ネ?」
 真は目を見開いた。冷たいものが真の背中を走る。
「日常的に、演じてる……?」
「私、は……」
 竹内の呟きに、真は何か言わなければと口を開いた。が、言葉は出てこない。
「ずっと違和感があったんだよ。お前の友達とかにお前の印象聞いた時も。先生たちに印象聞いた時も。――あまりにも人物像がブレすぎていたんだ」
 松永は懐から手帳を取り出した。
「おしゃべりでうるさいムードメーカー。物静かで大人しい優等生。チャラいけど頭は良くて超むかつくやつ。礼儀正しい清楚な人。いつも他人を優先する馬鹿。何でもそつなくこなす天才……これ、全部お前の印象だぞ」
 うるさくて物静か。チャラくて清楚。馬鹿でいて天才。
松永は手帳にびっしり書かれた真の印象を、真に目の前に晒す。真はそれを一瞬見るなり目を逸らした。
「人物像ブレブレで、今回の役作るの大変だったんだぞ。……でもまあ、ブレるのは当然だよなあ? お前、他人には常にある一面≠オか見せねえんだもんなあ?」
 ひらひらと手帳をはためかせ、真を見る松永。やりすぎじゃないの、と春香が言うが、松永はお構いなしに続けた。
「ま、仕方ねえよなあ。一条の名に相応しい器≠ノ育てられて、自分≠変えてきたんだもんな」
「!」
 真は何も言えなかった。全部その通りだった。自分が気づいていないだけで、……いや、本当は自分でも気づいていたのかもしれない。気付いていない演技をしていただけなのかもしれない。
「それは両親の厳しい躾の賜物か? それとも生存本能か?」
 松永は真に顔を近づけて、真の姿が松永の瞳に映っているのを真に見せた。真は、口を開閉させるだけで、何も言葉にできなかった。
「ここに入学したのも、一条の名が知られていない所に逃げたかっただけだろう。何者でもない時間を楽しんでいただけだろう。なあ」
「もうやめてよ!」
 突然、美沙が真っ赤な顔で叫んだ。教室に束の間の静寂が流れる。
「マコを追い詰めるのは、もうやめて……一体何がしたいのよ、あんた……」
 息荒く松永を睨む美沙を見て、松永はニヒルな笑みを浮かべた。
「……ああ、そうか。今の話はお前にも刺さるもんな? 猫かぶり」
「うるさい……」
「自分を偽って人を騙してまで良く思われたいのかよ」
「うるさい!」
 美沙は手近にあった台本を床に叩きつけた。
「良く思われたいと思って何が悪いのよ! 演技して何が悪いのよ! どうせみんな演技してんのよ! 先生だって! 演技してなきゃ社会で生きていけないわよ! 馬鹿じゃないの! あんただってそういう演技してんでしょ! 無意識なだけであんたも演技してんのよ!」
 ぜいぜいと肩で息をしながら、松永を睨み続ける美沙。また、教室に静寂が流れた。竹内と春香と真は、松永と美沙をそわそわと見る。
 松永はじっと美沙を見ていたが、突然バッと真のほうを振り向いた。真は吃驚して後ずさる。そして松永はまた美沙を見て、呟いた。
「All the world's a stage…And all the men and women merely players…=v
「は?」
「キタ、かも」
「きた?」
「ちょっと、待って。悪い、今日は帰る」
 そう言いながら松永はフラフラと自分の荷物を持って教室を出て行ってしまった。
「……はああああ!?」
 教室に取り残された四人を代表して、美沙が絶叫した。

* * *

「あの時は、本っ当に、追いかけて殴ってやろうかと思ったわ」
「そうでなくとも次の日に殴っただろ」
「次の日じゃないわよ三日後よ!」
「あ? そうだったか?」
「そーうーでーすぅー」
 メイクが終わったミサ先輩がムスッと頬を膨らませた。部長はそんなミサ先輩を見てブッサ、と呟いた。それが聞こえたのが、ミサ先輩は読んでいた自分の台本を丸めて部長の頭を力いっぱい叩いた。いい音。
「三日間音信不通で死んだのかと思いました」
「待てなんだよその笑顔」
 ハル先輩に髪を結んでもらっているため顔は鏡を向いて動かせなかったが、鏡に映った顔を見られていたようだ。まあ何も問題は無いが部長はミサ先輩の真似をしてムスッと頬を膨らます。ああ、そんなことをしたらまた……ほら叩かれた。
 部長は叩かれたところを手でさすりながら言った。
「ずっと台本書いてたんだよ。三日なんて過去最短だぜ? ちょっとは褒めてくれよ」
「三日間音信不通で脚本も演出も全部白紙に戻して一からまた違う劇作ると言い出したあなたに皆がこうやって誰一人欠けることなく着いてきていることにあなたは心から感謝すべきだと思うけど?」
「ハルちゃん辛辣ぅ」
 秒速五十メートルのアイラインペンシルが部長の頬を掠めた。
 うん、今日も平和だ。

――開幕まで、あと一時間半。

* * *

「三日間学校にも来ず、連絡もせず、あんたは一体何をしていたの?」
「新しい脚本、できた」
 文化祭から三日後、三日間音信不通だった松永がひょっこり部室に顔を出した。
「会話のできないコミュ障かッ!」
「連絡できなかったのはごめん。今日からこの脚本をやる。読んでから異論受け付けるから」
 とりあえず読んで、と松永はフラフラ部室に入ってきて、人数分印刷してきた台本を勢いよく机の上に置いた後、その足で椅子に座り、そのまま寝息をたててしまった。怒る気力も失せた美沙は、溜息をついて台本を手に取り、そのまま台本を読み始めた。それに続いて、春香も台本を読み始める。
 二人が何も言わず台本を読み始めたのを見て、真は松永の信頼の厚さを知った。真も台本を取り、読み始める。竹内も最後の一つを手に取って、真剣に読み始めた。 タイトルは未定。しかしその横に、手書きでこう書き足してあった。
『これで全国へ行く!』
 全国へ行く。松永が一言も口にしなかった言葉だ。真は無我夢中で台本を開いた。


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