06.キミとオレとのペース




 それからヒナタが意識を取り戻したのは2時間後のことだった。

 火影執務室の隣部屋、つまり綱手のばあちゃんの休憩室にあるソファーを借りて、そこにヒナタを横たえていたオレは、漸く目を覚ましたヒナタの顔を覗き込んだ。


「大丈夫か?ヒナタ」


 声をかけてみると、どこかボンヤリとした彼女は、ゆっくりとオレに視線を合わせて、小さく「ごめんね」と呟いた。

 そんな謝られることでもねーのに。

 オレは笑みを見せながら、ヒナタの髪を優しく撫でると、彼女はそれが気持ち良いのか、うっとりと目を細める。

 こうして静かに言葉を交わすのは、あの日以来。

 あの時より近い位置で、今のオレたちは互いを感じている。

 そう……あの時感じた一歩。

 その内側にオレは居た。

 しかし、何故かその時とは違い、あの時より距離は遠く感じる。

 物理的距離は近いのに、何故だろう。

「ナルトくんは……そのCM見たんだよね……ど、どうだったかな……」

「どういう意味合いの質問だ?CMの出来栄えか?それとも、同期メンバーに見られたカンジどうなるか……か?」

「え、えっと……りょ、両方……」

 ヒナタの体の上にかけられているオレの上着に、半ば口元を隠しながら、ヒナタはもじもじとオレを見上げる。

 その上着、オレのだぜ?

 って、知ったら真っ赤になっちまうんだろうな……と、そんなことを考えつつ、オレは素直に答えることにした。

 ヒナタに隠し立てしたところで、意味は無いから。

「出来栄えについてはいいんじゃねーか?ヒナタのウェディングドレス姿が綺麗で……ほかの連中が見てるのは癪に障るけどさ……客観的に見て、あんな表情していたんだなって思った」

「あんな表情?」

「すっげー、幸せそうな顔」

「そ、そっか……そうだね」

 ふふと可愛らしく笑うヒナタに、オレも嬉しくなって笑う。

 やっぱり、ヒナタが笑ってくれていると嬉しい。

「あとさ、同期メンバーには色々言われるかもしんねーけど、任務だったって言えば何とか収まるだろう……それと、オレたちが忍道で話していた会話が、人生を共に歩むみてーに編集されてるから、その辺も、正直に答えりゃ良い」

「そ、そうなんだ……編集って凄いね」

「だな」

 淡々と語っているが、実はヒナタが気絶している間にひと騒動あった。

 突如同期メンバーが押しかけてきて、執務室は騒然としたが、綱手のばあちゃんとキヌ姉ちゃんは、隣にオレたちがいるという事を全く告げずに、任務であるという事と、編集してああなっているのだと簡単に説明してくれた。

 そして、あのCMもスポンサーサイドが急遽企画したものであって、オレたち二人は知らなかったとまで言ってくれて……まぁ、ヒナタが気絶したのとオレの剣幕を見て、さすがにマズイと思ったのだろう。

 オレたちへの被害を少しでも減らそうとしてくれた二人には、素直に感謝することにした。

 同期メンバーの質問攻めなんて、どうあっても遠慮したい。

 そして、不意に思い出したのは、砂でのやりとり。

 あの我愛羅が、ヒナタに会ってみたいというのだから、叶えてやりたいと思うし、何より、ほとぼりが冷めるまであちらへ世話になるのも良いかもしれないと思ったからだ。

「ヒナタ、今度さ……砂隠れにいかねーか」

「え?」

「我愛羅が、ヒナタと話をしてみてーってさ」

「そ、そうなの?」

「ああ、ヒナタがオレと同じ忍道を目指す者だってところに興味を引かれたみたいだぜ」

「な、何か……いいのかな……わ、私……ナルトくんほど、凄くは……」

「何言ってんだってばよ。ヒナタはすげーよ」

 髪を撫でながらそう言うと、ヒナタは一度目を閉じてからオレを再度見上げ、そして淡く微笑む。

 その笑みがとても綺麗で、思わず手が一瞬止まってしまったけど、ゆっくりと再び動かし始める。

 滑らかな指どおりの髪を、まだ感じていたくて……

「だから、一緒に行こう」

「う……うん……私でいいの?」

「お前だからいいんだよ」

 苦笑を浮かべそう言うと、ソッとヒナタの体を起こしてやる。

 柔らかな肢体が、オレの腕の中で一瞬強張ったが、ゆるりと力を抜き、されるがままだ。

 オレがよからぬこと考えている奴だったら、どうするつもりだってばよ、ヒナタ。

 少し心配になりながらも、ヒナタを起こし隣へ滑り込むように体を移動させると、オレの肩を枕代わりに、ヒナタはくたりと力を抜きつつもオレに全身を預けてくる。

 今日はやけに無防備だな……。

 肩に腕を回して支えるように抱きかかえると、ヒナタがゆっくりと視線だけを動かし、部屋を見回す。

「時間ができたら、行こうね」

「ああ、一緒に行こうな」

 次への約束。

 それをとりつけたオレは嬉しくなって、肩を抱いている手に力を込める。

 ヒナタが恥かしげに睫を震わせるのを見ながら、とくりと脈打つ心臓の音。

「ナルトくん……ここ……どこだろう」

 不意に呟かれた言葉に、オレは考えることなく言葉を紡いだ。

 視線はヒナタに注いだまま……

「隣が火影執務室だ。ここは、ばあちゃんの休憩室」

「あ……そ、そうなんだ……」

 少し慌てたように佇まいを直すヒナタに、オレは首を傾げる。

 ん?

 もしかして……オレの部屋と勘違いしてた?

 え?……ちょ、ちょっと待った……オレの部屋だと……こんな無防備になるワケ?

 オイオイっ

 そりゃ勘弁だってばよ!

 オレどーすりゃいーんだよっ、オレの部屋でこんな無防備な姿されたら、幾らオレでも……

「ん?」

「ど、どうしたの?」

「あ、い、いや、なんでもねー」

 焦って声に出してしまったオレに、ヒナタが不思議そうな視線を投げかけてくるが、それどころじゃねーってばよ。

 無防備な姿のヒナタを、オレの部屋で見たら何だ?

 オレ、何しようと思ったんだ?

 自然と赤くなる頬をヒナタの視線から隠したくて、顔を思いっきり背けるが、効果あるかないかなんて知ったこっちゃねェ。

「あー……えっと、ヒナタ、体……もう大丈夫か?」

「……うん、だ、大丈夫……ちょっと……火照ってるくらい……」

「熱出た……とか?」

「は、恥かしくて……」

 漸く搾り出された声は、か細くて……そして、かすかに震えていた。

 なんつーか、可愛い……

「あ、つ、綱手様にちゃんと起きたこと伝えないとっ、め、迷惑かけてしまったしっ」

 そう言いつつ慌てて立ち上がったヒナタは、その拍子にヒナタの体にかけてあったオレの上着が落ちたのを見て、これまた慌てて拾い上げようとする。

 って、オレも拾い上げようとしていたので、お互いの距離がグッと縮み、その顔の近さに驚いたヒナタはオレから離れた勢いで、そのまま後ろへ転びそうになった。

「お、おいっ」

 腕をシッカリ掴み、オレの方へと引き寄せてソファーへ逆戻りのように身を沈めると、オレに腕を引かれる勢いのまま体の上にヒナタが覆いかぶさる。

「イテテ……ったく、慌てるなってばよ」

「ご、ごめんなさい……っ!」

 ヒナタの息の呑む音を聞いたオレは、ヒナタを見つめてその距離に驚いた。

 辛うじてお互いの顔を認識できる距離……

 オレの体の上で硬直するヒナタと、ヒナタの腕を掴んだまま目を見開き言葉が出ないオレ。

 肢体の柔らかさ、ふわりと香る彼女の香り。

 そして……お互いの間にある、奇妙な緊迫感。

 自然とヒナタの腰に回されているオレの腕が、ヒナタの動きを封じている。

 離さなくては……と、頭ではわかっているのに、体が動く事を拒否していた。

 お互いの視線が絡まり、離れることを忘れてしまったかのようで、その視線の奥に含まれる熱は甘く、何よりも熱い。

 声も出せない距離で……互いの唇が言葉を紡ごうと動こうとして、動きを止める。

 胸をいっぱいにした熱を吐くように、同時に甘い吐息をついた。

 それが引き金になったと思う。

 腰に回っている腕に力が篭り、腕を掴んでいる手が背中へと移動する。

「……な……る……」

 困ったように泣きそうに眉根を寄せ、言葉を辛うじて発そうとした唇に視線が動くのを感じたのか、そのまま再び固まり、視線だけを逸らした。

 オレは導かれるように、ヒナタの瞳を見つめ、そしてゆっくりと顔を近づける。

 大きくビクリと体が震え、信じられない者でも見るようにヒナタが目を見開くのが見えた。

 何だ、オレってば……バカだ……

 ウェディングドレス姿のヒナタを見て、凄く綺麗だって思ったのも。

 送っていくはずのヒナタをネジに取られた悔しさも。

 CMだといえ、綺麗なヒナタの姿を、オレ以外の誰かが見ることの憤りも。

 そして、今、ヒナタの唇を求める行為も……


 全てはオレがヒナタを……


「そういう事は、自分の家でやりな。ナルト」


 一瞬の沈黙。


「どわあぁぁっ」

「ひゃあぁぁっ」

 大きな悲鳴に近い奇声を上げて、オレとヒナタは離れて、声のした方へ視線を向けると、呆れた顔をした綱手のばあちゃんが立っていた。

「つ、綱手のばあちゃん……」

「ったく、お前らは……自覚があるんだかないんだか……まあいい、ヒナタ、お前は日向コウが迎えに来ている、そのまま帰って今日はゆっくり休みな」

「は、はいっ」

「ナルト、お前も家に帰って休むんだよ。任務明けで無理矢理帰ってきたんだ、疲れもある。無理だけはするんじゃない」

「お、おう」

 綱手のばあちゃんの言う事も最もだったけど……オレ、もう少しヒナタといたかったんだけどな……。

 真っ赤になってオレと視線を合わせてくれないヒナタに寂しさも感じつつ、コウと呼ばれる従者に付き添われ、ヒナタは部屋を出て行く。

 オレの方を見もしないで……ちーとばっかりショックだってばよ。

 まぁ、オレのしたことは、褒められた事じゃねーけどさ……

「な、ナルトくんっ」

 そんなことを考えていたら、ヒナタが扉から少しだけ顔を覗かせてオレを見ていた。

「ん?どうしたってば」

 自然と零れる笑みに、ホッと安堵したようなヒナタの顔。

 それが可愛くて、オレは嬉しくて笑みが深まる。

「あ、あの……無理して帰ってきてくれて……ありがとう」

 可憐な声が告げた言葉は、元気を沢山くれて、いつものように返事を返す事ができた。

「お、おうっ!また明日なっ」

「う、うんっ」

 ふわんと花が香るかのような可憐さを感じさせる極上の笑みを残して、ヒナタは岐路へつく。

 ぼすんっとソファーに腰掛けたオレは、小さく溜息をついて先ほどの己の行動を恥じた。

「気持ちも確かめねーで、ありゃねーな……」

「ふふ……青春だねぇ」

「まるで、ガイ先生みたいだってばよ」

「アレと一緒はいささか嫌だが……ナルト、忘れるんじゃないよ。女は傷つきやすい、もっと優しく扱ってやりな」

「……だな」

 オレは綱手のばあちゃんの言葉に頷くと、再度溜息をついた。

 いつもあと一歩で逃げられている気がする……。

 でも、それでもいいのかもしれない。

 それが、今のオレたちのペース。

 ヒナタと、オレの間の距離。

 綱手のばあちゃんに軽く挨拶をして、翌日の朝は任務があるから来いと言い渡されたオレは、休みをくれよと内心嘆きながらも頷き部屋を後にするのだった。






 オレは眠る準備を万端にしてベッドに腰掛け、大騒動としか言いようのない一日を終え、帰り際キヌ姉ちゃんに渡された荷物を開いた。

 その中にあったのは、件のCM永久保存版と書かれたビデオとポスター。

 そして、ヒナタのウェディングドレス姿の写真。

 オレに微笑みかける、柔らかい表情。

「へへ……いい顔して笑ってくれてるってばよ」

 見ているだけで幸せになれるその写真を、オレは以前誕生日プレゼントでヒナタから貰った写真立てに入れて七班の写真の横に並べる。

 さすがに他の誰かに見せるつもりはない。

 一番綺麗に撮れたんだと、キヌ姉ちゃんが胸を張っただけはあるな……

 どこかくすぐったいような思いを抱えたまま、ベッドに横になりヒナタの姿を思い描く。

「あと一歩……だってばよ」

 あの打ち上げの夜を思い出し、口元に笑みを浮かべ、絡めた指を見てからゆっくりと口付ける。


「今度は逃さねェ……覚悟しろよ、ヒナタ」


 その思いがどこから来ているのか、どうして逃さないのか、何故そこまで追い求めるのか、全てわかっているようでわからない振りをしてオレは目を閉じる。

 きっと認めたら止まらない……そんな予感を胸に、オレはゆっくりと眠りに落ちていく。



 夢の中で出会えることを願いながら───







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