一年遅れのプレゼント 前編




 10月10日の慰霊祭。

 この慰霊祭が嫌いだった。

 そして、とても悲しかった。

 そんな思い出を胸に、ナルトは慰霊祭の場にたたずんでいた。

(ネジ、見てっか……あれからもう1年になる。オレたち、変わったか?お前が望んだような世界に、オレたちは進めてんのか不安になるけど、オレは……)

 複雑な思いを抱え、この慰霊祭が木ノ葉の里だけではなく、忍界大戦の忍連合全員が集まっての慰霊祭であることがすでに今までとは違う点だろう。

 一年前は激しく激突し、戦っていた場所に慰霊碑を建て、全員で死者を偲ぶ。

 大きなチャクラのぶつかり合いがあり、いまだ草木一本生えないこの荒野の地に【忍】の一文字の慰霊碑はもの悲しげに佇んでいた。

 様々な花が手向けられ、彩どりに色づいていたとしても、数日後には何もない寂しい場所と成り果てるかもしれない。

 いや、この慰霊碑が出来てから、花が枯れたら寂しいだろうと足しげく通っている人物がいるのは知っていた。

 だが、それでも、その者の心の内の悲しみを知る者は少ないのかもしれない。

(アレからアイツは泣かねェ……)

 泣いてくれたらいいと、ナルトは胸中で呟くと共に背後へと意識を向ける。

 7班の自然と後ろへ配置されるように立った自らの真後ろに立つ彼女が泣いてくれるなら、きっと儚く消えてしまいそうな笑みも、いつもの優しくあたたかな笑みへと変わってくれるだろうと思えて、ナルトはぐっと拳を握りしめた。

 泣かれるのは正直見ていて辛い。

 だけど、あんな笑顔を見たいわけじゃないし、ネジも望んでるワケじゃないと、ナルトは深く息を吐いた。

(ヒナタの笑顔は、もっと優しい……あったけーもんじゃなかったか?なのに……なんで、あんな寂しいそうな……消えちまうみてーな笑顔浮かべんだってばよ)

 日向ヒナタの一番嫌いな顔が、その儚く散ってしまいそうな笑みであると認識したのはいつのころだったろうか……

 それがわかってしまうほど、自分が彼女を見つめていることに気付いたのはいつだっただろうか……

 厳密にはわからない。

 だけど、知ってしまったし、思ってしまったのだから仕方ないのだ。

(オレにとってヒナタは……もっとあったけーもんだから……だから、あんな消えちまいそうな……)

 消えてしまいそうだという言葉に、ゾクリとしたものが足元から這い上がってくる。

 そう、あの一瞬、もしかしたら死んでいたのはヒナタだったかもしれない。

 ナルトを庇うために、彼女はその体を投げたしていたのだと、改めて思い出せば、ぶるりと自然に体がふるえた。

 それとともに思い出すのは……

 ヒナタの体の向こうに見えた、ネジの姿───

(ネジは、オレも……そして、ヒナタも守りたかったんだよな)

 満足げな表情で死んでいったネジの死に顔を、今でも忘れることはできない。

 あの時包んだ絶望を忘れることもできない。

 そして、その絶望の元がもしヒナタであったならと考えるだけで、足元からガラガラ崩れ去っていきそうなくらい己の存在が危うくなる。

(ネジ、お前は二つの意味でオレを救ってくれたってばよ。お前はわかってたのか?)

 自らの胸に拳を当てて、己の心臓がドクリと音を立てるのを感じた。

 彼女が死んでいたら、果たしてここに自分は立っていただろうか……

 いや、ここに立っている人たち全員、まだ生きていただろうか……

 そんな己の思考に捕らわれ、抜け出せなくなっているナルトの耳に、現在の火影となったカカシの黙祷という声が響く。

 それと共に、皆が目を閉じ、胸に思い思い何かを語っているようであった。

 ナルトは後ろにいるだろうヒナタへと意識を向ける。

 きっと彼女は悲しんでいるだろうし、あの時のようにいまなら泣けるかもしれない。

 震える空気にいたたまれなくなるような気がして、ナルトは唇を強く噛みしめた。

 黙祷が終わり、式典がすべて終わったのを確認したナルトはソロリと振り返り、目があったヒナタが泣いていないことに絶望にも似た感情を覚える。

(確かに泣いてた……心は泣いてるのに、コイツ……なんで……)

「どーしたんだよナルト」

 声をかけられたほうを見れば、キバが呆れたような顔をしていたのだが、それすら今は気にならなかった。

 ナルトの様子に同期のメンバーが声をかけようとする前に、ナルトは無言でヒナタの手を取り、ズンズンと一団の外へ歩き出す。

 それを見とめて、何やら声を出す人がいたりもしたが、今のナルトには煩わしいだけであって、誰もいない場所へといきたかった。

 人のいない場所を目指して移動しているというのに、変についてくる者や、心配して声をかけてくる者や、久しぶりに会ったのだからと話しかけてくる者など雑多である。

 ある意味良くめだつナルトが、そんな行動をとっていて見とめられないわけがないのだ。

 しかも、戸惑いに満ちた顔のまま引きずられるようについていくのは、件の日向の姫である。

 何があったのかと気にならないはずがない。

 だが、誰もいない場所へ行きたい。

 そして、今まで黙っていたがもうこれ以上黙っていられないのだと、ヒナタに告げないといけないと、ナルトは確固たる決意を持って彼女を連れ出したというのに、やじ馬が邪魔をしてそれもなしえないのだ。

(ダメだ、ここじゃ……)

 誰かの視線や声が気になって仕方がないと、ナルトは剣呑な色を宿しやじ馬たちをひと睨みすると、これならばついてこれまいと、九尾チャクラモードになってヒナタを問答無用で抱き上げると、その場を大きく蹴り距離を開いた。

「ひゃっ、あ、あの……なるっ……」

 凄まじい速度に慌ててナルトの首根っこにしがみついたヒナタは、声を押し殺し、唐突に起こった状況を把握しようと頭をふる回転させているのだが、何かに苛立っているナルトの気配に、心は縮み上がってしまう。

 何に怒っているのか、何を考えているのか、まったくわからないのだ。

 彼には珍しい無表情のままで、ただどこかを目指して跳躍を繰り返す。

 誰にも追い付けぬ速度で、誰にも見られぬ場所を探すようにナルトは走り続けた。

 暫くして荒れ果てた荒野から、木々の生い茂る森へ入り、透明な水をたたえた湖を見つけたナルトは、ようやく速度を緩めてしっかりとヒナタの体を両腕で支えながら、そのほとりへと降り立つ。

 人が優に腰かけられるような岩の上にヒナタを無言でそのままおろし座らせると、冷たくなった手を握ったまま無言でその前に跪く。

「な……ナルトくん?」

「なんで泣かねーんだ」

「……え?」

「なんで……お前の心はずっと泣いてんのに、なんで泣かねーんだってばよ!なんでそんな笑顔っ……まるでお前が消えちまうみてーな……そんな顔すんだ」

「そんなこと……してないよ」

 ふわりと笑うその笑顔が更にナルトの苛立ちを募らせ、勢いよく立ち上がりヒナタの体を自らの腕の中に閉じ込める。

 世界の全てからヒナタを守るように、誰にも奪われないようにするかのように───

「じゃあ、なんでそんな顔して笑うんだってばよ!お前の笑顔って、もっと……もっと……あったけーもんだろうが……なのになんで……」

「ナルトくん……」

「なんで……泣かねェで、自分の心殺してんだ……」

 ああ……と、ヒナタは心の中で吐息を漏らす。

 誰をごまかせても、誰を騙せても、この人は心の奥底にある寂しさや悲しみを見抜いてしまうのだと、悲しみにも似た感情を抱き、震えるナルトの背に腕を回すと、優しく抱きしめ返した。

「私に……悲しむ資格なんてないから」

 腕に抱え込んだ彼女が、どんな表情をしているのかなんてわからないが、だが、あの消えてしまいそうな笑みを浮かべているに違いないと、ナルトは余計に悲しくなる。

 そんなこと、誰も望んではいないのに……

「日向一族の宗家として、ネジ兄さんの父上であるヒザシさんの命を奪った私は……許されてはならないはずだもの。それなのに……ネジ兄さんまで……呪印を刻むなんてことをしておいて、すべてを奪っておいて、悲しむなんて……私がしてはいけないよ」

「全部お前が背負うことじゃねーだろ!」

「私が誘拐なんてされなければ、ネジ兄さんから父上をとりあげることはなかった。私が至らなかったばかりに、ネジ兄さんがその命を投げ出すことになってしまった……すべて奪ってしまった……」

「ネジはそんなこと一片たりとも望んじゃいねェっ!!」

 すべての罪は自らにあるのだというような彼女に、ナルトは一喝すると、ヒナタの肩を掴み顔を近づけ目を覗き込む。

 薄紫色の悲しみと後悔しか宿さない薄紫色の瞳に、青い瞳がぶつかった。

「ネジは守りたいモン守っていったんだ。オレとお前を守ったんだ。アイツは、自分の命よりオレたちの命を選んだ。それは、誰かのせいでも誰の考えでもねェ、アイツの魂そのものだ」

 青く煌めく瞳が迷いなど一片たりともない強い光を放ち、ヒナタを見つめる。

 今までだってこうやって言いたかった、こうして話をしたかった。

 だが、ヒナタだったらそのことに自ら気付くかもしれないと放置していた結果がこれである。

 信じていた、だが、本人が抜け出せないというのなら、この手を取ってほしいとナルトは己の想いを声にこめて叫ぶ。

「アイツの魂が選んだ道を、誰も否定はできねェんだ。もしもなんて言葉も、あっちゃいけねーんだってばよ。オレとお前がここにいる。それが、アイツが残したモンだろ」

 ネジの心に何があったのか、何を抱えていたのか、本人でなくてはわからない。

 だが、彼が思いのままに動いた結果が、いまの己たちの命だというのならば、どうやって生きていけばいいのだろうか……生きることすら罪に思えてしまうこの心はどうすればいいのだろうかと、ヒナタはナルトの上着をぎゅっと握りしめた。

 その力加減に気付いたナルトは、このまま1人耐える彼女がとても悲しくて、少しだけでも自らに頼ってくれたようで、嬉しさと悲しさをない交ぜにした気持ちのまま、優しくヒナタの冷えた体を包み込む。

「泣け。ネジの死を……一緒に悼んでやろうってばよ。アイツの行動でオレたちはこうして生きて、日々を送ってる。けど……お前がいなくて寂しいんだって、オレたちがいずれそっちに行ったとき誇れるような日々を送ってたって報告できるように、今は泣こうぜ」

 優しく優しく髪を撫でる手の力加減と、優しい声に導かれるように、今まで凪いでいた心がざわざわと激しく波打ち始め、このままではマズイと、このままでは泣いてしまうと、ヒナタは弱弱しく首を左右に振った。

「1人じゃねェ……オレもいる。泣いていい……一緒に背負ってやっから、ずっと一緒にいてやっから。んなもん、1人で全部抱え込もうとすんじゃねーよ。オレってば、意外とお前のこと見てんだぜ?」

 まだ堪えようと頑張っているヒナタの頑なな心をどうやったら解せるのだろうかと、ナルトはあと一歩というところで堪えている頑固なお姫様を陥落させるための手段を考え、口元に苦笑を浮かべた。

「全く頑固者だってばよ。お前って見かけによらずそーいうところあるよな。ま、だからど根性なところがあって、すげーんだけど、今はそんなところに根性見せなくていいんだっつーの」

 泣かないことに必死になっている彼女の頑なな心。

 小さい頃ずっと泣かないように悲しみや寂しさを堪えていた己を思い出し、苦笑しか浮かばない。

(あの頃、こうして包んでくれる人がいたら……いや、いたら、今のヒナタの気持ちはわからなかった。だから、きっと人の人生に不必要なことなんて何もねーんだ)

 師である自来也が死した時、その死を受け止めるのにどれだけ苦悩しただろう。

 苦しい思いを知らなかったワケではないし、辛い気持ちがわからないわけでもない。

 だけど、全部自らのせいだと背負い込み、己を追いつめる行為はきっと師は望まないだろう。

(ヒナタだってわかってるはずだ……だけど、全部背負い込んでしまってどうしていいのかわかんねーんだよな。この小さい肩に、どんだけ重いモン全部背負ってきたんだ?)

 あまり自らのことを語らない彼女は、ずっとずっとそれこそ人に言えないようなモノも色々背負って歩いてきたのだろう。

 ネジのこともその一つであったに違いない。

 中忍試験の時にぶつけられた憎しみを、彼女は知っていた。

 それも当たり前だというように、彼女は1人耐えていたように思える。

「全部背負いすぎて……ボロボロのお前を守りてェって思うのはダメなのか?」

 頑なに身を縮こませて、すべての痛みに耐える彼女が悲しかった。

 目を閉じ、何かに耐えるように首を左右にふるヒナタの体を今度は優しく包み込むように抱きしめて、柔らかくあたたかい声で語りかける。

 これほど甘い声が己に出せるのかと不思議になるほど、優しく甘く囁くように……

「じゃあさ、お前の涙をくれよ。今日、オレの誕生日だろ?プレゼント……ソレがいいってばよ」

「……プレゼントはちゃんと……用意してあります」

「じゃあ、もう一個。オレが欲しいからくれってばよ」

「でも……それは……」

「頼む」

「ずるい……」

「ああ。知らなかったのか?」

 苦笑とも取れる声でそう言い放ったナルトは、腕の中の彼女に万感の想いをこめて名を呼んだ。

「ヒナタ……」

 耳元に唇を近づけ、魂からの願いの言葉を彼女へと流し込む。

 彼女の魂に届けと祈る気持ちと共に───

「お前まで……消えちまわねェでくれ……」

「っ……なる……ふっ……っ……」

 こらえきれない感情のうねりが出口を求めて体の中を駆け巡る感覚に、ヒナタは大きく息を吸い、呼吸を止めて堪えようとするが、泣いても良いのだと、ここが泣ける場所なのだと教えるように、ナルトは優しく優しく彼女の頭を撫でて頬を寄せる。

「他の誰でもねェ、オレが許す。泣け、ヒナタ。故人を悼むのに理由なんていらねーんだ。今はなんもかんも忘れて泣いちまえ。ここにはオレとお前しかいねーんだから」

 ナルトに許しを得たという形にして泣けばよいと彼は逃げ道を作ってくれたのだと、ヒナタは理解したが、それではダメだと思うのに出口を探していたうねる感情は、涙となって零れ落ちていく。

「だめ……ダメ……なのにっ」

「ダメじゃねーよ。ヒナタ、1人で良く耐えたってばよ。でもさ、ネジが心配して安心できねーだろ?だから、いっぱい泣いて、寂しいんだって言ってやって、でもオレが傍にいるから大丈夫なんだって、いつもの笑顔見せてくれってばよ」

「……っ」

「それがネジに一番良いってばよ。アイツもきっと安心する。まー、ゲジマユとか色々気にかかることはいっぱいあるだろうけどさ、ヒナタが一番心配だって思うからな」

「いつも……心配っ……ばかりっ……かけっ……わ、私……がっ、弱いっ……からっ」

「ちげーよ。そうじゃねェ。お前が優しいから、こうやって何でもかんでも抱え込んじまうから、心配なんだってばよ。ったく……全部抱え込みすぎだっつーの」

 ひっくとしゃくりあげながらも必死に言葉を紡ぐヒナタの髪を愛しげに撫であやしながら、ナルトはやっと泣いてくれた彼女に安堵の吐息を漏らす。

(ようやく泣いてくれたってばよ……)

 心にあるモノすべてを洗い流すような彼女の涙は、ナルトのジャージに染み込み、その冷たさが更に彼女の心の内にくすぶっていたモノのようで悲しかった。

「ネジの為に今は泣いて、そんで悼んでやれってばよ。そして、一緒にもう一度慰霊碑に向かってこの一年の報告をしてやろうぜ。きっと、そっちのほうが喜ぶ」

「う……ん……うんっ」

 ヒナタの心の奥底の自責の念も悲しみも後悔も、自らに対する怒りもすべて、この涙に溶けてしまえばいいと、ナルトは震えるヒナタを抱く腕に力を込める。

 きっとナルトが言った言葉すべて、ヒナタもわかっていたはずなのに、どうにもできない気持ちがあったのだろう。

 そう簡単に割り切れるものでもないのはわかっていた。

 だからこそ、手を差し伸べなければならなかったのに、いつも自分は遅いんだと、ナルトは悔しさに唇を噛みしめる。

 こうしてただ抱きしめてやるだけで良かったはずなのに、それすら躊躇ってしまった。

 拒絶されるのが怖かったのか……それとも……

 ヒナタには泣けと言っておいて、その涙を見るのがそろそろ辛いと思えてくる、自分勝手な思考にも嫌気がさした。

 だけど……

(やっぱり、ヒナタには……笑って欲しいんだってばよ)

 春の木漏れ日のような、あったかかくてじんわりと染み込むような柔らかな笑みが見たい。

 あの笑みを見たのはいつだ?

 そう思えば、渇望している自分に気づく。

(ヒナタ。お前の笑顔……オレは見てェよ。誰よりも見てェって思ってんだってばよ。だから……)

 その後は言葉にならず、ただ抱きしめる彼女を誰からも、何者からも守りたいと切に願い、ナルトは祈るような気持ちで彼女を抱きしめ続けた。









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