いつでもキミを想う 7 その日、日向宗家に仕える使用人たちは大忙しであった。 稲穂の村の収穫祭は毎年のことであったが、普段お洒落などにも全く無頓着である大姫のヒナタが母の形見である浴衣に袖を通したいと申し出たのだ。 形見を大事にしまっているだけで袖を一度も通そうとしないことを気にしていた父ヒアシと使用人たちは、その申し出を大いに驚き、そして喜んだのである。 彼女がそう言いだしたのはきっと隣りで嬉しそうに笑っている彼が原因なのだろうと、誰の目からも明白で、そっと感謝するとともに、今までで一番良い出来で仕上げて見せようと奇妙な一致団結を見せ、普段は静かな宗家の区画が妙に騒がしくなり、使用人たちが飛び回っている始末であった。 そんな使用人たちの様子を苦笑しつつヒアシとナルトは共に離れたところで見守り、こちらは茶を飲みながら談笑しているという、これまた奇妙な光景を作り上げ、それを宗家の騒がしさに疑問を持った分家の者たちが様子を見に来た拍子に目撃し、ありえないとばかりに固まる。 これはいよいよヒナタの輿入れも近いのかもしれないと、ヒアシとナルトの様子を見た者たちは噂し、総領姫が嫁ぐのはあり得ることなのか?と、疑問視する声もあったが、概ね手放しで祝福ムードとなっているところを見れば、今までヒナタとネジとハナビの良好な関係が日向を少しずつ変えてきたのだなと伺い知ることもできた。 「きっとこの場にネジがいたのならば、喜んでいただろう」 「きっとアイツならオレに愚痴言いながらも、浴衣姿のヒナタ見て言葉失って過保護に『ヒナタ様のことを頼んだ』とかなんとかオレに煩く言ってきたりさ、色々したと思うってばよ」 「ふむ。確かにそうかもしれん。ネジにとってヒナタは本当に妹のような存在であったからな」 「ヒアシの父ちゃんがネジを大事にしてたからそういう関係が築けたんだってばよ」 「……そうか」 「そうだってばよ」 自らが飲む湯呑に視線を落とし、遠くを見るような目をしたヒアシに、彼の後悔を見た気がしたナルトは苦笑を浮かべたあとその横顔に声をかける。 「ネジはきっと見守ってるってばよ。日向のこの先をさ……ヒアシの父ちゃんのことも父ちゃんだって思ってたネジのことだってば、そんな暗い顔してたら心配でたまんねーんじゃねーかな」 「……そうか、私はよき息子たちを持ったものだ」 優しい笑みを浮かべたヒアシに数人の使用人が驚き足を止めたが、隣りで太陽のように笑っているナルトがいるのだからそれもあり得ることであろうと、互いに顔を見合わせ笑うと、久しぶりに活気ある宗家の屋敷をパタパタと忙しそうに走り回るのだった。 準備に思ったより時間がかかったが、待った甲斐はあったのだろう、出てきたヒナタを一目見たヒアシも、知っているはずのナルトも思わず固まってしまう。 白地に白銀の透かしのように入った流れる水を表した模様が入っており、裾は黒から赤へ移り変わるグラデーションがあり、そこにオレンジと黄色と緑の大小さまざまな紅葉が散っていた。 すその斜めに斜めに入った黒色の部分には金糸が使われており、より優美な色合いを醸し出しているのだが、そんな浴衣に負けないようなヒナタのなんと美しいことか…… うっすらと化粧を施し、普段でも桃色で綺麗な唇が、今は妖艶なる紅の赤で彩られ、頬にうっすらのっている撫子色が血色良く見せ、上品な白桃を思わせる。 妖艶であるのに愛らしく、優美であるのに淑やかな彼女─── 「ほぅ……母に劣らず見事な」 「か、母様ほどではありませんが……」 少し照れたようにはにかんだ笑みを見せたヒナタは、ヒアシの横で黙ったままのナルトに視線をやると首を傾げた。 「ナルトくん?」 「あ、い、いやっ、綺麗だな……って……」 「あ、あっ……ありがと……う……」 言葉を忘れたように惚けた顔で見ていたナルトは、慌てて素直な感想を述べると、恥ずかしそうに袖で顔を覆ってしまったヒナタから照れたように視線を逸らせる。 (や……ヤベェ、知ってるはずなのに、この破壊力……ヤバすぎるってばよっ) 横目でチラリともう一度見ると、彼女の豊かで手触りの良い青紫色の髪は、後頭部でお団子状にまとめられており、昨夜と同じように綺麗なうなじが惜しげもなくさらされていた。 まとめ髪に収まりきらない後れ毛が、何とも色っぽくて…… その姿が脳裏に焼き付いて離れてはくれない。 (自分で頼んでおいてなんだけどさ……惚れ直すって、ほんとに何回もあるもんだよな……どんだけ惚れりゃいいんだオレってば) もうこれ以上惚れるのは無理だと毎回思うのに、それをことごとく覆していってくれる妻と目の前の未来の妻の破壊力は、きっとどんな忍の攻撃よりも強力なのだろうと、ナルトは胸に詰まった熱い吐息を吐き出した。 「へ、変じゃない……よね」 「十分すぎるってばよ……」 未だ視線を合わせられないでいる二人の様子に苦笑し、ヒアシはナルトの背後に回ると日向の羽織を彼の肩にかける。 「私の名代で行ってもらうことになっている。六代目にも話はつけてあるから気にすることなく行ってくると良い」 手で触れればその上質な生地だとすぐにわかる漆黒の羽織に覚えがあったナルトは、ヒアシの方を見て『コレはマズイのでは……』と目で語るのだが、ヒアシのほうは苦笑を浮かべて首を左右に振った。 「ヒアシのおっちゃん、この羽織……」 「名代の証とでも思えば良い。ヒナタを頼んだ」 意味ありげに笑うヒアシに苦笑を返したナルトは羽織にしっかり腕を通して襟元を正すと、「よしっ」と気合を入れてからヒアシに力強い返事をした。 「任されましたってばよ。さーて、ヒナタ行くか!」 そう元気よく言ったかと思うと、漆塗りの下駄をナルトに手を取ってもらい履いた彼女が頷くのを確認した後、同じくヒアシに渡されていた羽織に袖を通したヒナタをおもむろに抱き上げ、見送る人たちに見ている方が元気になりそうな笑顔を向けて軽く挨拶をしようと振り返る。 どうしてそうなっているのか理解できていないヒナタの方はというと、目をぱちくりさせてナルトをただただ見上げているのみである。 「んじゃ、ここからオレが抱えて走って行くから、見送りはいいってばよ。んじゃ、行ってきますってばよ!皆、ありがとなーーーっ!」 「え……え?あっ、い、行ってまいります!!みなさんありが……」 ヒナタがすべて言い終わる前に、ナルトが移動を開始したために、彼女の言葉ははっきりと聞こえなかったがしょうがないなと全員が顔を見合わせ笑いだす。 これほど慌ただしい準備も珍しいが、何かやり遂げた気持ちがして、ほっと吐息をつき、ヒナタはきっと楽しんできてくれるだろうと、誰もが疑うことなく素直に見送れた。 何より、当主であるヒアシのこれほどまでに清々しくも楽しそうな表情を、奥方とヒザシが亡くなってから見たことが無かった者たちは、どこか安堵にも似た思いを抱え、それを運んできてくれたであろうこの里の英雄に感謝を送るのであった。 最初は体を硬くしていたヒナタであったが、浴衣姿のまま木々の間を走るなど無理だと理解したのか、それともナルトに何を言ったところで下してもらえないと悟ったのだろうか、次第に慣れてきたのか雑談をしつつ稲穂の村への道中を楽しみ、遠くからでも太鼓の音が聞こえ始めたころには夕日が辺り一帯を赤く染め上げていた。 燃える火のごとく見事な夕焼けに目を奪われつつも、二人が稲穂の村に到着したのをいち早く察知した者たちは、優美でありながら妖艶なその女性に目を奪われ、そんな彼女を抱えている太陽を具現化したような精悍なる男性にため息をつく。 揃いの羽織を纏う男女の、まるで一枚の絵のような二人の姿に、しばし祭りの喧騒を忘れて魅入っていたのだが、彼が彼女を優しく地面に下して気遣う様子を見せると、女性たちは己がそうされたわけでもないだろうに頬を赤く染めてしまう。 一角の異様な雰囲気に気付き顔を覗かせた村長は、そこにいたヒナタの姿に一瞬我を忘れて魅入ってしまったが、慌てて声をかけようと一歩前へ踏み出した。 今年もヒアシとハナビが来るに違いなく、二人の対応をどうすべきかと悩んでいた村長にとって、対応も物腰も柔らかなヒナタが来てくれたのは、手放しで喜びたくなるほど嬉しく、しばらく見ないうちに美しく成長している彼女を見ることが出来たことにも感謝したい気持でいっぱいになってしまう。 ヒナタがこの祭りに顔を出すのはほんの数回であったが、どれも大人しく控えめな彼女らしく、祭りの様子に目を輝かせてはいても、一歩引いた遠くから眺めていることが多かった。 故に、今年は楽しんでもらえたら良いと、目を細め声をかける。 「おお、これはヒナタ様。遠いところをご苦労様です」 「いいえ、こちらこそ今年もお招きいただきありがとうございます」 ふわりと花が綻ぶように微笑んだ彼女の笑みひとつで光が散ったように明るくなり、周囲の村の若い男たちが頬を赤らめると同時に、彼女の隣りでおとなしくしていた男から殺気が飛び、男たちは青ざめ、女たちは黄色い悲鳴を上げた。 (思わぬ弊害だってばよ……) イラッとした様子を隠すこともなく、視線だけで威嚇する彼に気付かず、村長と朗らかに挨拶を交わしているヒナタは、一通りの挨拶を終えたと判断したのか、ナルトへ視線を向けてニコリと笑うと、村長に紹介するように控えめにナルトを手で示す。 「こちらは、父の名代を務めさせていただきます……」 「うずまきナルトだってばよ。今日は宜しくな」 「かの高名な木ノ葉の英雄!……いやぁ、何というかこう落ち着きがあって、中々の好青年ですな」 「まだまだ若輩の身。あまりおだててやらねーでくださいってばよ。村長さんのほうも大戦後で周りが騒がしい中、こんなに盛大な祭りを主催して大変そうだ」 「村の者が手助けしてくれることもあって見た目ほど大した労力ではありませんよ。それに、この祭りがあるからこそ、来年も豊作になる。今年は日向の大姫と里の英雄が着てくれたのだから約束されたも同然。ありがたいありがたい」 「いやいや、オレたちにそんなご利益はねーですってば」 村長はというと、『木ノ葉の英雄』と呼ばれるくらいなのだから、どれほどの堅物かもしくは強面の者かと思っていたところの気さくな青年という想像を覆す事態に一瞬目を丸くした。 しかし、ヒナタととても仲が良さそうでもあるし、何よりどこかあたたかな太陽のように朗らかな人柄を感じさせるところがとても良いと、ナルトの人柄を大いに気に入り、こちらも気さくに話し始める。 目を細めて笑いながら受け答えしているナルトの様子に驚いたのは、他の誰でもなくヒナタのほうであった。 彼女の知るうずまきナルトに、こんな芸当はとうてい出来ない。 つまりは、彼はこういう場に慣れていて、ある程度の礼儀作法は身につけていることになる。 (何だろう……妙に慣れてる感じがする) 疑問はいくつも浮かぶのだが、それをあまり聞いてほしいという感じでもないのだと気配で察したヒナタは、聞きたいが聞けないという状況で、少しだけ心配になってしまう。 (またナルトくん1人で抱え込んでないかな……) 今朝のナルトは色々なものを抱え込んでいるのだと理解できるような表情をしていた。 不安じゃないはずがないのに、彼の持っている年数を重ねて持ちえた自信であったり経験からくる知恵や知識などの対応で判別しづらくなってはいるが、根本に抱える優しさや責任感の強さは変わっていない。 こうしようと決めたときのナルトは、誰の言葉も容易に聞き入れてくれなくなるのだ。 その言葉が心配から出ていると知っていても、その対象に危害が及ぶとわかった途端頑なになる。 (ナルトくんは、未来を守りたいんだ……つまり、それだけナルトくんにとって、その未来はあたたかい場所なんだね) もしその一端を担えていたらどれほど嬉しいか……と、ヒナタは考えて首を振り考えを霧散させた。 (そんなあり得ないことを考えちゃダメだよ、私。高望みも良いところだもの) 「ヒナタ?」 呼ばれた声に顔を上げれば、心配そうにナルトが覗き込んできていて、長く自分の考えに没頭していたのだと気付いたヒナタは、慌てて謝ろうとするのだが、その前に彼の柳眉が険しくなりそっと頭に手を乗せる。 「何かあったのか?辛そうな顔してるってばよ」 「う、ううん……な、なんでも……ない……よ。あの……村長さん……は?」 ハッとして辺りを見渡してみてももう村長の姿はなく、豊穣を祈る神社へと続く道の左右に屋台が立ち並ぶ場所まで移動してきていたことに気付いた。 「村長は神主さんと話があるってさ。夜に境内前の大広場で火を焚くからその時まで自由にしてて欲しいって言ってたってばよ」 「あ……ご、ごめんなさい。私ぼーっとしちゃって……」 きっと村長も自らの様子がおかしいと思ったに違いないと、自らの失態に青ざめてしまったが、そこはナルトである。 彼女に話をふられないように体で隠して『話しかけないでやってくれ』オーラを何気に出しながらカバーしていたのだが、ヒナタはそれすら知らない。 ヒナタをずっと見ているナルトが、何やら思い悩み始めたのを気付かないワケがないし、彼女のフォローもしないはずがないのだ。 ナルトに見られている意識が薄い彼女にとって、そんなことは夢にも思わないだろうし、考えもつかないだろう。 それが今のナルトにはわかっているだけに、少しだけ辛いな……と、苦笑を浮かべた。 それと同時に、こんな彼女にこの時代の自分は気付きすらしなかった事実が正直に悔しい。 そして、そんな過去の自分と同列に見られている事実が悔しかった。 こんなに見ているのに─── 「……お前さ、ホントわかってねーんだな」 「え?」 更に辛そうな顔をしたナルトは、少し低い声で彼女の名前を呼ぶと、使用人たちが必死になって飾り付けた彼女の浴衣や化粧や髪型が崩れないように気を配りながら、そっと体を寄せて優しく頭を撫でる。 「な、なに……が?」 「くそっ、言えねェのが辛いってばよ」 何かに苛立ち、何かに苦しむそんな顔を一瞬だけ見せたナルトは長く瞑目すると息を吐く。 彼女の不安、心に抱えているモノ、全てナルトにはわかっていたのである。 だからこそ、その不安を吹き飛ばす言葉も知っていたし、今まで未来の彼女に散々言ってきた言葉でもあった。 だが、今の彼女にはそれは言えない。 (愛してるからオレはお前をずっと見てるんだって……一番言いたいのに言えないって……辛ェなあ) まるで一人ぼっちのような、そんな不安そうな顔をする彼女の姿は、昔の己のようで、ナルトは苦しくて仕方がなくなってしまう。 本当は叫びたいくらい、ここにいる全員に知ってほしいくらい、彼女を想っているというのに─── 「ヒナタ、オレと一緒に祭りを楽しもうな」 「ナルトくん……」 「屋台もいっぱい出てるし、珍しいモンもあるかもしんねーから、ぜーんぶ見て回ろうぜ。二人きりなんだからさ、気兼ねするもんもねーし、なーんも考える必要もねェ。ただ、一緒に楽しむんだってばよ」 「う、うん」 言えない言葉を胸に秘め、ナルトは愛しさを声と言葉にこめ、思い悩むヒナタに声をかける。 ずっとずっと辛い思いをこの先もさせてしまうかもしれない。 だけど…… (今、オレは間違いなくお前の横にいて、お前を見てるんだぜ、ヒナタ) この時代の自分に負けて幻にされてたまるかと、ナルトはヒナタに手を差し出す。 この手をとってくれと願いをこめて見つめていれば、はにかんだように笑み、そっと恥じらいながらも手を重ねてくれた事実に、ナルトは胸の奥から溢れ出てくる愛しさに口元を戦慄かせた。 「さぁ、行くってばよ!まずはあの屋台からだ!」 「うんっ」 石を敷き詰めた神社へ続く道の上、漆塗りの下駄を履いているヒナタの足に負担をかけないよう心がけながら、ナルトはゆっくりと手を引いてヒナタを人ごみから守るように自らの体でガードする。 自然とエスコートできるほどには彼女と一緒にいたし、彼女が取るだろう行動だって理解できるのだ。 (過去のオレに嫉妬するとかねーと思ってたけど、やっぱ、オレってばヒナタのことに関しては沸点も低いし、なんでもかんでもラインが低すぎるってばよ) 大人げないとわかっていても、やはりコレばかりは譲れない。 ヒナタが笑ってくれるのなら、過去の自分になんと思われようとも、周囲になんと言われようとも、きっとそれを優先してしまいそうだと苦笑しつつ、ナルトは自らの手の中にあるぬくもりに感謝し、屋台に並ぶもの珍しいモノに目を輝かせる彼女の純粋さも含め、心の底から愛しいと思った。 秋風が吹き、落ち葉舞い散る中、真っ赤に燃えるような夕日は、そろそろ漆黒の闇へと変わろうと暗い色を纏い、日のあたたかさが失われ、冷たい風が吹き始めようとしているのに、繋いだ手はあたたかく、離れる気配も見せることがない。 綺麗な夜空が天空を覆い、大きな満月が空に浮かぶまであと数刻。 その数刻を、二人だけで楽しむ時間にしようと、ナルトは笑みを深め、愛しい愛しい未来の妻を甘やかしてやろうと誓うのであった。 |