本当の笑顔 4 無言でナルトとヒナタの成り行きを見ていたサイは、ナルトの言葉とヒナタの反応から状況判断して、『任務で呼吸器と消化器系を負傷』したヒナタを心配したナルトの『心配から生じる怒り』だったらしいと結論付けて深く頷いた。 以前からナルトがヒナタを気にかけていたのは知っていたのだが、それがいつからかと言われたら、やはり木ノ葉崩壊の後だろうと簡単に思い至る。 だが、その時はまだサクラに重きを置いていたような気がしたのだが、そうでもないのかもしれないと最近思うようになった。 人の感情を少しずつ理解していく中で、簡単なように見えた恋愛というモノ。 ナルトとサスケとサクラの間にある感情をそうだと思っていたし、ナルトの反応からサクラを大事にしている事はわかった……が、そんなナルトが時折、ほんの少しだけ……誰にも気づかれぬように、たった一人を見つめていた。 多分、見られている本人すら気付いていないだろうし、周りの誰も気づかぬほどの視線の流し方であって、気付いたのは偶然。 気のせいかもしれないと思っていたことがそうではないと確信したのも、また偶然であった。 任務が休みだったため、朝から里の外れにある池のほとりで趣味の絵に没頭し、薄暗くなり描きづらくなってきたなと空を見上げて日暮れが迫っているのに気付き、かれこれ8時間ほど絵を描いていたらしいと、ほぼ完成しているスケッチブックを片手に里の建物の上を軽快に走っていたときのことである。 あの目立つ風貌の彼がサイがいる建物からは死角になる建物の屋上で、彼に似つかわしくない哀愁漂う表情のまま、どこか一点を見つめていた。 彼が一心に見下ろすその先が気になり視線を走らせて見れば、青紫色の長い髪が風にゆらりと揺れ、彼女は何か買い物をしているようで、店主と親しげに話をしている。 気配を完全に消して、ただ食い入るように見つめているその姿に、何故か見ているサイのほうが苦しさを覚えて眉根を寄せてしまう。 いつものように声をかけることもしない、ただ、静かに見守るような彼の姿は、いままで見たことがなかった。 気さくで明るい彼なら、間違いなく飛んで降りていって、その肩を叩き挨拶しているはず…… しかし、今の彼は同一人物とは思えないほどに切なさを滲ませる表情をしている。 気付けばスケッチブックにサラサラと筆を走らせ、その光景を描き上げており、その絵を誰にも見せる事無く棚に仕舞いこんだのは何故だろう。 今考えてもわからないことばかりで…… ただ、その時の光景があまりにも切なく、あまりにも綺麗だと思ったのは覚えていた。 だからこそ、ナルトにとってのヒナタという存在は、とても複雑であり、一言で言い表す事ができない存在なのだと思え、そして……不思議とサクラの時のように彼に尋ねようとは思わなかったのだ。 あの青い瞳に映る青紫色が、何よりも愛しい色であるかのような、そんな顔をしていたナルトの表情だけで十分だと思えたし、こういうことを聞くのが野暮だということも、何故だか理解できたから── その時から気にかかっていた。 何故人目をはばかるように彼女を見ているのか、何故彼女に知られないように気配まで絶っているのか、まるで声をかける資格すら今の自分にはないとでも言う様に…… 今の彼からは、そのときの様子を微塵も感じることは出来ないが、瞳に存在する優しく見守るような色だけは変わっていない。 そして、二人の間に感じる確かな絆のようなものは、第四次忍界大戦でも感じる事ができた。 絶望的な状況で、心が挫けそうになった彼をすくい上げたのは紛れもなく彼女であり、彼女の言葉が渇いた心に染み込むような水のごとき潤いを与えてくれたのを覚えている。 大戦中に垣間見たナルトとヒナタの間に感じられる、目に見えない繋がり。 いや、もしかしたらもっと前からあったのかもしれない。 気付いていないだけで…… (そうか……ナルト、キミはヒナタさんを知りたかったんだね。キミは初めてサスケとサクラ以外の誰かに目を向けて、そこに当たり前のようにあった絆に気付いたんだね) 雑炊のレンゲに息を吹きかけているヒナタの必死な姿を笑いながら見て、横からからかうように息を吹きかけ、ヒナタにぎょっとした顔をされて悪戯が成功して喜んでいる様子は、とても微笑ましいと思えるし、どこか心がほっこりとあたたかくなる。 「ほら、冷ましが甘ェと火傷すんぞ。あまり熱いの食べると、食道も痛んじまうぜ?どーせ、痛みを感じてんだろ?」 「……う、うん」 「ったく!このバカヒナタ」 本当に困った奴だというように、ナルトはヒナタのおでこを指で弾くと、ヒナタは少し赤くなったおでこを片手で押さえて唇を少しだけ尖らせた。 珍しい彼女の反応に、ナルトは嬉しそうに頬をほころばせると、自分が弾いたくせにおでこをよしよしと撫でてやって笑みを零す。 「無茶ばっかするからだってばよ」 「なるほど、それでナルトは怒っていたんだね」 サイがそう言葉を零すと、ナルトは驚いたようにサイへ視線をやり、改めて『怒っていた』と表現されてしまえば、先ほどの自分がかなり厳しくヒナタを怒鳴りつけたなと思い出して少しだけ眉尻を下げてしまう。 「怒ったっていうか、心配してたっつーか……。あー、すまねェ!ちょっとばっかしキツかったな。ごめんなヒナタ」 両手を合わせてペコリと頭を下げるナルトに、今度はヒナタが慌てて声を出そうと口を開いた瞬間、いつもの調子でサクラが言葉を挟む。 ナルトの剣幕に何事かと心配していたサクラは、原因がわかった安堵もあり、幾分大きな声を出してナルトを怒鳴りつける。 「ちょっとどころじゃないわよ、全くアンタはっ!」 彼女のコレも心配が高じてなのだと知っている一同は、苦笑を漏らしてサクラを見やり、サクラに怒鳴られたナルトは反射的に身構えた。 「ヒナタも言ってやんなさい!」 「う、ううんっ、わ、私が、悪かったの、ご、ごめんなさい」 改まりナルトの方に体を向けてペコリと頭を下げるヒナタに驚いて、反対にナルトは顔を上げてしまう。 「ま、そこで謝るのがヒナタだよな」 驚いた顔のナルトと頭をキッチリ下げて謝罪しているヒナタの様子を見て苦笑するキバに、シノも頷き、赤丸も小さく鳴いた。 しかし、ナルトは頭を下げたヒナタに対し、どうしたものかと思案した後、ソッと手を伸ばして彼女の伏せられた顔の顎から頬を手で包み込み、ゆっくりと上を向かせる。 恐る恐る上げられる顔と、薄紫色の瞳を見ながら、ナルトは笑みを零して彼女に呟く。 「ごめんなさいじゃなくってさ」 「えっと……あ、あの……」 「ごめんなさいより、いい言葉あるだろ」 そう言われ、ヒナタは「あ」と小さく呟くときゅっと一度唇を結んでから、淡く優しく微笑む。 「あ、ありがとう……ナルトくん」 ふんわり 花が綻ぶように。 それこそ、見惚れてしまうような可愛らしい笑み。 ドキッと心臓が音を立てたかと思うと、周囲の音が一瞬全て遮断された。 (え……な、何だ……なんだってばよ?い、いまの……) そこだけ明るくなったような、光りが散ったような、自分の目がおかしくなったんじゃないかと思える程の変化を不思議に思い、それでいてどんどん上がってくる体温と呼吸、そして異様に早くなった鼓動を抑えつけるのに必死になる。 綺麗な彼女の瞳は、柔らかな光りと共にナルトへ向けられ、それは心に焼き付いている笑顔に少し似ていて、じわりと体に湧き上がってくる喜びを感じた。 (そうだ、こういう笑顔だ……オレはコレが……、いや、これ以上に綺麗で可愛い笑顔が見たい。ヒナタの幸せそうな笑顔が見たいんだ) 自然と握られた拳に力が入っているのに気付き、ハッとした瞬間、なんだか聞いちゃいけないような声色の呟きが聞こえる。 「女の子はやっぱり笑うと可愛いねぇ」 カカシの一言に、変態教師とそれぞれ呟き、それを聞いたカカシは大きく溜息をついて肩を落とす。 隣に座っているナルトはというと、ヒナタを守るように体でガードするという、なんとも失礼極まりない態度をとってくれた。 「何かオレの扱いがおかしい気がするんだよね、最近」 「正当な扱いだと思うぜ、先生」 キバのトドメを受けて撃沈したカカシはトホホと呟き涙を拭う仕草をした後、運ばれてきたおかわりのラーメンを誰からも顔を見られないように啜るという、器用な芸当を見せる。 これも一楽名物になりつつあった。 昔は躍起になって素顔を見ようと努力していたのだが、今はもう気にならない。 それよりも、今のナルトに衝撃を与えていたのは、先ほどのヒナタの柔らかな笑顔。 (本当の……笑顔……) じわりと心に広がる熱とも違う甘い疼きのような感覚は、いつもよりも強くて、ほぅと吐息をついて何とか誤魔化す。 「や、やっぱり……醤油ラーメンじゃ……」 「あ?ああ、いや、そうじゃねーよ。ていうか、コレはオレが食ってんの!お前はソレっ!」 「うぅ……た、食べなくても……い、いいのに」 「勿体無ェだろ?」 「わ、私の食べかけ……」 「なんだよ、オレが食べるのが嫌だってのか?」 「ち、違うよ、は、反対でっ、わ、私の食べかけで……い、いいの……かなって……ほ、ほら、人の食べかけとか飲みかけって……て、抵抗……あったりしない?」 それこそワケわかんねェとでも言うような顔をしたナルトは、思案気に眉根を寄せて小首を傾げる。 「うーん、人の……かぁ、誰でもかれでもってワケじゃねーけど、ヒナタだったら」 と言ってから、ヒナタの唇に小さな米粒がついているのを発見し、ニンマリ笑って無造作に手を伸ばしてソレを摘み上げてぱくりと食べてしまう。 「これくらい平気」 「ふぇっ!!?」 ぶはっとキバが飲んでいたスープを吐き、サクラが箸を落とし、シノはキバが吐き出したスープの直撃を辛うじて避ける。 サイはあはははと笑って、カカシは『もう、オレは何も見てないし聞いてない』というように、ただラーメンを啜っていた。 真っ赤になって硬直しているヒナタが哀れなのか、そういうことに無頓着なナルトがつわものなのか、いたるところで乾いた笑いが浮かび、キバとシノとサクラとサイは視線だけでなにやら会話を行っているらしい。 その結果、負けたのか、『オレしかいねーか』と思ったのか、キバが一応とばかりにナルトに声をかけた。 「おい、ナルト」 「ん?」 「いまの、他の女にもすんじゃねーぞ」 「やるかよ」 「やらねーのかよっ!!」 「はあ?どっちなんだよ」 ナルトが怪訝そうな顔をしながらキバを見やれば、甲斐甲斐しくテーブルを拭くシノが見えて、なんだかこの二人って良いコンビだよな……とか、全く違う事を考えてしまう。 カウンター席に座っていたサクラとサイが自分のラーメンを持って、キバたちのテーブル席に移り、頭をつき合わせてヒソヒソと話し合いをはじめてしまうのを眺めて、いつもなら『ずりー、オレも入れてくれってばよ!』と行くところなのだが、いまだ赤くなって硬直したままのヒナタをチラリと見てから息をつく。 まるで根が生えたように動く事はないと言うような自らの体に、ナルトは苦笑を零して肩を竦めた。 (今は何よりもヒナタだってばよ。コイツ1人にすると何しでかすかわかんねーしな) オレが見ていてやらねーととでも言う様にナルトは硬直したままたのヒナタの肩をツンツンと突付いて正気に戻すと、雑炊を食べるように促し、自らもヒナタから奪い取ったラーメンを啜った。 「い、今の、どういう意味!?」 「ヒナタさんだから……やったってことですよね」 「他の奴にやらねーで、ヒナタだからやったってアイツ言い切ったぞ」 「本人にその自覚があるかはいささか疑問だ」 「くぅん」 サクラ、サイ、キバ、シノ、赤丸の4人と一匹は、テーブルの上で頭を寄せ合い、現在のナルトとヒナタの行動についての検証を始め、そんな4人と一匹に、チラリと視線をやったカカシとテウチは『若いねぇ』と胸中で同時に呟くのだった。 |