本当の笑顔 26




「だから、今とのギャップが……怖いよ」

 ひっそりと息を吐くように呟かれた言葉は、哀しみすら滲ませるものであった。

 ヒナタの震える睫毛と唇が何を思っているのか、何を感じているのか知りたくて、彼女の様子をジッと見つめながら優しく問う。

「何が怖いんだってばよ……」

「だって……私がこうして辛くなった時、ナルトくんがずっといてくれるワケじゃない」

 自らが言った言葉に辛くなったのか、一旦言葉を止めて、それからゆっくりと噛みしめるように再び言葉を重ねる。

「わ、私は……この状況に慣れちゃうのが怖い……一人に戻るのが……怖くなる」

 彼女のいつもより冴えない色を宿した唇が震えて語る言葉に、ナルトは自らの胸の内にも感じた言葉だと思った。

 そう、この状況……ヒナタがいる日常に慣れてしまえば、彼女がいることに慣れてしまえば、きっと一人がもっと辛くなる。

 それは自分にも言えると、ナルトはズキリと痛む心を抱えてヒナタをジッと見つめた。

 目の前にいてくれる。

 誰もいない空間に言葉を放つワケでもなく、打てば響くように答えが返って来るのだ。

 この事実が嬉しいと感じる者は少ないだろう。

 多分……ナルトが知る者の中で実感として掴めるのは、イルカやカカシやサスケくらいではないだろうか。

 その3人でさえ、ナルトやヒナタの持つ孤独の闇を真の意味で理解出来はしないだろう。

 同情の目で見られる者と、蔑みの目で見られる者の差。

 それもやはり大きく関わってくるのだ。

 人の悪意に晒されて生きることに慣れてしまった幼少時代の傷は、未だ癒えているはずもなく──

 その傷は、容易にこうして心を疼かせる。

 ただ、その救いは……理解し合える相手がいるということと……彼女を独りにしなかった、しないで済んだという事実ではないだろうか。

 取り繕わなくて良い、心の底を曝け出しても相手に引かれないかどうか気になって口に出来ないということはない。

 彼女ならば、まずは心で受け止めてくれる。

 そう感じたのはいつからだろうか……

 割と思ったことを正直に口にしていた気がする……と、ナルトは考え、思った以上にヒナタという存在に甘えていたのだろうと感じた。

 もしかしたら……

 同じ匂いのようなものを、彼女に感じていたのかもしれなかった。

 だからこそ、今、彼女が脅えている事実に覚えがあるし心当たりもある。

 故に、彼女の言葉を自然と一度心で受け止めて目を細め、ナルトはヒナタと同じように息を吐くような密やかさを持って言葉を紡いだ。

「いつもは独りだ……」

 ソッと彼女が横たわる寝台の上、小さな収納のついている棚の上に置かれている彼女の額宛が寂しげな色でキラリと鈍い光を放つ。

 孤独だと、独りは寂しいのだと訴えられているような気がしたナルトは、無造作に自らの額宛の紐を解いて外した額宛をヒナタの額宛に寄り添わせるように置いた。

(お前も……独りじゃねーよ)

 互いに寄り添い、先ほどは鈍い光と感じたのに、今はどこか安堵したような……優しげな光を放っている。

 ナルトの行動をジッと見ていたヒナタの瞳に、どこか羨ましげな、安堵したような……でも、やっぱり良いな……という、複雑な感情を宿した色を見つけて、自分が何をしてやるべきなのかを彼は悟った。

 額宛だけではなく、彼女に寄り添うこと──

 それはもう誰にも譲れないのだと、少し前に気付いたばかりではないか……と、自らを叱咤したナルトは口を開く。

 彼女の心に寄り添うために……

「確かに」

 控えめに出したはずの声が、思いのほか響いたことに驚いたナルトは、一旦言葉を切り口を結ぶと、ふっと息を吐いてから再び言葉を紡ぐ。

「……独りでの、あの暗闇は怖ェーよな」

「うん……」

 彼女の顔の横に無造作に投げされていた手をギュッと握り、ナルトは視線をヒナタにかみ合わせる。

 そして、彼女が心から感じているモノに対し、自らの心の内にあるモノも同じものであるのだと感じた。

「オレも正直怖ェ……アパートに戻ればいつも独りだ。誰もいねーし、こうやってヒナタがいることもねーからな。声を出して話をしても誰も応えちゃくれねーし、笑ってもくれねェ」

「……うん」

「家族がいてその気持ちをわかるヒナタっつーのもどうかって思うけどさ。オレたちは、互いにそういう寂しさや孤独を知っている」

「そう……だね」

 きゅっと握り返される手に目を細めたナルトは、ふぅと息を吐くと共に目を閉じ、全て吐き終えたあと息を吸って目を開く。

 その瞳に先ほどまでの孤独ではない色が宿っていることに気付いたヒナタは、彼の言葉を静かに待った。

「独りの部屋で感じる闇の冷たさも、その色の黒の色の濃さも、心を覆う冷たさも、外がとってもあたたかく見えるのも……全部わかるってばよ」

「……うん」

 脳裏に浮かんでいるのは、互いに幼少の頃に部屋で感じた暗闇に違いない。

 ナルトにしてみれば、夕焼けの朱色がとても寂しく辛い色であった。

 親が迎えに来る中、いつもその手を引かれて帰っていく同世代を見るのが辛くて……でも、羨ましくて……

 この手をとってくれる人が欲しくてしょうがなかったんだ……と、考えたナルトは、今手を繋いでいる相手をジッと見つめ続ける。

 いつの間にか、こんなに大事になっていた相手で、この手を離したくないと思えるほどになった彼女の存在。

 誰もがその変化に驚き、そして……驚いていたはずなのに、何故か納得してしまう。

 それは何故か──

 考えるのもバカらしいほど、誰にも邪魔されない空間をヒナタと作りだせる状況がそうさせるのだろうとわかっていた。

 誰もが納得してしまうくらい、心が寄り添うことが当たり前で心地良い。

 そう感じられる彼女だからこそ、だからこそ、きっと大丈夫だと思えた。

「ヒナタ……一つだけお願いがあるんだけど、良いか?」

「……何かな」

 低く抑えられた声に反応したヒナタは、ナルトの心が見えず、不思議に思い首を傾げる。

 こういう時は不思議なくらい心が通じ合っているような、重なり合っているような感覚がするというのに、今はどこか違う何かを感じた。

 例えるならば、足場の悪さに四苦八苦している時に、ソッと差し伸べられた手のようなあたたかさを感じるのだ。

 ナルトが何かを考え、ひとつの答えを持っているのではないかと考えたヒナタは黙って彼の言葉を待つ。

 こういう時のナルトの言葉が、とても大事だということを、ヒナタは知っていたから……

「もう少しだけ、その孤独と戦っててくんねーかな」

「……え?」

 意図が掴めずナルトを見つめれば、彼は何かを決意したようなそんな瞳でヒナタを見つめ、握っている手に更に力を篭める。

 ぎゅっと篭められた力加減から、彼の気持ちが溢れてきそうで、ヒナタは思わずビクリと反応してしまうのだが、彼はあまり気にした様子も無くヒナタを見つめ続けている。

 その瞳の色がとても綺麗で、とても優しい。

 だけど……その奥に見える覚悟のような強い光に、ドキリと心臓が高鳴った。






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