本当の笑顔 1




 日向ヒナタを一言で表わすのは難しい。

 一般的に彼女は優しく大人しく協調性がある女性らしい、生まれた家柄も申し分なくて木ノ葉有数のお嬢様。

 だが、うずまきナルトにとっての彼女は、かなり複雑である。

 いつも顔を赤くして俯きうじうじして根暗で引っ込み思案、だけどいざという時の芯の強さはナルトでも負けてしまうかもしれないと思うほどであった。

 しかし、ここへ来て最近その評価も変わりつつある。

 最近の評価は、頬を赤くしてそれでもちゃんと視線を合わせてくれて時々柔らかく微笑みを向けてくれ、思ったことをちゃんと口にしてくれる。そして何より、一緒にいると心が和むのだ。

 【何を考えているかわかんねーけど、いい奴】から、【すっげー強くてあったけー奴】へと変化したのである。

 その変化が何をもたらしているのか、彼自身気づくこともなく日々は過ぎて行く。

 少年から青年へ、少女から乙女へ変わりつつある微妙な時期。

 小さな変化は、大きな変化への第一歩であったのだと、あとで気づくことになるのであった。






「ヤベーっ、先生また怒らなきゃいいけど!」

 先日任務で受けた傷の経過を診る為、担当の医師に呼び出されていたのを思い出したナルトは、慌てて里を駆け抜けていた。

 器用に人を避けつつ今回の担当医の病室が見える対面廊下を走り、あと少しと心で呟きながらそちらを見ていると、診察室から見慣れた人物が出てきて一礼してから、走るナルトに気付く事無く反対側へ歩いて行ってしまう。

 彼は声をかけようと思ったのだが、それより先に先生の呼ぶ声がして慌てて診察室へ入ると、医師は目を一旦丸くしてから苦笑を浮かべた。

「珍しいですね、うずまき君がちゃんと来ているなんて」

「こ、この前すっげー説教されたところだってばよ……」

 思い出したくも無いことを思い出し、少々青ざめつつ医師の前の椅子に座ると、腕を捲り上げた。

 穏やかそうに見えて、こういう人種が一端怒り出すと手を付けられないのだということを前回悟った割には、時間ギリギリまで忘れていたのだから救いようが無いとはこのこと。

 しかし、そんなことをおくびにも出さず、ナルトは傷跡すら残っていない腕を晒し、得意満面に微笑んで見せた。

「ほら、もう完治してるってばよ」

「ですね、君の回復力には目を見張るものがありますよ」

「なー先生、さっきヒナタがここに来てなかったか?アイツ何か具合悪いとか?怪我したとか?大丈夫かってばよ」

 腕の具合を見ていた医師は、キョトンとした顔をしてからクククッと笑い出してから、先ほど見たであろうカルテを出して小さく溜息をついた。

「普通は他の患者さんの事教えないんだけどね、君は彼女の同期で親しいようだし、少々尋ねたいこともあるから聞いてくれるかな」

「おう」

 親しいようだといわれて、どこか嬉しく弾んだ気持ちのまま、ナルトは笑みを浮かべると、『何でも訊いてくれ』と言わんばかりに目を輝かせて医師を見つめ返す。

 そんなナルトの様子に、再度苦笑した医師は、先ほど記入していたカルテに今一度目を通してから口を開く。

「実は、前回の8班の任務で一般人が巻き込まれ、その人たちを仕掛け毒から助ける為に飛び込んだは良いけど、彼女自身が毒を吸い込んでしまってね。一般人に被害はなかったが、彼女は消化器系と呼吸系に少々ダメージを受けてしまった。まぁ、それでもチャクラの膜で何とか凌いではいるのだから、他のメンバーが飛び込むよりは良かっただろうね。でなければ、内側から毒でグズグズに溶かされていただろうから……」

 医師の説明を聞き、それほどの毒に晒されて本当に大丈夫なのかという不安と心配を胸に抱えながら、何故だかその情景がすぐに思い描けてしまったナルトは、柳眉を険しくして顎の辺りをさすると重苦しいと感じるほど低い声を発した。

「無茶するってばよ……相変わらず」

「ふむ、うずまき君くらいだね、そういう評価をするのは」

「え?」

「普段からは考えられない大胆な行動だ……それが、皆の見解だった」

 ナルトはその言葉を聞き、訝しげに眉根を寄せる。

 何故?という思いが強かったのだ。

「だってさ、ヒナタは誰かを守るためだったら何時でも身体を張ってきた。アイツは優しいから、関係ねー人巻き込まねェためだったら、自ら飛び込むなんてすぐわかる行動じゃねェか」

 これまでの戦い方や思考、どれをとっても彼女がそういう行動に出るだろうという事は確信が持てたし、そういう人物だということは誰よりも知っていると自負できる。

 何せ、自らがその対象になった時だってあったのだから──

「今までの怪我の履歴を見ても、そう思わざる得ない。だが、誰もそれを認識していない」

「何でだよっ!アイツはいつだって!」

「そう、彼女はいつだって最良の結果を出してきたはずだね。だが、評価されない……君と違って」

「何で……アイツは頑張ってる!いつも努力して、いつも傷だらけになっても……だって、ペインの時だって、アイツが飛び込んでこなかったら結果は違ってた!」

「それも、身勝手な行動だと片付けられている」

「なんでだよ……違う……そんな……アイツがいたからっ!だからオレは……」

 呆然と呟くナルトに、医師は困った顔をして小さく溜息をつく。

 ナルトが言わんとしている事も理解できるし、そういう評価を下されている理由もわかっていた。

 あまりにも厳しい現実に、医師は溜息しか出ない。

 しかし、目の前の彼に、その事実を知っていて欲しいと思ったのだ。

 本当に、心の底から心配している彼だからこそ、彼の隣だと、ちゃんと笑っているように見える彼女のよりどころである彼だからこそ、その事実と向き合って欲しいと願った。

「彼女は日向宗家嫡子、それゆえの過度な期待の裏返しかもしれないね」

「……過度な期待」

「こう言っては失礼だが、うずまき君……昔君に誰も期待はしていなかった」

 その言葉にぐっと喉に何かつまったような気分になりながらも、ナルトは頷く。

 この医師に他意はなく、変に回りくどい言い方をされるよりも好感が持てる言い方であると、ナルトは視線を逸らす事無く医師の目を見つめて次の言葉を待つ。

「そんな君だからこそ、みんなが望む結果以上のものを叩き出してきたが故に、みんな認めざるをえなくなった」

「…………」

「だけど、元から期待されていた者は、その結果に行き着かなければ勝手に失望されてしまう」

 勝手に期待して勝手に失望して、ソレをその相手のせいにする。

 それが現実なのだと言われた気がして、ナルトはヒナタがあの細い肩に背負っているモノの大きさに、改めて気付いたような気分で歯を食いしばり、そんな理不尽なもののために苦しんでいる彼女に無性に会いたくなった。

 昔の小さく震えるばかりの彼女と、今現在の彼女。

 過去の彼女よりシッカリと前を見据えて歩いてはいるが、その彼女の心の奥底にある傷を垣間見た気がして、ズキリと疼く心臓の上の上着をギュッと握り締める。

 まるでそれは、痛みを誤魔化すかのような仕草で、医師はソレを見止め目を細めた。

「それが……ヒナタの結果……認められねーって……ことか」

 低く低く紡ぎ出されたナルトの声は、深い悲しみと悔しさを滲ませており、まるで我が事のように苦しそうな顔をしているナルトに、彼ならば大丈夫だと1つ頷く。

「私はね、彼女がいつか壊れやしないか心配だ」

「壊れる?」

「彼女の心は強い。だからいままで持ってきた……が、それがいつまで続くかなんてわかりはしないんだよ」

 視線がかみ合っているはずなのに、どこか遠いところを見ているような医師の視線に、ナルトは何か重要な事をこの医師は伝えようとしているのだと直感し、口を一度結ぶと、握った両拳を太ももの上に乗せたナルトは意を決したように口を開いた。

「先生は……何が言いたいんだってばよ」

「日向宗家嫡子であるが故に、過度な期待と失望と羨望と憎悪を向けられ続けている心はいつか壊れるということだよ。本来ならば誰かが守ってやるべき……いや、親が子を守るべきなのだが、彼女は誰も守ってはくれない。寧ろ、その家族が一番牙をむく」

「…………」

「親に愛されない子ほど、惨めで哀れな者はない。彼女の本当の笑顔は……いつになったら見れるだろうね」

「笑顔……」

 その言葉にドキリとした。

 そう、最近ナルト自身も漠然と感じていたことである。

 ヒナタの、本当の笑顔はどれなんだろうと……

 嘘ではないが、心から笑っていない。

 笑って欲しい。

 できれば此方を向いて……

 と、そこまで考えてハッとして、ナルトは自分の思考が何やら変な方向へと向いていたような気がして、医師から一瞬だけ視線を逸らせる。

 疚しい事を考えていたワケではないのだが、どうにもむず痒く、こんな考えを他の誰にも知られたくないような気恥ずかしさを伴った感情は、何故か居心地が悪くそわそわさせてくれた。

 そんなナルトの考えなどお見通しのように、医師は少しだけ口角を上げて笑うと、気付いていないとでも言う様に、至って普通に話しだす。

「私はどちらかといえば、精神科医のほうが得意分野だ。うずまきナルト君、君と彼女はとても似ている。彼女を時々気にかけてやって欲しい……彼女が壊れないように」

「あ、当たり前だってばよ!オレってば、アイツにいつも助けられてばかりで、なんも返せてねーんだ……だから……だから、今度はオレが守ってやるんだってばよ!」

「そうか……うん、ありがとう」

 本当に嬉しそうに頷いて見せてくれる医師の表情を見たナルトは、不思議そうに見つめた後、首を傾げながら、何気なく感じたことを口にしていた。

「先生、どうしてそんなにヒナタを気にかけてやるんだ」

「……彼女はとても私の娘に似ていたからかな」

 複雑そうに笑う医師に、踏み込んではいけないのだと思ったナルトは、それ以上訊ねる事もなく立ち上がると、まるで医師の心配を取り除くかのように太陽のように輝く笑みを見せる。

「ヒナタのことは心配しなくて良いってばよ。オレがいるしさ」

「そうか。君ならば大丈夫だと信じているよ」

「おうっ!任されたってばよ!」

 そう、元気に返答してから、戸口で一礼したナルトは病室を出て、先ほどヒナタが歩いていった方向へと顔を向けた。

 自然と彼女の後を追うように医療棟を出ると、第三演習所へ向かって歩き出す。

 彼女がよくそこにいるのは知っていた。

 いつも1人で鍛錬し、いつもボロボロになるまで自分を痛めつける。

 女性らしい化粧っけもお洒落も全く関係なく、ただ自分の強さのみを求めて必死に鍛錬するその姿はナルトにとって、とても好ましくあった。

「本当の……笑顔か……」

 確かにと、ナルトには思うところがあった。

 ペイン襲来の時に見た彼女の笑顔は、とても美しいと感じた覚えがある。

 あの笑顔は一回だけ、たった一回の奇跡のように心に焼き付いて離れない。

 小さく呟いた声は、どこか憂いを帯びていたが、本人は気づく事無く歩を進める。

 通路を右に折れたところで、遠くにいつもの一楽の暖簾が見え、そういえばそろそろ昼時だなと思ったナルトは昼食を先に済ますか、ヒナタを先に見つけるか悩みに悩みつつ歩いていると、ぽんっと軽く肩を叩かれ振り向く。

「ナルト、一楽か?」

「あ、カカシ先生、サクラちゃん、サイ」

「たまたま一緒になったから、久しぶりに一楽へ行こうって話しになってね」

「ナルトもいるだろうって」

「やっぱりいたわね」

 カカシ、サイ、サクラの話を聞きながら、苦笑を浮かべる。

(こりゃ、ヒナタは後で探すしかねーな)

 タイミングが良いのか悪いのか、そんな複雑な思いを抱えたまま、ナルトは楽しげに笑っている班員を見ながら、心の底で先ほどから焼きついて離れない彼女の後姿を、懸命に追っている自分に気付かず、どこか憂いに満ちた吐息を零すのであった。







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