本当の笑顔 18




「話はまとまったみてーだから、お前さんら、そろそろラーメン食べてくれるか」

 ニヤリと笑って言うテウチの言葉に、一同は我に返りテウチを見つめてから、ハッと己のどんぶりを見て、のびてしまっているラーメンに顔を引きつらせた。

 こうなってしまえば、ラーメンの味など半減である。

 丼の中でスープを吸った麺がでろんとだらしなく伸びてしまい、箸で持ち上げればぷつりと切れてしまった。

 折角テウチが丹精こめて作ったラーメンの無残な姿に、流石のナルトも申し訳が無いように頭を下げる。

「テウチのおっちゃん、すまねーってばよ」

 怒られてしまっても仕方が無いことだというのに、テウチは嬉しそうに目元を滲ませて、優しい笑みを浮かべるばかり。

 この表情をどこかで見たことがあるな……と、遠い記憶を掘り起こすも、中々出てきてくれない記憶のカケラを探していたのだが、そんな脳内発掘をしているナルトにテウチは優しい言葉をかける。

「いいってことよ!御代なんてもんよりも、ずっと大事なもんを貰えたからな」

「……大事な……もん?」

 ハテ?と心当たりの無いナルトは首を傾げたのだが、テウチは先ほどから浮かべた優しい笑みを深め口を開く。

「ナルトに心から信じられる相手が出来た。それだけでオレは嬉しいってもんよ」

 テウチの言葉にへへっとナルトが笑い、その笑顔を見ながらテウチは遠い昔の記憶を呼び起こし、多分ナルトの記憶にはないことかもしれないと目を細めてヒナタを見てから、きっと彼女が繋いでくれた縁に違いないと心で呟き、そしてそのことを思い出させてくれた彼女という存在がやはりナルトには必要なのだろうと、どこか納得した思いと共に言葉を紡ぐ。

「ナルト……今だから言うが、お前を見たのはこの店に来たのがはじめてってワケじゃねぇんだ」

「へ?」

「その日、久しぶりに店を休んで新作ラーメンの考案を練っててな。森へ差し掛かる道を気晴らしにブラブラ歩いていたら、森のほうから子供の声が聞こえてきた。こんな人気のない森に子供が?って不思議に思い覗き込んで見ると、女の子が男の子3人相手にいじめられていてな。小さい女の子は無理矢理押さえつけられて泣いてたんだ。今にも折れそうなくらい細い体の女の子に少し年上の体の大きな男の子が3人ってだけでもありえねー話だ」

 聞いているだけでもムカムカしてきたのだろうか、ナルトだけではなく、他の面々の表情も険しくなる。

「それなのに地面に這い蹲らされて……見ているのも可哀想なくらいでな」

「ヒデーことしやがるってばよ」

 思わず零れたナルトの低い声。

 眉根を寄せて鋭い目つきをするナルトに、テウチは嬉しそうに目を細め、あの頃から何も変わっていないな……と胸中で呟き口元を緩める。

「こりゃ一発とっちめてやろうって意気込んで腕まくりしたところまでは良かったんだが……そこで違う声が割って入った」

 一旦そこで言葉を切ったテウチは、ナルトをまっすぐ見つめてニカッと笑う。

 その笑顔の意味がわからず、ナルトは目を数回瞬かせると、テウチの指がナルトのほうへと向けられた。

「お前だ。そこで、お前が割って入ったんだ。体の大きな男の子3人相手に、女の子を守ろうと、いっつも悪戯ばかりして町の人々を困らせていたお前が、立ち向かって行った」

「覚えて……ねーな」

「だろうな。覚えていたら、お前はもっと早くに結論を出せたかもしれねぇ」

「……え?」

 ナルトの疑問の声に答えることなく、テウチは記憶の中の光景を眩しそうに見つめるような遠い目をしながら、言葉を続ける。

「3対1では勝ち目が無いとわかってても、弱っている奴を見捨てておけねぇ、そんなお前の心意気をその時初めて知った。悪戯ばかりしているのも理由があるんじゃねーかってな」

 ぴくりと体を震わせ反応するナルトを見つめる瞳に、少しの悲しみを覗かせ、テウチは自分が見てきたモノを再び思い出しては苦しげに眉根を寄せた。

 知りたくはなかった。

 しかし、知らなくてはわからなかった事実──

「その日を境にお前を見てたら……大人ってやつはひでーことをしやがる。お前に食料品を売るのも渋る有様だ。まともな食事が出来たとも思えねぇし、生傷が耐えねえ理由も知った」

「テウチのおっちゃん……」

「だからこそ、オレはオレの目で見たことを信じようと思った。お前が弱い者を見捨てず立ち向かう勇気を持った優しい奴だってことを信じた。だから、オレの店に来てくれたときは嬉しかったなあ……大人を信用できねぇって目をしてたお前に信じて貰いたくってよ。でも、ヘタなことしたら余計に警戒しちまうだろうって……だから、金を払ってくれりゃ、子供であろうとも客に変わりはねぇよって言ったんだ」

「ああ、覚えてる。オレを……はじめて客扱いしてくれた店ってのはここが初めてだったからさ」

 お金を握り締めて買い物に行っても、ほとんど物を売ってもらえず帰路につくこともあった。

 当時は本当に辛い思い出ばかりであったが、そんな辛い思い出があるからこそ、その時よりはマシなのだと這い蹲ってでも頑張ってこれたということは、自分が一番良く知っている。

 いつか見返してやると、自分というモノを見てくれない大人たちに認めさせてやると、必死に駆けずり回ったのは……ただ、寂しかったからだと、今はそれを認識することが出来た。

 胸に去来する孤独感。

 苦しい……と思った瞬間、少しだけ身じろぎした彼女に驚き、落としてはなるものかと、慌てて腕に抱えなおして起きていないかどうか顔を見つめてみれば、柔らかな呼吸が続いていてホッと胸を撫で下ろす。

 気がつけば、先ほど胸を締め付け襲ってきたはずの苦しくも苦い思いは溶けて消えており、『え……』と、胸中で呟く。

 彼女を抱えなおした……たったそれだけのことなのに、今まではこの思いが胸を支配すれば抜け出すのに時間がかかったというのに、彼女の存在が簡単にそれを払ってくれる事実に驚いた。

「ナルト」

 テウチに呼ばれてハッとしてそちらに視線を向ければ、どこか苦しげなテウチの表情が視界に入ってきて、何故そんな顔をするのか理解出来ず、ナルトは訝しげな顔をしたのだが、そんなナルトの顔を見つめ返しながら、テウチは思いつめたように拳を握り締める。

「まだ小せぇガキだったお前に、木ノ葉の大人がしたことを目の当たりにしてよ……オレは……自分が許せなかった。大人って奴が許せなかった。……すまねぇナルト。木ノ葉の大人がお前にしてきたことは許されることじゃねぇっ!ナルト……本当にすまねぇっ」

 頭を深々と下げるテウチに対し、ナルトは驚き慌ててヒナタを支えている方とは違う手を出してカウンター越しにテウチの腕を掴もうとするのだが、距離が遠い──

 その距離に顔を歪め、言葉にならない胸に遣える熱くて苦しい塊を飲み下し、必死に声を上げた。

「やめてくれよ!テウチのおっちゃんに謝られることなんてなにもねェってば!寧ろ、オレは感謝してるんだってばよ!」

「いいや、オレが謝らずに誰が謝るってんだっ……お前にしてきた仕打ちを考えりゃ、こんなもんすら生ぬるいっ」

 心が『やめてくれ』と叫ぶままに声を張り上げるのだが、テウチは顔を上げようともしない。

 違う……と、テウチに謝られる理由などないのだと、ナルトの心が痛みとともに悲鳴を上げるように軋んだ。

「頼む。頼むからやめてくれってば……確かにまだ完全に許すなんてことはできねェよっ!だけど、だけどさ、オレを信じてくれた、優しさをくれたテウチのおっちゃんが謝ったら、オレ……どうして良いかわかんねーよ……」

 後半はもう涙の滲んだ声でナルトは弱々しく呟くと、零れ落ちそうになる涙をぐっと堪える。

 胸が痛み、ズキズキとその時の記憶と共に心の傷を思い出すが、テウチに謝って欲しいワケでも、ましてや誰かに謝って欲しいわけでもなかった。

 誰かを責める気持ちにもなれず、その原因など、もうどうでも良いとすら感じる。

 要因は相棒である九喇嘛であり、九喇嘛を操ったオビトであり、その原因となったモノの糸を辿っていけば果てしなく続いていく。

 それを前の大戦で知ったから──

「確かに、ひでーこといっぱいされてきた。今だって時々夢に見て魘されることもある。でも……でもさ、過去は変わんねーんだ。それに、それがあるから……それがあったからこその、今のオレなんだ!」

「ナルト……」

「心は痛いし、苦しい。けど……オレだけじゃねェ……この痛みを知ってるのは、オレだけじゃねェ……独りにしねーで済んだ。その事実だけで、オレは耐えられるってばよ」

 顔を上げたテウチから手を離し、乱暴に目元を擦ったナルトは、へへっと笑ってから腕の中のヒナタに視線を落とす。

 そう、この痛み、苦しみ、切なさ、哀しみ、憎しみ、妬み、憤り、全て理解することが出来る……独りじゃない、心から理解できる相手がいる。

 その事実が、痛みを凌駕する喜びとして胸に広がっていく。

 どうやら自分の涙が零れ落ちたらしく、ヒナタの目元に涙がつぅと流れ落ちる。

 まるで泣いているようなその彼女に、ナルトは苦しくなって己の武骨な手を伸ばし、壊れ物でも扱うかのような繊細さを持って頬を包み込む。

 彼女の涙は綺麗だけど、苦手だ……できることなら笑っていてほしい。

 そんな願いのこもった指先が、雫を払い、優しく撫でる。

 たったそれだけのことであるというのに、心が苦しいほど熱を持ち、新たな力を分け与えてくれた。

 それが嬉しい。

 どんな辛くて苦しい過去であったとしても、それすべてが今に繋がるなら、受け入れられる……と、ナルトは口元に笑みを浮かべる。

 そんな思いを知ってほしくて、ナルトは視線を上げるとテウチをまっすぐ見つめた。

「テウチのおっちゃん……オレ、今までの全部があって……だからこそ乗り越えられてきたって思う。無駄なもんは何一つねーんだって思える。オレが経験してきたことを経験したほうが良いとは言わねーけどさ。でも、それがあったからこそ……オレは強くなれた」

「本当にお前は強いな……ナルト」

 カカシの声に、ナルトは首を振るとソッとヒナタの髪を撫でて苦笑を浮かべる。

「本当に強いのは、コイツだ……オレは何度も心が折れそうになった。けど、コイツはその度に救ってくれた……だから、オレはこの先も決して折れることなんてねーんだって思える。もし、そんな時が来たとしても、またコイツが叱ってくれそうだしさ」

 ニシシシッと笑うナルトに、テウチもカカシも苦笑を浮かべ、そして、同期メンバーたちもナルトの凄まじい過去の片鱗を見た気がして言葉も出ずに、同じ年月生きてきたというのに全く違う中にいたナルトの凄さというものを肌で感じた。

 そして、それと同等なのだというヒナタの境遇にも驚かされ、深く考えてしまえば、軽い言葉などかけられるはずもなく、どういう顔をしていいのかすらわからない。

 だけど、そんな顔を望んではいないだろうということも理解できたので、それぞれがそれぞれの胸の内に重苦しい気持ちを封じ込め、何とか笑みを浮かべた。

「そうねー。叱りつけたのも驚きだったけど、それ以上にヒナタがナルトの頬を叩くなんて思ってもみなかったわー」

「あー、オレも驚いた。全然痛くねーんだけどさ、すっげー……ココが痛かった」

 いち早く普段どおりに戻ったいのが声をかけそういうと、ナルトも普段と同じように笑って言葉を返し、空いている右手で自分の心臓を親指で示すようにトントンと叩く。

「でも、だからこそ、あんな中でもヒナタの声だけはシッカリ聞こえて心に響いて……そんな経験したから、だから、ヒナタが持ってるもんがわかったんだと思うってばよ。オレを……本当にコイツは見てんだな……いつから見てたんだろうな……」

「アカデミー時代には見てたぜ」

「うん、そうだよね」

 シカマルの言葉にチョウジも頷き、いのは何を今更……という顔をして溜息をつくのだが、ナルトはだよな……と、一瞬闇の己が見せてくれた光景を思い出して納得したように頷く。

 しかし、何が切欠だったのか……

 不思議と言えば不思議なのだ。

「何が……ヒナタをそうさせたんだろうな」

 ぽつりと零れたナルトの言葉に、テウチが徐に口を開く。

 そう、ナルトにまだ言っていない事実があることを思い出したのだ。

「そういえば、ナルト……さっきの話しだがな」

「ん?も、もう謝るのはナシだぜっ」

 先手を打つように叫ぶように言ったナルトに苦笑を浮かべたテウチは『違う違う』と言ってから、ニヤリと何かを含む笑みを見せて語り始める。

 そう、自分だけが知る事実。

 ナルトが覚えていないのなら、きっと驚くことだろうと、テウチはその顔が見たくてもったいぶるようにゆっくりと言葉を紡いだ。

「そうじゃねぇよ。お前が助けた女の子」

「……あー、知ってる奴?」

「知ってるもなにも、お前……」

 そう言葉を区切ったテウチがジッと見つめる先を追えば、自らの腕の中に抱いているヒナタを見ていて、ナルトは一瞬目を大きく見開き『まさか……』と呟いてヒナタの顔をマジマジ見つめる。

 まさか、そんな偶然などあるのだろうか……と、テウチの思い違いではないかと思わず顔を上げて見つめ返すのだが、彼はどこか悪戯が成功したように目をキラリと輝かせて自信を持ってナルトに笑いかけた。

「……確かにヒナタちゃんのはずだ。日向の青年が『ヒナタ様』と声を上げて走ってきたから悪ガキたちは慌てて逃げたんだし、ヒナタちゃんも助けてくれたから手当てをしたいと主張していたのに、お前に関わっちゃならねぇって無理矢理引きずられて行っちまったからな……日向家のお前と同じくらいの年頃の女の子といえば、ヒナタちゃんしかいねぇだろ?」

「あ……ああ……」

「もしかしたら、その頃からお前を見てたのかもしれねぇな」

「あっ、ありえねーだろっ!?だ、だってどんだけ小せェ頃からだよっ!そ、そんな……そんな……長い間?」

 呆然と彼女を見つめれば、何故だかその頃から見ていたといわれてもおかしくないような気がして、ナルトはくらりと眩暈すら覚える。

(そんな長い期間……オレだけを見てた?そんなの……敵うワケねーってばよ……)

 もし、そんなに長い間見つめ続けてきてくれたのなら、もし、そんな長い間ずっと想い続けてきてくれていたのなら……

 その後の言葉は続くことも無く、ただ心の中で霧散していく。

 だけど、言葉は消えても鼓動の高鳴りは消えることが無く、より一層激しさを増す。

 ドクドクと奇妙な高鳴りを覚えた心臓は、耳に痛いほど大きな音を立てて騒ぎ出しており、それがヒナタに聞かれないかどうか不安になってしまう。

 未だ腕の中で身を預けてくれている彼女──

(オレ……オレは……)

 そんなときであった、『邪魔するよ』と威勢の良い声と共に暖簾を潜って見慣れた人が顔を覗かせると、キバとシノを見て声をかける。

「ああ、お前たちこんなところにいたのかい。ヒナタを見なかったか?消化器系のダメージがあるってのに、普通の食事をとってるって報告があってね。ちょっと診察してやろうと……」

「綱手のばあちゃん」

「あー、ナルト、お前の相手は後だ後。今はそれよりもヒナタの状態を確認しなければならないからね」

 ナルトの方を見向きもしないでそう言った綱手は、キバとシノが揃って指差すので訝しげに眉根を寄せ、疑問を口にする前に違う声が邪魔をした。

「あ、あの……綱手……様」

 それと同時にツンツンとシズネが袖を引っ張るのを感じて、忙しい時にいったい何なんだと彼女を見れば、キバやシノと同じように指で一点を指し示している。

 さすがに興味を引かれた綱手は、そちらの方を見て……ピシリと見事に固まった。

 想定外という言葉がこれほど当てはまる状況があるだろうかと、引きつる頬をそのままに、その原因たる男は平然と一言のたまう。

「ヒナタならここだぜ?」

 平然と腕の中で気を失っているヒナタを大事そうに抱えているナルトがそういうのを見た綱手とシズネは、心の中で『どうしてこうなったっ!?』と叫び、その問いに答えてくれそうなメンバーが揃って溜息をついたのに一抹の不安を覚えるのであった。







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