本当の笑顔 13




「だからもう、自分を許してやってくれ」



 一番自らに厳しい彼女だからこそ、こうして許してやって欲しいと願う。

 誰よりも自らを傷つけ、誰よりも自らに厳しい彼女だからこそ、その言葉がふさわしい気がしたのだ。

「お前のせいじゃねーんだ。ヒナタ、お前のせいじゃねェ」

 きっぱりと言い切られた言葉の強さに、ヒナタは心がざわつくのを感じるのだが、誰でもないナルトがそれを言うのならば、許せるような気がして黙って彼の言葉を受け入れるために唇を結ぶ。

 本当は欲しかった言葉なのかもしれないと、漠然と感じつつも、それを言ってくれるのが、ナルトだという事実が嬉しいのか哀しいのかよくわからず、胸に渦巻く感情は言葉にするには難しかった。

「お前が宗家に生まれたのも、誘拐されちまったのも、才能が無いのも、全部お前のせいじゃねーんだ。ヒナタ……お前がどうにか出来る問題じゃねェよ。生まれ持ってきたモンと、何も出来ないちっせー子に無茶言うなって話だってばよ。もし、誘拐されたことに文句言うなら、守れなかったテメーらの力不足を恨めっつーの」

 ブツブツと文句を言うようにぼやくナルトの表情は、まるで百面相である。

 優しくヒナタを見ていたかと思えば、誰とも知らぬ日向一族の者を思ってか、口を尖らせて文句を言い、再び思い出したようにヒナタに視線を向けて淡く微笑む。

(こんなに……私のことでナルトくんが考えて、心を砕いてくれて、注いでくれる……どうして?どうして……私にそこまで……)

 今までここまで心に踏み込み、その事実を知ってなお優しく接してくれる人など、想像も出来なかった。

 そんな人が存在するなんて、思っても見なかった……

「日向の奴らがヒナタの生まれてきたのをどう思うかなんて、そんなもんオレには関係ねーよ。いや、ヒナタをこんだけ傷つけてんだから、全くってワケじゃねーけどさ。でもオレは、ヒナタがいて心から良かったって、嬉しいって思うってばよ」

「ナルトく……ん?」

「お前が生まれたこと、お前がいてくれること、誰も望まないワケじゃねーよ。まずはオレが望んでるって知っててくれ」

 こんな奇跡のようなことがあるのだろうか……ヒナタはそう胸中で呟き、目の前の出来事がまるで夢のようだと思う。

 大好きな人が、誰よりも認めて欲しいと願った人が、何よりもヒナタ自身を肯定し認めてくれている。

 そして、その先を望んでくれていた。

 その意味が友人だとしても構わないとさえ思えるし、それ以上のことはあるはずがないと思えてならない。

(だって……これほど心を砕いてくれている事実が、既に奇跡なんだもの。こうして、抱きしめてあやしてくれているだけでも……十二分に幸せなんだもの)

 幸せだとそう思う反面、言われ続けてきた言葉が頭を掠める。

『ヒナタ様程度の腕前では代わりなどいくらでもいるだろう。当主候補でもないのに、いつまでも当主候補気取りでいらっしゃる』

 誰とも知らない日向一族の者の陰口。

 その類の言葉なら、沢山言われてきたこと……そして、日向にはいらぬと父に直接言われているヒナタである。

 幸せだと思えば思うほど、心の傷は疼き、まるで痛みを訴えるように軋み悲鳴を上げた。

(痛い……でも、私は慣れているはずでしょう?どうして……今になって──)

 ズキズキと痛む心を抱えて、我慢しきれないかのように、ヒナタは我知らず震える唇から言葉を漏らす。

「日向宗家当主の代わりは居る……私の代わりは……」

 ぽろりと零された唐突な言葉に、ナルトは眉を潜め、胸の前で拳を握り締めて細かく震えるその手を見つめると、その言葉が彼女の心にどれだけ深い傷を与えているかを窺い知ることが出来た。

(なんつーこと言いやがるっ!)

 カッと怒りが頭の中を赤く染め上げるが、それをヒナタにぶつけるのは違うし、吐き出す場所が間違っていると冷静に判断したナルトは、一度大きく深呼吸をして気持ちを切り替えると、その瞳に隠しきれない怒りをちらつかせながらもヒナタに出来るだけ優しい声をかける。

「いねーよ。お前の代わりなんて、誰にもできねェよ」

 何故?と問いかけるような視線が自らを見上げてくるのを確認しながら、ナルトはそんな言葉をヒナタに言った者を張り倒したい気分のままに、自らにとってのヒナタという存在を問いかけた。

 果たして、彼女は誰かと代替が利く存在なのか……と。

 そんなもの聞かなくてもわかる、愚問という言葉がピッタリ来る問いかけだと、脳裏でもう一人の自分がせせら笑う感覚に、同意するように胸中で『確かにな』と呟き、強い視線のままナルトはヒナタにハッキリとした口調で言う。

「オレにとっての『日向ヒナタ』は、代替が利くような軽い存在じゃねーよ」

「……え?」

「お前って存在に誰もなれねーよ。白眼だとかそういう問題じゃねーんだ。お前自身の、優しくてあったけー存在は二つとねーんだよ。ソレはみんなが知ってることだ。極端な話し、もし日向宗家ってものがなくなっても、当主になれる奴は日向一族が存在する限りいるだろ?でも、『日向ヒナタ』って奴は、一人しかいねーんだってばよ」

 ふるりと震えるヒナタの体が何かを堪えるように唇をキツク噛みしめて、浅く呼吸を繰り返す。

 泣きたいのに泣けない。

 泣けないからまだ大丈夫だと思う彼女の心──

「弱い自分が悪いなんて、そんな言葉を使って……もう、自分を偽るのはやめろってばよ。お前が今求めている強さは……ソレは違うだろ?そーじゃねェって他でもない、お前がオレに教えてくれたんだ。そのお前が間違うなってばよ。あの時握った手をオレはまだ離してねーぞ。勝手に離して遠くへ行こうとすんじゃねーよ」

 そして、キッとヒナタを睨みつけてナルトはコレだけは我慢ら無いというように少し強く言葉を述べる。

「それに、横にいてくれんじゃなかったのかよ。お前、また後ろに勝手に下がっちまって全然横にもいてくんねェ。後ろに下がっちまったら見えねーじゃねーかよ。ピンチのときだけ颯爽と現れるのは男の役目にしておいてくんねーか?お前に何度もやられると地味に傷つく」

「……あ」

 それが何を指しているのか理解したヒナタは息を呑み、背中に回されていた手をゆっくりとヒナタの目の前に持ってきて、色が変わるほど固く結んでいる小さな白い手を優しく包み込み片手で器用に開かせると、その指と指の間に己の指を絡ませ、ぎゅっと握りこんだ。

「オレは後ろを振り向くことが滅多にねーんだから、お前は横にいてくれ」

 その言葉の意味が何であるか握りこまれた手が、瞳より熱く饒舌に『離すものか』と語る。

 熱く、優しく、激しく、強く、全ての感覚を持ってナルトの感情を伝えてくる手が、ヒナタには熱くて仕方が無い。

 胸を熱く焦がす炎が全身へと広がるのではないかと思うほど、強くて熱く激しい感情が、心を覆い尽くす。

 それは激しい烈火の炎のようでもあり、太陽のようでもあると感じた。

 近づき過ぎれば身を焦がし、氷なんてものはたちまち溶けて水となり消えうせるだけ──

(ナルトくんの横にいると願ったときからきっと……こうなるって……決まってたんだ……)

 心の氷が溶け出すのを感じながら、ヒナタは吐息を零す。

 最後のトドメとばかりに、きっと彼の言葉が来るだろうと知りながら、もう抗う力すら残されていない。

 いや、最初から抗うことを望んでなどいなかったのかも……と、思ってしまえば、己の本当の望みが浮き彫りになる。

(他でもない、誰でもない……ナルトくんだから、私はここまで心を曝け出せたんだ……)

 醜い部分を見られたくない、だけど、知って欲しい。

 そんな願望が首をもたげたからこその結果がコレなのだと納得すると、ナルトが口を開くのをやけにゆっくりと感じながら、彼の言葉を待つ。



「もう、自分を傷つける必要なんてねェよ。誰が何と言おうとオレが傍にいてやる。もう独りじゃないってばよ」



(ああ……もう、私は……)

 それ以上は言葉にならず、パキリと心を覆う何かに亀裂が入ったような気がした。

 もうソレは必要ないと言う様に、心のままに全てを感じてよいのだと、そうしてもう独りになることは無いのだと、目の前の彼が許してくれるのだと、氷に包まれた心の中の小さな己自身が確かに彼のぬくもりに手を伸ばし、その手をシッカリと掴まれた後包みこまれて幸せそうに微笑んだのを感じる。

(ナルトくんのぬくもりが、心の底まで届いて……良いのかな……このぬくもりに縋っても……良いのかな。優しくてあたたかくて……もう、どうしていいかわからないよ)

 そんなヒナタの心の内の劇的な変化に気づくことも無く、ナルトの言葉と同時に薄紫色の瞳にふくれあがるように湧き出した彼女の涙を見ながら、ナルトは愛しげに握っていた手を解いて彼女の体を両腕で優しく包み込む。

 今度こそ気兼ねなく泣けるように、もう堪えることのないように、自らの腕の中で包み込みヒナタを守るかのようなナルトの行動。

 今流す涙は、彼女の心を覆っていた氷が溶け出した証。

 きっと、心の痛みに耐えながらも、自らを見つめなおすのに必要なこと……

 それがわかっているからこそ、今、その痛みを再確認しても前へ進もうとしている彼女の強さを信じているからこそ、ナルトは腕に力を篭めてヒナタの頭に頬を寄せる。

 少しでもぬくもりを感じて欲しい。

 一人ではないのだと伝えたくて──

「よく耐えたってばよ……痛いのも苦しいのも辛いのも麻痺してわかんなくなるくれェ、良く耐えたってばよ」

 わかるはずもない心の内を理解している人が目の前にいる奇跡に、ヒナタは言葉もなく涙を流し、今まで止まっていた心の時が動き出すのをハッキリと感じた。

 それと同時に心を痛みが襲うのだが、与えられるぬくもりと力強い腕の感触がソレを緩和してくれる。

 はじめて自らの為だけに砕かれた心を注がれるとういう事実に、ヒナタはそのぬくもりをもう少し感じたいと思い、そのまま行動に移すのは迷惑かもしれないと一瞬躊躇してしまう。

 しかし、彼のぬくもりがそれを許してくれるようで、改めて勇気を出して解かれたまま行き場に困っていた手を、おずおずと彼の背中へ回したあと、必死に縋りつくように背中の上着を掴み、ぎゅぅっと力いっぱい握り締める。

 それと同時にたくましい腕に更なる力を加えて抱きすくめられたヒナタは、縋ることを許されることに驚きつつも、心に直接しみこんでくるようなぬくもりに堪えきれず、先ほどの比にならないほどの涙を次から次へと溢れさせた。

(もう……良いんだ、もう自分を偽らなくていい。もう……自分を貶めて傷ついていないフリなんてしなくていい……このぬくもりに……縋ってもいい……)

 まるで壊れた蛇口のように止まってくれたない涙をどうにかしたくて、手で擦ろうと一度上着から手を外そうとするのだが、それを素早く感じ取ったナルトは両脇を締めてヒナタの腕を固定すると、気にするなというかのように、彼女の後頭部に手を回して自らの胸に押さえつける。

 泣け……もっと泣いてしまえ。

 そういわれた気がして、ヒナタは甘えるようにぐりぐりとナルトの胸板に額を擦りつけ、震える吐息をつく。

 よしよしと頭を撫でられ、耳朶に触れるナルト呼吸さえも優しく、ヒナタに泣くことを促す。

「堪えなくていい。オレ以外見えてねーから」

 いつもなら、それが問題だと飛び跳ねて逃げようとするヒナタも、今は大人しくこくりと頷いて大いなる安らぎに包まれたように身を預けていた。

 もう、実際に握り合っていなくても、手は繋がれたままなのだと心がそれを感じる。

 だから、とてもあたたかいのだと、ヒナタは自らの心の痛みとあたたかさと優しさが渦巻き、軋み悲鳴を上げる心に囁きかけた。

 一向に痛みはなくならないが、これは自らの弱さが招いた結果であり、本当に強くなるために必要なことなのだとわかっていたから、ジッと堪える。

 それが、心を砕き、ここまで頑なであった心の働きかけてくれたナルトへの恩返しだとでも言うかのように……

「よく……頑張ったってばよ。ヒナタ」

 そんなヒナタの頑張りや想いがわかっているのか、ナルトはヒナタの心の痛みを何とか緩和させるために言葉を重ね、優しい声をかける。

 まるで幼子をあやすように髪を撫でながら唇を耳朶に寄せて囁いたナルトは、自らの腕の中で静かに涙を流し続けるヒナタが愛しいと感じ、誰よりもこの頼りない命を守りたいと願う。

 強い心の対価というべき傷を背負い、それでも独りで頑張ってここまで走ってきた彼女を弱いという者がいるというのなら、己と同じほど彼女の心を知った者か、あるいはソレとは相対する場所にいる者であると思えた。

 強いけど弱い……だからこそ、愛しい。

(完璧な人間なんていやしねェ。少しくらいワガママ言って困らせてくれるくれーになったら……それはそれで嬉しいかもしんねェな)

 そんなことがあるはずもないのだが、でも、自分だけに言ってくれるのなら、どんなことでも叶えてしまいそうだと、ナルトは内心苦笑を浮かべてしまう。

 いつも心が弱ったときに手を差し伸べてくれる人が、自らに曝け出してくれた弱った自身の心。

 冷たい氷に覆われた心が、己の言葉で少しずつ溶け出していく感覚……

(すげー……守りてェ……)

 じわりじわりと、次から次へと心の中に浮かび上がり、心を満たしていく熱く優しく……それでいて、把握し切れない想いが全身に広がり我知らず身震いをするほどの衝撃を感じていた。

 弱った動物を保護する庇護欲にも似ているのだが、そうじゃないとハッキリとした違いがわかっているワケでもないのにそう断言できる。

(ヒナタだから……コイツだからそう思うんっだってのは、わかるってばよ)

 小さく柔らかく、とても良い香りのする体を抱きしめている事実に、くらりと眩暈にも似たモノを感じつつも、何よりその心を全て預けてくれているような感覚が嬉しくて、ほぅと熱い吐息をつく。

 苦しそうな呼吸を繰り返しながら、うまく泣けないヒナタは、そんな中でも心に浮かんだ言葉を吐露しはじめていた。

 本当は辛かったのだと、本当は悲しかったのだと、本当は寂しかったのだと……本当は愛して欲しかったのだと……

 小さな声で紡がれた声にナルトは1つ1つ頷き、頬を寄せて髪を優しく優しく撫でてやる。

 同じ痛みを抱えた二人が、その痛みに耐えつつも理解しあい理解される喜びに打ち震えた。

 そんな奇跡があるなんて思いもしなかった二人である、こんな心を誰が理解してくれるだろうと、誰がこんな気持ちを汲んでくれるのだろうと……

 それなのに彼女の心に触れ、そして自らの心にも触れる、互いの心に触れ合える事実が嬉しくて、そして切なくて……言葉に出来ない思いが胸を締め付ける。

「ごめんな、近くにいたのに気づかなくってさ……ごめんな」

 ふるふる首を振るヒナタの髪を愛しげに撫でつつ、ナルトはゆっくりと息を吐く。

 息を詰めて涙を流す彼女の苦しそうな顔に、ナルトは苦笑をして耳元で甘く優しく囁いた。

「ほら、苦しいだろ、声出して泣けってば」

「……わか……らない……どう……すれば……っ……」

 小さく漏れる嗚咽を噛み殺し、必死に声を殺し泣く姿はとても悲しくて、そしてそんな泣き方しか出来ない彼女を哀れに思う。

 だけど、ここからだと改めて考えた。

 ここから全てをはじめればいい。

 泣きかただって、これからいくらでも変わっていく。

 彼女の心が変わっていくのだから……

 彼女が声を出して泣けるようになるのと、本気で怒ることが出来たのなら、その先にきっとナルトがどうしても見てみたいと願っている『本当の笑顔』があるはずだから──

「そのうち出きるようになるってばよ、大丈夫……大丈夫だからな」

「ん……」

 甘く優しく声をかければ、小さく頷き返したヒナタは泣き疲れてしまったのか、フッと全身から力が抜けてしまう。

 慌てたナルトは、彼女の体を支え、驚いた目をしたまま彼女の顔を覗き込むと、泣きはらして赤くなった目許が可哀想だと感じる疲れた顔をしながら、完全に意識を失っていた。

「ごめんな……ヒナタ……」

 赤くなっている目元に指を這わせ、涙の雫の冷たさを指に感じたナルトは、切なげに眉を潜めて小さく息を吐く。

 浅い呼吸を繰り返し、精神的にも肉体的にも追い詰められていただろう彼女の体は、力を入れてしまえば壊れてしまいそうに感じる。

 しかし、誰にも渡すつもりは無く、任せるつもりもない己に苦笑しながらも、ソッと彼女が苦しくないように抱えなおすのであった。







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