一夜花 中編





「でも……私は人柱力だってばね。いいのかな……ミナトと一緒に未来を望んでもいいのかな……」

 ハッとした。

 母ちゃんも、オレと同じように悩んで苦しんだんだと知って、胸をえぐられるような痛みを感じる。

 そうだ、悩まないハズがねェ……苦しまないハズがねェんだ。

 オレも……ヒナタと本気で向き合う時になって、自分が人柱力だからと脅え、そして拒絶しそうになった。

 だけど、アイツはソレをものともせず、オレに手を差し伸べてくれたんだよな。

 強い……ヒナタの心。

 ソレはきっと、父ちゃんも同じだと思う。

「そんなの関係ねェだろ」

「そんなの?……そんなのってなんだってばね!どれだけ悩んで、どれだけ苦しいか……人事だからそんなこと言えるんだってばねっ!!」

 激昂した母ちゃんの鋭い視線と怒りの感情に晒されながらも、オレはそれに動じることなく見据える。

 だってさ、母ちゃん……オレたちは知ってるハズだぜ?

 お互いのパートナーが、そんなやわな心の持ち主じゃねーってことを……

「じゃあ聞くけどさ。そのミナトって奴は、その事実があって、心を変えちまう奴かよ」

「……え」

「そんな、やわな心の持ち主かよ」

「……ミナトの……心」

「わかんねーワケねーだろ?知らないワケねーだろ?」

「でも……でもっ!!」

「人柱力なんて言われてもさ、オレたちは人だ。傷つきもすれば、喜びもする。人柱力だから、当たり前の幸せを相手にやれねェかもしれない不安や苦しみ。そんなものモノともしねーで求めてくれる相手。ソイツがパートナーになるんだって思えばいい。きっと……そのミナトって奴は、自分の心を曲げず、真っ直ぐ求めてくれんじゃねーかな。全部背負う覚悟で」

「何で……そう言えるんだってばね」

「アンタが信じている奴だからかな……それにさ、聞いているとオレの奥さんに似てる。オレの奥さんは……そういう奴だから」

 へへっと笑って言えば、母ちゃんは『そうかな……そうかも……ね』と呟き、ふわりと笑った。

 きっと父ちゃんが一番好きな、母ちゃんの笑顔だろうと思いながら、オレはその笑顔を見つめ、目を細める。

 父ちゃん、早く来いよ。

 母ちゃんが待ってるぜ。

 そんな思いと共に空を見上げ優しく降り注ぐ月光を見つめながら、その光に似た妻を思い出す。

 早く帰るつもりだったけど……ごめんな。

 この奇跡みてーな時間を……もう少しだけ、味合わせてくれ。

 きっと笑って許してくれるだろうし、この話をも信じてくれるだろうヒナタを、オレは心から想う。

「でも、アイツは他の女の子はすぐ助けるのに、私を助けはしないんだってばね。いつも、ギリギリにならないと助けてなんてくれない……ちょっと冷たいってばね」

 口を尖らせて不満を漏らす、女の子らしい悩みを持った母ちゃんの幼い姿。

 確かに、そういう悩みを持った時期もあるんだと、何故だか嬉しくもあり、くすぐったくもある。

 恋の悩みというものは、もしかしたら、本人より周りのほうが見えるものなのかもしれない……

 オレたちがそうであったように。

「うーん、昔のオレも、もしその話を聞いたらそう思ったかもしんねーな。でもさ……ソレって、違うんじゃねェかな」

「え?」

「信じているからこそ、本当のギリギリになるまで待てるんだと思うってばよ」

「……信じている?」

「ああ、ソイツが本当にやれるって思っているからこそ、任せてるんだって思うぜ。オレも……そうだからな」

「信じているからこそ、任せるの?」

「信じていねー奴に、誰が自分の背中を任せられるんだってばよ」

 オレの言葉にハッとした顔をして母ちゃんは顔をあげ、そしてオレを凝視する。

 その視線を真っ向から受けとめ、オレは苦笑を浮かべながらも、父ちゃんとの記憶を呼び覚まし、そしてその性格が似ているといわれるヒナタを思い浮かべた。

「本当に危ない時、どうにもならなくなった時、ソイツは絶対に命をかけて守ろうと、誰よりも一生懸命に飛び出してくるはずだ。己の命すら顧みず、必死になって……」

「……そう……かな」

「ああ、絶対にそうだってばよ。だって、そうじゃなきゃ、そんなに心惹かれることなんてねェだろ?本当に冷たい奴なんて思っていたら、言葉にはできねーってばよ」

「……そう……だってばね」

「それにさ、もしも……だ、ミナトとうちの嫁さんが危険に陥ったら、オレたちは迷わず飛び出して、何が何でも助けようとするだろ?それこそ……人柱力だとかそんなの関係なく、自分の持てる力、全て使ってでも……さ」

「う……ん、うんっ!そうだってばね!」

 えへへっと笑いながら、新たな涙を流し、そして乱暴に目許を拭った母ちゃんは、なんでもないように笑おうとして失敗し、口を戦慄かせて、震える声でオレに語る。

 冷たい月光の輝きを受けても光り輝く赤の髪は、まるで炎のようだと思いながら、ジッと見つめた。

 何かに後悔し、何かを必死に伝えようとする姿は、昔のオレを見るようで、オレはただ静かに見守るしかない。

「ミナトに、酷いこと言っちゃったってばね……『大嫌い』って……言っちゃったってばね」

 深い悲しみを胸に秘め、自らの言ってしまった言葉に後悔しながら、母ちゃんはオレに静かに語る。

「……他の子が大事なら、そっちへ行っちゃえって……そんなこと思ってもいないのに、心にもないこと言っちゃった……」

 そっか……と、オレは呟き、それを言われたときの父ちゃんを思う。

 ヒナタに似ているのなら、きっと悲しげに顔を歪ませ、その瞳は深い悲しみに彩られていたことだろうと思うだけで、胸に痞える熱いものを必死に飲み下し、オレは力強い言葉を発する。

 迷い、後悔している母ちゃんの先を照らすように……

「後悔してるなら、ちゃんとソレを伝えるべきじゃねーかな。ちゃんと話合うべきだって」

「お兄ちゃんは……奥さんと喧嘩したことある?」

「あるあるっ!そりゃずーーっと一緒にいれば喧嘩しねーってことはねェよ。しかも、滅多に怒ることがねェ分、すっげーおっかねーんだぜ!?」

 笑いながらそう言ってやると、一瞬だけ母ちゃんは目を丸くしてオレを見る。

 怒ったときのヒナタを思い出すと、流石にゾクリと背筋に冷たいものが走るが、それでもそれってオレが無茶したり、バカやった時だからな……しょーがねェかって思う。

 でもオレは知っている。

 怒ったアイツは、その時、自分をも傷つけて苦しんでいることを……自らの放った言葉で相手がどれほど痛みを覚えるか理解しているからこそ、彼女は傷つく。

 だからこそ、早く仲直りするようにしているし、その後は、めいいっぱい甘えさせてやるのだ。

 ていっても、オレも……実はそういう後は甘えたい。

 ヒナタ欠乏症って言ったら笑われるかもしんねーけど、そうなるんだって、マジでっ!

 声を聞きたい、傍にいたい、触れたい、感じたいって……心が切望する。

 喧嘩したって、離してなどやるつもりは更々無くって、己の独占欲に時々呆れてしまう。

「でもさ……すっげー好きなんだ。喧嘩しても、離れたくねーって思うほど」

「離れたく……ない?喧嘩しても?」

「ああ、離れたくなんかねェな。オレを一番理解してくれて、オレを一番大事に思ってくれる相手で、誰よりも愛している相手だ」

「どうして……愛してるって言えるの?」

 はじめて『愛している』って言ってくれた相手に、そんなことを聞かれるとは思わなかったオレは、目を瞬かせて思わず母ちゃんを凝視してしまう。

 だって、知っているもんだって思ってた。

 この胸の内にある、熱くて輝かしい光を……

「そうだな……最初はわかんねーもんだった。……でもさ、ゆっくり……二人で育ててきたんだ。それこそ、大切に……大切に、二人の……お互いの気持ちを注いで……片方だけじゃねーんだ。お互いに注ぎあい、そして育てていって実を結ぶ。好きって言葉じゃ……大好きって言葉じゃ足りなくて、ある時自然に心の内から零れ出る。熱くて輝いていていっぱいに満たしてくれる……それが愛ってもんだって思う」

 ヒナタを思い出すだけで胸いっぱいに広がる光の奔流。

 大好きだって言葉では足りなくて、傍にいたくて、傍にいてほしくて……

「まるで……自分の隙間、足りないところを埋めてくれるような……心がこう……寄りそうような……アイツがいねーと、もうオレは生きていくことすらできねーって思えるんだってばよ」

 思いつくまま、心に浮かぶままを言葉にすれば、母ちゃんは深く頷き、そして照れくさそうに笑う。

「じゃあ、私とミナトはまだ……育てている途中なんだってばね」

「だな。育ててるときは、色々あるってばよ。それこそ、このまま別れちまうんじゃねーかって思う時もあった。だけど……そんな時は、胸が痛くて、ぎゅぅっと締め付けられて、切なくて、世界の色なんてわかりもしねェ……色あせたモンになっちまった」

「……うん……わかる……」

 同じように胸の上着をギュッと掴み、母ちゃんとオレは笑ってしまう。

 だってさ、やっぱり大好きな人と離れてしまったとか、喧嘩してしまったって……すっげー辛いし、すっげー痛い。

 やべー……オレ、すっげーヒナタに会いたくなった。

 今すぐ会いたい。

 会って抱きしめて、愛してるって言いたい。

「私は……どうすればいいんだろ……」

「まずは、素直に謝れ。んでもって、正直な気持ちを言ってやればいいんだって」

「そ、そんなことしたら、嫌われないかな?」

「嫌うワケねーよ。きっと……そのミナトって奴も、今頃同じような顔してるんじゃねーかな」

「……そう……かな」

「ああ、違いねェって」

「私……ミナトに謝る。ごめんなさいって……本当は好きなんだって……」

「それがいいってばよ」

 落ち着き笑顔を見せた母ちゃんの頭に手を乗せて、ゆっくりと撫でると、くすぐったそうに首を竦めて、クスクス笑う。

 楽しそうに、嬉しそうに……

 思わず涙が滲みそうになるが、この落ち込んでる母ちゃんを慰めるのはオレじゃねェ。

 父ちゃんであるべきだ。

 だって、誰よりも母ちゃんを愛し、守りたいと願った父ちゃんだからこそ、母ちゃんの心に届く言葉を持っているとオレは思っている。

 オレにその言葉を届けてくれたヒナタのように──








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