53.雪解雫 報告を受けて納得したように頷いた綱手は、奥方と話をしつつも、使者を出して百鬼の国と連絡をとるよう手配をしてから、硬い表情をしているナルトを見つめる。 「何か言いたそうだな」 「金輪際、こういうのはナシで頼むぜ」 「一回で十分だ。上を黙らせるのに必要なだけだったからね……済まない、嫌な思いをさせた」 「言いたいことも、やりたいこともわかったし……しょーがねェのはわかってるけどさ、こういう試され方は好きじゃねーよ」 苦虫を噛み潰したようなナルトの顔。 一瞬だけ部屋の中に満ちたナルトの殺気にも近い苛立ちのチャクラは、すぐに霧散したが、それでもかなり腹立たしかったのだろう、注視すれば彼の瞳の色が不安定に揺れていた。 青から赤へ、微妙な変化を見せつつも、何とか青を取り戻している。 火影執務室の警護に当たっている暗部たちが思わず反応してしまうほど剣呑なチャクラは、ナルトの意思ですぐに抑え込まれた。 その様子を一同は見ながら、彼が持っている怒りの度合いが見て取れ、そして今回らしくなく見守っていた彼は、綱手の状況をも把握していたからこその我慢であったのだと知る。 大事なヒナタと、祖母のように慕う綱手、そしてなによりも今後の仲間たちの立場が、今回のナルトの行動を決定付けたのだ。 しかし、もし、少しでもヒナタが助けを求める様子があれば、彼は何もかも振り払って飛び出したに違いない。 ヒナタが最後までやり遂げようと頑張り、必死に声を張り上げ叫びながらも戦ったからこその結果である。 医療忍術に長けたサクラといのがいたからこそ、ヒナタはほぼ無傷の状態で今現在いられるが、本来ならば重傷で病院のベッドの上だ。 「ま、綱手のばあちゃんの立場もわかるし、何より今回、ヒナタがそれを望んでねェってのも理解できたしな」 「そうかい……しかし、お前たちまるで心の声が聞こえているように心が通じ合っているときがあるんだね」 「え……あ、言ってなかったっけ?」 ナルトは目を瞬かせたあとヒナタを見るが、彼女もキョトンとしてナルトを見つめ返す。 「ナルトくんが言ってると……思ったけど……ち、違うの?」 「あー、忘れてた」 「え……」 あっけらかんと返された言葉に、ヒナタはぎょっとしてから、ついつい奥方を見てしまい、彼女もクスクス笑ってヒナタの左腕の腕輪に触れた。 「うちの息子がアナタにあげたものだと思って、あら?って、まさか愛人まで持つ気なのかしらって思っちゃったわ」 「え、ええっ!?ち、違、違いますからっ!」 「でも、あの子が二人に渡したのね」 「は、はい」 コクコクと頷くヒナタに笑みを絶やさぬ奥方はナルトのほうにも視線を走らせると、ナルトは腕の袖をまくって同じデザインの腕輪を見せた。 「この腕輪は、我が百鬼の国の秘術で作られた神器です。相手の心を送受信できるようにしてあるもので、心の結びつきが強ければ強いほど、相手に与えられる影響は増えていきます。私の夫と私では、最終的に相手の体に憑依するように力を貸せました」 奥方の説明を聞きながらヒナタは己の左手を見ながら、ナルトの螺旋丸を思い出す。 高密度のチャクラの放出から乱回転へ移行し、それから圧縮されていく行程を、今でも体は覚えていた。 「今は左腕だけだけど、リンクすることは出来るぜ」 ナルトは奥方を見ながら力強い言葉でそういうと、彼女は柔らかく微笑んで嬉しそうに頷く。 その優しい笑みは、まるで頑張った息子の報告を聞くような表情で、とてもあたたかい。 「では、そのうち体を預け渡すことが出来るようになるでしょう」 「へェ……どういう感覚かわかんねーけど……若は出来んの?」 「あの子達はまだ未熟。アナタたちのほうが一歩リードみたいね」 「今度自慢してやろうぜ!ヒナタっ!」 「え、あの……そ、その……じ、自慢……に、なるの?」 「なるなるっ!」 喜ぶナルトに戸惑うヒナタ。 それを呆然と見ながら、綱手はあんぐりと口を開き、今とても重要な話をとんでもなく軽く流された気がするとシカマルを見るが、彼も眉間に皺を寄せて親指と人差し指を使って揉み解しているようであり、サクラといのはもう、ぽかーんと口を開き見ている。 サスケはというと、呆れた表情をしながら、ナルトの後頭部をゴツンッと叩いた。 「いってーなっ!」 「ウスラトンカチっ!テメーはそういう重要事項を何ですぐ報告しねぇんだっ!」 「えー、そこまで重要かってばよ」 「今の話を聞けば、重要以外のなにものでもないだろうがっ!つまりは、ヒナタとお前は互いの力を使えるようになる、お前が時には白眼の力を使用でき、ヒナタが仙人モードを使えるのと同じことだぞっ」 「流石に尾獣モードは無理か」 「それは九喇嘛さんが私には封じられていませんから……」 「でも、仙人モードもか……うーん、オレの介入ナシでヒナタは使えるんじゃねーかって思ってんだけどな」 何気ない風に話をしているナルトの言葉に、今度はヒナタも固まった。 「コレはじいちゃん仙人たちに確認しねーとわかんねェんだけどさ、ヒナタはどうやら自然エネルギーを視覚化できるみてーなんだよな」 「なにっ!?」 綱手が驚き立ち上がると物凄い勢いでヒナタのほうを見る。 その勢いと形相に驚いたヒナタは思わず一歩後ろへと下がるが、ツカツカとヒナタの前まできた綱手は、ゆっくりとヒナタの目の前に手を翳す。 「ヒナタ、白眼を発動させてくれ」 「は……はい」 いつものように視覚にチャクラが集まり、目の周りの血管を押し広げ拡散するような感覚を覚える。 もう既に慣れ親しんだ力。 この力に覚醒したのはいつだったかと思い出すが、物心ついた頃にはもう使えるようになっていたとしか覚えては居ない。 しかし、白眼を使えるようになったと親に言ったのは、覚醒してからかなり経ってからだったようにヒナタはおぼろげに思い出した。 (私が白眼を開眼したのは……あの時だ……あの時、誘拐されたとき……あの時に、私は……) 何故忘れていたのだろうと、何故言えなかったのだろうと疑問を自分に投げかけ、そして、思い出したのは悲しげな父と母の顔。 大事な弟を失った父と、その父の悲しみをどうすることも出来ずに泣く母。 『あの子さえ生まれてこなければ、こんな惨劇は起こらずにすんだものをっ!』 (あ……あぁ……そうか……私は、その言葉を思い出したくなかったんだ……) 一時の感情であり、一時の言葉であったのかもしれない。 それでも小さな自分にはとても辛くて悲しいものであったのに間違いはなかったのだろう。 父と母にそう思われた事実が辛くて、悲しくて、そして……記憶と力を封じた。 ぽろりと流れ落ちる涙に驚いたのは綱手であった。 いきなり瞳が潤み、大粒の涙を零し始めたのを見てギョッとした顔をしてから、その瞳が遠くを見ているのを感じ、綱手はヒナタの過去の記録を思い出し、そして深く溜息をついた。 「そうかい、お前は自らの目を、自らの力で封じていたのか……忌まわしい過去と共に……三代目の危惧は的中していたというワケか」 涙をぽろぽろ流すヒナタを驚き見ていたナルトは、硬直したように動けず、何故と腕を伸ばすより早く奥方がヒナタの手を握る。 「悲しいときは声を出してお泣きなさい」 「……わかりません、そういう泣き方は……知らないんです」 静かに涙を流すヒナタを一瞬痛ましく見つめながら、奥方は悲しそうに顔を歪ませた。 まるで人形が泣いているようだと、綱手は目を閉じる。 「三代目が、ヒナタ。お前の誘拐の時の詳細を記録として残してある。幼いお前が白眼を開眼したと見たものもいるというのに、その事実は無かった。己で封じたのでなければいいと三代目は心配していた」 「……当時の私には耐えられなかったんです。父の言葉が……白眼を開眼した喜びよりも、その切欠となった事件がとても悲しく、父の言葉が苦しく……『あの子さえ生まれてこなければ』という言葉は、一時の言葉であるかもしれないのに、でも……それでも……」 ナルトは腕輪を通してその心の痛みが伝わってくるようで、眉根を寄せて痛みに耐えるように顔を顰めた。 それはナルトにも似たような経験があった。 だが、その憎悪の先は九喇嘛……ヒナタののように自分そのものではないと、今では理解できる。 当時はどうであったかと思えば、やはり同じように思えてならなかった。 「未熟な親というものは、心無い言葉を子供に浴びせ、その心を傷つけ、その傷に気づかず、その心を踏みにじる。アナタは優しい子ですね、それでも父が好きだからこそこうして泣く」 ソッとヒナタを抱きしめて、奥方は目を閉じる。 愛しい子供を抱くように…… ただ、そこにある慈愛の心と、あたたかな空気がヒナタにはとても優しかった。 「ごめんなさいね。私たち親は、いつも必死で、でも……こうして傷つけてしまう。アナタの父君がどう考えているかは知らないけれども、きっと彼の心があるからこそ思い出したのね」 「え……」 ナルトが顔を上げて奥方を見れば、彼女は優しく微笑みながらヒナタの髪をなでていた。 その視線をナルトに向けて、優しい母の顔で微笑む。 それは最後に見た母クシナの顔を思い出させ、ナルトは言葉を失った。 「きっと一人では耐えられなかった。だから、アナタの心が寄り添ってくれる今ならば、その記憶の封印を解いても前へ進めると感じたんじゃないかしら。当時の小さなヒナタさんがそう感じたのだと思うわ」 「オレの……心」 「だからこそアナタたちは深いところでリンクすることができたのだと思うの」 己の左腕を見つめ、そしてナルトはヒナタを今一度見てから優しく微笑み、力強く頷いた。 その決意の色を秘めた青い瞳と、男そのものの表情は精悍であり、大事な者を守ろうとする意志に満ち溢れている。 青い瞳は強く、そして優しい。 その眼差しは、力強く、未来をしっかりと見据えていた。 「きっと二人で乗り越えてみせるってばよ。ヒナタのその気持ち、わからねェワケじゃねーんだ。オレも覚えがある……きっと、だから一緒に乗り越えられる」 「ええ、きっとそうね」 言葉なく見守る一同と、ただ声もなく泣き続けるヒナタは、ナルトの力強い言葉を聞きながら心の中に何かあたたかいものが満ちてくるのを感じて、自然と口元を綻ばせる。 【お前と共に乗り越えていきたい……】 聞こえたナルトの力強い言葉にヒナタはゆっくりと頷く。 【私も、ナルトくんと共に……越えていきたい】 【ヒナタ、オレはお前が生まれてきてくれて良かった。誰がなんと言おうと、オレだけは絶対にそう思ってる】 【ナルトくん……】 ナルトの柔らかで優しい声は、ヒナタの心を満たし、確かな熱を持って染み込んで行く。 冷たく凍えた心をあたためるように、ぬくもりを届けるように…… 一人ではないのだと、ヒナタは何故いまになって思い出したのか得心がゆき、痛みだけではない心に感じる感覚を忘れてはならないと、今度こそは忘れることはないようにと記憶に刻む。 雪解けの水がさらさらと流れ出ように、きっと痛みを伴いながら心の氷をこうして溶かしてゆき、その水が心をより豊かにしていくのだろうと感じながら、記憶の向こうにある母のぬくもりに似た奥方の腕に包まれ、今は母のぬくもりに抱かれた子のように涙を流すのであった。 |