そばにいるためのお話 | ナノ

蒼と翠と銀の星

しょっぱい走馬灯が頭の中を駆けめぐる。
実際、あたしと兄は今、馬に乗って城内を駆け巡っているわけなんだけれど。まったく上手くない。馬だけに。

本当、笑えない冗談だ。

「へーいかーっ、手綱引いてー、腿で挟んでーっ!」
「出来るかーッ!」
「うわあーん誰か助けてぇーっ!」

アオはあたしと有利を乗せて、目下激走中。車は急に止まれない。それは馬も同じのようだ。

涙でにじむ視界に、横一列に並んだ兵士さんたちが写る。いっそ彼らにぶつかって止まってくれないかな。そんな不謹慎な願いも叶わず、アオはその横をするりと駆け抜けた。ああ、残念。

アオが何度目かの段差を飛び越えて、その浮遊感にぞくりと体が震える。安全装置がない分、このスリルはジェットコースターなんて比べ物にならない。

まさかこんなところで死ぬ目にあうなんて。しかも、死因が落馬って!

そろそろ覚悟をしなきゃいけないのか。お父さんお母さん、今までありがとう。勝利、めったにお兄ちゃんって呼んであげなくてごめんね。有利、あの世でもよろしく。

そんなことを考え始めた、正面入り口まであとわずかというところで、いきなりアオが棒立ちになった。
振り落とされる恐怖に一層強く彼女の首にしがみつく。が、想像していた衝撃はいつまでも襲ってこない。

「……止まってる……」

兄の声が聞こえた瞬間、待ってましたとでもいうように、がくり、体制が崩れた。
背中の温かさが遠ざかり、気を抜いて緩んだ腕の力をあざ笑うかのように、アオが大きく体を揺する。

今度こそ、落ちる――!

ぎゅっと目を瞑る。けれど、全身を打つ痛みは、いつまで経ってもやってこなかった。

……もしかして、痛みを感じる間もなく、死んじゃったとか……?

恐る恐る目を開けたあたしの目に飛び込んできたのは、深い深い緑色だった。

そっと視線を上げれば、すごく機嫌の悪そうな、けれど澄んだ蒼色をした瞳があたしを覗き込んでいた。濃灰色の髪がさらりと揺れる。
ああ、また現れた超絶美形さん。今度はゴッドファーザー系の渋い人。けれど、息が触れるほど近くにある顔に、恥ずかしさを覚える余裕はなかった。

あたしを腕に抱えたまま、男が口を開く。腰に響くようないい声だ。

「おい」
「……こっ……」

ぎょっ、と、男の目が見開かれた。あたしの頬に暖かい雫が流れていく。

「怖かったよおぉー……ッ!」

マジ泣きである。

後から後から溢れてくる涙が止まらない。ぎゅっと目の前の緑色にすがりつく。
怖かった。本当に、死んでしまうかと思ったのだ。

ゆっくりと誰かが頭を撫でてくれる。そっと壊れ物を扱うかのように、硬い指先が目元を拭ってくれた。

「そっ……」
「陛下ーっ、殿下ーっ」

指の温かさが離れ、あたしは地面の上におろされた。あたしたちを呼ぶ2人の声。

ふと見れば、つぶらな瞳をしたアオが、地面に転がる有利の髪を食んでいた。さっきまでの暴走特急車両だとは思えない。

有利を助け起こしたコンラッドが、次いで地面に座り込んだままのあたしを引きあげた。

「ご無事ですか」
「こっ、コンラッドぉおー」
「よしよし。怖かったね、ユノ。もう大丈夫だ」

涙を流すあたしの頭を抱きかかえるようにしてコンラッドが慰めてくれる。まるで子供をあやす母親のようだ。大きな手のひらが何度も背中を撫でおろしてくれる。抱きしめられる形になっているけど、恥ずかしいなんて言ってられない。

本当に、本当の本当に怖かったんだから!

やっと落ち着きを取り戻してきたあたしの耳に飛び込んできたのは、不機嫌なアルトボイスだった。

「それが新魔王だというのか!?」

顔を上げた先にいたのは、天使だった。

少なくとも、この国にいてこの城から出てきたって事は、彼も魔族なんだろう。だから、天使のような魔族が正解だ。透き通るような白い肌、長いまつげに縁取られたエメラルドグリーンの瞳。
きらきらと輝く金髪が目にもまぶしい美少年は、足音荒く、先ほどの緑色の男性のそばに歩み寄った。

怒れる天使だ。天使がご機嫌斜めだ。

「兄上、あんなやつが連れてきた人間もどきを王として迎え入れるおつもりですか!?」

あんなやつ、のところでこちらを睨みつけられる。美形が怒ると普通の人の倍は怖い。
思わず後ずされば、コンラッドがあたしを背中にかばってくれた。さっきから恐怖の連続で、ひざがガクガクしている。

ヴォルフラム、と呼ばれた天使は、どうやらこの国の王子様らしい。正確には元王子様。いやあ、まさに彼のためにあるような言葉だ、王子様。ただし今は、形のいい眉を吊り上げてお怒り中。どうやら、新王である有利のことが気に入らないらしい。それは緑の人……グウェンダルと呼ばれた人も同じのようだ。
批判されている当の本人はといえば、いまだ騒ぎの中心が自分であることの実感がわかないらしい。混乱した様子で、けれどその手は涙目のあたしの頭を撫でてくれている。

ギュンターがきっとヴォルフラムを見据え、厳しい口調で彼を制する。

「コンラートのことを悪し様に言うのもおよしなさい。仮にも、あなたの兄上なのですよ!」
「……ん?えーっと、天使のお兄ちゃんが緑の人で、コンラッドもお兄ちゃんで……?」

コンラッド、ヴォルフラム、グウェンダル。
え、もしかして。

魔族似てない3兄弟?

「うっそ、似てねぇー!?」
「こっちの世界の遺伝情報ってどうなってんのー!?」

有利とともに驚愕の声を上げる。ここにきてのびっくり情報に、それまで止まらなかった涙がやっと引っ込んだ。



それからはまた怒涛の展開で。
前王の兄がいけ好かない野心家だとかいうのが判明したり、怒れる天使が、実は82歳のおじいちゃんだとかいうことが判明したり。

「え、なに有利、貸切風呂なの?いいなーあたしも入る!」
「おお、じゃあ行くかー」
「え?」
「お、お2人ともっ、お待ちください!いくらご兄妹であらせられるからと、そんなっ、年頃の男女が、こっ混浴など……!」
「え?でも……」
「どうぞお聞き届けください殿下!そんなうらやまし……じゃない、どうか慎みをお持ちくださいー!」
「ずっと思ってたけど、2人はずいぶん仲がいいんだな」
「そうかー?普通だろ、これくらい」
「うん、普通よね、これくらい」

なんてったって、あたしたち、双子なんですもの。

そんな会話が繰り広げられたりしたわけだが。
あいにく魔王専用だという広いお風呂には入り損ねてしまったけれど、賓客用だという部屋に備え付けのお風呂も、十分豪勢な広さだった。ひとりきりで大浴場を貸切なんて、今までに味わったことのないVIP待遇。これで露天だったりしたらなおさらグッドだったのだけど。

2日ぶりのお風呂を堪能して、用意されていたふわふわのバスローブで体を包む。本当にさっぱりした。お風呂、バンザイ!

これまたふわふわのタオルで髪を拭きながら部屋へ続く扉を開けると、そこにはにっこりといい笑顔のメイドさんたちが待ち構えていた。

「@:;*+#?」
「へ?ああそうだった、ちょっと待ってください」

翻訳コンニャク、もとい眞王陛下特製の魔石は、さすがにお風呂の中には持っていけない。
ベッドサイドに置いていた指先大の石を握ると、彼女たちの言葉がすっと耳に入ってきた。

「ユノ殿下?」
「あ、はい。お待たせしました」

不思議そうに首を傾げるメイドさんたちは、これまた美人ぞろいだ。
……魔族っていうのは、みんな揃って容姿端麗なんだろうか。そういえば、ここまで護衛してくれた兵士さんたちも、パレードを見に来ていた国民の皆さんも、みんな外見レベルが高かった気がする。平凡な自分としては、劣等感を抱かざるを得ない。

それより、なんだかさらっと受け入れてしまったけれど。
よくよく考えれば、ここってあたしに用意された部屋なんだよね?不法侵入なんことは言わないけれど、どうして彼女たちはここにいるんだろう。

「何かご用ですか?」
「はい。フォンクライスト卿より、今晩の殿下の身の回りのお世話を仰せつかりました」
「さあユノ殿下、お鏡の前にお越し下さい。すぐに晩餐会の準備をいたしましょう」
「へ?」

フォンクライスト、っていうのは、えーっと、ギュンターのことか。
お風呂から上がったらすぐに夕食だっていうのは知ってたけれど、晩餐会なんて堅苦しい時間になるなんてこと聞いていない。メイドさんたちの手には、きれいな布や化粧道具。彼女たちはそれを手に、満面の笑みでにじり寄ってくる。な、なんだか、妙な迫力があるんですけれど。

「えっとあの、って、あっ、ちょ」
「ああ、なんてお美しい、漆黒の御髪なんでしょう。腕がなりますわーっ」
「お肌もとっても滑らかですこと!これならお粉を少しはたくだけでよろしいですわねっ」
「さあさ、殿下こちらを。最上級の絹で仕上げた一品でございます!」
「あの、ちょっ、きゃー!」

はーなーしーてー!

けれどそんな願いは聞き届けられず、あたしはあっという間にメイドさんたちにに抱え込まれてしまったのだった。

ドレスは深い緋色の、肌触りのいい上質な素材。髪は少々の後れ毛を残してゆるく結い上げられ、毛先を熱した鉄の棒――コテのようなもので巻かれ。爪をぴかぴかに磨かれ、軽く化粧もほどこされた。
鏡で見た自分の姿は、お嬢様というよりも、まるでお飾り人形みたいだった。飾りなれていないのが一目で分かる。

仕上げとばかりに、贈り物だとかいうネックレスを付けられる。大きな赤の宝石がちりばめられた、銀色のビジューネックレスだ。

「こちらの首飾りは、前王であらせられるツェツィーリエ上王陛下から殿下への贈り物です。なんでも、上王陛下がじきじきに職人に作らせた一品であるとか」
「へー……」
「とてもお似合いですわ、殿下」

きゃっきゃうふふなメイドさんたちはとても可愛らしいけれど、そのテンションに付き合う元気は、あいにくあたしには残っていない。もう、食事の前に疲れてしまった。慣れないドレスアップは精神的にきつい。
小さい頃は母親から着せ替え人形にされていたたけど、それも中学に入ったくらいからは断ってきたし。大体、少女趣味が過ぎるのだ、あの人は。ここ最近では勝利までそれに結託してひらひらの服を着せようとしてくるので、こちらとしてはたまったもんじゃない。

イブニングドレスの長い裾をつまむ。なんだか落ち着かない。こんなもの着たのは初めてだ。
それに、落ち着かない原因は、今はいている下着のせいもある。

なぜ、紐パン。初めてつけたわよ紐パン。実際に着てみて分かったけれど、これは「はく」というよりも「つける」ものだ。いずれデビューするにしても、もっと大人になってからだと思ってたのに。

どうやらこの国では、紐パンは男女かまわず貴族の一般衣料の地位を確立しているらしい。
ということは、あーんな顔して、みんな紐パンをはいてるのか。魔族似てない3兄弟も、麗しのギュンター閣下も。

「……想像しなきゃよかった……」
「殿下?よろしいですか」
「コンラッド?」

聞き覚えのある声とともに扉がノックされ、その向こうから次男坊が顔を出した。真っ白な軍服が良く似合っている。普段のイケメン具合が数割増しだ。帽子があれば海軍みたいだ。敬礼とかしてほしい。

いや、でも、彼もこの服の下は、紐パンなのかも。

「……やめとこう」

彼の名誉のためにも、あたしの精神衛生のためにも。

メイドさんたちが一礼して部屋を出て行く。それに手を上げて応える姿までいちいちかっこいい。

「よくお似合いです、ユノ」
「どっ、ドウモアリガトウゴザイマス」

そちらこそ、とってもお似合いですよ。

節くれだった指がそっとあたしの手を取る。にこにこと柔和な笑み。お世辞だと分かっているのに、どきどきする心臓が止められない。
だって、しょうがないじゃない。イケメンとの触れ合いなんて、今までの短い人生で体験したことないんだから!

「この国は空気が澄んでいるから、今の季節は星が綺麗なんだけど」
「?うん」
「その星々も、今夜のあなたの前ではかすんでしまうでしょうね」
「ちょっ……」

何を言ってるのこの人は!?
ぶわっと、顔が赤くなったのが分かる。体温も3度くらい上昇したんじゃないだろうか。

「やっ止めてくださいコンラッドさん、そんな笑顔でこっちを見ないでー!」
「どうしてですか?だってこんなに綺麗なのに。目に焼き付けないともったいない」
「ぎゃー!」

助けてゆーちゃん。天然ジゴロのせいで、あたしの心臓が爆発しそう!
とってもクサイせりふのはずなのに、不思議なことに、彼が言うとキザに聞こえない。これが好青年のパワーか。あまりの気恥ずかしさにコンラッドを睨みつけてしまう。

だって、しょうがないじゃない。こっちはイケメンからの称賛なんてものに慣れてないんだから!

けれどそんなあたしの精一杯さえも軽くスルーして、コンラッドはその場にひざを着いた。片手を差し出す姿は、まさに王子様のようだ。……違った、本当に王子様だったんだ。

「エスコートをお許しいただけますか、ユノ殿下?」
「はっ、はい」

思わず声が裏返ったのは、しょうがないことだと思うんだ。

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