そばにいるためのお話 | ナノ

偽者

 
額に冷たいものが当たる感覚で目が覚めた。
見たことのない天井――いや、天蓋だ。広いベッドの上に寝かされている。
霞がかかったように思考が朦朧とする。ここはどこだろう。『私』は今どこにいるのだろう。

「……ここは……」
「起きたか」

声がする方に目を向ける。椅子に腰掛けた魔族が、腕を組んで私を見ていた。窓からの陽光を受け、その金糸が輝いている。

――私はこの人を知っている。
ああ、美しい。憎らしい。すべての祖。諸悪の根元。偉大なる御方。忌避すべきもの。畏敬の対象。嫌悪の対象。

「陛下」
「寝ぼけているのか?」

その人は長く白い指で私の鼻をつまんだ。湖畔色の瞳が呆れの色をのせてすがめられる。

「この僕のどこが、お前の兄に似ているというのだ?」
「……ヴォルフラム……?」
「そうだ。まったく、義兄となる者の顔を忘れるとは、薄情なやつだな!」
「あ、間違いなくヴォルフだ」

義兄云々はともかく、およそ1ヶ月ぶりの美少年は、記憶にある姿と同じに、尊大に鼻を鳴らした。

眞魔国の元プリンス、見た目は天使で中身はポメラニアン、魔族似てない3兄弟の末っ子、兄の婚約者となってしまった美少年。列挙すると限りがないが、フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムは、この世界における友人の1人だ。

彼がいるということは、ここは眞魔国か。どうやら、あたしはまた異世界に来ちゃったみたいだ。
今回の移動手段はスタツアじゃなかったなー。召喚にもいろんな方法があるらしい。たまには「タンスを開けたら異世界でした」とか「トンネルを抜けると異世界でした」みたいな、平和で穏やかな移動手段でお願いしたいものだ。

清潔なシーツの上で体を起こす。額から濡れタオルが落ちた。
意識を失う前より体が軽い。やっぱり寝不足だったみたいだ。

「どこか体に違和感はないか?頭を打っていたようだが、気分の悪さは?」
「ないよ。強いて言えば、お腹が空いてるくらい」

そういえば意識を失う直前に、トイレの壁に頭をぶつけていた。該当箇所を触ると、ほんの少しコブが出来ていた。
ヴォルフラムが水の入ったコップを手渡してくれる。ちょっとぬるめの水は、それでも喉を潤すのには充分だった。

「何か持ってこさせよう。しばらくはゆっくりするといい」

ヴォルフラムは部屋の扉まで歩くと、その向こうにいた誰かに声をかけた。食事と魔王への伝言を頼んでいる。有利もこちらの世界に来ているらしい。
すぐに扉を閉め、ヴォルフラムはこちらに戻ってくる。元の通りに椅子に腰掛け、長い足を組んであたしに目を向けた。
ヴォルフラムの目が、あたしを観察するように動く。

「ユノ」
「なに?」
「……本物だな」
「突然なによ」

首をかしげたあたしに、ヴォルフラムは首を振った。

「こちらの話だ。……ということは、あれはやはり偽者ということか」
「だから、何の話?」
「有乃ッ!」

勢いよく扉が開かれ、その向こうから見知った顔がいくつか現れた。最前線に居たのは、あたしの双子の兄、渋谷家次男、双黒の貴人、第27代眞魔国魔王陛下。渋谷有利だ。

こちらへと駆け寄ってきた有利は、ベッドに体を起こすあたしを見て、眉尻を下げた。

「良かった!あんな登場の仕方をするもんだから、心配したんだぞ」
「あんな登場?」
「突発的に発生した竜巻から放り出されて、2階ほどの高さから落下してきたんですよ」

有利のあとに続き入室した男が言う。魔族と人間のハーフ、いつもハリウッド俳優並みに爽やかな笑顔であたしたちを受け入れてくれる人、あたしと有利の名付け親、この世界で唯一の兄の野球仲間。ウェラー卿コンラッドだ。

「惚れ惚れするようなきりもみ回転だったけれど、今度からあの登場は遠慮してもらいたいな。心臓に悪い」
「で、殿下〜……無事のお目覚めに安心いだじまじだ〜」

珍しく苦笑したコンラッドが空のコップを回収し、もう片方の手があたしの額をおおう。体温を確認するようにしてしばらく触れたあと、もう一杯水差しから水を注いで渡してくれた。
その後ろでグズグズと鼻を鳴らしているのは、有利の王佐であり、十貴族の一員でもある、フォンクライスト卿ギュンターだ。魔族イチの美形と名高い男性だが、事あるごとにこうしてギュン汁を流していては、ギリシャ彫刻も真っ青の眉目秀麗っぷりがもったいないってものだ。麗しのすみれ色の君も、双黒の新米魔族にかかれば孫を溺愛するお爺ちゃんに早変わりだ。

「ギュンターったら、そんなに泣かなくても」
「これが泣かずにいられますか!もしもあの時、コンラートが御身を受け止めきれていなかったらと思うと……ああ、考えるだけでも恐ろしいっ」
「コンラッドがキャッチしてくれたの?大丈夫だった?怪我してない?」
「あなたが無事なら、何も問題はありませんよ」

微笑んで返したコンラッドは、なおも鼻をすするギュンターに見かね、彼にちり紙を手渡した。お母さんみたいだ。

有利がベッドの端に腰掛ける。

「本当だよ。肝が冷えたっての」
「心配してくれてありがとう」

でも、召喚方法はあたしが選んだものじゃないんだから、そこについてはご容赦願いたいです。

「それはそれとして……本物だな」
「有利まで何なのよ?」

さっきヴォルフラムにも同じようなことを言われた。偽者だとか、そんなことを言っていた。

「なあに、あたしのドッペルゲンガーでも現れたって言うの?それとも物まね芸人?あたしってば、いつの間にかそんなに有名人になったのー、なーんちゃって」
「……実はそうなんだよ」

え。

「ええーっ、ウソ!?偽者って、本当に!?」
「本当だって。本当に偽者が出たんだってさ」
「えー、そっかあ、ほんとの偽者かー。そっくりさんなのかな……ん、あれ?偽者?本物?」
「本物じゃなくて偽者だって。本当に偽者は本物で……あ、あれ?」
「混乱してるなあ」

揃って首をかしげた双子たちを笑い、改めてコンラッドが説明してくれた。

「正確に言えば、有乃殿下の偽者ではなく、魔王陛下の偽者なんです。お2人は顔立ちがよく似てらっしゃるので、陛下のそっくりさんだったら殿下のそっくりさんでもあるということになりますね」

眞魔国の南に位置する隣国、コナンシアで、魔王が捕らえられたという噂が広がった。はじめはそんなことがある訳ないと一蹴していたコンラッドたちも、その処刑の日取りが決まったと聞き、念のためにあたしたちを呼び寄せることにしたらしい。

「処刑って……その人、そんな大変なことをしちゃったの?」
「無銭飲食だそうです」
「ええー!?」

そんなことで!?
いや、罪に大小はないのかもしれないけれど。それにしたって、無銭飲食に対して極刑を言い渡すだなんて、そんなバカな話があっていい訳がない。お皿洗いだとか、もっと相応しい償い方があるだろう。
その人にどんな事情があったのかは分からないけれど、きっとその人だってどうしようもなくってそんなことをしちゃったはずなのだ。

「そんなのってないよ。その人を助けなくっちゃ!」
「ああ。俺もそう思う」

有利が力強く頷いた。
あたしたちを見て、そうなると思ったって顔をしてコンラッドが笑う。ヴォルフは仕方ないなと言いたげに肩をすくめ、ギュンターは止まった涙を再び流しながら身を震わせている。

「ああ殿下!陛下の名を騙る不届きものにまで慈悲をお与えになるとは、なんと寛大なお心なのでしょう!」
「なんにせよ、体調を回復させないことには外出できません。まずは何か腹に入れましょう」

ちょうどご飯が運ばれてきた。華奢な脚のついたグラスに盛られているのは、透き通った紅色のゼリーだ。熱中症明けの胃にありがたい。
甘く冷たいそれに舌鼓を打ち、少し休んだあと、明日以降の予定について打ち合わせをした。今回も気合いを入れなくちゃいけない旅になりそうだ。

そうして過ごしている間に、夢の内容なんて、すっかり忘れてしまっていた。

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