そばにいるためのお話 | ナノ

あるお庭番の胸中

さっきから何をしているんだろう、あのオヒメサマは。

新種の動物でも見るような気分で、ヨザックは少女の動向を眺めていた。監視を始めて数時間経つが、いまだに彼女の行動原理は理解できていない。
いや、実際に彼女は、ヨザックの考えも及ばない生き物なのだ。

なにせ、彼女は双黒の魔族。自分のような下っ端兵士とは違う、第27代魔王陛下の妹君だ。

ヨザックに彼女を監視するよう命じたのは、上司であるフォンヴォルテール卿グウェンダルだ。

長い国外任務から帰ってきた途端呼び出されたのは、彼のこの地での執務室。疲弊した体に鞭打ちながら出向いてみれば、グウェンダルはいつものように眉間にしわを寄せ部下を迎えた。ただし、不機嫌さは2割増しだ。長い指先が小刻みに動いている。

誰よりも魔王然とした容貌をした男が、重々しく口を開く。

「シュトッフェルが動いている」
「……そりゃーまた、お盛んなことで」

茶化すような口ぶりだが、その口調は嫌悪感を隠せていない。
笑おうとして失敗した、そんな奇妙な表情で、ヨザックは話の続きを待った。

「戴冠式が終われば、奴はシュピッツヴェーグの城で、事実上の軟禁生活だ。それを危惧してのことだろう。昨晩、自身でアレに接触した」
「やっこさんも後がないって訳ですね。なりふり構っていられないってことか」
「ああ」

アレ、と口にした瞬間、自分の眼光が少しだけ柔らかくなったことに、グウェンダルは気づいているだろうか。だが、それも本当に一瞬のことで、すぐにいつもの気難しい表情に戻ってしまったが。

珍しいものだ。上司のわずかな変化を見逃さなかったヨザックは、内心でそうこぼす。
あの小動物と編みぐるみ以外では決して直せない彼の機嫌が、1人の娘を思い浮かべただけで治るなんて。

そのときはそう思ったものの、実際にユノの姿を見て、ヨザックは納得した。

ああ、確かにこれは可愛らしい。

目にするもの全てを興味深そうに見つめる利発そうな瞳。好奇心をくすぐる光景に上気した頬。簡素ながらも質のいい服から伸びる細い手足。くるくる変わる表情は見ていて飽きが来ない。

今はまだ70から80歳程度のあどけなさも残る可憐な少女だが、あと数十年もたてば眞魔国一の美女として名をとどろかせるに違いない。
ユノが実際はその数分の1程度の年数しか生きていないことをヨザックが知るのは、もう少し後のことだ。

ヨザックの視線の先で、ユノはきょろきょろと周りを見渡しながら、長い廊下を進んでいた。どうやらあてもなく散歩をしているらしい。
まだ訪れて間もない場所を気の向くまま歩くものだから、本来であれば貴族が来るはずもない、使用人の詰め所にまで入り込んでは、訪問に驚く彼らに向けて頭を下げていた。

「で、殿下!?なぜこのような場所に……」
「あ、ごめんなさい、ここって休憩所?ちょっとお散歩に来ただけなんです。すみません、お邪魔しました」

自分たちが仕える王妹殿下に気を使われてしまっては使用人として立つ瀬がない。戸惑いと驚きで固まった彼らを残し、またユノはあてもなく歩き始める。そんなことがもう3度は続いた。
すれ違う哨兵にさえ飾り気のない笑顔で頭を下げ、廊下の天井を興味深げに眺めていたかと思えば、窓から身を乗り出さんばかりにして城下を見下ろす。

確かに可愛らしい。
だが、微笑ましいとは思えなかった。

兄王と同じ、所詮は異世界でぬくぬくと安全に育ってきた甘ちゃんだ。自分の置かれた立場も分からず、こうやってのんきに過ごしている、ただの子供だ。

足音を立てることなく、ヨザックは開いた距離を詰める。お姫様は尾行者の存在にまったく気づく様子もない。

王妹殿下を懐柔し、その手に権力を取り戻す。それがシュトッフェルが立てた計画だ。あわよくば、王位を妹と挿げ替え、再び摂政の地位に返り咲こうとしている。薄汚い、あの男の考えそうなことだ。
ユーリ陛下に取り入る隙がないと分かったら、今度はユノ姫か。どうやっても政権にしがみついていたいらしい。下衆が。舌打ちしそうになるのを必死でこらえる。

その下衆に利用されようとしていることにも気がつかず、ユノは廊下にかかる絵画に目を奪われている。汚れたものなんて見たことがないような、きらきらとしたまなざしで。

ヨザックは内心で溜め息をつく。
可愛いだけのお姫様なら、おとなしく城の奥で飾り立てられていればいいものを。どうして大人しくしていないのだろう。今もこうしてヨザックが監視の目を光らせていなければ、後がないと焦ったシュトッフェルが、どんな手を使ってくるかも分からないのに。自分の苦労も少しは考えてほしいものだ。

その姿が人気のない方向に向かい始めたとき、さすがにヨザックは声を上げた。

「ユノ殿下ー、こんなところで何をしてらっしゃるんですかー?」



迷った。

珍しいものばかりで、ついつい熱中して歩き回ってしまった。階段を何度上り下りし、何度廊下の角を曲がったか分からない。
気づいたら自分がいる場所がどこなのかも分からない。道を聞こうにも、周りにはひとっこひとりいなかった。

失敗した。こんなに人気のないところに来てしまうなんて。

「……まあ、歩いてたら、いつか元の場所に戻れるよね」

いくらこのお城が広いからって、どこまでも続くって訳じゃないだろう。しんとした廊下に独り言が良く響く。寂しい。

とりあえずの一歩を踏み出したところで、背中に間延びした声がかかった。

「ユノ殿下ー、こんなところで何をしてらっしゃるんですかー?」
「ああ良かった、人がいた!あの、ここっていったいど……こ……」

言葉が尻すぼみになる。それくらい、振り返った先にいた人は衝撃的だったのだ。
明るいオレンジの髪も水色の瞳も整った容姿も、この世界に来て数日でだいぶ見慣れた。今更そこに驚きはしない。

問題は、目の前の人物の服装だった。

真っ赤なメイド服にふりふりのエプロン、頭にちょこんと乗ったレース付きカチューシャ、両手に持ったほうき、動きやすそうだけれど可愛らしいデザインのパンプス。格好だけを見れば、このお城に何人もいるメイドさんと変わりはない。

けれどそれを違和感なく着こなすためには、この人物の肉体は、鍛え抜かれすぎていた。

服の上からでも分かる、鍛え抜かれた上腕二等筋、外副斜筋、大腿四頭筋、下腿三頭筋。そこらのアスリートなんて目じゃない。有利が見たら惚れ惚れするような筋肉だ。

……性別、どっちだろう、この人。

太い首を凝視するけれど、可愛らしいチョーカーで覆われていて、のど仏の有無はわからない。声は低いけれど、ハスキーボイスの女性って場合も十分にある。

「殿下ぁー?どうなさったんですか?そんなに見つめられると、グリ江困っちゃうわーぁ」
「……え?あ、ごめんなさい」

女の人だったか。しなを作るグリエさんを見て胸をなでおろす。変なことを聞かなくて良かった。もう少しで男性認定するところだった。
よく見れば胸元に膨らみもある。立派な鳩胸だ。

「止めて下さいよ、こんな下っ端に頭を下げるもンじゃありません。……ところで殿下、そろそろ正午ですけど」
「えっ、もうそんな時間!? ありがとうございます、えーっと、グリエさん!」
「いいえー」

しまった。探索に熱中しすぎてしまった。
慌てて窓から外を見ると、確かに太陽はほぼ真上に昇っていた。あーもーどうして気がつかなかったんだろう。早く中庭に行かなくちゃ。

駆け出そうとした足が止まる。背中に怪訝そうな声がかかる。

「殿下?」
「……あの」

振り返ったあたしの顔は、きっと情けないものだっただろう。

「中庭まで、案内、してもらえませんか」

迷っちゃったみたいで。メイドさんは一瞬きょとんと目を見開いた後、すぐに豪快におなかを抱えて笑い出した。

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